運営会議
第九話 運営の会議室
そこは、雲の上のような場所だった。
足元には乳白色の雲海が果てしなく広がり、金色に透き通った空の高みでは、光の輪が静かに回っている。柱は白い大理石で、床には金の紋様が走っていた。天界と呼ぶにふさわしい、気品と荘厳さに満ちた空間である。
その中央に、巨大な円卓があった。
円卓の上空には、無数の映像が浮かんでいる。雪山の山荘、霧の港、ジャングル、渓谷の吊り橋、幻光の森林、渋谷の交差点。バトルロワイヤルのあらゆる場所が、リアルタイムで映し出されていた。
映像の一つでは、モヒカンの大男が、何かを叫び、精霊に頭を殴られている。
円卓を囲む者たちは、みな白装束をまとっていた。顔は柔らかな光に包まれていて、表情は見えない。
「十日が終わって、脱落者はたったの二人かよ。毎回毎回、進行がおせぇーよなぁ、モブ達は」
頬杖をついて悪態をついたのは、高台で参加者に優しく語りかけていた、あの声の主だった。ただし今は、片足を円卓に投げ出して、ドスの利いた低さで話している。ミカエラ。この大会の進行を担当する運営の一人である。
「ミカエラ。言葉遣いを慎め」
円卓の奥から、低く重い声が窘めた。統括役のメタトロスだ。
「はいはい」
「それよりミカエラ。周回者を参加させるとはどういうことだ。前代未聞だぞ」
円卓がざわめいた。
「いつもいつも、展開が遅くてウンザリするから、少しスパイスを加えてみようと思ってさ。三人ほど、経験者を混ぜてみたの」
「またお前は勝手に……」
額に手を当てたのは、ラファーレだった。
「まぁ、一人は使えなくて、同じ周回者に殺されたけどね」
ミカエラが、空中の映像の一つを指で弾いた。幻光の森林で、長い黒髪の女が、白い銃身の魔法銃を手にして去っていく場面が映し出される。
「早くもウィンドシューターを手に入れた奴が出てしまったんだぞ?」と、ガブリオが身を乗り出す。
「本来あれは、中盤のイベントで勝者に与えられる景品だ。それを何も労せずに与えてしまうなんて。この後のイベントはどうするつもりなんだ?」と、ラファーレも続けた。
「毎回毎回、同じエリア設定、同じイベント、モブ達の消極的な行動。全部、飽き飽きしてたんですよ」
ミカエラは、急に口調を丁寧にして、にっこりと笑った。声だけで笑顔が分かるのが、かえって怖い。
「でも、いつも終盤は楽しんでるじゃないか」
「まぁ、最後の方はね。でも、この序盤のマンネリが私は嫌いなの。だから、今回はイベントも私が設定させてもらうわ」
「おいおい」
メタトロスが、円卓を指で叩いた。
「ただ楽しむのが、私たちの目的ではないからな。それだけは忘れるなよ」
「わかってるわよ」
ミカエラは、ひらりと手を振った。
「じゃあ早速、イベントの告知をするか」
彼女は、こほん、と咳払いをした。次の瞬間、声がすうっと変わった。ドスの利いた響きは消え、慈愛に満ちた、あの優しい声が、天界に響いた。
円卓の端で、新人のサリィが、小さく呟いた。
「……毎回思うんですが、あの切り替え、どうなってるんですか」
「私に聞くな」
『参加者の皆さんにお知らせします』
その声は、あらゆるエリアの空に、同時に降り注いだ。
『二日後の日没より、イベントを開始します。舞台は、古代遺跡エリア。最奥の間にある、英雄王の玉座です。この玉座に、最初に腰を下ろした方お一人に、シード権を差し上げます』
「シード権だと。こいつはまた勝手に…」
ミカエラの後ろでメタトロスが頭を抱える。
『シード権を得た方は、バトルロワイヤルの残り人数が二十名になるまで、別世界へ転送され、安全が保障されます。さらに、別世界からは、この戦いを観戦することもできます』
『参加を希望される方は、二日後の日没までにサポート役の精霊に申し出てください。開始と同時に、遺跡の入口へ転送します。それでは、健闘を祈ります』
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渋谷の交差点で、ジレンは空を見上げていた。降り注いだ声の余韻が、まだビルの谷間に残っている。
「英雄王の玉座……」
「ジレンさん、顔が輝いてますよ」
ポルスが、やれやれという顔で浮いていた。
「英雄王の玉座に最初に腰を下ろした者。……これは、口上に加えられる事実になるな」
「座れた場合の話です。座れるのは、たった一人ですよ」
「分かっている。だが、騎士にとって英雄の称号は最高の誉れ、必ず座ってみせるぞ」
ジレンは、胸に手を当てて、小声で試しに唱えた。
「私は、アルヴェイン王国、王宮騎士団、上級騎士にして、英雄王の玉座に最初に座りし……」
「まだ座ってません」
「予行演習だ」
ポルスは、深いため息をついた。
「申し出るなら、開始の前日までです。……ただ、あの源八さんも、来ると思いますよ」
「ならば、なおのことだ。今度こそ決着をつける」
ジレンの目が、闘志に燃えた。
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新宿と書かれた駅の横にある家電量販店のマッサージチェアの上で、脇坂源八は、ぱちりと目を開けた。
「玉座、であるか」
「源八先輩、ぜひ行きましょう。座るだけで安全が約束されるなど、団子一本より、うまい話です」
「ダンゴロウ、そなたの理屈は、よく分からぬ」
そう言いながらも、源八はゆっくりと身を起こした。
「玉座とは、殿の座。斬られ役が、そこに座るとは、なんとも面映ゆい」
「座るのは、先輩ですよ」
「それに、あの西洋の騎士も、来るやもしれぬ。決着をつけるには、よい舞台だ」
源八は、マッサージチェアの肘掛けを、名残惜しそうに撫でた。
「……拙者、この椅子の座り心地も、捨てがたいのだが」
「目的が変わってますよ」
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ジャングルの奥で、ゴンザレスは、咥えていた葉っぱを、ぺっと吐き出した。
「ヒィィーーヤァー!座るだけなら、俺様にもできるぜぇぃ!」
「声を落とせ」
ドクロ兄貴が、頭の上で舌打ちをした。
「いいか、これは単なる椅子取りゲームじゃない。隠れて狙撃してくる奴とか、参加者同士が争っている隙を縫って座ろうとする奴が出てくる。高度な心理ゲームなんだぞ」
「そうなのかぁ、兄貴ィ」
「単細胞なお前には向いていない」
だが、兄貴の赤い眼窩は、静かに光っていた。
「まあいい。行くだけ行ってみるか」
「ヒャッハァー! 椅子取りだぜぇー!荒野の覇者から、荒野の英雄王に格上げだぁー」
ゴンッ。
「いてぇ、兄貴ィ!」
「黙れと、あれほど言っただろうが」
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渓谷の森の奥で、焚き火が揺れていた。トミーと鉄平は、顔を見合わせていた。
「座れるのは、たった一人だ」
「ああ。つまり、俺たちのどちらかしか、安全にはなれない」
鉄平は、腕を組んで唸った。
「俺が座ったら、お前を置いていくことになる。それは、嫌だ」
「鉄平。お前の能力を、忘れたのか」
「……【ここは俺に任せて先に行け】、か」
「その能力の通りに俺に先に行かせればいい」
「いや、待て。それだと、お前だけが安全になって、俺は」
「死亡フラグであります」
軍曹が、ぼそりと言った。
「だぜ」
二人は、押し黙った。
「……とりあえず、行くだけ行ってみよう。座れるかどうかは、そこで考える」
「ああ。ただし、どちらが先に座っても恨みっこなしだ」
「そうだな」
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中世風の街の、古びた空き家の二階。灯は、窓際で膝を抱えていた。
「灯ちゃん、顔が、強張ってるよ」
ニコが、そっと寄り添った。
「二十人になるまで、安全でいられるんだよね。……座れたら、しばらく、怖い思いをしなくて済む」
「うん」
「でも」
灯は、ぎゅっと膝を抱え直した。
「そこへ行くまでに、どれだけ怖い人に会うんだろう。あのゴンザレスさんみたいな人が、何人もいるかもしれない」
「うん」
「私は、行かない」
はっきりと、そう言った。
「いいと思うよ。灯ちゃんの判断は、正しいよ」
「ごめんね。せっかく、安全になれるかもしれないのに」
「謝らなくていいんだよ。灯ちゃんが選んだことなら、ボクは、いつでも味方だよ」
窓の外では、白い空に、薄い雲が流れていた。
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港のコンテナの上で、エヴァは双眼鏡を下ろした。
「行くのか。……ニャ」
シャドにゃんの問いに、彼女は、すぐには答えなかった。
「まだ決めてない。条件が、気に入らないの」
「報酬は、魅力的に聞こえるが。……ニャ」
「だから、気に入らないのよ」
彼女は、指を一本ずつ折っていった。
「一つ。最初に座った一人だけ。つまり、全員を同じ場所へ、同時に走らせるための号令よ。私の能力は混戦には向いていない。一対一で初めて活きる能力」
シャドにゃんが頷く。
「二つ。二十名になるまで安全。八十人が脱落するまで、座った一人は、何もしなくていい」
「それのどこが…ニャ?」
「『役力』はどうなるの?私がオットーを倒した後、あなた私に説明してくれたでしょ。私の役力が上がって、能力の射程距離が五センチ伸びたって」
「うん。役力は相手を倒したり、主役のような行動をすることで溜まっていって、特殊能力を進化させていくニャ」
「残り二十人まで安全が保証されるけど、残った二十人は確実に『役力』が上がっていて、強くなっているはず。そこに初期状態に近い形で放り込まれるのはリスクだとも言える」
「確かにそうだニャ」
「三つ。別世界から観戦できる。……運営側に近い視点を、参加者に与える理由が分からない」
「それは『役力』が増えない代わりに、他の参加者の行動や能力を把握させて優位に立たせるための特権じゃないかニャ?」
「確かに…。それは大きなメリットだわ」
霧の向こうを、見つめた。
「でも、善意に見える報酬は、まず疑う。それが、私の仕事だったわ」
「では、行かないのか。……ニャ」
「申し出は、しない。でも、自力で見には行くわ。遺跡の外から、高台で」
「それだけでも危険だぞ。……ニャ」
「危険を避けるために、行くのよ。何が起きるのか、誰が動くのか、先に見ておきたいの」
エヴァは、双眼鏡を、そっと懐へしまった。
「あの玉座は、報酬じゃない。餌よ」
霧の晴れた港の空に、遺跡の方角だけ、不自然に明るい光が見えていた。




