35話 師弟の戯れ
応接室に静かな空気が落ちた。資料を机に置いたまま、ファイフが腕を組む。そしてふと視線を横へ向けた。
「それはそうと、ライラ」
声音が変わった。
その一言だけで、ライラの肩がびくりと跳ね、猫の耳もぺしゃんと寝てしまっている。
「……!はい!」
背筋を伸ばしたまま返事はしたものの、声はわずかに上擦っていた。
ファイフは腕を組んだまま椅子の背に体重を預ける。狼の瞳がゆっくりと細められ、上から見下ろすようにライラを睨みつけた。
「グレイスロウに送り出して七年。中級冒険者から上級冒険者に上がったと一向に話を聞かなかったが、一体何をしていたんだ」
低く、静かな声だった。その圧は、部屋の空気を一瞬で冷やす。
「お前には上に上がれるだけの技術は身につけさせていたと思っていたがな」
ライラの額にじわりと汗が浮かぶ。
「あぁー……えっと……そのぉ……」
視線が泳ぎ、言葉がしぼんでいく。ファイフの眉がわずかに動いた。
「お前の事だ。歳下の冒険者の世話ばかりしてたんじゃ無いだろうね」
「えぇっと……それは……」
言い淀み、言葉を繋げない、それは何よりの答えだった。
ファイフは大きく息を吐いた。
「はぁ……お人好しも大概にしろとあれだけ言い聞かせてたのに……まぁいい」
腕をほどくと椅子から立ち上がり、視線をユリウスへ向けた。
「ユリウス、ライラをちょっと借りるよ」
「あ……あぁ」
「宿は手配してある。あんた達は受付のサリーに言って荷物を持っていくといい」
言い終えると同時に、ファイフはライラの首根っこをがしっと掴んだ。
「えっ!?ちょ、ちょっと待って——」
そのまま引きずるように扉へ向かう。
「えっ!?やだぁあああ!誰か助けてぇえ!」
半泣きの叫びが応接室に響いたが無情にも扉が閉まる。残された空気は静まり返っていた。
セラフィナは呆然と扉を見つめている。
「……」
「……」
リュカとユリウスは顔を見合わせた。そして同時に苦笑する。
「セラフィナ、荷物は俺たちが運んでおくから、ライラについてってもらえる?」
リュカが柔らかく声を掛けると、セラフィナははっとして振り返り、小さく頷いた。
「……うん、行ってくる…」
そして慌てて応接室を出ていった。廊下の向こうに、まだライラの悲鳴が響いている。
「やだってばぁあああ!」
リュカは小さく息を吐いた。
「……師匠って怖いな」
ユリウスが肩をすくめる。
「そんなもんだ」
二人は立ち上がり、受付へ向かった。
受付には、先ほど案内してくれたサリーと呼ばれたうさぎ系獣人の女性が立っていた。長い耳がぴくりと動く。
「いらっしゃいませ」
「ファイフさんから宿の手配をしてもらってるって聞いたんだけど」
リュカが声を掛けると、サリーはすぐに頷いた。
「はい。手配しております」
机の引き出しから封筒を取り出すと、それと紙を一枚差し出した。
「こちら、ファイフ様からの紹介状と宿への地図となっております。乗ってこられた馬車はそのままこちらでお預かりいたしますので、お荷物を持って向かってください」
「ありがとう。よろしく頼む」
ユリウスが礼を言う。そしてふと、思い出したように言った。
「あと、報告が遅くなってすまないが……」
受付台の上に置かれていた地図を指さす。
「昨日、破落戸に襲われた」
サリーの耳がぴくりと動いた。ユリウスは大まかな場所を地図に書き込みながら説明する。
「全員縛って森の外れの木に括りつけてある」
書き込んだ地図を差し出す。
「承知いたしました。確認して憲兵に引き渡しておきます。……来てそうそう災難でしたね……ご協力ありがとうございました」
サリーは真剣な顔でそれを受け取ると軽く頭を下げる。
「いや、問題ない」
用件を済ませ、二人はギルドを出た。石畳の通りを歩き、地図に示された場所へ向かう。
しばらく歩くと、ひときわ大きな建物が見えてきた。
三階建ての石造りの宿。入り口には装飾の施された看板が掲げられている。
リュカは思わず足を止めた。
「……え、ここかなりいいとこなんじゃ」
建物の前には馬車止めがあり、服装の整った客が出入りしている。冒険者宿とは明らかに雰囲気が違った。
ユリウスは気にした様子もなく言う。
「ひとまず受付にいこう」
二人は扉を押して中へ入った。
ロビーは広く、磨き上げられた床が灯りを反射している。受付の奥に立っていたのは狐系獣人の男性だった。
「いらっしゃいませ」
紹介状を差し出すと、男性はそれを確認して頷く。
「はい、ギルドマスターから伺ってます。二人部屋二部屋、とのことですね」
鍵を二つ取り出し、こちらに差し出した。
「お部屋は二階に上がられまして、左側奥の突き当たりの二部屋となっております」
礼を言い、二人は階段を上がる。廊下の一番奥まで歩き、まず奥の部屋を開ける。
「ここに二人の荷物置くか」
ライラとセラフィナの荷物を中へ運び込み、鍵を閉める。その手前の部屋に自分達の荷物を置く。鍵をかけるとリュカはユリウスに鍵を預けた。
「よし 、二人を迎えに行こう」
二人は宿を出て、再びギルドへ向かった。
――――
ギルドの奥の石壁に囲まれた訓練所。セラフィナは入口の近くで立ち止まった。
グレイスロウほど広くはないが、十分な広さのある訓練場だった。数名の冒険者が木剣で打ち合っている。
その中央で、ファイフが振り返った。
「さぁ」
口の端が楽しそうに上がる。
「久しぶりに稽古をつけてやるよ。どんだけ成長してるか楽しみだね」
ライラの顔が引きつり、肩を落とした。
「……まさかこんな事になるなんて……」
「来ないならこっちから行くよ」
その瞬間、魔力が揺れた。地面が震え、石が浮き上がる。セラフィナは目を見開いた。空中に無数の岩の杭が現れ、鋭く尖ったそれが一斉にライラへ向く。
次の瞬間、一直線に飛んだ。
「わぁああ!!だからやだったのにぃぃ!」
ライラが地面を蹴り紙一重で岩を避ける。石が地面へ突き刺さったその隙間を縫うように走り、少しずつファイフへ近づいていく。
そして一瞬、距離が詰まった。
鞭がしなり、ファイフの腕へ巻きついた。
「いきなりは怖いってば!!」
ライラが思い切り引く。だがファイフはびくともしない。足を踏みしめ、逆に力を込めた。
「ふん。アレに一撃でも当たらなくなっただけでも成長してはいるか」
口角が上がるとそのまま一気に腕を引いた。
「っ……!」
ライラの体勢が崩れる。その瞬間ファイフが踏み込み、鋭い回し蹴りが飛ぶ。
「だがまだまだ甘いね」
脇腹目掛けた蹴りをライラは咄嗟に腕でガードしたが飛ばされ、二人の間に距離ができる。
「っいった……」
腕を振って痺れを払った。
「相変わらず師匠は容赦ないんだから……」
口を尖らせる。ファイフは鼻で笑った。
「はっ。手加減なんかしたって成長しないだろ」
それから更に戦いは続いた。剣がぶつかり拳が飛ぶ。魔法が地面を抉る。
稽古というより、完全に喧嘩だった。
セラフィナはただ呆然と見つめていた。
だが、途中から妙な感覚が胸に広がり始めた。
ファイフが魔法を使うたび、胸の奥がざわつく。落ち着かない。嫌な感じではないけれど、どこか懐かしい気がする。
まるで、精霊達が騒ぎだす前兆のような……。
セラフィナははっとして魔力の流れを目に集中させ、目を凝らしてファイフをじっと見る。
そして——見えた。
左肩に小さな影がしがみついている。
「えっ……!?」
思わず声が漏れた。
小さな丸い体、土色の毛並み、身体の割に大きな手。モグラのような姿の何か。
セラフィナは目を見開いたまま呟き、信じられない思いで凝視する。
「……まさか………ファイフさんも……」
その時、とうとう決着がついた。
ライラが地面に膝をつき、ぐったりしている。
「ぐぅぅぅ……まだ勝てないなんて……」
肩で息をしていた。
セラフィナは慌てて駆け寄り、魔法鞄からヒールポーションを取り出すとライラの傷口にかける。淡い光が広がった。
「はー、やれやれ。年寄りに無理させないどくれよ」
ファイフは肩を回しながらヒールポーションを自分にも使う。
その肩にやっぱりいる。
小さなモグラが、必死にしがみついている。
セラフィナは思い切って口を開いた。
「……あの……」
ファイフが視線を向ける。
「ファイフさんの……肩に乗ってるのって……」
一瞬、ファイフの目が丸くなった。そしてゆっくり口角が上がる。
「なるほどね……。セラフィナ、あんたも私と一緒か」
その時、訓練所の入口に二つの影が立つ。リュカとユリウスだった。
地面に蹲るライラ、その横にしゃがみ込み、ファイフを見上げるセラフィナ、そして立ったまま笑うファイフ。
リュカはしばらく黙って見つめたあと、ぽつりと呟いた。
「……どういう状況……?」
まさかの精霊がこんな所にも。




