13 訳ありの客②
13 訳ありの客②
飯塚春菜
パタンとドアが閉まると時任さんはその背中に向かってつぶやいた。
「大人になったなぁ。崇くん。別人みたい」
その言葉につい興味が湧いてしまった。
「時任さんがご存じの頃の中川さんってどんな人だったんですか?」
「え、興味ある?」
こっちを見ていたずらっ子みたいに笑った。
黙っていると素敵な大人の女性。かわいいではなくて綺麗で上品。だけど、口を開くと意外と子供っぽくてかわいい。
この人、魅力的な人だなと、ふと思う。
「やる気のない男子」
「え?」
「というかね、やる気のないだるい感じを装って、目立つのもめんどくせー、みたいな風でいるんだけど、本当の本当は目立ちたい、みたいな男子」
「ああ、いた、いた、そういう人」
「いたでしょ?」
笑った。たしかにいましたよ。そういう人。学生の時に。
「でね、部活はね、運動部には入らないわけ、ほら、例のだりーってやつだからさ」
「ああ、はい」
「だけどさ、帰宅部にはならないのよ、ほら、心の底ではモテたいからさ。そこまでやると、全然目立たない透明人間みたくなっちゃうじゃない」
「ああ」
「それで、何部だったと思う?」
「何部ですか?」
「いいから、ね、当ててみて」
「うーん。写真部とか?」
「なにそれ」
外した。
「軽音部」
「え、ええ?軽音?」
「意外?」
「え、軽音って、ギターとか弾いて歌ってたってことですか?」
「歌いはしなかったけど、ギター弾いてた」
「ギター」
笑ってしまった。声を忍ばして。
「ギター、あの中川さんが?」
「そこまで笑うと失礼よ。春菜ちゃん」
「だって、カラオケとか行っても、強制的に引きずり出さないと歌わない、あの、中川さんが?」
「そこそこうまかったわよ。ほら、陰で地道に練習するタイプだから。表でだりーって言っときながら」
「ああ、ある。あります、そういうとこ」
まだ、笑いが止まらない。想像した。高校生の中川さんが、仏頂面でステージの端っこでギターを弾いている姿を。目に浮かぶようだ。笑ってるわたしを横目で見ながら、時任さんは少し遠い目をした。
「初めは全然仲良くなくて、初めて用事とかじゃなくて話しかけた時ね。なんで軽音部なのって聞いたの。バスケとかサッカーとかじゃなくて、なんで軽音部なのって」
「はい」
「汗かくの嫌いだからって言ったのよ、崇くん」
「……」
「よく覚えてるな。あの様子。今でも」
昔を思い出しながら語るその目の色を見ながら、今更ですが、この二人は以前なんかあったんだなと改めて思った。わたしじゃなくたって、かなり鈍い人だってこの様子を見たら思うと思う。
「その汗をかくのが嫌いだった崇くんが、今は額に汗して働いているんだ」
「そうですね。中川さんいないと、うちはまずいですね」
「そうなの?」
「社長を陰で支えているのは中川さんですから、うちは」
「あの崇くんが?」
「ええ、だから、時間がないと言うのは本当なんです。すみません」
「あ、いや、春菜ちゃんが謝らなくてもいいわよ」
そう言って不意にさっき見せたような子供っぽい笑顔を引っ込めて、今度は大人の笑顔になった。笑った後にそっと俯く。
「断られてもしょうがないもの。崇くんは悪くないのよ」
***
次は候補のマジで主役の妹さんと時任さんと三人で会うことにしようとなり、妹さんの都合のいい日を打ち合わせてまた連絡をすると言われた。わたしの方ではその日までにプランA、プランBのようにいくつかのモデルを用意するということと、その日はマジの料理を紹介すると約束した。
「もちろんお代はいただきませんので」
「ええ、でも」
「いえ、このくらいは」
本当にうちを貸切にしてウェディングをするかどうか確約していないが、もし貸切にしたら、普通のそこら辺のレストランを貸切にするのとは違う。うちは高級フレンチです。結構なお値段になる。有名人とかお金持ちの中でもそこそこのクラスの人でないとできない贅沢だ。
おそらく時任さん夫妻やそのご一家は、それに叶う階層の人なのだろう。ならば、こちらもケチな対応をしてはいけない。自分は庶民だけど、お金持ちにサービスをしている人間ですから。そこはわきまえないと。
帰り際、席に上司はいなかった。
「すみません。出かけるのが多い仕事で。店舗の見回りとか」
「ああ、いいのよ。別に」
去り際にはやはり大人の笑顔で隙を見せなかった。
「またね。春菜ちゃん。今日はありがとう。また今度よろしくね」
「はい、よろしくお願いいたします」
「崇くんによろしく」
最後に寂しそうにそういうと、エレベーターに乗った。
なんとも言えない気分になりました。その寂しそうな顔が気になって。見送りを終えて自分のせきに戻った。
「ね、春菜ちゃん、さっきのあの女の人が持ってたかばん、見た?」
「ん?」
「エルメスだった!あの形、いくらするか知ってる?」
三原ちゃんが興奮して話しかけてくる。
「それ、知らなきゃダメなのかな?」
「ああ、もうっ、羨ましいなぁ。いいなぁ、お金持ちな人って。わたしもお金持ちな旦那さん見つけたいな」
コホン。咳払いをした。近くで若干耳をダンボにしている某男性のために声を張り上げる。
「お金があればいいってもんじゃないよ。三原ちゃん」
「でも、ないよりあったほうがいいよね」
あっさりばっさり切られました。頑張れ、野田。見えないところで拳を握るわたし。やれやれ。
デスクに戻って、仕事をしながら、心がさまざまな雑音を上げるので集中できない。
その日は、中川さんはなかなか会社に戻ってこなかった。わたしは待つのを諦めて会社を後にした。
「野田くん、お疲れ。お先」
「うん。お疲れ」
エレベーターに乗って下に降りると、駅へ向かって歩く。その路上に見慣れた人の姿がないかと探しながら歩きました。もしかしたら今駅に降りて、会社に戻ってくるかもしれないと思いながら。あの背筋の伸びた綺麗な立ち姿を探して歩いた。
その時、自分はこんなことを思ってた。どこかの将来で、この人に会えなくなったらどうしようと。今は同じ会社で働くというつながりがある。でも、そのつながりが切れたら、会えなくなる。そんなことを思ってたら、どうしてもその日のうちに会いたかった。会えないにしても声が聞きたかった。
自分は知りませんでした。待てば明日会えるのに、明日まで待てない恋しさもあるのだということ。いつか会えなくなる日が来ると思うと、まるで、深い穴に落とされるようなそんな不安を感じるような、そんな、恋しさもあるのだということ。
声を聞きたいその気持ちを殺しながら、電車に乗る。電車の窓にはまるで幽霊になって誰かを祟っているかのような不景気な自分の顔が映っていて、自分を睨んでくる。電車のカタンカタンという音を耳にしながら、そしてわたしは、中川さんと初めて会った時のことを思い出してました。
雨が降ってきて困って、それで、前から素敵だなと気になっていたお店の軒先に逃げ込んだ。それは、フォンテーヌの系列店舗のうちの一店舗だった。
「雨宿りされますか?」
するとお店のどっしりとしたドアが開いて、ウェイターの格好で声をかけてきたのが中川さんだった。大人の男の人とまだ学生だった自分。その言葉に甘えて中に入ると、開店前の憧れだった綺麗なお店の中から、さっきまでは降ってなかったのに突然降り出してざあざあと音を立てる外を眺めていた。
お店の奥には人がいたみたいだけど、入り口の付近にはその時、2人しかいなかった。濡れて冷えた体をもらったタオルで拭きながら、なんとも言えない心地よさというか落ち着きを感じていた。安心感とでもいうのだろうか。雨から逃れて、温かくて心地よい場所からそれを眺めている。タオルをもらって、ずっと入ってみたかった綺麗な場所から雨の降る光景を眺めて、自分は守られているような錯覚に陥ったのだと思うんです。
あの時にもう本当は、中川さんが好きになっていたのだと思う。
こういうのは理屈ではないのだと思うんです。
もう一度会いたいからアルバイトをしようと思った。その時その理由を自分の中で、このレストランが好きだからに置き換えた。
わたしが神谷秀の作り出すものを愛しているというのは、それは嘘ではない。
だけど、わたしをこの世界に引き入れたきっかけは神谷秀ではなくて、実は中川崇だったのだと思う。自分で自分に嘘をついてきた。
あの人はいるかなと。
タオルを自分にくれて、面接をしてくれたあの人はいるかなと。
わたしは目で探していた。バイトの初日の日に。
あの頃からわたしは中川さんが好きだったんだと思う。
でも、中川さんにとって自分は……
電車を降りて自分の家に向けて歩く。スマホを取り出した。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「なに?なんか用?」
「時任さんって中川さんの元カノなんですか?」
「……」
電話の向こうで彼は押し黙った。
「図星ですか?」
「それは仕事とは関係ないでしょう?」
「いや、でも、それによって、気の使い方が違ってくるんで」
「違う」
「……」
「なに、信じないの?」
「いや、別に。はぁ」
「奏がなんか言ったの?」
呼び捨てなんだ……。
「高校生?なんか昔の話を聞きましたけど」
「はぁ?」
あいつ、とブツブツ呟いている。
「とにかく違う」
「はぁ、まぁ、じゃあ、そういうことで」
「なに、そんなことでわざわざ電話かけてきたの?」
ちょっとカチンときました。
「明日でも別によかったじゃない」
あなたの声が聴きたくてと言えたらどんなに楽だろう。
「すみません。気になると止められない性質で」
「ああ、そうだな。君はそういうところがある」
「じゃ、用も済んだんで、切ります」
「うん、お疲れ」
どんなに楽だろう。
電話は切れてしまい。わたしは夜の中に1人置いてきぼりにされた。あなたに繋がれない夜。




