15 脱日本②
15 脱日本②
飯塚春菜
「野田くん、ちょっといい?」
黙ってやりとりを見ていた社長が声をかける。なんだ、説教か?傍観者のわたしがその真意を図ろうと社長の顔色を眺めていると、
「づかちゃんも」
「え、わたし?」
わたし、なんかした?今、なんか……。でも、まぁ、しぶしぶ名刺フォルダーを机に置いて立ち上がり野田くんの後についてノロノロと社長室に入る。パタン。野田くんの後ろで静かにドアを閉めました。
「あの、すみません、なんか、僕、興奮しちゃって……」
でかい図体で、野田くんがオロオロとし出した。さながらどこでもドアで間違えてハワイに来てしまった白熊のようだ。
「いや、別に、謝る必要はないよ」
「でも……」
「じゃ、さっき自分が言ってたこと、間違ってたって思うの?」
「……」
少し口元を引き攣らせながら野田くんは下を見た。そこにはまだ、いつもは怒らない彼の珍しい怒りが張り付いてた。
「ま、座ってよ。づかちゃんも」
二人で並んでソファーに座る。なんで自分が呼ばれたのかさっぱりわからないまま、野田くんの横に座った。
「ゆっくりみんなで作ってきたものが……」
「うん」
訥々と野田くんが語り出す。社長は前に座って野田くんの話の続きを待ってました。
野田くんがどうして珍しくあんなに興奮したのか、ちょっとはわかるんです。アクアリオのフロアマネージャーというのは、開店当時は他店舗同様、マネージャー経験者を中途採用したんです。それなりの給与を提示して引き抜いた。そして、アクアリオが実績を積んで安定してきた時にそのフロアマネージャーを新しく開店する店舗に移しました。
そして、マネージャー経験のない木田さんを下からあげた。
木田さんはわたしたちの会社で初めての下から上がったマネージャーだったんです。みんなの推薦があって実現した人事だった。野田くんはその時、それを自分のことのように喜んでいた。そして、ともすれば自信がなくて悩んでしまう木田さんのところに足繁く通っては、陰で一生懸命励ましてきた。
サオリはそういうの、全部、見てきてないからな。
「鈴木さんが入ってきてから、壊されるような気がして、つい……」
「うん」
「……」
「サオリが話していることにも一理あるっていうのはわかってるんだよね?」
「はい」
「みんなに公平に接しなければならないから、木田くんにばかり肩入れできないのも、わかってるよね?」
「……でも」
もう一度びっくりした。野田くんが社長に、でもと言った。
「でも?」
「ただただ厳しく言えば、みんなが同じように伸びるというものでもないと思うんです」
「うん」
「結果さえ出るのであれば、その結果にたどり着く方法がいくつかあってもいいでしょう?」
「それはつまり、例えば、厳しく接する方法と優しく接する方法ということ?」
「厳しい方法で伸びていく人がたくさんいて、それで会社がうまくいくならそれでもいいと思いますけど、でも、そんな人ばっかりじゃないと思うんです。そういう時代でもないと思うし。それに……」
「それに?」
「社長は決して、サオリがとっているような態度で僕達に接してきたとは思わないし」
そして、見つめ合う男二人。はて?と思い浮かべる。わたしの知っている社長と、サオリを頭の中で比べてみる。社長はいっつもどんなふうにわたしたちに接してきたっけ?
「僕達のフォンテーヌ、僕達の会社」
社長はそういうとふっと微笑みました。
「そういうふうに思ってくれる人が、会社を始めた四人だけじゃなくて他にもいるって本当にありがたいことなんだろうな」
僕達のフォンテーヌ……
その言葉の響きを自分は傍で何度か味わっていた。僕達の……
「でもさ、意外と会社ってその会社を好きな人たちだけでまとまろうとすると、不思議とうまくいかなくなるものだと思うんだよね」
「じゃあ、サオリの言い分の方が正しいってことですか?」
「いや、そう言う事じゃなくて。ううん、そうだな」
そう言いながら、社長は乗り出していた身をソファーの背もたれに寄せると腕を組んで天井を眺めた。
「仲のいい人たちだけで固まっちゃうと、お客さんが見えなくなっちゃうからじゃない。だって、お客さんは外にいるんだし」
自分もまた、なんとなく天井を眺めた。そして、会社の仲のいいみんなでかごめかごめをしている様子を思う浮かべてみた。内側ばっかり見て外が見えない。でも、みんなは楽しい。
「本当に自分の会社が好きで、守りたいと思うなら、新しい意見をただただ拒絶するのは良くないと思う」
「でも……」
それでも、野田くんは木田さんや木田さんみたいな人たちを守りたいのだと思う。
「あのね。その、野田くんのもやもやした気持ち」
「もやもや」
「さっき言ってたじゃない。そんなのフォンテーヌじゃないって。だから、野田くんの中にはフォンテーヌはこうあるべきだって何かがあるんだよね」
「……」
野田くんは社長の方を見たままで一瞬黙った。
「フォンテーヌは少なくとも」
「うん」
「仲間が罵り合いながら働く会社ではありません」
野田くんが我が社について語るのを初めて聞いた。軽い口調でではなく真面目な口調で。
「でも、会社にいろんな人が入ってきていろいろなことをするようになったら、変わってしまうかもしれない」
「俺は変わるべきだと思ってるよ」
「……」
「ただ、全てが変わらなければならないと思ってるわけじゃない。変わるべき部分と変わってはならない部分があると思う。それが、どこなのか、それを見つけてよ」
「見つけるってどうやって?」
「人が働きやすい会社の仕組みを考えてほしい。だからって、自分達ばかり楽しくてお客さんの方を向いてないのはダメだよ。いい意味で競い合いながら、会社と社員が共存できるようなさ」
「きょうぞん……」
社長は右手を軽く握って持ち上げて、そちらの方を見ながら言った。
「サオリだけじゃダメなんだよ」
そして今度は左手を持ち上げて、そちらを見た。
「でも、野田くんだけでもダメなの。づかちゃんだけでもね。いい意味で競い合う先にしかいいものは生まれない。一番目の答えでも二番目の答えでもダメなんだ。三番目の答えを手に入れられる、手に入れられ続ける会社だけが生き残れるんだよ」
「競い合う」
「そう。争っちゃいけない。でも、自分達のことだけ考えて平和に甘んじてもいけない。競い合わないと」
目指す先は本当は一緒なのかもしれません。サオリも野田くんも。
「会社の中で先頭に立って争う人なんてね、本当はそこまで悪質じゃないのかもしれないよ」
「そうなんですか?」
「一番悪質なのは何もしようとせずに、争っているAさんとBさんの後ろに隠れようとする人たちだ。そういうふうにならないで、もっとみんなでさ、大勢で石でもなんでもいいからお互いに投げ合えばいい。大切なのは、日本人が沈黙を破って争いあう、というか本当は競い合う、なのかな?」
「脱日本」
「ん?」
真剣に話している二人の横からつい口を出してしまった。
「日本を脱いでどうする。日本人ばっかなのに」
「あ、すみません……」
ははははは、それから、いっつもの社長みたいに笑った。
「でも、いいな!脱日本。おもしろい」
神谷秀は常識にとらわれない人。変化を好む。心を掴んだか。このキャッチコピー。
「日本だっていいところと悪いところがある。いつも偉い人ばっかに話させて、自分の考えを話そうとしないのは日本人の悪いところ、というか、残念なところだと思う。そうなってしまうにはちゃんと理由や原因があるんだけどね」
「はぁ」
「もっと猫も杓子もくだらない考えでもなんでもいいから、ガンガン口にすればいいのに。そうすればきっともっと良くなる」
「……」
「あのね。最近、篠崎さんに言われてるのよ。やりたいことがやれないと文句を言っている若い子がもっと前に出て競い合うような仕組みを作りなさいって」
この前振りからの話の風向きの変化に野生的な本能で危険を感じた。
「それを野田くんとづかちゃんで考えてよ」
「えーーー」
野田くんより先に防御本能から声が出た。二人がわたしをじっと見る。
「なんだ。不満か」
「それ、だって、それ……」
そこで、篠崎マネージャーの声が聞こえる。
無理してないという中川さんに向かって、無理している人ほどそういう。無理なんてしてないなんて、一生いうことのないような人生を送っている、神谷秀は!
「マネージャーが、社長に考えさせるってはっきり言ってましたけどぉ」
「うん。考えた」
すっごい真面目な顔をしました。殊勝というかなんというか。手を軽く組み合わせてとても澄んだ目でこっちをみてくる。社長がこういう顔をしている時は要注意である。
「若い子がもっと前に出て頑張るためには」
「頑張るためには」
「俺や崇みたいな世代が一歩引いて、若い子が頑張っている姿をどんどん前に出していこうと」
「なにー」
「サオリが前に出て、そんで、でも、それだとちょっとまだダメなのよ。ほら、あいつはちょっとエリート臭すぎて皆、感心するけど、ますます自分達は貝の如く押し黙るじゃん。こう、ピタッと口を閉じる。もっと閉じさせる」
「はぁ、それで?」
いやーな予感しかないけど、とりあえず言い分は聞く。
「だから、また雰囲気や性格も違い、なおかつ、勤続年数も長くみんなに愛されている野田くんとづかちゃんがだなぁ」
「いや、いやー、それ……」
金魚が酸欠になってパクパクとするような状態で、次の言葉が出てこない。自分の中の緊急警報が鳴っている。このままだと、しれっとこの口のうまい経営者に丸め込まれるゾッ!
「頑張れ。サオリみたく、みんなの前でプレゼンしてな。会社の雰囲気を上げてくれ。脱日本だ。猫も杓子も石を投げ合って喧嘩する……じゃなくて、意見を言い合うだな」
「いやいやいやいや……」
「具体的にどういうことをしろっていうことですか?」
野田くんが脇から聞いてくる。
「若い世代の教育の場をさ」
「場……」
社長の言葉を受けて野田くんが何か考えている。
「野田くん?」
北海道出身の朴訥な同僚が、口のうまい年上の中年男性に丸め込まれようとしている。
「わかりました」
のぉおおおお
「野田くん、野田くん」
「やるかどうかは別にしてとりあえず考えてみます」
同僚の片腕を捕まえてブンブンしてみたが、びくともしない。
「おう、頼むな」
「いやっ、でも、でも」
「づかちゃん……」
お寺の和尚さんがうまく座禅のできないダメな座禅体験客を眺めるような、哀れみのこもった目で社長がこっちをみてくる。
「な、脱日本。言い出したのは君でしょ?」
「……」
「いつまでも俺らの後ろの方に隠れてればいいと思うな。な?づかちゃんは、悪質な人ではないよね?」
「……」
「ね?」
営業用のきれーな笑顔でぽんぽんと肩を叩かれた。
それで、結局……、何も言えなくなってしまいました。
また、篠崎さんの声が聞こえた。
口だけは達者なんだから。
***
そのわたしからしたら不毛な会合が終わり、部屋を出るとちょうど外回りから帰ってきた中川さんと出くわした。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
例によって例の如く、低いテンションでした。この人は神谷秀のようにご機嫌であることは珍しい。
「今日、お店の試食とか色々済ませましたよ」
「ウェディングの?」
「はい」
「何か問題あった?」
「ええっと……」
真っ二つ問題はとりあえずマジシャンにあたってから話すか。
「後でまとめてメールします」
「うん」
「崇くん元気ですかって」
終始静かに流していた上司がこの言葉にわたしの方を真正面から見直した。
「誰が?」
「誰がって……」
「ああ」
そして、ふいとわたしから顔を逸らす。その表情。少し仕事を離れていた。
「寂しそうでしたよ」
「……」
「全然関わる気ないんですか?」
こっちをみない。ちょっといいすぎたかな?
「当日は、出るから」
心配してたらこっちをみてそれだけいった。とても冷たい目をしていた。なぜそこまで冷たい目をするのか。そこが少し不思議でした。




