6.
千咲との婚姻届を役所に提出し、各所に再婚したという報告をした蓮司は、やっと屋敷に戻ってこられた。
「お疲れですね」
大和の口調は全然蓮司を労っていない。
「あぁ、疲れるだろ? うるさいじじいどもの相手をしたのだから」
紙守本家は蒼井家、紅梅家の他に、天白家、黒江家があり、天白家と黒江家の当主は蓮司の父と同世代である。彼らもまた蓮司の一度目の結婚を知っているだけに「今回は長続きするといいな」とか「逃げないように祈っている」とか、嫌みたらたら言ってきたが聞き流していた。
正門を抜け、屋敷へ入ろうとしたときに、幾人かの使用人が漉場のほうに小走りに向かっていくのが見えた。
「何かあったのか?」
大和に尋ねてみたが、彼は蓮司につきっきりだったのだ。屋敷内で何が起こったかなんて知るはずないというのに、何かあれば、つい彼に答えを求めてしまう。
「私も存じ上げませんが……ただ、今日は奥様が漉場を使用したいとおっしゃっていたような気もします」
そう言われると、朝食時に千咲がそんなことを言っていたかもしれない。
蓮司は、口うるさいじじいたちへの結婚報告の件で頭がいっぱいだったので、朝のできごとをよく覚えていない。
「漉場へ向かう」
「御意」
蓮司が漉場に足を向ければ、大和も慌ててついてくる。
屋敷の裏側にある漉場は、ここ一年以上、使われていなかった。それは菫が体調を崩したからだ。だが、その原因が『邪』によるものだとわかったのはほんの数日前。
しかも、千咲が漉いた紙が『邪』に反応したからわかったようなもの。
さらに子どもたちも、ほんの数十分、一緒にいただけの千咲と親しくなった。特に琴葉とともに紙漉きをしたという点は興味深く、『邪』に反応する紙を漉ける漉姫となれば、手元においておきたい。
そうでなければ、顔も見たことのない、性格もわからないような女性に対して、いきなり求婚はしない。
花純だって家柄で選んだが、同じ一族というのもあって、それまでも何度か顔を合わせたことはあった。
だが、今回の千咲の件はまったく別だ。彼女の漉姫としての技量に惹かれ、子どもたちを笑顔にした人柄に関心を持った。
彼女を他の人に奪われる前にと、すぐに紅梅家へと向かったものの、環は千咲を認識していなかった。やはり彼女は園遊会に出なくてもいいような身分の女性なのだ。
漉姫としての腕前と、紅梅家での扱いに隔たりを感じ、余計に興味をそそられた。
環がつれてきた千咲は、みすぼらしい着物を身につけていたものの、紙漉きに対する真っ直ぐな姿勢が感じられた。彼女の着物の裾は水に濡れ、手も荒れていた。
花純とは違う――。
この女性であれば家族になってもいいかもしれないと、そんな直感が働いた。
ただ結婚を申し込むにしても、こちらの条件を提示しなければ公正ではない。それに、紅梅家に売られたような女性に当主の妻は荷が重いだろう。だから千咲に望むのは、漉姫としての立場はもちろんだが、子どもたちの母親役。
彼女が蓮司との縁談を断れば、一生、紅梅家に囚われるのはわかっていた。だから彼女自身に選んでもらったのだ。蒼井家か紅梅家か。
結果、蓮司の手を取ってくれたのは僥倖であった。
「旦那様、これは……」
大和のぼそりとした声が聞こえると、蓮司も視線を鋭くして漉場を見やる。
一年以上、使われていなかったそこが、見事に復活していた。大きな水槽には水が張られ、白皮が浸してある。
埃っぽかったこの場所が、水と楮の匂いに溢れ、開け放たれた窓からはおだやかな秋風が流れていく。
「あ、お帰りなさいませ、旦那様」
蓮司の姿に気がついた千咲が声をかけると「父さま、お帰りなさい」と朔也も元気に声を出す。さらに近くにいた使用人たちも「お帰りなさいませ」と頭を下げた。
「これは、君がやったのか?」
蓮司は無意識のうちに、千咲に尋ねていた。だが、彼女はその質問の意図がわからなかったようで、小さく首を傾げる。
「この場所を使えるようにと、掃除をしてくれたのだろう? 一年以上も使っていない場所だったから、かなり埃くさかったはずだ」
「はい。こちらの掃除は、お義母様の許可は得ています。今日はこちらを片づけたので、少しずつ紙漉きを再開していくつもりです」
楮を白皮にしたのは蓮司だ。また菫が紙漉きをするだろうと期待して、昨年も楮を刈り取り、皮をはいで白皮にして冷暗庫へ保管していた。その白皮がやっと紙になろうとしている。
「そうか。慣れない場所で大変だとは思うが……」
そこまで言いかけてみたものの、その先の言葉が出てこなかった。
だが千咲が漉く紙には興味がある。菫についていた『邪』に反応したのは、彼女が漉いた紙だけ。
そして、声を封じられているという琴葉にも、恐らく『邪』がついているにちがいない。いや、それを利用した『呪い』かもしれない。
その琴葉が「見て」と言いたげに、蓮司の上着の裾を引っ張った。
「なんだ?」
琴葉が差し出したのは、少し不格好な楮紙である。
「父さま、これだよ。琴葉が千咲母さまと漉いた紙」
蓮司はその楮紙を手にすると、まじまじと見つめた。厚さは均一ではないし、繊維も揃っていない。この紙は形代や結界には使えない。
「いい紙じゃないか。大事に取っておきなさい」
琴葉の髪をくしゃりと撫でると、猫のように目を細くした。娘のこんな嬉しそうな表情を見るのはいつ以来だろうか。言葉を発しなくなってからは、表情が乏しかった。
娘の笑顔を取り戻すためにも、千咲が漉いた紙が欲しい。琴葉も千咲が漉いた落水紙を持っているが、琴葉が大事にしているためそれは使いたくないのだ。
となれば、やはり千咲には早く紙を漉いてもらいたい。
その気持ちが昂ぶり、蓮司は気づかぬうちに千咲に熱いまなざしを送っていたのだ。その視線を感じ取った千咲と目が合うと、彼女は屈託のない笑顔を向けてきた。




