魔王②
27話になります。
あの方が望んだから、私はここにいる。
あの方を待ち続けるためだけに、私は魔物となった。
あの2人を愛しく想っていたからこそ、もう1度、今度こそすれ違うことなく出会えるように。
今日も私はここで、あなたが創ったこの場所で。
あなたを待っているのです──。
憧れの象徴である大聖堂は、ロゼルと呼ばれる広大な運河の側に建っている。
昼間の大聖堂は穏やかで美しく、抗争などとは無縁に思える。人々で賑わうロゼル通りを抜けてわき道に入ると両方がせばまっている石壁にぶつかる。行き止まりだ。よく目を凝らして観察してみると、小柄なこどもが1人通れるか通れないか程度の隙間が見えてくる。その隙間をゆっくり、岩にはさまれないように角度を変えて歩いて行くと視界がひらけ、1本の細い道が現れる。
それこそが第1審臨へ続いている正当な道なのだが、誰も気がつかない。
見えない。
触れられないからだ。
歪んだ時空をなにかの拍子に偶然見つけた者がいたとしてもすり抜ける。空間に立ち入ることはできない。
ティアルでも見つけ出すことは不可能だ。大聖堂で使聖と呼ばれ、第1審臨への道が見え、その大地を踏みしめることが可能なのは、現時点でラナ1人しかいない。
「地場は狂ってる、陽光はささない。どうやってアトのところまでたどり着くかが問題だ」
ラナは五感を研ぎ澄まし、古き大気の中から赤い粒子を右手に集結させた。
弓矢にしようとしたそのとき、
「早まった行為は考え直して欲しいものですね」
「放つつもりは最初からないよ」
見事に会いたかった相手がつれた。
肌にまとわりつく声そのものが刃のようで。
「死を所望しているのですか?」
「威嚇と捉えられてもしょうがないよね。脅かしてごめん。本当に攻撃するつもりはないんだ」
ラナは赤い帯の弓と弦を消した。
ほかに獲物をもっていないことを示すために、使聖の衣を振るってはたき、敵意がないことを証明した。
「無謀と無茶を備えた使聖ですね。私があなたより強いと思わなかったのですか?」
声がした先には、紫紺の薄い布を全身に巻きつけた細身の青年がいた。
第1審臨の入り口にそびえたっている大樹の上に座り、アメジスト色をした切れ長の瞳がラナを射抜く。足首まで伸びた深紫色の髪が風もないのに揺れ動く。
「ここがどこだか、おわかりでしょう?」
濁りのない清い響きは情念を引きずり出す威力を持っている。体にまとわりついてくる粘着感は青年が持っている力のせいだ。
ラナの動きが鈍くなる。
瘴気が濃く、酸素が薄くなる。
──空っぽの状態じゃない。
酸素がなくとも、ラナには大気から取り出すミラトスの能力があり、ティアルの加護もある。
他の使聖は立ち入る前にこと切れていただろう。
(アトと同等、いや、それ以上? なら、彼が)
──アトは【おしゃべりな奴】と言っていた。
「きみの名前は?」
ラナは思わず訊ねた。
「どういった意味で言ってるんでしょうか」
「きみの名前を教えてもらえないかと思って」
麻痺していく。
常識という名の壁が。
魔物に個体名はない。
人がつけた魔物の分類として大雑把につけられた個体名が、魔物のすべてだ。
「そんなものはありません。よく知っているでしょう? あなた方のところで言う魔物ですよ」
「紫水晶の魔物」
ラナが口にすると、青年が地に着地した。
「どこでそれを?」
「大聖堂にある文献だよ。本が好きな人がいて、紫水晶の魔物も出てくる」
「解せない人ですね」
「よく言われるよ」
紫水晶の魔物は謎に包まれている。
文献にも、妖美な容姿をしているとしか書かれていない。
審臨の奥深くが棲家の知性溢れる魔物なのだろうとラナは推測していた。
──文献はあてにならないな。
へたに動けば命を落とす。
経験から学んだ重要な知識が2人を対峙させていた。
「つまらないって言ったらどうします?」
「え?」
惚けたラナの顔を見つめるアメジストの美しい瞳がラナの漆黒の眼を凝視する。
青年は指先に紐状のオーラを絡ませている。ラナの返答次第では捕らえるつもりなのだろう。
ラナはわかっていて、
「ぼくは最初からおもしろくない奴だから、きみの話が聞きたいな」
本心を告げた。
青年は、
「疲れる使聖ですね」
紐状のオーラを消した。
「私を前に怖じけづかなかったあなたへの、ささやかな褒美といったところでしょうか」
仄暗い殺意がため息に変わった。
「あまり首を突っこまない方が賢明ですよ。今回は褒美です。その道の先にあなたの望んだ形があるはずです」
「待って、きみの話を」
「嫌です」
ラナを無視して、紫水晶の魔物は闇に姿を消した。
「幻術結界か」
第1審臨に施されているのはわかっていたが、理論だけでは再現できない。解呪も不可能だ。
幻術結界はミラトスが存在していた神話時代でも幻の呪と呼ばれる稀な結界であり、現在では失われてしまった呪だ。呪の才に秀でたティアルをもってしても再現は不可能だ。神話時代に失われた結界を前にラナは目を輝かせた。下手をすれば一生幻術結界に囚われ、死の概念すらなくさまよい続ける空間だというのに。
ラナはめずらしさを目にやきつけた。
かつては罪人を封じ、魂が消滅するまで迷いつづける禁忌の呪だった。
使聖ではなく魔物が完璧に再現する。
──そんな真似ができるのは。
魔王と呼ばれる審臨の統治者だけだ。
「本当に凄いなあ」
どの道にも通じておらず、どの道にも通じている。空間から空間をわたり、行きたい場所に繋げることができる。
逆のパターンが9割。
残りの1割にラナは遭遇していた。
並の魔力量では創り出すことなどできない。魔力があっても繊細な技術がなければ空間は繋げられない。
どちらも兼ね揃えた存在にラナは出会ったことがなかった。
「あっ、昨日の道だ」
どうやら創りだした幻術結界の一部を解いてくれたらしい。それまでなかった獣道が森の奥深くへと延びていた。
死の静寂が審臨を包む。
審臨に生ある者は魔物を害するつもりでしか立ち入らない。
「死を所望する、か」
ラナは俯く。
死を望む心が生み出す幻の館こそ、第1審臨だという事実にラナはまだ気づいていなかった。
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