8.
楮の葉が落ち、そろそろ枝を狩る時期となった。ここからが紙守たちにとって忙しい日が続く。楮を狩り、それを適当な長さに切った後、蒸して皮むきをするのだが、とにかく量が多い。そして仕事はそれ以外にもあるため、作業は分担して行われた。
その黒皮の作業が一段落する頃に、冬の園遊会が行われる。だからどの家も、園遊会までには作業を終わらせるのが慣例となっていた。
葵唐草模様の着物を着付けられた千咲は、朔也と琴葉と手を繋ぎ、天白家で開かれる園遊会に参加していた。千咲にとっては初めての園遊会である。
天白家は紙守本家の中でも最も歴史が古く、屋敷も広い。園遊会も冬の時期の開催とあって、何百人も入れそうな大きな大広間で行われた。
一族ごとに席が決まっているようだが、千咲は何を見てどこにいたらいいのかと戸惑うばかり。
「席に座って、ご飯を食べてればいいんだよ」
朔也も琴葉も、何度か園遊会に出席しているせいか、自分たちの身の置き方を学んでいるらしい。
「俺は挨拶をしてくる。君は子どもたちを頼む」
蓮司とは、もともとそういう約束での結婚なのだ。
だから、千咲が園遊会に参加するのも、蓮司の妻として彼と共に挨拶周りをするためではなく、母として子どもたちと一緒にいるため。
「千咲かあさま、ことは、これ食べたい。食べていい?」
琴葉はクリームがたっぷりのったスポンジケーキを食べたいようで、千咲は大皿から小さい皿にケーキを取り分けた。
「朔也くんは、どれを食べる?」
料理は、会場の後ろのほうに用意されており、各自、好きなものを取っていく形式になっている。
子どもたちにつきあって料理をとった千咲は、テーブルへ戻る。
蓮司が挨拶周りをしている間は、ここで子どもたちと一緒に食事をしているしかない。
「琴葉ちゃん、クリームがついているわ」
琴葉が口の端にクリームをつけていたため、千咲はそれを手巾で拭った。
「千咲かあさま、ありがとう」
にぱっと笑う琴葉の姿に、千咲の胸はきゅんと悲鳴をあげる。
もともと琴葉はかわいらしかったが、言葉を取り戻してからというもの、その愛らしさに磨きがかかっている。朔也が言うには、琴葉も以前より笑顔が増えたようで、それは自分の気持ちが相手に伝わらないもどかしさから解放されたせいだろう。
――トン。
「あっ」
スープをスプーンですくって飲もうとした朔也にぶつかってきた人がいて、彼はスープをこぼしてしまった。
「朔也くん、火傷はしてない?」
膝の上にナプキンを置いていたため、服は汚れていない。
「人にぶつかって謝罪もないのは、失礼ではありませんか?」
朔也にぶつかったのは、ワインの入ったグラスを手にしている、妖艶なドレス姿の女性だ。年は千咲よりも十歳は年上だろうか。
「あら、ごめんあそばせ。小さき人が座っておりましたのね?」
それはまるで、朔也が子どもで身体が小さいから見えなかったと、そう言っているように聞こえた。
「わたくしもちょっとぼんやりしていたみたい。ごめんなさいね、朔也」
女性が朔也に顔を寄せ、耳元に語りかけるように言葉を言い放つ。するとみるみるうちに朔也の表情が強張っていく。
なぜこの女性は朔也の名を知っているのか。紙守一族であれば、本家の子の名前は誰でも知っているのだろうか。
いや、それよりもこの女性は、どこか琴葉に似ていないだろうか。
「あなたに名前を呼ばれたくない。謝罪なんていらない。どっかに消えろ!」
膝の上で握られた朔也の拳は震えており、手が出そうになるのを必死に堪えているようにも見えた。
千咲は朔也の手に自身の手を重ねてから、子どもたちを背にかばうようにして立ち上がると、女性と向き直る。
「もうじゅうぶんな謝罪をいただきました。せっかくの宴ですから、この件はおしまいにしましょう」
まるで千咲の価値を見定めるような不躾な視線をぶつけてきた女性は、「ところで、あなたはどなた? まさか使用人の分際でわたくしに声をかけたわけではないわよね?」
「名乗りもせず、失礼いたしました。私は蒼井千咲、この子たちの母親です」
千咲の考えが正しければ、目の前の女性は朔也と琴葉の実母だ。蓮司がなぜ前妻と離縁したのかはわからないが、目の前の彼女が、子どもたちに愛情を持っているようには見えない。お互いから感じるのは憎悪。
「まぁ、あなたが? あの人が再婚したとは聞いていたけれど。はじめまして、わたくしは藍田花純。あなたの前に蓮司さんと結婚していた者よ? そしてこの子たちはわたくしの子。かわいいでしょう?」
「はい。このような愛らしいお子さんを産んでいただきありがとうございます。おかげさまで、私がこの子たちの母親になれましたから」
花純が蓮司と別れ子どもを置いていってくれたから、千咲が子どもたちの母親役として選ばれたのだ。結果、紅梅家を出ることができたのだから、花純に感謝の意を伝えるのは間違いではない。
「まえのかあさま、きらい。あっちいって」
琴葉の声に、明らかな動揺を見せたのは花純だった。
「琴葉……話せるようになったの?」
どうして? とそれは小さな呟きであったが、千咲の耳にはしっかり届いていた。
「琴葉ちゃんの言葉を封じたのは、あなたですか?」
切れ長の目をひくっと動かした花純だが「さあ? なんのことか、さっぱりわかりませんわ」とシラを切る。
「まえのかあさま、おばあさまに『邪』をつけた。まえのかあさまは、たくさん『邪』をもってる」
力いっぱい叫んだ琴葉に、周囲にいた紙守も「何ごとだ」と注目し始める。こうなれば分が悪いのは花純である。
「お黙りなさい。適当なことを言わないで。そうやって嘘ばかりつくから声を封じたというのに」
さらに花純の怒りの矛先は千咲へと向かう。
「あなた。母親のわりには、子どもたちのしつけがなっていないのではなくて?」
目をつり上げた花純が、空いている手を振り上げたのがわかった。これからくる衝撃に備え、千咲は顔を背け身体に力を込めた。
殴られるのは初めてではない。
紅梅家の漉姫として紙を漉き始めたとき、できが悪ければなじられ、殴られた。上位の漉姫の機嫌を損ねたときも、憂さ晴らしとして打たれた。
だから千咲は殴られたって平気なのだ。それで子どもたちが救われるのなら、いくらでも殴られたっていい。
しかし、くるべき衝撃はなかなかやってこなかった。
恐る恐る顔を上げて、花純の様子をうかがえば、彼女の手には細長い楮紙が巻き付いており、自由を奪われていた。
「藍田殿。俺の妻に何をしようとしていた?」
冷え冷えとした男の声が、その場を凍り付かせる。
「な、なによ。早くこれを解きなさい。なんなの、これ」
「漉姫としての役目も果たさない藍田殿は、形代すら忘れてしまったらしい」
蓮司がパチンと指を弾けば、花純の手にまとわりついていた楮紙は、ひゅっと人型に戻って、蓮司の上着の内側に戻っていく。
「だって本家では、あの人が倒れたから紙漉きをやめたっていう話でしょ? どうして形代を……」
「本家が紙漉きをやめたという話は公にはなっていない。半年前に蒼井家で園遊会を開いたときも、その事実を悟られないようにと、細心の注意を払ったからな。ところで、君の言うあの人とは誰を指す?」
「し、知らないわよ」
「なるほど。だが、俺の妻と子に手を出した件については、藍田家に強く抗議させてもらう。それよりも……一年前に一緒にいた男はどうしたんだ? 姿が見えないようだが」
蓮司に冷えたまなざしで見下ろされた花純は「ふん」と鼻息荒く、その場を立ち去った。
この様子を遠目に見ていた者たちも、巻き込まれたらたまらないと、それぞれ何ごともなかったかのように歓談に戻る。
「とうさま、だっこ」
琴葉が蓮司に抱っこをせがむのは珍しい。それだけ花純と出会って怖かったにちがいない。
「朔也くん、何かジュースでも飲む?」
朔也は今にも花純に食ってかかりそうだったし、感情も剥き出しにしていた。少し気持ちを落ち着けるためにも、千咲は飲み物をすすめてみたが、朔也は髪を揺らして首を横に振る。
「僕、帰りたい……」
喉の奥から絞り出すような朔也の声を聞いてしまえば、千咲も胸の奥がチクリと痛んだ。
とはいえ、園遊会はまだ一時間以上も続く。
「そうか、では帰るか」
蓮司の答えは意外なもので、朔也も目をぱちくりとさせる。
「父さま、いいの? いつも終わるまでいるでしょ?」
「あぁ、必要なところには顔を出したし、挨拶もすんだ。適当な言い訳でも考えて、帰る」
「じゃ、僕がお腹が痛くなったことにして」
「なるほど。それはいい」
蓮司が抱っこしている琴葉を千咲に預けようとしたが「着物だと着崩れするか?」と、表情を曇らせる。
「いえ、大丈夫ですよ。琴葉ちゃん、おいで」
琴葉の身体が千咲の腕の中に移ると、蓮司は朔也の前でしゃがみこんだ。
「父さま?」
「お腹が痛いんだろ。さすがに抱っこはできないからな。おんぶだ」
少しだけ戸惑いの表情を見せた朔也だが、すぐに父親の背中におぶさった。
* * *
子どもたちを寝かしつけ、千咲が自室に戻ろうと子ども部屋を出たとき、蓮司が部屋の前に立っていて、思わず悲鳴をあげそうになった。
「旦那様、どうされました?」
悲鳴を呑み込んでから尋ねると「ちょっといいか?」と、蓮司の執務室へと連れていかれたが、彼の仕事部屋に入るのは初めてである。
「そこに座れ」
ソファをうながされ、千咲はちょこんと座る。
蓮司はキャビネットからお酒のボトルとグラスを取り出し、グラスに琥珀色の液体を注いだ。千咲が酒を飲めないのを知っているからか、さすがに勧めるようなことはしなかったが。
「今日は助かった。礼を言う。前の妻は、この家を出ていってから園遊会に出席したことはなかったんだ。恐らく、俺が再婚したという話を聞いて、気まぐれに顔を出したのだろう。実家に戻ったようだが、彼女も一応は漉姫だからな」
「いえ、私もだいぶ失礼なことを言ってしまったような気がして……」
蓮司の前妻となれば、彼女も格式高い家柄の女性だ。紅梅家に売られ、そして紅梅家から買われて蓮司の妻の座におさまった千咲とは違う。
「うすうす気づいていると思うが、朔也も琴葉もあの女を嫌っている」
前妻をあの女と口にするあたり、蓮司の気持ちも子どもたちとさほど変わりはないのだろう。
「朔也なんかは、生まれてきたことを後悔している節がある。聞き分けがいいのも、そのせいだろう」
生にたいして後ろめたさがある朔也の姿を考えたら、目の奥が熱くなってきた。
「それから、母に『邪』を放ち、琴葉の言葉を奪ったのもあの女で間違いない。あれの実家、藍田家は蒼井家の分家の中では、本家の血筋にもっとも近い。どうやらこの家から漉姫を奪って、のっとろうと企んでいたようだ」
花純からは、紅梅家の上位の漉姫と同じような雰囲気を感じ取った。人の上に立ちたいという、その気持ち。
「それで、藍田家はなんと?」
園遊会が終わった後、蓮司が藍田家に足を運んだのを千咲は知っていた。
「あれには蟄居を命じると。ここにいたときからそうなんだが、ろくに紙漉きもしなかったからな。さらに藍田家は、この家ののっとりを考えたのは娘であって、自分たちは何も知らないと言い訳してきた」
それでも蓮司はその言葉すら疑っているようなそぶりだ。
「結界は外から侵入する『邪』には効果があるが、中にいる『邪』は形代で封じるしかない。だが、この形代にも欠点がある」
『邪』を封じるため楮紙を使うが、『邪』に狙われた者が漉いた紙では形代として効果がないという。つまり菫に『邪』がついていたため、菫が漉いた紙から形代を作ったとしても、菫の『邪』は封じることができない。
だから朔也が持っていた落水紙が、菫の『邪』に反応したのである。
「呪いについてはもっと厄介だ。同じ血筋の者が漉いた紙では解呪できないようにと、細工がされていた」
これもまた、千咲が漉いた紙で琴葉の声を取り戻したのは、千咲と琴葉には血の繋がりがないから。
「千咲……」
不意に蓮司から名を呼ばれたせいか、心臓が早鐘を打つ。
「君が漉いた紙には不思議な力がある。紙守とは本来は神を守る一族。君が真摯に漉姫として紙を漉き続けたから、神も君に力を与えたのかもしれない」
蓮司にそう言われても、千咲にはピンとこない。
「もったいないお言葉です。私は漉姫としての責務を全うするだけです」
「なるほど、そういう謙虚なところも神に好かれる要因の一つなのだろう」
そこで彼は、グラスに口をつけた。
「こうして、君とはゆっくり話をしてみたいと思っていたんだ」
千咲はなんて答えたらいいのかわからず視線を逸らすものの、先ほどから心臓がうるさくて仕方ない。
「そういえば、今日は紅梅一族の漉姫たちはあまり参加していなかったらしい。どうやら黒皮の加工が追いついていないとか」
濡れた唇をぺろりと舐めた蓮司は、薄く笑みを浮かべた。
「とにかく、これからも末永くよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
紅梅一族の末端の漉姫だった千咲が、まさか蒼井一族の本家の妻になるとは思ってもいなかった。
だから朔也には伝えたいのだ。どう生まれたのかではなく、どう生きるかが大切なのだと。
「私、あの子たちの母親になれて、幸せです」
「俺も君のような女性を蒼井家に迎えられて、幸運だったのかもしれないな」
夫婦として愛を語る日がくるかどうかは、まだわからない。
たとえどのような形の愛であったとしても、ぬくもりに満ちた家族でありたいと、千咲は願っていた。
【完】
短編コンは文字数制限あるので、そのなかにこれでもか!という設定を詰め込んでみました。
それでは、また次の作品で。
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