第2話「次の聖女にはなれません」
「聖女制度を廃止します」
ミレイユは、意味が分からなかった。
神官見習いになって三年。
十六歳。
毎朝誰より早く起きて祈り、聖力の扱いを学び、治癒術を覚え、浄化術を覚えた。
全部、そのためだった。
「……廃止?」
「はい」
教官は淡々と答えた。
「先日、聖女エレノア様の退任が正式に決まりました。次の聖女は選ばれません」
訓練室がざわめいた。
見習いは二十人ほどいる。
そのうち、次代の聖女候補として名前が挙がっていたのは三人。
ミレイユもその一人だった。
「待ってください」
思わず手を挙げた。
「では、次の聖女様は?」
「いません」
「いない?」
「はい」
「では、誰が浄化をするのですか?」
「私たちです」
教官が答えた。
ミレイユは黙った。
「治癒は?」
「私たちです」
「祝福は?」
「私たちです」
「地方巡回は?」
「原則として廃止されます」
「……どうやって?」
教官が机の上に白い石を置いた。
増幅聖石。
名前は知っている。
神殿で何年も研究されてきた、新しい聖具だ。
「これを使います」
「でも」
ミレイユは石を見た。
「聖女様ほどの聖力を持つ人はいません」
「その通りです」
「なら――」
「一人では、ですね」
教官が言った。
「聖女様一人と同じことを、一人でする必要がありますか?」
ミレイユは答えられなかった。
「各地には神官がいます。治癒術を使える者も、浄化術を使える者もいる。増幅聖石を使い、必要なら複数人で担当する。交代もできます」
「でも、聖女様なら一人でできます」
「できますね」
あっさり認められた。
「だから今までは、聖女様にお願いしていました」
教官は増幅聖石を指で軽く叩いた。
「これからは、お願いしなくてもできるようになった。それだけです」
それだけ。
ミレイユには、とてもそうは思えなかった。
聖女になる。
ずっと、それを目指してきた。
三年前、神官見習いになったときから。
聖力が強いと褒められた。
努力すれば候補になれると言われた。
候補になった。
もっと頑張れば、いつか。
そう思っていた。
「……では、私が三年間してきたことは何だったのですか」
口にしてから、少し後悔した。
教官は怒らなかった。
「今日の午後、治癒院へ行ってください」
「治癒院?」
「いつもの実習です」
「今、その話をしていますか?」
「しています」
意味が分からない。
それでも命令なので、午後には治癒院へ行った。
◇
「次の方、どうぞ」
六人目の患者は、八歳くらいの男の子だった。
転んだらしい。
膝を擦りむいている。
「痛い?」
「ちょっと」
「見せてね」
傷に手をかざす。
聖力を流す。
淡い光が広がり、赤く滲んでいた傷がゆっくり閉じていく。
「はい。終わり」
男の子が膝を見た。
曲げる。
伸ばす。
「痛くない!」
「よかった」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
笑顔で母親のところへ走っていった。
母親も頭を下げる。
「ありがとうございます、神官様」
「あ、私はまだ見習いです」
「そうなんですか?」
「はい」
「でも、治していただきましたから」
もう一度頭を下げて、親子は帰っていった。
ミレイユは次の患者を呼んだ。
腰を痛めた老人。
軽い火傷をした料理人。
熱を出した子供。
全部を治せるわけではない。
自分では難しい症状は先輩神官へ回す。
それでも、自分にできることはある。
治療を終えるたび、礼を言われた。
聖女候補だからではない。
聖女になるかもしれないからでもない。
目の前の人を治したからだ。
夕方。
実習を終えたミレイユは、朝より少しだけ機嫌が悪くなくなっていた。
◇
三日後。
ミレイユたちは、地方神殿で行われる増幅聖石の実地訓練に参加していた。
神殿から少し離れた森。
地面の一部が黒ずんでいる。
「軽度の瘴気汚染です」
教官が言った。
「放置すれば広がります。以前ならどうしていましたか?」
「聖女様の巡回を待ちます」
「そうですね」
教官が荷車から箱を降ろした。
中には増幅聖石が三つ入っていた。
「今日は待ちません」
参加者は九人。
神官六人。
見習い三人。
その一人がミレイユだ。
「三班に分かれます。一つの聖石に三人。指定した位置へ置いてください」
ミレイユたちは森へ入った。
教官が汚染の広がりを確認し、三か所を指定する。
増幅聖石を置く。
「聖力を流してください」
三人で石に手を触れた。
光が広がった。
一人では出せないほど強い光だった。
地面の黒ずみが、ゆっくり薄れていく。
「維持」
教官の声。
聖力を流し続ける。
少し疲れる。
でも、一人ではない。
隣の神官が支えてくれる。
向こうでは別の三人が浄化している。
さらに奥にも三人。
やがて。
「終了」
手を離した。
黒ずみは消えていた。
ミレイユは自分の手を見る。
「……できた」
「できますよ」
教官が言った。
「でも」
まだ、少しだけ納得できない。
「聖女様なら、一人でできます」
「それはすごいことです」
教官は頷いた。
「ですが、私たちは九人います」
ミレイユは九人を見た。
確かにいた。
「それに、私たちはここにいます」
「……ここ?」
「今、この場にです」
教官は浄化された地面を指した。
「聖女様にお願いするなら、まず王都へ要請を出すところから始まります」
ミレイユは浄化された地面を見た。
三年間。
聖女になるために頑張ってきた。
そう思っていた。
でも。
最初は違った気がする。
十二歳のころ。
村へ来た神官が、病気だった妹を治してくれた。
それを見て、自分も同じことがしたいと思った。
そのあと聖力が強いと分かって。
聖女になれるかもしれないと言われて。
いつの間にか。
聖女になることが、目的になっていた。
「教官」
「はい」
「卒業したら、浄化班に入れますか?」
「希望するなら」
「聖女候補だったことは?」
「関係ありません」
「そうですか」
少しだけ寂しかった。
三年間目指したものがなくなったのだから、当然だと思う。
でも。
「希望します」
「分かりました」
教官が頷いた。
聖女にはなれない。
もう、なる必要もない。
それでも。
誰かを助けたいと思ったことまで、なくなったわけではなかった。
◇
数日後。
神殿の訓練室に、エレノアがやってきた。
聖女の礼装ではない。
淡い色の、ごく普通のドレスを着ている。
「皆さんにご挨拶だけ」
エレノアはそう言って、見習いたちの前に立った。
「私は聖女を退任しましたが、今後一年間は王家直属の聖術顧問として、新制度の非常時対応を担当します」
見習いたちが頭を下げる。
「普段は自由にしておりますので、神殿にいることは少なくなると思います」
エレノアが少し嬉しそうに笑った。
「何か問題が起きた場合は、王宮から連絡をいただくことになっています。連絡窓口は、新聖石運用計画を担当されている第二王子アルフォンス殿下です」
ミレイユは顔を上げた。
エレノア様。二十歳。未婚。
アルフォンス殿下。二十一歳。未婚。
昔からの知り合い。王家直属。一年間。
「あの」
一人の見習いが手を挙げた。
「はい?」
「それって――」
ぽん。
後ろから肩を叩かれた。
見習いが振り返る。
神官長が立っていた。
「……?」
神官長は何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと首を左右に振った。
「……」
「何か?」
エレノアが不思議そうに尋ねた。
見習いは前を向いた。
「いえ。なんでもありません」
「そうですか」
エレノアは微笑んだ。
ミレイユは、何も言わないことにした。




