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聖剣と魔棺

 聖霊の働きによって維持される青白い光の束――降魔の霊剣を手にしたかるらは、祈りの言葉を高らかに唱える。

 

「偉大なる大天使にして天軍の総帥たる聖ミカエルよ! 神に背きし悪魔どもの(すえ)を討ち滅ぼさんがため、我、伏して願い奉る! 主の(つるぎ)たる汝が力、我に疾く授け給えッ!」


 かるらの祈りに応え、霊剣が一段と輝きを増す。

〈聖ミカエルの輝ける(つるぎ)〉――天軍を率いてルシファーの軍勢と戦った聖ミカエルの霊剣を、聖霊の力により模倣した光の(つるぎ)である。


 通りがかる者とてない夜の田舎道を、青く輝く霊剣を携えたかるらが駆け抜け、道の中央で待ち受ける金髪碧眼のヴァンパイアの少女――アルトへと襲いかかる。

 

 迎え撃つアルトは、祈りの言葉などは口にせず、ただ左手を宙にさしのべた。

 その左手の先に、アルトの周囲を衛星のごとく浮遊する黒い板きれが飛び込み、振り下ろされた降魔の霊剣を受け止める。

 

 その黒い板きれは、アルトの身体をすっぽり覆い隠すほどの大きさで、正六角形の下半分を思いきり引き延ばしたような形をしている。

 歪な六角形の縁に刻まれた金字のアルファベットからは、白金に朱が混じったような色のオーロラ状のゆらめきが噴き出している。そのオーロラと叩きつけられたかるらの霊剣との間に激しいスパークが迸る。

 

 聖ミカエルの加護を受けた霊剣を受け止めているその板きれは、昨日アルトがその中に入って有門家へと配送されてきた黒檀の棺の蓋だった。

 天板に浮き彫りにされた、髑髏を杯に生き血を啜る女吸血鬼の唇が吊り上がり、襲い来る神の依り代に、傲然たる嘲笑を浴びせかけている。

 

 夜闇に超自然の火花を撒き散らしながら、東欧の暗殺教団の元・ヴァンパイアハンターと、地中海の魔王の娘の鍔迫り合いが続く。

 

「うっ……ぐううっ……!」


 鍔迫り合いを制しつつあるのは、かるらだった。

 己を極限までむなしくし、神にその身を委ねた迷いのない(つるぎ)が、顔見知りを相手に本気になりきれない姫の盾を、押し返し、切り裂こうとしていた。

 力のぶつかりあいの余波ではためく黒いフードの隙間から、曇りのない殺意のこもったかるらの瞳がのぞく。

 その眼光の途方もない冷たさに、アルトは一瞬、盾の制御を失いかけた。

 

「くっ……」


 アルトは左腕をふるい、かるらの(つるぎ)を左にいなす。

 かるらはその力に逆らわず、青白い光の霊剣をあっさり手放してみせると、わずかに上体を後ろへと傾けた。

 かるらから距離を取るべく後ろへと跳んでいたアルトは、背筋に走った緊張感に押され、とっさに叫ぶ。

 

「――〈夜の七時〉っ!」


 アルトの叫びに応じて、先ほどの蓋よりは小さい別の板きれが、アルトの前に飛び込んでくる。

 かるらの挙動の意味は量りかねたが、アルトは本能に近い部分でそれが危険なものだと判断したのだ。

 

 同時に――

 

「聖ゲオルグよ! 龍討つ槍を授け給えッ!」


 上体を反らしたかるらは、スカートに隠れたレッグホルスターから自動拳銃を抜き出し、速射した。

 

 青白い軌跡を描いてアルトへと向かった三発の銃弾は、甲高い音を立てて、アルトの前に飛び込んだ板きれに阻まれた。

 

 アルトが〈夜の七時〉と呼んだその板きれは、棺の側面を構成する板の一枚だった。

 

 見れば、アルトの周囲を大きく囲むようにして複数枚の黒い板が浮遊している。

 板は全部で八つ――棺の蓋、六枚の側面の板、そして棺の底面の板。

 アルトの正面を棺の蓋が守り、その周囲を、棺の展開図通りの配置で、大きさの異なる側面の板が固めている。アルトの背後を守る棺の底面の板からは、雹夜の家に配送されてきたときに棺にからまっていた金色の鎖が伸び、刻々とその形状を変化させながら、アルトを守り、またかるらを攻撃しようと待ち構えている。

 

 が、使い手たるアルトはといえば、かるらの意気と神威とに押され、かるらの攻撃を防ぎ、後退することをくりかえすばかりだった。

 

「かるらさん……かるらさんっ!」


 呼びかける。

 

 もちろん、アルトとて、神を身に宿した教会の戦士がどういう状態にあるかは知っている。

 彼ら〈油を注がれたもの〉は、神の力を自らのものとして振るう代償として、己を極限までむなしくして、その心身を神に委ねなければならない。

 むろん、中世の暗黒時代ではないのだから、己を完全にむなしくして、心身を神に完全に捧げきってしまうようなことはしない。

 だが、油を注がれた状態を維持するためには、神との合一が必要不可欠であり、そこへ私情を持ち込むことは禁忌とされている。

 そのため、彼ら〈油を注がれたもの〉は、神の意志と自己の意志を完全に一致させた純粋な没我の境地にあるはずであり、彼らの発する気配は神の気配そのものとなる。

 

 それなのに――

 

「滅せよ、ヴァンパイアッ!」

「――っ!」


 一瞬で間合いを詰めたかるらが、新たに生み出した降魔の霊剣を振り下ろしてくる。

 

 青白い聖なる光の束であるはずの霊剣に、アルトは違和感を覚えていた。

 

(この感じ……どこかで……)


 つい最近、同じような違和感をどこかで覚えたはずだ。

 

 アルトはあえてかるらの剣を引きつけ、

 

「〈夜の零時〉――〈十一時〉っ!」


 二枚の板で真っ向から受け止める。

 

「やっぱり……っ!」


 青白く輝くかるらの霊剣に、赤黒い稲妻のようなノイズが走っていた。

 

「かるらさんっ! 聞いてください! そのままじゃかるらさんは――」

「うるさいっ! あんたの言うことなんか聞くか――ッ!」

「――っ!」


 かるらの霊剣が翻り、アルトの防御をかいくぐってアルトの身体に達しようとする。

 

 アルトはとっさに棺底面から伸びる鎖で身体を引き、自分自身を放り投げるようにしてかるらから強引に距離を取る。

 狙いをつける余裕などなかった。

 アルトはアスファルトの地面に激しく投げ出されたが、持ち前の運動能力でかろうじて受け身を取ることができた。

 

 が、

 

「ぅぐっ……」


 右足首に走る激痛。アルトは思わず膝をつく。

 

(……くじいた……だけです、けど)


 かるらにとっては十分な隙だ。

 動きの止まったアルトに、かるらが容赦なく迫ってくる。

 

「〈昼の零時〉……から、〈十一時〉……、までっ!」


 棺側面の板六枚すべてが、かるらに向けて殺到する。

 鋭く回転しながら迫る六枚の板に対し、かるらは正面から突っ込んでいく。

 一枚目の板を霊剣で弾き、二枚目の板をかわす。

 

 そして――

 

「なっ……!」


 アルトは目を見張った。

 

 かるらは迫りくる残り四枚の板を迎撃も回避もせず、わずかに身を沈めるだけで突破しようとした。

 しかし、それは無理なのだ。

 四枚の板はそれぞれ別の癖を持つ軌道を描きながら、かるらの耳を、肩を、腕を、腿を切り裂こうと襲いかかる。

 にもかかわらずかるらは、突進の勢いを弱めるどころか、さらに早めさえしている。

 

「聖マルチンの外套よ! 艱難に喘ぐ我を包み守り給えッ!」


 かるらの言葉に、かるらのまとう黒いフードが紫電を帯びる。

 紫電はまるで、見えない織機に取り込まれるように収束し、黒いフードの裾から先に、かるらの全身を覆うほどの葡萄色の外套を形成する。

 かるらへ向けて飛来した四枚の棺の側板は、即席の外套と接触すると、激しい擦過音とスパークを放ちながらその表面を撫で、かるらの身体には傷ひとつつけることができないまま、後方へとむなしく飛び去った。

 

 アルトの攻撃を無傷で凌いだかるらは、青白く輝く霊剣を構え、アルトまであと数歩の位置へと急迫する……!

 

「――っ!」


 黒いフードに隠されたかるらの顔が、霊剣と棺から溢れる光に照らされた。

 

 かるらは笑っていた。

 歯を剥き、アルトを鋭く睨みつけながら、口許にはいっそ邪悪と呼んだ方が似つかわしいような醜悪な笑みを浮かべていたのだ。

 

 その口許から零れるのは、しかし、神の使徒たる大天使を讃える祈りの言葉だった。

 

「偉大なる大天使にして天軍の総帥たる聖ミカエルよ! 主の(つるぎ)たる汝が力、我に疾く授け給えッ!」

「……て、〈天蓋〉っ!」


 あわてて呼び寄せた棺の蓋に、かるらの強烈な薙ぎが突き刺さる!

 

 棺の蓋――〈天蓋〉が持ちこたえられたのは一瞬だけだった。


 かるらが渾身の力をこめて放った一撃がアルトの〈天蓋〉を空高く弾き飛ばす。

 アルトのコントロールを離れ一時的に力を失った〈天蓋〉は、朱の混じった白金色の火の粉を撒き散らしながら宙を舞い、田舎道の脇にあった休耕地の地面に鋭く突き立った。

 

「――滅せよ、ヴァンパイアッ!」


 かるらが霊剣を振りかぶる。

 

 アルトは思わず目をつむった。

 


 その時、だった。



「……え?」



 聞こえてきたのは、鐘の音だ。

 

 はじめは一箇所だけだった鐘の音が、またたくまに増え、街のあらゆる方向から、まるでアルトたちを包囲するかのように鳴り響く。

 

 見れば、かるらもまた、動きを止めている。

 その表情には、奇妙なことに、逡巡の色があった。

 一時的に神に心身を捧げることで、神の地上における代行者としてふるまうかりそめの聖者――〈油を注がれたもの〉にはありえないはずの、ためらい。

 

「……かるら、さん?」


 アルトは一抹の期待をこめて、かるらに呼びかける。

 

 が、それがまずかった。

 かるらの顔に浮かんでいた逡巡が、一瞬にして激しい憎悪に塗りつぶされた。

 アルトが反応する間もなく、かるらはアルト目がけて手にした霊剣を振り下ろし――



 ヒュン! ガッ!



 そうとしかいいようのない音がした。

 

 かるらとアルトの間のアスファルトに、銀のテーブルナイフが突き刺さっていた。

 

「……王からの召命があったというのに、いったい何をしているのかな、ふたりとも」


 アルトは声のした方――雹夜の消えた学園への道をふりかえる。

 そこにいたのは――

 

「……ヒサメ、さん?」


 そう。そこにいたのは、浦戸学園の生徒会長にして、有門雹夜の妹分・史曜氷雨だった。

 

 特徴的な黒いおかっぱは夜闇に紛れ、闇の中に白い端整な顔だけが浮かび上がっている。

 首から下もまた、夜闇に紛れるような色合いの服を身につけているようだった。

 

 生徒会室では制服の上に生徒会伝来の白マントをはおっていた氷雨だが、今の恰好はまるで――

 

「ニンジャ……?」


 外国人であるアルトにもわかる。

 氷雨の身に纏う装束は、かつてこの国に実在したという、諜報や暗殺、破壊工作を得意とした特殊な戦闘技能者――忍者のそれだった。

 

 氷雨は手にしたテーブルナイフをもてあそびながら、アルトとかるらのそばにやってくる。

 近づいてみると、その装束は、昔ながらの忍者のそれとは異なり、ぴったりとしたボディスーツの要所にプロテクターをつけ、襟もとに忍者装束らしい(あわせ)をあしらった、現代的な印象すら受ける戦闘服だった。

 

 氷雨は、アルトを横からかばうような位置に立つと、かるらに冷たい視線を投げかけた。

 

「……かるらさん? また無茶をするようだと、ボクとしてもこれ以上看過できなくなるよ?」


 氷雨の言葉に、かるらがぎくりと身をすくませる。

 

 かるらの顔に人間らしい表情が戻った。

 

「ちがっ……これは……っ!」


 かるらが、あたふたと手を動かす。

 

「何がちがうの? あなたはお兄ちゃんの温情で生かされてる身なんからね……? あまりお兄ちゃんに迷惑をかけるようだったら、今度こそボクが独断で……」

「ち、ちがう! そうじゃなくて、あたしは……っ!」

「だから、何がちがうの? ただのヴァンパイアにすぎないアルトさんを殺そうとしたあなたの行為に、どんな正当性があるというの?」

「だ、だって、この女は、吸血鬼で、雹夜を騙してて……っ!」

「ち、ちがいます! ワタシ、吸血鬼じゃないですっ!」

「……と、言ってるけど?」

「で、でもあたし、見たもん! 昨日、この女が口を真っ赤に汚して帰ってくるのを!」


 かるらがアルトを指さしてくる。

 

 氷雨がアルトに視線を向けた。

 

「そ、それは……っ! でも、ワタシじゃないんです! ホントですっ!」

「それは、どっちでもいいんだよ」


 あわてて否定するアルトの言葉を、氷雨はばっさり切り捨てた。

 

「えっ……?」

「ボクには、お兄ちゃんの定めた法がすべてなんだ。吸血鬼を裁くのは、王の専権事項だ。どんなに疑わしかろうと、独断専行は許されない。ましてや、教会の力を使って私刑を行おうだなんて、王に対する叛意ありと見なされてもしょうがないよね?」

「だ、だからっ……あたしはそんなつもりじゃ……!」

「じゃあ、どんなつもりだったのさ?」

「そ、それは……っ!」

「いや、言わなくていいよ。ボクにとってはそんなこと、どうでもいいことなんだからね。

 前からあなたのことは気に入らなかった。あなたが暴走したいんなら、すればいいよ。かるらさんが今度暴走したら、多少強引な手を使ってでも止めていいと、そういう約束を、ボクはお兄ちゃんから取り付けてるんだからね」

「待って! あたしは、あいつに逆らうつもりなんてぜんぜんなかったんだってば! 

 あたしはただ……っ、ただ……? ……え? ええっ!? ど、どういうつもりだったのよ、あたしっ!? な、なんだってこんなことしちゃってんのよっ!?」

 

 すっかり混乱した様子で、かるらが叫ぶ。

 

 反論しようとしても言葉が出てこないことに、自分で驚いているようだ。

 

 そんなかるらを睨む氷雨の視線は、しかし、冷たいままだった。

 

「知らないよ。知りたくもないしね。ボクはただ、暴走したあなたを、お兄ちゃんからもらった権限で始末するだけだよ。抵抗してもいいよ? 激しく抵抗してくれた方が、正当防衛で殺しやすくなるからね」


 言って氷雨は手にしたテーブルナイフをかるらに向ける。

 

 氷雨の瞳に宿るのは、紛れもない殺意だった。

 

 アルトはあわてて割り込んだ。

 

「待ってください、ヒサメさん!」

「……アルトさん。止めないでくれるかな。これはボクたちの問題なんだ」

「そうはいきません! ヒョウヤ、そんなことしてもゼッタイ喜ばないですっ」

「……っ」

「かるらさん、変でした。きっと、おかしな暗示、入れられてます」

「じゃあ、どうするの? とりあえず動けなくなるまで痛めつける?」

「……そ、そんなにかるらさん、憎いですか?」

「それはそうだよ。お兄ちゃんにさんざん迷惑かけたくせに、お兄ちゃんの彼女面して……! ボクだってそんなことしてもらってないのに――っ」

「……そ、ソウですか……」


 憎々しげに言う氷雨のことは、とりあえず無視することにした。

 

 アルトはかるらに近づき、腕を上げて、かるらの頬に触れる。

 

 かるらはびくりと震えてアルトを見た。

 かるらの瞳の中では、誰かに植え付けられたらしいアルトへの憎しみと、塗油によって授けられた神気の名残と、かるら本来の感情らしい戸惑いとがないまぜになって、互いが互いを排除しようとしながら、激しく渦を巻いている。

 

「……どうするの?」


 氷雨が聞いてくる。

 

 それには答えず、アルトはかるらの瞳をまじまじとのぞきこむ。

 そこになにを見て取ったのか、アルトはかるらの瞳から目を離すと、小さくうなずき、そして、はっきり宣言してのけた。



「かるらさんを……灼きます!」

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