24 会社の未来は僕の未来①
24 会社の未来は僕の未来①
飯塚春菜
「その研修所のキッチンって、ちゃんとしてるの?」
「いやぁ、それはどうだろう」
「キャンプ場が隣接してるんでしょ?」
「いや、屋外はもっとやばいでしょ」
「ケータリング用の車と設備一式あるじゃない」
「7店舗共同では使えないよ。1台しかないじゃん」
「レンタルとかは?」
「いくらかかんだろ」
「あ、それ、わたし、調べる」
三原ちゃんが片手にメモ持って、片手を上げた。
「え、いいの?」
「いいよ。いいよ。二人とも忙しいでしょ」
「ありがとう」
野田くんと三原ちゃんとわたしの三人で、ミーティングブースでおやつをしながら打ち合わせをしていた。あの、脱日本人の件です。
「あ、ごめん。ちょっとトイレ」
「春菜ちゃん、ごめん、ちょっとだけ言って席を立った方がいいよ」
立ちながら、老舗のアーモンドクッキーを摘む、ボリボリ食べる。三原ちゃんが言う。
「春菜ちゃん、立ちっぱでクッキーをボリボリ食べながらカスを会社の床に落としてはいけないよ。女の子は」
「なんで?」
「づかちゃん、三原ちゃんはづかちゃんのことを思ってストレートに言ってるんだよ」
野田くんがいう。
「そうなの?で、何を?」
「ああ、もういい。トイレ行ってきな」
このクッキーはやばうまだなやっぱ。と思いながら、会社を出てトイレに行こうと思ったら、視界の隅に何かが映った。なんだろうと思う。誰かが走って逃げてったみたい。そして、バタンと音がした。
不審者?
飯塚春菜、好奇心旺盛な日本人女子。空手段持ちである(自称)。
行ってみっか。
音がしたのは、あれだ、ギザギザの観葉植物の先。いつぞや野田くんと二人で密会していて、お前ら付き合ってんのと神谷秀に言われた非常階段。
開けると、そこに、サラサラの髪を風に靡かせ、ロングスカートの裾をひらひらとはためかせたサオリがいた。
「パンツ見えるよ下から」
「……」
ちなみにここ24階。滑った。にことも笑わない。
「こんなとこで何してる?隠れてタバコ吸う人とか?実は」
「春菜はなんでこんなとこきたの?」
「不審者を見た気がして来たら、なぜかサオリがいた」
無表情のまま風にはためく髪とスカートを押さえながら、わたしを見ている。
「なんで真っ直ぐ会社に帰ってこないの。一緒に戻ろ」
「わたし、邪魔でしょ」
「は?」
「わたしがいると、千里は嫌がるし、大輔は気を使うでしょ」
「え……」
ちょっとだけ腰が抜けそうになりました。こんな高いところで危ないよね。
「サオリ……」
「なに?」
「意外と日本人みたいだな」
「……」
「みんなが何してようが、そんなんどうでもいい我が道を行くってタイプかと」
ちょっとつまらなさそうな顔で前を向いた。
「子供の頃からね」
「うん」
「いっつも一人」
「あら」
「一人でも平気って顔するのだけは上手になった」
「……」
前を向いている綺麗な横顔と東京の街並みを一緒に眺める。意外や意外。こんな弱いところもあるんだな。
「一人でいるよりみんなでいる方が好きなら」
「……」
「戻ろ。クッキーがあるよ」
「でも……」
「ごちゃごちゃ考えないでいいよ。別にみんなの事務所なんだからさ。サオリも会社の一員でしょ」
「……」
「フォンテーヌはそんな会社じゃない」
「え?」
「なんか社長によると石を投げ合う会社らしい」
今日は小学生の女の子のように幼く見えるサオリの手を引いて、非常階段からフロアに入る。素直についてきた。
「それ、仲悪いんじゃないの?」
「いや、言いたいことを言い合う会社ってことらしい」
サオリはしばらく考えていた。
「でも、やっぱりそれ仲悪いんじゃ」
「一番上の人たちを見ていると、確かに、仲悪いな」
「……」
「でも、みんな堂々と自分のいたいとこにいてそっから石投げてんだから、サオリだって堂々と会社の中にいればいい」
少しだけぎゅっと手に力が入った。
「もしわたしが男だったら、今、惚れたでしょ?」
振り向いてそう言ったら少しだけ笑った。
「あのさ」
「なに?」
「できないことはできないとか、寂しいときは寂しいとか、いうのが難しいのかもしれないけど」
「うん」
「そういう弱い部分の方が好き」
「……」
「サオリだけじゃなくて、みんなの強いところより弱いところの方が、わたしはどっちかというと好き。ホッとするの。だから、たまには今日みたいなとこ見せてほしい。しっかりしてるサオリもいいけど、今日のサオリもいいかな」
しつこく言うのもどうかと思って言わなかったけど、この時本当に心から、どうしてわたしは女なのだろうと真剣に思った。男だったら絶対、この立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花のような女の子、なおかつ成績優秀な子の彼氏になれたかもしれないのに。みんなに自慢できたのに。
なんで女なんだー!世の中うまくできてないな。
「ただいまー」
わたしがサオリを連れて帰ると、野田くんがちょっと困り、三原ちゃんが無表情になる。そして、サオリが硬くなる。
「ね、サオリも帰ってきたし、せっかくだからみんなで考えよ」
その空気を無視してサオリを隣に座らせた。そして、思い出した。
「あ」
「どうしたの?」
「トイレ、忘れてた」
もっかい立った。もう一度外へゆこうとすると、青い顔した野田くんがついて来る。
「ちょ、づかちゃん、この微妙な雰囲気の時に席立たないで」
「え……」
愕然とした。
「何を言ってるんだよ、君は」
「だって」
「だっても何も、トイレ行って帰ってくるなんて、数分のことでしょ?」
チーン
なんだか今日はみんな小学生に戻ったみたいではないか。
「アレルギーの話、覚えてるよね?」
「え……」
「ほら、ちょっと食わせるっていう」
「ええ……」
「つうか、ちょっと限界近づいてきたわ」
しつこい野田とひそひそ声でやりとりする。トイレくらい行かせろよ。これは、うーんと、トイレハラだ。そんな全くどうでもいいやりとりを会社の入り口のあたりでやってると……。
「なに、やってんの?」
「イベントのうち合わせ」
「どの店舗で?」
「いや、これは……」
野田とわたしと二人で固まった。三原ちゃんとサオリが普通に会話している……。
じょおおおお、そして、わたしは、失禁した。
んなわけねだろ。最後のは小学生あるあるで最後のオチに書いてみただけだ。流石にそんなことはしていない。
「ほら、野田くんも席戻ってさ。わたしもすぐ来るから」
そういうと、同僚は二人のところにのそのそと戻っていった。
野田くんは最初っからイベントを企画してもっていったわけじゃないんです。二人でやれと言われた脱日本の計画。わたしがミゲールにてんてこ舞いしている間に、野田くんは野田くんで社長に別の提案をしていた。
サオリがづかちゃんに惚れかけた数週間前
野田大輔
「コーチング*1の研修?」
「はい」
「誰に?」
「各店舗の責任者のみなさんに」
「あー、だめだめ」
「……」
「俺は……受けてみようかな。あ、でも、その前に君、野田くんは受けろ」
社長室の中で応接のソファーで向かい合って座る。社長は僕から受け取ったプリントアウトをパサりとテーブルの上に置いてしまった。僕が頭を捻りに捻ってもっていった案は瞬殺されたのですが、だけど、社長はコーチングに関しては否定的ではありませんでした。
「多分、うちの会社の中で一番野田くんが適性がある。だから、君がまず受けて第一人者になりなさい」
「はぁ」
「それで、それから、野田くんからみて適性のありそうな人からにしよう。それと、若い子。教育に金かけるのは、適正のある人と若い子、覚えろ」
「適正?」
「簡単、簡単。野田くんはうちの責任者の皆さんをよーく知ってるでしょ?」
「はい」
「自分達の指導方法に問題があるなんてこれっぽっちも思ってないから」
これっぽっちものところで、社長は指と指で1ミリにも満たない隙間を作って見せた。僕は苦笑いした。
「でも、一部では問題が出てるんでしょ。大きい問題じゃないけど、問題がないわけじゃない。だから、それを知ってる君がこういうことを持ってくるわけだ」
社長はそう言って僕がまとめた企画案のプリントアウトをそっと見る。
「でもな。年寄りで、しかも、うちの上をやってる人たちは、それなりに今までも日向を歩いてきている人たちだからね。そこそこ成功してきた年寄りは否定に弱い。逆上する」
「ああ……」
「これを勉強しろと言っただけで、逆上する。俺はこんなん勉強する必要なんてない。勉強しなくたって完璧だってな」
僕は頭の中で、それぞれの店舗のそれぞれに方向は違うけど個性的な人たちが逆上している様子を思い浮かべた。みんな火を吹いている龍のようになった。
「そういう奴らにどうしたら、勉強させられるか考えてごらん」
「……」
首を傾げました。
「あのな。年寄りと一括りに言っても、その中にも適正のある人がいるだろ。もともとコーチングの素養がある人。そこにだけ持ってく」
「え?」
「その時は丁寧に頼むんだぞ。もともとあなたはこういうことができている。だから、きちんと学んでそれをさらに磨いてくださいと」
社長は手を上げてその手を振りながら話す。
「いいか、プライドの高いひと癖もふた癖もあるクソジジイたちはな。やれと言われたらやらない」
「はい」
「やらなくてもいいと言われ、というか、声をかけられずにだな、しかし、自分達の仲間の中から、一人だけ選ばれてそのよくわからない新しいものを勉強する。そして、ここからが肝心なんだが」
社長があくどい顔をしている。社外では見せないが、社内では時々見せる顔だ。
「みんなの目の前で、この一人の人だけ褒める」
「……」
「賭けてもいい。その日からこっそり野田くんのところに、どんな研修をさせたのとかなんとか聞きにくるやつが出るから、そしたら、やらせてもいいと思うよ。ま、でも、金の無駄になるだろうな」
淡々とそういった。
「無駄になりますか?」
「年寄りはさ、今までやってきた方法と真逆な方法は簡単にできないさ。ま、負けず嫌いだからどうにかしちゃうかもしれないけど、普通は無理。そんな簡単なメソッドじゃないでしょ?これ。ま、でも、やりたいと言う人にはやってもらおうよ。それより若い子で素養がありそうな子にやらせてほしいな」
そのあと、きちんとこう付け足した。
「全員はダメだよ。それは野田くんが選びなさい」
「どうしてですか?」
「選ばれる人と選ばれない人がいる。それを見ることで、人は競い合おうとするようになるからさ。お金の問題だけじゃないんだよ。簡単になんでも意味もなく与えてはならない。選ばれなかった人は悔しくて自分に何か足りないのかと考えるようになるし、選ばれた方は選ばれたことに誇りを持つ」
「……」
「学ぶ前に、学ぶ姿勢を作る。姿勢をもたせる仕組みを作る、それが会社の役目だ。会社の研修はそうあってほしいな」
僕の前で、両手を軽く合わせて少し遠いところを見るような顔をした。その明るい顔。その顔を見たときに自分も嬉しくなった。社長はきっと今、僕たちの未来を見ているんです。会社をこんなふうにしていきたい。社長の見ているその未来はでも、社長だけが見ている未来ではない。なぜなら会社というのは、社長のものではなくて、僕たちのものだからです。
フォンテーヌの未来は僕の未来なんです。みんなで明るく笑い合えるために僕も何かしたい。
「社員研修は野田くんが担当だね」
「え?」
「崇にもよく相談して、崇の意見も聞きながら、形をまとめていってよ。あいつも流石に手が回らないからさ。助けてやってよ」
「……はい」
「それと、あのクソジジイは妖怪みたいにすごいやつだから、ちょくちょく行ってはアドバイスもらうといい」
「妖怪?」
「あいつ、人のことになると神様みたいな神通力持ってんだよ。崇もあのクソジジイがいなければ今のようにはなっていない」
「あ、篠崎マネージャーのことですか?」
「生きているうちに最大限利用した方がいい」
「……」
社長は、真剣な顔で僕を見た。冗談を言っているわけではないらしい。
「コーチングとかっていうのとはまた違うんだよ。そんな現代っぽいことではなくて、ジジイのは妖力だ。間違いなく」
「はぁ」
「うちの伝家の宝刀だからな」
そう言ってにかっと笑う。だから、篠崎マネージャーのことをとても認めているのだと思う。社長は。
「生きているうちに使わないと」
多分……。
「それはそれでいいんだけど、今話していたのは、中長期の計画じゃない」
「はい」
「今すぐできることはないのかな?」
「……」
「野田くんが今見て感じる問題点ってなんだろう?」
ため息が出た。
「どう説明したらいいかよくわからないんですが……」
「感じていることをそのままでいいから、話してごらん。あ、コーヒーもらおうか」
社長は立ち上がる。今、づかちゃんはいないだろうなとブツブツ独り言を言っていた。(これは彼女にコーヒーを淹れさせたいからではなく、づかちゃんがいると、コーヒーを淹れさせるのを阻止されて自分で淹れろと必ず言われるからです)そのうち三原ちゃんがお盆にコーヒーを淹れて持ってきてくれた。テーブルの脇にしゃがみ込んで、まず社長に、その後僕に。僕に渡す時ちらっと僕を見上げて目があった。少しニコッとした。で、出てった。
それだけで、嬉しかった。でも、彼女からしてみたら目があったこととかニコッとしたことも特に意味のないことだったと思うけど。
しばし黙ってカップを持ち上げるとコーヒーの香りを嗅ぐ。これは、うちの会社に入ってからできた癖のようなものです。うちの会社は、コーヒーを結構大切にしていて、いつも数種類の豆を常備して、淹れ方の研究もするし、香りや味わいの違いを確かめている。社長がやっているのを真似ているうちに身についた癖です。
コーヒーの香りを嗅いで、その後一口飲んで落ち着いた。
「若い子たちが……」
「うん」
「よく上の人たちのぐちをいうんですけど」
「ま、普通のことだね。どこでもある」
「今の若い子たちって基本、上の人たちの前に行くと何も言わないんですよね。全然って言ってもいいほど言わない子がほとんどで」
「うん」
「でも、裏ではいう」
「うん」
「反対に僕は上の人の愚痴も聞くんで。すると、何も言わないから全然わからない。確かになと思うんです。でも、下は、上が聞いてくれないという。違うよね、言ってないよねと、すると、話しやすい雰囲気がないっていうんですよ。聞こうとしてないってかなりの子がいうんです」
「うん」
「例えば、支配人や料理長が社長みたいに話しやすい人だったらっていうんです」
「へぇ」
ちょっと嬉しそうだった。
「だから、神谷秀のそばで働きたいんですよ。みんな」
「うん」
「でも、本当はそれは、社長のそばでというよりは、話しやすい上の人と働きたいってことじゃないかなと思うようになって、自分を認めてくれそうな、話しやすい人」
「なるほど」
「とどのつまりはそのくらいみんな大人の男の人が怖いんです」
「……」
「社長は一般的な大人の男の人と違って、自分を受け入れてくれそうな気がして、それで惹かれて入ってきている子は特に、そういう傾向が強いと思う」
自分は、中川さんとはまた違う方法で店舗の子たちとコミュニケーションをしてきました。ざっくばらんな時間の中でみんなが見せてきたさまざまな表情は、不思議と共通点があった。
「これはあくまで僕の個人的な見解なんですが、みんなお父さんが怖いんじゃないかと」
「お父さん?」
「僕たちの世代って、お父さんが家にいないんです。いっつも仕事をしていて帰ってこない。お母さんと一緒に大きくなった子が多いんですよ。だから、お父さんがどういうものかわからないし、寂しい思いをしてきているから期待もあって、だけど、否定されたくないから……」
「怖くて近づけないってこと?」
「多分、上の世代の人にはわからないと思います。否定されるのが怖いという気持ち」
「なるほど」
「でも、社会に出るとそのよく知らないお父さん世代の人たちと働かなきゃいけない。怖くてたまらないんです。否定されるんじゃないかって」
僕の中には、その時、一つの絵が見えていた。男の子が書斎のドアを少しだけ開けて、その中で仕事をしている父親を覗いている絵です。たまに家にいても仕事をしている。話しかけても空返事。でも、本当はもっとちゃんと真正面から自分を見て欲しかったし、いい時にはいいと褒めてもらいたかった。そんな長い時間の間に積もった思いをみんな心の芯に残してる。
僕たち世代というのはそんな風にして大きくなった人が多い。
「だから、怖いお父さんを改造しようとしたのか」
「そうかもしれません」
「なるほどねぇ」
「同じ経験をしていない人間同士で、コミュニケーションが取れないんですよ。上の世代の人にはこの怖い気持ちはわからないと思うんです。子供の頃から無視され続けた人の気持ち」
「うーん」
社長は、腕を組んで天井を見上げた。
「確かにそういうのはあると思うけど、じゃあ、現実的に考えてどうするのってことだよな」
「コミュニケーションをもっと円滑にして、下の子がもっと自分の言いたいことが言えて自分の思うように働けるようにしてあげたいんです」
「怖いお父さんを変えるだけでは、不公平だよな」
「はい?」
「臆病な子供にも変わってもらわないと」
「……」
「別に悪気があって怖いお父さんをやってなんてない。上の世代の人は普通にしてるだけ。それでも配慮が必要というのもわかる。だけど、下の世代の人もそこまで怖がる必要はないんだってわかるようにならないとさ」
「ああ……」
「双方向で歩み寄れるような、何かイベントを考えたらいい」
「え?イベントですか?」
「遊びでいい。仕事とはちょっと違う空間で、コミュニケーションを取りやすい仕掛けを考えてよ。経費使っていいから」
「はぁ」
「あ、でも、金は無駄に使うなよ。金は常に費用対効果*2を考えろ。これ、暗記な」
びしと指さされた。暗記しました。
*1 コーチング
自ら考えて行動する人を育てるためのコミュニケーションスキル。適切なコーチングを受けた人は、モチベーションの高い目的や目標を発見したり、行動する時の指針が明確になったり、課題の解決方法がわかったりすることで、組織や個人の目標達成や自己実現に向けて自分らしく進んでいくことができるようになります。(https://sports-for-social.com/3minutes/coaching/参照)
*2 費用対効果(=コストパフォーマンス、コスパ)
支出した費用によって得られる成果。(コトバンク参照)




