19 あなたしか見えない①
19 あなたしか見えない①
飯塚春菜
まぁくんは(あの寧々ちゃんの尻に結婚前から敷かれているご新郎さん)、育ちの良さそうな好青年でした。
「お忙しいところ、お時間をとらせてしまって……」
「ああ、いえ」
「お見積りをお持ちいたしました」
「いや、メールとかでもよかったのに……」
気を遣ってそんなことを言ってくれる。わたしは苦笑いした。
「ちょっとお会いしてご相談したいこともありましたので……」
そして、2枚の見積書を出した。
「え、2枚あるんですか?」
「ええ、実は、その、ここの部分なんです」
演出料を指差す。まぁくんは言われて二つの見積書を右手と左手で持って目の前にかざし右と左で見比べる。
「あ……」
「そういうことになってしまってて」
「え、これ、桁が違う……」
「少ないほうが真っ二つ」
「は?」
「多いほうが宙に浮く」
ぽかーんとした顔で見られた。ぽかーんとしても育ちがいい人は気品があるなと思いつつ眺める。
「あの、もしかして、ご新婦様から何もお聞きになっていらっしゃいませんか?」
「ああ、すみません。最近疲れてて、右の耳から左の耳に聞き流していたかも」
結婚前からそんなことでいいのだろうか、まぁくん。でも、自己防衛本能かもしれない。あの寧々ちゃんの勢いを思い出しつつそう思う。まともに受けていたら寿命が縮まりそうだ。
「ウェディングの席でマジックをやりたいと」
「え?マジック?」
チーン
そっからかよ。いくらなんでも聞き流しすぎではありませんか?
「もしかして、マジックはまずいですか?」
サーっと青い顔になった気品のある、だけど、剣を持たせたら重すぎて落としてしまいそうな白馬の王子様に話しかける。
「うちの親戚も、寧々ちゃんのご親戚の方々も」
「はい」
「うちの会社の人たちも」
「はい」
「そこまでざっくばらんな人たちではありませんので……」
「あ、じゃあ、なかったことにして……」
やれやれ、ミゲールにもう会わないで済むぞ。サクッとマジックの項に横線を引こうとすると……、
「いや、待ってください」
「ん?」
ペンを片手にまぁくんの顔を見上げた。うっかりと見積もりに真っ黒な点をつけた。
「寧々ちゃんがやると言っているんですよね?」
「あ、はぁ、そうおっしゃってました」
「はっきりと?」
「はっきりと」
まぁくんは青い顔のままで、ふと首元のネクタイを緩め、喫茶店のコップに入った水をぐびぐび飲んだ。それから、はぁと深いため息をついた。
「寧々ちゃんは……」
「はい、寧々ちゃんは」
「子供の頃から、そりゃあ、破天荒な人で」
「ほぉ」
「女の子なのに、木に登ってそっから飛び降りて」
「骨でも折ったんですか?」
「いや、それが、無傷で、だけどドレスをズタズタにして」
「あら」
「額から血を流しながら、でも、見たかーってちょっと離れたところにいる僕に大声で叫んで」
「ああ、そんなご幼少の頃からのお知り合いなんですね」
「そんときに寧々ちゃんが好きになったんです」
「……」
ええっと、なんというか、トリッキーな恋の落ち方だな。でも、嫌いではない。
「だから、彼女がやるというなら、やります」
死にゆく人のような顔でこちらを真っ直ぐとギラっと見た。きっとわたしを睨んでるのではないと思いますけどね。わたしはカップに残っている紅茶を少し飲んでから言った。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
大丈夫だろうか?延々と親戚中で語り継がれるあり得ませんわよねおほほ的な話になってしまうんではないだろうか。ま、いいか。
「で、ご新婦様が、この真っ二つと、宙に浮くのとどっちかがやりたいとおっしゃっていて」
「真っ二つ……」
「ほら、あの、箱に入って、真ん中で切られて、右と左に箱が動くという」
「ああ……」
「その、ウェディングでご新婦様が上と下に分かれてしまうというのは、ちょっと……」
「え?」
「別れるという連想になりますから、よろしくないかと」
「ああ、そうですね」
「ただ、真っ二つの方がお安いんです。その、宙に浮く方は桁が……」
二人でじっと見積りを眺める。
「あの、マジシャンの方にお値段交渉してみますか?」
じっと見積りを見たまま動かないご新郎を見ながら恐る恐るそう声をかけた。
「寧々ちゃんは……」
「ええっと、はい、寧々ちゃんは」
また唐突に始まる、ご新郎の回想話。
「ずっと取っ替え引っ替えいろんな男と付き合って、ほら、彼女、明るいだけじゃなくて美人だから」
「ええ」
「でも、それが、みんなひどい男ばっかで」
「はぁ」
「彼女が傷つくたびに僕は彼女を慰めるためにずっとそばにいたんです」
「ああ、そうだったんですか」
「でも、まさか、最後に僕を選んでくれるなんて思ってなかったから」
「ええ、ええ」
ご新郎の熱弁に強く頷きながら先を促す。相手、手をぎゅっと握り拳にして前のめり。こちらも真似して握り拳に若干前のめりになりました。これもお客様へのサービスのようなものです。
「とある雨の日に」
「ええ、雨の日に」
「死ぬ気で、片手に花束持って、片手に指輪持って、びしょ濡れで」
なぜ、傘を刺さなかったのだろうか?あ、両手が塞がってたのか。
「絶対にダメだと思いながら、結婚してくださいって言ったら、いいよって言ってくれて」
「ああ、それはそれは」
「あの時、自分の耳がおかしくなったかと思いました」
「そうですか」
「あるいは、日本語のいいよというのの意味が今日からダメだよと交換したのかと」
いいよ が とある日から だめよ になり、 だめよ が とある日から いいよ になる。
「そんなことをしたら、いきなり信号が壊れて、交通事故が起きるみたく大変な混乱があちこちで起こると思うんですが……」
日本語の一部の文法をひっくり返すのは、総理大臣でも許されていないでしょう。
「とにかくそのぐらいびっくりして……」
ツッコミは無視されました。
「信じられないくらい幸せだったんです」
「ああ、そうですか。よかったですね」
「だから……」
じっと見積りの0を見る。まぁくん。ひいふうみいと数える。
「このくらい、払います……」
「え、よろしいんですか?」
びびった。びびるぐらいの金額です。たかが一日の出来事に。
「払います……」
「あの、値段交渉してみてはいかがですか?」
「おめでたい席でなんかそんなことをしてしまっては」
「はい」
「僕のこの幸運にケチがついてしまいそうでやなんです」
「……」
とっても真面目な顔をしていました。やれやれ。
ほんっとうに寧々ちゃんに首ったけなんだな。まぁくん。
寧々ちゃんがちっちゃな女の子になって、額から血を垂らしつつ見たかーと呼びかける図がわたしの心にも浮かぶ。
よかったな。まぁくん。憧れの人と結婚できて。
「よろしくお願いします」
そう言いながら、几帳面な字で見積りの下にサインをしている。
***
社に戻って、早々とミゲールに電話を入れる。
「もしもし」
「あ、どうも」
あろうことか、ずるずると向こうから麺を啜る音がする。
「掛け直しましょうか」
「いや、いいですよ。別に」
ずるずると音がする。ガッデム!サーターアンダーギーはこんな時にこんな信者に雷を落とすとかしないのだろうか?……まぁ、いい。
「あのですね」
「はい」
「宙に浮く方でお願いします」
「ああ、はいはい。で?」
「で?と申しますと?」
「いや、あの値段でいいって言ったんですか?」
「ご承諾されました」
ぶっ、ごほごほごほと受話器の向こうから音がする。わたしの血の気がサーっと引いていく。なんというか、こんな適当な大人、いるか?わしゃ、客やねん。
「そのお客さん、金持ちかなんか?」
「金持ちかなんかです」
不意にこほんと向こうで咳払いの音がした。
「これもサーターアンダーギーの思し召しでしょう。そうとあれば、わたしもあらゆる全力をかけてご新婦様を1ミリでも高く」
「はぁ、よろしくお願いいたします」
「ナームー、ご新婦様とご新郎様に最高の祝福を与えたまえっ」
「……」
不意にエキサイトし出した。ミゲール。
「何をやってんですか?飯塚さん」
「え?」
「ご一緒に!ナームー」
「ええっと、ナームー」
「ちゃんと手を合わしていますか?」
チーン
しょうがないので、スマホをスピーカーモードにして、デスクに置く。
「ナームー」
「ナームー」
スマホに向かって両手を合わせた。
「ご新郎とご新婦様に祝福を与えたまえっ!」
「ご新郎とご新婦様に……」
「そんな声ではいけません!飯塚さん、普段ちゃんとご飯食べていますか?」
「3食ちゃんといただいております」
「それではお腹に力を入れて、ちゃんと心にサーターアンダーギーの面影を思い浮かべて」
ドーナツを思い浮かべました。
「ご新郎とご新婦様に祝福を与えたまえっ!」
「ご新郎とご新婦様に祝福を与えたまえっ!」
「いやいやいや、素晴らしい」
突然朗らかな声になる。ミゲール。さっきまで顧客に対してラーメンか蕎麦かうどんを啜りながら応対していた人とは思えない。
「それでは、宙に浮く方のプランで詳細をメールさせていただきます。そこに準備しなければならないものも書いておきますので」
「ああ、はい」
「それから、本番の一週間ほど前にリハーサルをさせてください」
「ああ、わかりました。では定休日の月曜日に」
「そうそう。魔力の準備がありますので、前金を早めにお振り込みくださいね」
「了解いたしました」
やれやれ。スマホの通話を切った。




