擾乱(一年前)
雹夜が王になった経緯。プロローグの続きです。
興味なければスルーしても大丈夫です。
一年前。
浦戸市のヴァンパイアたちは真っ二つに割れていた。
争点は、政府から求められた国の司法制度のヴァンパイアたちへの適用を巡るものだった。
浦戸市のヴァンパイアには伝統的に治外法権が認められてきた。
しかし、浦戸における治外法権は、政府の立場からすれば一国二制度の状態であり、かねてから問題視する声があった。
それがこれまでまかり通ってきたのは、超自然的能力を持つヴァンパイアの管理がヴァンパイア以外には難しいという純粋に技術的な問題に加えて、浦戸の街の歴史的な経緯によるものでもあった。
戦国時代には高度な自治を誇った裏戸ではあるが、家康による天下統一にともない、自治都市としての裏戸は消滅、浦戸藩として幕藩体制の中に組み込まれていくことになった。
が、裏戸の独立を守り続けてきた不裏戸衆は、幕府がその卓越した戦闘能力を怖れたがために解体を免れ、江戸時代以降もその命脈を保つことになった。以来不裏戸衆は浦戸に住むヴァンパイアたちの守護者を自認し、江戸幕府から明治政府、戦時中の大本営、そして現代の日本国政府に至るまで、国による干渉からヴァンパイアたちを陰から守る役割を果たしてきた。
そのため、異能故に迫害の対象ともなりやすいヴァンパイアたちにとって、不裏戸衆の守る浦戸は一種の聖域となり、一部当局者からは「魔窟」と指弾されながらも、浦戸は知る人ぞ知るヴァンパイアの隠れ里としての地位を築くに至ったのだ。
だから、浦戸で暮らすヴァンパイアの守護者を自認する不裏戸衆にとっては、治外法権の放棄など言語道断であり、第二次大戦時の混乱を知る長老たちと血気盛んな若者たちの中には、政府との武力衝突を覚悟してでも突っぱねるべきだと主張する者まで現れた。
一方、「ヴァンパイアのためのキリスト教会」として浦戸を拠点としつつも全国に根を張る〈聖霊の声〉は、浦戸の治外法権を時代錯誤な代物とみなし、国の司法制度とのすりあわせを模索するべきであると主張した。
当然、〈聖霊の声〉の祓魔部隊である〈白銀の十字剣〉も方針を同じくしており、不裏戸衆の一部過激派との間に細かな紛争を生じるに至った。
〈白銀の十字剣〉は、もともと、人間に害を為すヴァンパイアを自主的に排除することでヴァンパイアの自浄作用を証明することを目的として設立された組織である。だから、国とことを構えることをも厭わないとする過激派たちは、彼らの目からすれば、人間とヴァンパイアの隠微で繊細な共生関係を破壊しかねない、いわば潜在的なテロリストと映るのである。
不裏戸衆の過激派と〈白銀の十字剣〉とのいざこざは次第に治外法権を巡る議論の先鋭化を招くこととなり、やがて多数派であった穏健派の不裏戸衆や〈白銀の十字剣〉の母体である〈聖霊の声〉をも巻き込む一大抗争へと発展していく。
偶然からその抗争に巻き込まれた雹夜は、全面的な武力衝突へと至る寸前の場面に、文字通り飛び込むことになった。
人間である自分には関係ないこと――その考えがまったく浮かばなかったとは言わない。
が、当時から親交のあった氷雨や不裏戸衆の幹部たち、あるいは〈聖霊の声〉の司祭であるルチアや雹夜のよき相談相手であった浦戸司教――彼らが泥沼の闘争に巻き込まれるのかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
雹夜はおやっさん――ジュリオン・ソラーレの教えを胸に抱いて抗争のさなかに飛び込み、両派を説得しようと試みた。
それは容易いことではなかったが、双方に顔が効きながらどちらの関係者でもない雹夜の立場が幸いした。
治外法権の放棄を巡る意見の対立は、拒否権をもつ浦戸側代表によって裁判を監視できるという条件の下に国の司法制度を受け入れるという形で妥結することができた。
それは何も雹夜の創意ではなく、〈聖霊の声〉、不裏戸衆双方の穏健派や実務者が温めていた腹案を基礎とするものだった。
両派は奇しくも、ほとんど同工異曲というべき現実的な代替案を、それぞれ独自に用意していた。つまり、元々歩み寄りの余地は存在していたのである。
それがなぜ対立が激化する前に実現できなかったのかといえば、〈聖霊の声〉の実働部隊である〈白銀の十字剣〉は不裏戸衆側の提案を疑うだろう、また不裏戸衆の過激派の方でも〈聖霊の声〉の持ち出す妥協案になど耳を貸そうともしないだろう……そんな予測が双方に存在していたからだ。
要は、互いに対する不信感が先立って、実のある提案ができない状態になってしまっていたのである。
結局雹夜のやったことは、誰もが薄々は考えていた案を改めて突きつけたということでしかない。
ただ、その提案を行うことができたのは、浦戸市内では雹夜ただひとりだった。
いや、命を懸けて自分には本来関係ないはずの争いの場に割り込んだ雹夜の勇気と覚悟こそが、曲者揃いのヴァンパイアたちに雹夜の誠意と中立とを信じさせたのだともいえる。
ともあれ、雹夜の提案――拒否権付き、監視付きでの司法制度受け入れ――はヴァンパイアたちに受け入れられた。というより、ヴァンパイアたち自身も、文句のつけようのない相手から落としどころを示されたことで、内心ではほっとしてもいたのである。彼らもまた、同胞同士で戦うことなど本心では望んでいなかったのだ。
しかし、問題となったのは、その「浦戸側代表」をどう決めるのか……ということだった。
初め、雹夜は〈白銀の十字剣〉と不裏戸衆の双方から代表者を出すことを提案したのだが、
「馬鹿野郎。それじゃ票が割れたらまた同じことの繰り返しだろうが」
不裏戸衆青年組総代・史曜驟雨にすげなく一蹴されてしまった。
じゃあ、代表者を集めた協議会に中立的な第三者を加えれば――
「……ちゃんとものを考えて言ってますか? 『中立的な第三者』なんて、この浦戸市の一体どこにいるというのです?」
今度は〈白銀の十字剣〉の団長、矢野・クリストフ・征拾朗が雹夜の意見を冷たく却下した。
「だいたい、ごく少数の『第三者』なんぞを加えたところで、二派のどっちにつくかって話になるだけだ。自分たちの意見を容れられなかった側は『第三者』を恨むぞ? 『第三者』の中立性に疑問を唱えて、協議自体が無効だと主張しかねんな」
「そんな意気地のないことをするのは、騎士道精神を理解できない暗殺者の末裔どもだけだと思いますがね」
「ふざけるな! 貴様らこそ、神の御心にそぐわぬ俗世の約束事など守るに値しないなどといって一方的に反故にしかねんだろうが。ありもせぬ神に全てを捧げ、隣人たちには露ほどの関心も払わぬ狂信者どもに、我々の何がわかるというのだ!」
再び戦士たちがいがみあいを始める。そのさまは、浦戸に棲むヴァンパイアの未来を決するための高度な政治的議論というよりは、むしろ子どものケンカに似ていた。
「両名とも、その辺りにしておけ。見苦しくて敵わぬわ」
そこに割って入ったのは、山伏集団〈天狗の会〉会長・御堂龍厳だった。〈天狗の会〉は、修験者らしい無関心で今回の騒動に中立の立場を取っていたが、人材の交流があることから、いざとなれば不裏戸衆寄りの立場を取るだろうと見られていた。
「中立の第三者なら、ここにおるではないか」
龍厳はそう言ってニヤリと笑ってみせた。
「何ですって?」
「どこにそのような者がおる? まさか、貴様がそうだと言うつもりなのではあるまいな?」
「まさか。儂も利害関係者であることは明らかであろう。〈天狗の会〉がいくら中立を堅持すると言ってみたところで、おぬしらがそれを信じぬ以上意味はあるまい。……が、ここに一人――そう、一人だけ、我々のどの勢力からも影響を受けておらず、従って利害関係など持ちようもないものが、おるではないか?」
一同の視線が、雹夜へと一斉に向けられた。
「お、俺……か!?」
「そうじゃ。有門雹夜――おぬしがこの街の〈王〉となればよい」
みな、唖然とした。
爆弾を投げ込んだ当の本人である龍厳は、恬淡とした表情で「カッカッカ!」と大笑した。
「おぬしが万事を裁定してしまえば、こやつらも無益な争いなどせずに済むじゃろう? おぬしは争いが止められてよし、当事者どもは無駄に血を流すこともなくなってよし。万事丸く収まろう?」
そう言ってにやりと微笑んでみせる龍厳を、雹夜は顎をかくんと落とした間抜けな顔のままで呆然と見つめた。
――雹夜が龍厳の言葉に猛烈に反対しはじめるまでには、優に数十秒の時間が必要だった。
その後の騒動は――正直、思い返すことすらしんどい。
なんとか辞退しようとあがいた末に、雹夜は浦戸のヴァンパイアたちの〈王〉となることを受け入れ、彼らもまた、雹夜を〈王〉とすることに同意した。
そして、もともとはヴァンパイアの犯罪を裁く際の見届け人にすぎなかったはずなのに、〈王〉だからという名目の下に雹夜の下にはヴァンパイアがらみの相談事が持ち込まれるようになった。
人間でありながらヴァンパイアの〈王〉となった雹夜は、ヴァンパイアにとってもめ事の中立な調停人であるのと同時に、浦戸に住む人間たちにとってはヴァンパイアたちとの接触を仲立ちする代理人のような存在と見なされるようになってしまったのだ。
王などとはいうものの、実態としては部下と上司の板挟みにあう中間管理職のようなものだと、雹夜自身は思っていた。
が、いざやってみると、ヴァンパイアたちに〈王〉を置くという仕組みは存外にうまく回った。
これまでは浦戸のヴァンパイアといっても、それぞれが不裏戸衆や〈聖霊の声〉、あるいは〈天狗の会〉といった個別の集団を作ってそれぞれがバラバラに活動していた。そこに目に見える「頭」ができたことで、浦戸のヴァンパイア全体に関わる問題の処理を〈王〉の下へと一元化できるようになったのだ。
司法制度に関する政府との協議も、雹夜が〈王〉の名の下に集めた浦戸市内の法律家(もちろんヴァンパイアである)たちに一任することでスムーズに進んだ。結果的に、雹夜の提案した、拒否権を持つ浦戸側代表者による監視を受け入れの条件とするという線で政府との間にも合意ができた。
雹夜の最初の提案と異なるのは、吸血鬼事件が発生した際には、浦戸側が吸血鬼の逮捕に当たる代わりに、政府側に先駆けて裁判を行うことができる、という条件が加わったことくらいだった。これは、ヴァンパイアの中の裏切り者を自分たちで裁くという元来の自治的な意味合いに加えて、どちらにせよ政府には吸血鬼を捕まえる手段がなく、捕まえたところで裁くための法律がないという現実的な問題もあった。
ともあれ、問題が平和裏に解決したことで、〈王〉としての雹夜への評価も上がり、雹夜は名実共に浦戸のヴァンパイアたちから自らの王であると認められるに至ったのである――。




