3 化けフェレット②
3 化けフェレット②
飯塚春菜
しばらくして、ホテルに着いた。地下駐車場に車を停める。上に上がるエレベーターの脇でホテル内のフロアごとの案内が書かれたパネルを眺めながら、中川さんはスマホを出した。
「この中のどこかわかるんですか?」
「多分、ここだ」
中川さんはスマホでコツコツとパネルを叩いた。和食のお店でした。なんというのかな?写真から見ると、懐石バーといったら怒られるかもしれないけど、懐石料理を少しカジュアルにアレンジして、親しみやすいお値段にして出しているようなお店でした。
「なんでわかるんですか?」
「水無月遙は日本酒好きだ」
「え?」
「うちの店で一回食事を出した時、ワインより日本酒が好きだと言ってた。太るからいつもは飲まないらしいけどな」
「へー」
さすが客の好みはよく覚えてるなと感心している横で、電話をかけている。声がよそいきに変わる。
「いつもお世話になっております。フォンテーヌの中川です。……ええ、どうも。あの、別件で遅れておりましたが、手が空きましたので今ホテルに着いたんです。確か、葉月でしたよね?……ええ、ええ、はい。……それでは後ほど。はい」
ぷちと電話を切った後で、無言で二人でエレベーターに乗り、スルスルと上がる。
「当たってましたね」
「ほら、このお店の名前、遥さんと同じで月が入ってるよ、とか調子のいいこと多分言ってるぞ、社長」
「え……」
「賭けてもいい」
「……」
それも……、仕事、だからですよね?こう、クライアントを喜ばせるのが、我々、サービス業の……
「着いたぞ」
チーン、ガー
エレベーターの扉が開く。
降りてすぐにフロアを見渡すと、まず、トイレの位置を確認。
「ちょっと立ちっぱなしで辛いかもしれないけど、ごめんな」
「ああ、いや」
そして、上司はちょっと離れた小洒落たダイニング割烹、なんだろう?とにかく堅苦しすぎない高そうな店へ消える。わたしはそれから立ち位置を考えました。あの、葉月から出てきてすぐに自分が目に入ってはならない。角に隠れて、彼奴を待つ。まさに張り込み。ああ、でも、これ、変質者?女だから許されるかな。
最初は楽しかったです。刑事ごっこ。すぐ飽きた。
パンプスで立ちっぱなしの足が痛いです。
しかし、しかしだな……。
わたし、フロア上がりの人間。今でも人手不足の時や現場確認のために、立ちっぱなしでホールに立ちます。なにをっ、このくらい。
……暇だな。
大体、よく考えれば、くだらない用じゃん。代表取締役がやんちゃしないように持って帰る。相手は犯罪者ではない。うちの会社の社長だ。たしか前科もない。
そこまで気合い入れる必要ないか。やれやれ。
暇つぶしにスマホを取り出して、いつも隙間時間に遊んでいるパズルゲームを開く。あ、また、ケリーのやつわたしのランキングを追い越したな。ウィークリーランキングで追いつ追われつしている顔も本名も人種も知らないケリーを確認。くそ。追い抜いてやる。
黙々としばしゲームに没頭する。
「何やってんの?」
男の声にはっと顔を上げる。我が社の代表取締役でした。
「やっぱ、づかちゃんじゃん。なんだよ。崇と一緒に来たんなら店の中に入ればいいのに、罰ゲームかなんかか?」
「張り込みです」
「はい?」
「かくほー」
折角なので、手首を押さえて、刑事ごっこをしてみました。腕時計を見る。
「午後9時43分」
「なんだ、なんだ、なんだ?」
「逃げようとしたら、空手の技かけますよ」
「なに?づかちゃん、空手できんの?初耳だけど」
「段持ってますから」
嘘です。もちろん。ちょっとハッタリかけてみた。
「どれどれ」
「あっ……」
ぐいっと腕引かれてあっという間に外されました。
「なんだ、やっぱ、嘘っぱちかよ」
「あ、社長、トイレ行きました?」
「いや、行ってない。行こうと思ったら変なやつがいるなと思って」
「お邪魔しました。さ、どうぞ」
手を出してトイレへ促す。トイレはさせてあげなさいという話だった。変なやつだなとぶつぶつ言いながら、社長がトイレへ消えようとする。
「あっ!窓から逃げたりしたらダメですからね」
トイレの窓から逃げる。よくある逃走シーンである。
「ばか。ここ、何階だと思ってんだよ」
「……」
そうでした。
そして、しばらくすると社長が出てきました。
「かくほー」
「いや、くどいって」
もう一回スルリと外された。やれやれ。
「さ、帰りますよ」
「何を言ってるの?」
社長、きょとんとした。
「中川さんに指示されて、ここで社長が出てくるの待ってたんです。捕まえて連れて帰れって」
「はぁ?」
ほろ酔いだった社長の酔いが覚めた。
「どういう意味だよ」
ムッとした。やべ、こええ。
「お客さん残して帰れないだろ」
「でも、マネージャーも心配してたし……」
「何を?」
「社長が水無月遥と面倒なことにならないか」
「……」
一瞬、無表情になった後に、ふっと息を漏らして社長が片手を軽く握り額に当てて俯く。
「俺は、そんなふうに思われているのか?」
「……」
「あの、クソジジイだけじゃなくて、崇もづかちゃんもそう思ってここに俺を迎えにきたのか」
「……」
「大事な会社に迷惑かけるようなこと、するか。俺だってそのぐらいの分別あるって」
「……」
「席、戻るぞ」
わたしが何も言えずにいるのを見て、社長がお店へと足を向ける。
その時、不意に天啓のように中川崇の声が聞こえた。
これは、神谷秀に化けた老齢のフェレットである。懐柔されてはいけないっ!
「社長、ダメですっ」
「あんだよ。しつこいなぁ」
社長の腕を片手で掴み、片手で自分のスマホを探る。番号を検索してかけた。
「あら、珍しい。どうしたの?春菜ちゃん」
「麗子さん」
わたしに取られた腕を引っ張って外そうとしていた神谷秀がぴたりと止まる。
「あの、社長、お酒飲んじゃったんで今日はわたしがお宅まで送ることになりました」
「あら、そうなの?」
「ええ、今から出ます」
「じゃあ、着いたら帰らないで上まで来てね。春菜ちゃんにあげたいものがあるから」
「あ、はい。わかりました」
「それじゃあ、後でね」
「はい、後で」
プチリと電話を切った。
パッと振り返り、社長の顔を見ると、すごーく遠い目をしていました。はるか彼方に上がる初日の出を悲壮な顔で眺めているみたいな。
「何を見ているんですか?」
わたしになんか全然焦点の合ってない目に向かっていう。
「別に何も」
「さ、帰りますよ」
傷心と言ってしまってもいいような顔をしている男の腕を構わずぐいぐい引く。
「いや、帰るって挨拶してからじゃないと」
「え」
「だって、失礼でしょ?」
「……」
そりゃ確かに失礼だ。それで、一瞬不覚にもフェレットの腕を外しそうになりました。しかし、その時、篠崎マネージャーの断固とした口調、か、ら、の、中川さんのこと細かい指示が電光石火の如く頭を貫いた。
中川崇は、サービスのプロです。それが敢えてお客さんに失礼とも言えるような方法を指示したのには訳があるっ!
「ダメですっ!」
「なんでだよ」
うんざりとした声を出してフェレットがわたしを見る。負けてはならない。これは神谷秀によく似たフェレットなのだから。
「社長、すみません」
「なに」
「わたし、社長のことも好きです」
「お、なに、急に愛の告白?」
素敵な勘違いをしている中年親父を無視して続ける。
「でも、社長の作ったレストランの方がもっと好きなんです」
「はぁ」
「だから、そのレストランを守るために、席には戻らせません」
「だから、なんでだよ」
うんざり、アゲイン。しかしですね。ストレートに好きだと言われた中年男の脇は少し甘いのだ。先ほどまでの勢いはない。
「社長が戻って、帰るという」
「うん」
「男好きのマダム遥、いや〜、帰らないでーとなる」
「男好き……」
「知らないんですか?手当たり次第らしいですよ」
「いや、あの、遥さんが?」
「それで結局、うだうだ付き合わされたあげくとって食われちまうんですよ。簡単だな!神谷秀」
「……」
なにも言えずに立ち尽くすフェレット秀。
「もっと難攻不落な男になってくださいよ。簡単に敵の手に渡らないでください」
「いや、別に簡単で構わないんだけど。俺は」
「さ、帰りますよ」
「な、そこまでいうなら帰ってもいいけどさ。あと少しのところでサラッと逃げられると、普通だったらもっと燃え上がるぞ」
なぬ?
「今日はダメだったけど、後日ってことになってもいいのか?」
「ダメですよ。芸能人はダメっ!」
「一般人だったらいいんだ」
「くっ……」
春菜ちゃーんと明るく呼ぶ麗子さんの声が蘇る。
「わたしの見えないところで……、でも、見えないところであっても芸能人はダメですっ!わたしはさっきも言った通り、うちのレストランが大事なんですぅ」
「俺よりか……」
「芸能人と不倫して回るような男の経営するレストランの料理なんてなに食べてもまずいです」
チーン
いうべきことはいうべき時にはっきりくっきり言いましょうね。良い子の皆さん。
「さ、売上のために帰りますよ」
「……」
流石の神谷秀も大人しく着いてきた。しかし、エレベーターの中でぶつくさいう。
「俺の荷物、置きっ放しなんだけど」
「そんなん中川さんが回収しますよ」
想定内である。
「遥さん、むっちゃ怒ってやっぱうちのレストランでディナーショーなんてやんないっていうかもよ」
「中川さんがそんな怒らせないようにどうにかしますよ」
「どうやって?」
ふと思う。僕が代わりにと性の奉仕を申し出るだろうか……
「づかちゃん、なに、考えてんの?」
はっと我にかえる。いや、それは奥の、更に奥の、その更に奥の手だ。
今は21世紀だ。ノストラダムスの大予言もこえた21世紀だ。
「別になんでもありません」
社長を後部座席、運転手の後ろに乗せて、運転席に乗りました。ばたん。
おおっ!難しいと思われたミッション、ここまで到達したか!
ちょっとホッとして気が緩む。鼻歌でも歌いたい気分で社長のマンションへと車を走らせていた。ふと後ろを見ると、後部座席でしょぼんとしているフェレットがいる。
……
立場と責任があるからとはいえ、携帯に知らないうちに追跡アプリまで入れられて……。今までのことがあるとはいえ、はなから後先考えずほいほいアホなことをするだろうと1ミリも信用してもらえず……。でも、この人、悪い人ではないのである。憎めない愛すべき人間であり、現にこの人に惹かれて社員は集まっているし、お客さんだって連れてきてると思う。
同情しました。心から。
「社長」
「ん?」
「店舗の子たちは知りませんが」
「うん」
「わたしは社長の本性を知っているので」
「……」
「本音を語ってもひきませんよ。水無月遥とどうこうなりたかったんでしょ?」
「んなわけねだろ」
それでも哀れなフェレットのためにわたしは言葉を続ける。
「店舗の子たちは、特に女の子たちは、社長のことを愛妻家だと信じてますし」
「うん」
「立派な経営者だと思ってます」
セントラルから遠ければ遠いほどにそう信じてます。
「でも、わたしはありのままの神谷秀を知っているので、ひきません。それに、誰にも言いません。なりたかったんでしょう?」
「……」
窓の外を流れる夜の街を眺めながら、躊躇する、フェレット神谷。
でも、黙り込んだので、ま、別にどうでもいいか、さっさと送り届けて自分も帰ろうと思っていると、ボソボソと話し出した。
「づかちゃんの年代の子にはさ」
「はい」
「過去の人なのかもしれないけど」
「はい」
「俺らの年代にはなー」
ここで、大きなため息をついた。
「女神だったな、水無月遙。くそー」
やっぱりどうにかなりたかったんだ……。
「田舎に帰って、昔の同級生に自慢しようと思ったのに」
いや、今のは空耳。くだらなすぎるぞ。聞かなかったことにしよう。
そして、わたしの心の底からの軽蔑する気持ちが伝わったのかどうか知らないが、社長は後部座席で黙り、わたしも黙々と運転をした。そして、集中していてあと少しで見過ごすところだった。
あんなにしょんぼりと項垂れていたフェレットが、わたしの目が離れたと思うや否や、こっそりちゃっかりスマホを取り出して何かしてる。ニヤニヤしてないか?バックミラー越しに見る。やっぱりなんかニヤニヤしてる。
そうか。スマホはカバンに入れてなかったか。まだ生命線を繋いでいたのだな。神谷。
中川崇の読みは正しかった。こいつは最後の最後まで諦めない男だ。
そして、わたしがミラー越しに様子を伺っていたのに気づいていたのか気づいていなかったのかわからないが、フェレットはスマホをそっとポケットにしまうと、これみよがしにふわーとあくびをした。
「づかちゃんさ、俺んち近くなったら手前でおろして」
「なんでですか?」
「コンビニで買いたいものあるからさ」
「それなら、お待ちします」
緩みきった演技をしていた顔が一瞬きっとなる。殺気を感じました。一瞬でした……。
「いや、いいよ。疲れてるだろ?づかちゃんも。早く帰りな」
これ見よがしな綺麗な笑顔。こちらも同じような綺麗な笑顔を作っていう。
「麗子さんにうちに寄ってってって言われたんです。社長をコンビニに落として自分だけ先にお邪魔するわけにはいきませんよ」
綺麗な笑顔のまま凍りついた。フェレット神谷。
「ふーん、そうかー」
「はい、そうですねー」
ふっと後部座席で両手で頭を抱え絶望する様子が見られたが、どうでもいいと思い、車を走らす。
ま、かわいそっちゃかわいそだけどさ。
でも、あのね、うちの会社のやってるレストランってさ、とにかく綺麗なんですよ。一歩中に足を踏み入れるとどの店舗も別世界なんです。特別な存在なんですよ。わたし、うちのレストランに惚れてるんです。それは嘘じゃない。だから、愛する我が店たちがさ、
「あ、知ってるー、この店、社長が遊び人の人がやってる店でしょ」
「え、そうなの?へぇー」
なんて言われながら話題にされたくないんです。汚点です。断固拒否いたします。そういったことを含むリスクには断固とした姿勢で当たらしていただきます。
そして、社長は後部座席の窓を開けると、タバコを吸い出した。ま、このくらい許してやりましょうか。
「づかちゃんさぁ」
「なんですか?」
「俺の本性は知ってるとか言ってるけど、ジジイや崇の本性は知らないよな」
「マネージャーや中川さんのですか?」
「そう」
なんの話をしだすのかしら?と思いつつ先を待つ。
「あのジジイも崇も結局は男なんて同じ穴の狢だからな」
「はぁ」
「ああだこうだ綺麗事並べてるけど、結局俺のこと羨ましいだけだって」
「え……」
プハーっとタバコ吸った後で、言葉を続けるフェレット神谷。(明日には人間に戻る予定)
「チャンス作って傍から覗いてみろ。あいつらだって遥さんに手、出すぞ」
「いやいやいやいや」
すげえ拒絶の精神的ファイアーウォールのようなもの作動。
「尊敬する篠崎さんのこと捕まえて、そういうこというのやめてくださいっ」
「崇ならいいのか?」
「いやぁ、いいっちゃいいですけどぉ」
これは拒絶ではなくて、なんだろ?違和感。
「でも、中川さんは社長みたくがっついているようには見えませんが……」
「な……、お前……」
ショックを受けるフェレット神谷(明日は人間に戻る予定)
「俺はがっついてなんてないって」
「あ、失礼。健全な、性欲?」
「……」
「中川さんって、草食じゃないんですか?最近流行りの」
「わかってねーなー」
「はぁ」
拗ねた顔でタバコを吸う。フェレット神谷(明日は……以上略)
「べっつに、俺も崇も中身はおんなじだって」
「え?」
「あいつ、俺以上とは言わないけど、別に普通のすけべな男だよ」
「……」
そう言われて、頭の中で神谷秀と中川崇を並べてみました。
「別に同じでもいいですけど、なんかやっぱり中川さんって草食っぽい」
「騙されてるよね」
「そうですか?」
「あいつ、風紀委員長みたく振る舞ってるけど、実際はただのすけべな男だって」
「はぁ……」
「なんで俺についての話は全部ジジイと崇のいうこと鵜呑みにするのに、崇については俺のいうこと信じないんだよ」
今日がとっても辛かったのか、ちょっと恨みがましく言ってきた、社長。
「俺なんて、正直で可愛いもんじゃん。裏、表、なくてさ。あいつなんて裏では俺と同じようなもんなのに表では涼しい顔しやがってさ」
「はぁ」
「なんかムカつく」
でも、わたしの中で中川さんはやっぱりクールミントのようなのです。クールミントガム*1それに、今日、篠崎さんに時と場合によっては性のご奉仕も辞するなと言われた後の様子を思い浮かべた。
「いや、でも、今日嫌がってたし」
「嫌がってた?」
「……」
「何を?」
篠崎さんが中川さんに言ってたことを社長に言ってはまずいだろう。
「とにかく、社長と中川さんは違いますって」
「は!」
吠えた。軽く。フェレット。
「女の人って、なんでこうなんだろうな?どんなに言ったって自分の目に見える崇を信じるんだ。騙されてるんだぞ!」
「……」
めんどくさい男だな。神谷秀。酔っ払ってくるとめんどくさいぞ。その言葉にしないイライラ感が伝わったのか黙るフェレット。
「ま、でも、すけべなのにいっつも勝手にこの人はそういうのはないだろうって思われて苦労するって本人も言ってたけどな」
「はぁ?」
「どこまでいってもこの人なら安全だろうって思われるのも、男にとっては微妙っちゃ微妙だからな」
「へぇ、そうですか」
つきました。やれやれ。さっさと麗子さんに引き渡してうちに帰ろう。地下の駐車場に向かおうとして思い出した。
コンビニ。
「社長、すみません。コンビニ」
「もーいーよ、別に」
やっぱりか。別に用なんてなかったんだよな。
やれやれ。今日はなんだか疲れたぞ。なんだか2人で微妙にツンケンとした状態で一階のセキュリティを抜けエレベーターで上へ上がる。社長が自分の鍵でガチャリとドアを開けると、パタパタと奥から麗子さんが出てきた。
「あ、春菜ちゃん、いらっしゃい」
「こんばんは。麗子さん」
「あのね、ちょっとあがって」
「お邪魔します」
大輪の花のような麗子さんの笑顔を見て、ああ、こんなフェレットだけど、連れて帰ってきてよかったと思う。麗子さん、社長のこと大好きなんですよね。スリッパを2つ出すとパタパタとまた向こうへ戻る奥さんの背中を見ながら、社長に続いてお宅に上がらせてもらう。
社長がテーブルに座ったので、それに倣って自分も座らしてもらうと、キッチンの方でバタバタしていた麗子さんが紙袋を持って現れた。
「この人の田舎からお野菜とか色々送ってもらったから、今日、煮物にしたりお漬物にしたりしてたの。いっぱいできたから持って帰って」
「あ……」
「春菜ちゃんもこの人と同じで、外食が中心になっちゃうでしょ?だめよ。外のものは調味料も多いし、野菜が不足しがちだから。おにぎりも少ないけど握って入れといたから。明日のお昼はお弁当にしなさい」
不覚にも泣きそうになりました。
「麗子さーん」
失礼して人の奥さんに抱きつく。ご主人の前で。わたしは女だし許されるだろう。
「あらあら」
「忘れてた。今日、夕飯まだでした……」
「ええっ!」
十時半くらいになってた。
「あなた!」
「いや、俺じゃねえよ。俺、づかちゃんが飯食ってないなんて知らねえし」
「もう、忙しいからってこんなこき使って」
「いや、だから、俺じゃねえって。崇のやつが……」
「なんでも中川さんのせいにすればいいと思って」
プチ、何かが切れた。いつもは明るく元気な神谷秀がズーンと落ち込んだ。テーブルに突っ伏した。
「あら、どうしました?」
ちょっとマズったらしいと麗子さんも思ったようだ。
「ね、あなた」
「お前まで、信じないのかよ……」
困った麗子さん、わたしの方を見る。
「今日、なんかあったの?」
「ああ、いや……。あ、でも、わたしが今晩ご飯を食べ忘れちゃったのは、社長が言う通り中川さんの言いつけで色々してたからで……」
「あら」
「社長のせいじゃありません」
「あらー」
片手をパッと口に当てる麗子さん。
2人でテーブルに突っ伏したままのフェレットを見つめる。
どうしよう?これ。
*1 クールミントガム
クールミントガムは1960年6月にロッテが発売したガムで、キャッチコピーは「お口の中に風が吹く」。青にペンギンと三日月をあしらったパッケージ(Wikipedia参照)