第4話「聖女退任が決まる前の王宮」
「エレノア様から、聖女を退任したいとの申し出がありました」
大神官がそう告げた瞬間。
第二王子付き側近、オスカー・ベルナールは、王妃がわずかに身を乗り出したのを見た。
王宮の小会議室。
出席者は国王、王妃、王太子、第二王子アルフォンス、大神官、宰相。
そしてオスカー。
「新制度で代替できるか?」
国王が尋ねた。
「できます」
大神官は即答した。
「増幅聖石の地方配備は実用段階です」
「なら退任を認めよう。聖女制度も終わらせる」
「異論ありません」
決まった。
十一歳から九年間。
国でただ一人の聖女だったエレノア・ヴァレンティアは、二十歳でその役目を終える。
「ところで」
王妃が口を開いた。
オスカーは嫌な予感がした。
「エレノアは二十歳。未婚ですね?」
「母上」
王妃は無視して資料を見た。
「ヴァレンティア伯爵家の長女。九年間の国家奉仕。王国最高水準の聖力。増幅聖石の研究にも協力。国民からの信頼は厚く、大きな派閥色もない。そして二十歳、未婚」
宰相が顔を上げた。
「……公表前に動くべきですな」
「宰相」
「政治的な話です」
大神官が頷いた。
「公表されれば、神殿にも縁談の問い合わせが来るでしょう」
「でしょうね」
王妃がアルフォンスを見る。
「今です」
「何がですか」
オスカーは思った。
駄目だ。
この人だけ分かっていない。
「アルフォンス」
王太子が弟を見る。
「エレノアが退任する」
「はい」
「二十歳、未婚だ」
「はい」
「お前は二十一歳、未婚だ」
「兄上」
「十年来の知り合いだ」
「兄上」
「十年間好きだ」
「兄上!」
王太子は満足そうに頷いた。
「理解しているようで安心した」
「何をですか!」
「母上よりは話が早かったでしょう?」
「そういう問題ではありません!」
王妃がため息をついた。
「奪えとは言っていません。婚姻を命じろとも言っていません」
国王が続けた。
「九年間、国の都合で生きてもらった娘だ。王家が用意するのは機会まで。選ぶのは本人だ」
「当然です」
王妃は即答した。
「だから、アルフォンスをその選択肢に入れます」
アルフォンスが黙った。
正論だった。
「それで」
国王が大神官を見る。
「退任後は完全に自由で問題ないか?」
「一点だけ。新制度は運用開始直後です」
「非常時の保険か」
「はい。一年間だけ、エレノア様に残っていただければ」
「王家直属聖術顧問」
宰相が言った。
「通常勤務なし。非常時のみ招集。新制度の移行期間としても妥当でしょう」
「それでいこう」
国王が決めた。
「住居は王宮東側の離宮を」
王妃が言った。
「母上」
「警備上、合理的です」
「私の執務室の近くですが」
「連絡窓口もあなたです」
「母上」
「新聖石運用計画の王家側責任者でしょう?」
「……合理的ですね」
「ええ。とても」
オスカーは資料へ目を落とした。
王家直属聖術顧問。
任期一年。
通常勤務なし。
住居は王宮東側。
連絡窓口は第二王子アルフォンス。
すべて合理的だった。
恐ろしいほどに。
「異論は?」
国王が尋ねた。
誰もなかった。
「では、この案でエレノア本人と正式に話そう」
「陛下」
宰相が言った。
「一文、加えてください」
「何だ?」
「本職の待遇および任用は、婚姻その他の私的関係に一切左右されないものとする」
「採用しよう」
オスカーは記録した。
これでエレノアがアルフォンスを選ばなくても、仕事には何の影響もない。
囲い込む。
だが、捕まえない。
王家としては、そこが限界だった。
あとは。
全員の視線が、一人へ向いた。
「……何ですか?」
アルフォンスが尋ねた。
「アルフォンス」
王太子が言った。
「お前はどうする?」
「まずは、退任後の生活に慣れてもらうべきだと思っています」
「それから?」
「何度か食事に誘えればと」
「それから?」
「街へ出る機会なども作って」
「それから?」
「少しずつ、お互いのことを」
王妃が目を閉じた。
国王が天井を見た。
宰相が資料を片づけ始めた。
大神官は微笑んでいる。
「アルフォンス」
王太子が言った。
「はい」
「お前、何年かけるつもりだ」
「急ぐことではないでしょう」
「十年待ったんです。あと一年くらい――」
「その十年、お前は何もしていないだろう」
「……」
「十一年に増やしてどうする」
王妃が机を指で叩いた。
「一年?」
「母上」
「一年あれば、何件の縁談が来ると思っているのです?」
「エレノアが選ぶことです」
「だから候補に入りなさいと言っているのです!」
「まずは手を繋ぐところから――」
会議室が静まり返った。
オスカーはアルフォンスを見た。
国王も見た。
王妃も見た。
王太子も見た。
大神官も。
宰相も。
全員が見ていた。
「……殿下」
オスカーは、側近として言わなければならないと思った。
「はい」
「その前に、食事へ誘ってください」
「分かっている」
「いつです?」
「退任後、落ち着いてから」
「遅いです」
「……何がだ」
「正式な協議が終わったその日に誘ってください」
「その日に!?」
王妃が頷いた。
「その日です」
国王も頷いた。
「その日だな」
王太子も。
「その日でしょう」
大神官まで。
「善は急げと申します」
宰相が資料を閉じた。
「では、正式協議当日の殿下の予定を一時間空けておきましょう」
「宰相!?」
「善は急げと申します」
「まだ日程も決まっていないでしょう!」
アルフォンスの声が、会議室に響いた。
オスカーは静かに議事録へ視線を落とした。
国家の安全保障と、第二王子の恋愛。
二つの問題を一つの人事で処理する。
王家という組織は、思っていた以上に効率的だった。




