第13話 検証の始まり ー 新しい日常
高木由理の動きは静かで、無駄がなかった。
質問は必要な分だけ、言葉の温度も一定だ。
研究者のリズムそのものが、室内の空気を整えていく。
「昨夜は眠れましたか?」
「……移動前は少し短かったですが、問題ありません」
「頭痛や耳鳴りは?」
「今はありません」
淡々としたやり取り。
けれどそのなかで南雲は、高木の視線に“温度”を探していた。
(冷静……だ。でも、適度な距離を保ってるな)
彼女は決して冷たいわけではない。
ただ、現場の線をきちんと引いているのがわかる。
その空気を、山本教授が適度にほぐした。
「南雲君、肩に力が入りすぎているぞ。ここは取り調べ室じゃない。
――高木君、机の角が書類だらけだ。そろそろ片付ける習慣をつけなさい」
高木は小さく息を吐き、書類を整える。
その瞬間だけ見えた微かな笑みは、すぐ研究者の顔に戻った。
◆
初期値の取得に移る。
実験台には10gの金属片。
10cm先には小さな丸の印。
シンプルな配置だが、室内の空気は少しだけ張り詰めた。
「私は、“事故の生存者”としての最低限の説明と、
特異事案扱いとしての基本ブリーフィングだけを受けています。
先入観を排すため、まずは初期評価プロトコルに沿います」
高木の声は落ち着いていた。
南雲の反応を見るためか、それとも自分自身を落ち着かせるためか。
山本が補う。
「最初は見えるところから積み上げよう。急がなくていい」
高木がセンサーを起動し、ランプが静かに灯る。
「準備できました。お願いします」
南雲は金属片を見つめ、息を整える。
(――動け)
次の瞬間、金属片は“音もなく”10cm先にあった。
軌跡は存在しない。
ただ場所だけが置き換わっている。
「10gを10cm。軌跡なし。……再現をお願いします」
二度、三度。
金属片は毎回“誤差なく”10cm先へ現れる。
(やっぱり……これが今の俺の限界なんだな)
高木が端末の画面を指した。
「現段階では“瞬間移動”と記述するのが適切ですね。
物体は消失せず、座標だけが置き換わる形です。
今後は質量を段階的に上げて確認します」
「……途中の描写は何も?」
「センサー上も空白です。もし“経路”があるなら痕跡が残るはずですが、
今は検出できていません」
声は淡々としているのに、
南雲の表情を確認するように視線を寄せ、
すぐにまた距離をとる。
(……距離感が難しい人だな)
◆
昼食。
研究棟の食堂は驚くほど静かだった。
スープの湯気だけが、空気にわずかな動きを作る。
山本が向かいに座り、軽く笑った。
「ここは私の定位置でね。スープは温かいうちに飲むといい。
冷めると急にまずくなる」
高木は端末を閉じ、スプーンを運ぶ。
「午後は計測器のキャリブレーションを優先します。
外部への報告は“経過のみ”で。値が大きく動くまでは伏せます」
「異論はない」と山本。
「ただし――南雲君の生活動線は少し緩めたい。
閉じすぎると、データも心も歪む」
「任務の範囲で調整します」
二人のやり取りは穏やかだった。
だが、立場の線は確かに引かれている。
それでもベクトルは同じ方向を向いていた。
――“南雲を守り、理解する”。
その空気が、南雲の胸のどこかを静かに支えた。
「……お願いします」
高木は短い頷きだけを返す。
拒絶ではなく、観測者としての誠実さだった。
◆
夕方。
ラボの戸締まりを終え、高木が静かに言った。
「明日は同条件で“再現性”の確認をします。
もし揺らぎがあるなら、方向や周期に“癖”があるはずです」
山本が補足した。
「癖は君の“個性”でもある。
無理に消す必要はない。……使い方を考えよう」
ラボの灯が一つずつ落ちていく。
高木は最後に扉のセンサーを確認し、軽く会釈した。
「今日はここまでです。……お疲れさまでした」
その声は、これまでよりわずかに柔らかかった。
(この距離……縮められるのか、俺たちは)
南雲は深く息を吸い込んだ。
こうしてーー
大学での最初の日が静かに幕を閉じた。
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