12 わたしはどこへ行けばいいんですか?
12 わたしはどこへ行けばいいんですか?
とある日、フォンテーヌの個室で
「すみませんね。お忙しいでしょうにわざわざお時間取ってもらって」
「あ、いえ」
「こんなおじいちゃんが出てきて何かと思いました?」
初老の男性がそう言って笑うと、目の前の若い女の子は恐縮した。
「篠崎と申します。なんというか、うちの会社の顧問のような人間なのですかね?実質は神谷くんと中川君がやっている会社ですので」
「はい」
「うちで働きたいということで大体の話は2人から聞きました」
「はい」
「それで質問なんですけどね」
「なんですか?」
「あなたは日本人ですが、ずっと海外を転々とされてるんですよね」
「はい」
「英語も堪能なのなら、日系の会社ではなく外資系に入られた方が良かったのではないですか?」
「……」
「今の会社に入ってみて、社会人になってみてどうでしたか?」
彼女はちょっと躊躇いました。
「あのですね。あまりわたしに気を遣わないでください。年齢が上だからといってね。思ったままに話してくださって構わないですよ」
「はぁ」
「日本にはね、独特の文化というものがあるでしょ?年功序列や、出る杭は打つと言ったようなね。そういうものは、会社の中で感じませんでしたか?」
女の子はそう言われるとちょっと目を上にあげて考え込みました。
「意見を言うと……」
「はい」
「空気が微妙な感じになって、あの、歓迎されていないというような」
「ええ」
「でも、聞いてくれるんです。で」
「で?」
「聞いてくれたけどその場限りで全く無視される」
「うん」
「そんなことが何度もあって、それでも、そんなのおかしいと思ってわたしは意見も言い続けるし、提案書や企画案を出しました。まだまだと言われてボツになったけど、それでも出し続けたら、通りました」
「そう」
「そしたら嫌がらせを受けるようになったんです。上の見えないところで」
彼女は笑いました。
「全くもってナンセンスです。若かろうが年寄りだろうが男だろうが女だろうが、そんなの関係なくいいものはいい、悪いものは悪いで進めればいいものを」
「ほんとですね」
「でも、それはおっきな古い会社だからでフォンテーヌはそんなことないですよね?」
女の子の目はキラキラとしていて、でも、おじいさんは少し微笑んだ顔でしばらく黙りました。
「鈴木さん」
「はい」
「社長の神谷はあなたとどっちかというと似た感覚の人間かもしれません」
「はい」
「でも、やっぱり日本の会社ですから」
「……」
「外資系で働いた方がもっと楽かもしれませんよ?」
「……」
彼女はちょっと難しい顔をして黙った。それから口を開いた。
「わたしは、でも、日本人なんです」
「うん」
彼女はため息をつきました。
「外国に行ったから英語が話せるから、その国の人がわたしを同じ国の人としてみてくれるわけじゃない」
「うん」
「外国人にとってわたしは日本人、でも、日本人にとってわたしは日本人じゃない。じゃあ、わたしはどこに行けばいいんですか?」
「……」
「わたし、なんとなくずっとどこへ行っても、よそ者だった気がしてるんです」
「よそ者?」
彼女はちょっと寂しそうに笑いました。
「一生懸命勉強もしたけど、本当はわたし、そんなバリバリ働いてすごい人になりたいとかないんです」
「そうなんですか?」
「何かの一員になりたい。今度こそ、ちゃんと」
男性はそれを聞きながら穏やかな顔をしていました。
「ここにいていいんだって安心できる場所が欲しいだけなんです」
「わかりますよ」
「そんな理由で会社を選んだり、働いちゃいけませんか?」
「いいえ、そんなことはない」
彼女はそういうと少し俯いた。
「鈴木さん」
「はい」
「あなたは神谷君の考え方に惹かれて今、ここにいるのかもしれません」
「はい」
「でもね、うちの会社も日本の会社なんです。入った後に思ってたのと違うとまた嫌な思いをするかもしれませんよ」
「……」
「それでも頑張れますか?」
「え、それ、いいってこと?」
白い髭の下で、篠崎さんは笑った。
「いいってことですか?」
「決めるのはわたしではないんですよ。でも、アドバイスはしますがね」
女の子は嬉しそうに笑いました。その女の子に向かって篠崎さんは言いました。
「今日お聞きしたことは、神谷くんにも中川くんにも言いません。お約束します。ただ、結論だけを伝えますから」
***
春菜とサオリがコーヒーカップを一緒に洗う1時間前に戻る
飯塚春菜
いつも通りに会議が進行し、最後に社長が各店舗の発表に対するコメントや全体的なまとめをした後にこう言った。
「この場を借りてみなさんに紹介したい人がいます。新たにセントラルに採用になった鈴木サオリさんです」
そう言ってサオリが控えていた脇の座席を見た。社長の視線をなぞって会議の参列者たちがざっとそっちを見た。
「今日は鈴木さんから皆さんに向けてとある提案があってね。ちょっとお時間拝借いただけますか」
そう言って、発言者のポジションを彼女に譲った。
あの場所にわたしと年齢がたいして変わらない女の子が立つことがあるなんて。わたしはショックを受けながらそれを見ていた。でも、サオリはまるでなんでもないことのように背筋をスッと伸ばしてスタスタと進み、神谷秀と入れ替わった。
野田くんがあらかじめセットしていた彼女のパワポの資料を開いた。
フォンテーヌのこれからの10年について
それが表紙でした。
「初めまして。鈴木サオリと申します。この度フォンテーヌに中途採用されました。前職では広告代理店に勤めており、ある程度の規模の企業のイベントや宣伝活動の企画実行に携わっております。その経験を活かして、今までの10年で培ってきたこのフォンテーヌの企業イメージを生かしつつ更に深め発展する新しい切り口を作るのに助力できたらと思っております。よろしくお願いいたします」
そういって彼女が頭を下げると、拍手が起こった。
次のパワポが捲られる。
そこにはこう書かれていた。
フォンテーヌとは何か
皆、その字を見つめながらポカンとした。
「皆様、どうお答えになりますか?フォンテーヌとはなんでしょうか?」
「会社の名前です」
「ご名答」
それで、みんなが笑いました。
「レストランを経営している会社の名前です」
「確かに」
「フランス語で泉という意味です」
「そうですね。でも、ここではもうちょっと抽象的に、わたしは答えを考えました」
次のページが繰られる。
フォンテーヌとは、神谷秀 である。
みんなそれを見た後に、傍に座っている社長の方を見た。
「いや、こっち見るなって」
柄にもなく恥ずかしがっている。
「わたしが大学で研究していたテーマは全てここ10年前後で起業され発展してきている企業でした。フォンテーヌもまたその中の一つの会社でした。わたしが着目していたのはその数字の上がり方ではなく、会社の存在だったといってもいい。他にはない独特のものを作るというスタイルです。そして、一種独特のレストランという空間を神谷秀は作り出し、注目された」
ここでサオリはまるでテレビ番組の司会者のように手を社長の方に伸ばした。皆がまた社長の方を向いて拍手をした。
「いや、やめろ、やめろ。会社の中で気持ち悪い」
外ではもう少し愛想がいいのだが、会社の中ではこんなもんである。
「そして、7店舗です。ここまでは順調にきた。それぞれの7店舗が、それぞれ独特な存在としてこの世に出て、成功を収めています。ですが、問題はこれからで、都内に引き続きまた今までとはちょっとずつ違う新しい価値観というものを創造しようとしても、これからは社長の言葉を借りると飽和を始める」
みんなはじっとサオリの話を聴いている。
「飽和という言葉だと分かりにくいので、もう少し噛み砕きますと、神谷秀の作り出した独特な世界も新たな十年を迎える。独特なものというのは、飽きがきやすいのです。今まではよかった。最初の勢いに乗ってやって来られました。でも、これからは飽きられないための新しさを常に創造し続ける、変化し続けるという戦いをしてゆかなければならない。そこで、ただひたすらに今までとはちょっと違うという店舗を出し続けるわけにも行かなくなった。そこで、社長の今考えているのは、無闇に似たような店舗を増やすのを避けて、東京を出て、地方へゆくという案です。だが、そのためには今まで以上の管理コストが掛かるようになる。その足がかりとして、まずは東京近郊に都心とはまた違う自然をコンセプトにした店舗の企画があります」
それは常日頃から社長が口にしているので社員も知っている。夜空の星が見えるとか、以前は店内に水の流れる風景を閉じ込めたが、反対に水の流れる風景の中に溶け込む店舗とか、海、波の音を聞くことのできる店舗とか、自然と一体感を得て食事ができ宿泊もできるオーベルジュ。
「新たなことには挑戦せざるを得ない。しかし、わたしたちの取り組んでいる外食産業というのは、いい時はいいが悪い時は悪い。規模が大きくなればなるほど経営が悪化した際のリスクへの対処が必要になる。ここにきて新規店舗への出資が及び腰になっているのには、こんな理由があります。そこで、わたしが会社に提案したいのは、このような方針です」
そして、次の頁をめくる。
神谷秀+α
一旦その文字が浮かび上がった後に、ゆっくりその下に字が浮かび上がってくる。
新たな価値の創造こそが生き残る鍵である
生き残るという文字をじっと見つめた。
生き残る……
その単語も概念も、なんだかピンとこない、遠い世界の言葉だと思って。映画の中とかで、地球が滅亡の危機に瀕していて、俳優たちの口から溢れる言葉であって、普通に生きて普通に働いている人たちが、とある朝に今日もいい朝だとベットの上に半身を起こして両腕を伸ばす。その後に、ああ、今日も生き残らなきゃなと考えることがあるだろうか。まずない。
だけど、会社が潰れるということはあるわけだ。会社が生き残るということはある。その問題については自分は、上の人たちに任せていたのだと思う。わたしの責任ではない。だけど、同い年ぐらいの子が、その生き残りについて思い、意見を述べている。
「わたしの会社に対する提案は、それでも、やはり都内に店舗を出店することです」
「それでは飽和することになるんじゃなかったの?」
「いいえ、今までとは違う観点での出店です。それが神谷秀+α」
「どういうこと?」
「神谷秀だけがそこそこメディアに取り上げられ、有名であるという現状からの脱却です。つまり、これからの10年、フォンテーヌは人を売る」
皆、びっくりしてしんとした。その様子をものともせず、サオリは続ける。
パワポの画面が変わり、我々の目に馴染みのある各店舗の画像がどんどんと表示される。それと一緒に料理の写真が映し出される。時々行われる音楽イベント等の画像も出された。
「フォンテーヌは今まで他のレストランでは味わうことのできない空間を売ってきました。そして、料理とサービスを売ってきた。それらが一体になった未体験を体験させ人気を得てきました。これによって出来上がったブランドを利用して、まだ無名だけどスター性のあるシェフをスカウトして神谷秀のプロデュースによりデビューさせます」
ザワザワとした。会場が。
「テレビに出るような有名な人のお店を作るってこと?」
「逆です。うちでお店を出したことによりテレビに出るほど有名になる人を売るんです」
鳥肌がたった。
「わたしたちは、空間と料理を作ってサービスをして売ってきた。これからは人を作って、人を売ります」
「人を作るって、シェフを作るの?」
「はい」
なんとも言えない雰囲気になった。ついていけないというかなんというか。
「みなさんも例外ではありません」
「はぁ?」
「これからはみなさんの名前や顔も機会を見つけて売っていきますから、わたしは」
笑い出した人がいた。
「なんてこといってるんだ。めちゃくちゃな人だな、君は」
「これも一種の経営の多角化なんです。皆様にも有名になっていただいて広告塔になっていただきます」
いや、勘弁して無理無理といっておじさんたちが苦笑し出した。サオリが笑顔になった。
「今まで、神谷秀、1人が目立ち過ぎてたんです。だから、フォンテーヌとは神谷秀だった。でも、これからの10年はフォンテーヌとはの後ろにもっとたくさんの人の名前が出てくる会社になる。それが、わたしの提案です。神谷秀+α、みなさんがその+αになってください」
できるかどうかというのではなくて、それはいいなと思ったんです。そのサオリの提案の中に、会社のみんなが笑顔で映っている集合写真のようなものが見えた。そんなふうにして大きくなっていけたら楽しそうだなとわたしは思った。きっとそう思ったのはわたしだけではないはずです。
「そして、その第一弾、それはスウィーツです。本格的なフランスパティスリー」
みんなの心を引き寄せた後に調子に乗って画面は変わる。美しい洋菓子たちの写真が映される。
「スター性のある若手天才パティシエと神谷秀による洋菓子のお城を都内に誕生させます」
「でも、最近は既に有名なパティシエによるお店があちこちにあるじゃない。どうやって線引きするの?」
「フランス人を呼びます」
「はぁ?」
「日本人がフランス人から教わった味ではなく、フランスをそのまま輸入します」
「誰か見当はつけているの?」
「いや、まだです」
なんだよといった空気が流れる。
「でも、狙い目は世界的に有名なパティシエの弟子とか」
「そんな人が日本にきてくれるなんてないんじゃないの?」
その後に一隅から、暗く鋭い声が響いた。
「無理だよ」
サオリはそちらを見ました。
「君の話はとっても面白いけど、とても荒唐無稽だ」
とある店舗の支配人の1人でした。新店舗を開始するときに他店舗からの引き抜きで来てもらった人で、有名店を数店舗梯子している外食のプロです。
「あなたは外食を知らない。その前に社会をよく知らない。そんな君みたいなこの考えたことに従ってうまくいくほど世の中甘くないよ」
そりゃそうだ。意見を言うのは自由だけど、それが受け入れられるかどうかはまた別だ。さっきちょっとワクワクした気持ちをわたしはその時折りたたんでしまいかけました。綺麗に折り畳んで心の押し入れにしまう準備をしていた。
するとサオリは間髪入れずにこういった。
「では、何か他に意見を言ってください」
その場にいたみんなはギョッとしたけれど、サオリは至って普通の顔をしていた。
「会議はみんなで意見を言う場所ですよね?アイディアは一つでも多い方がいい。無理だよという意見はわかりました。でも、それだけではわたしたちは新しい価値を創造できない。何か他にいい案はありませんか?」
おじさんは何も言い返せなかった。こんな公衆の面前で、若い女の子が年上のベテランを言いこめてしまった。ちょっと背中をたらりと汗が垂れるように思いました。
「無理かどうかはやってみなければわからない。わたしたちはできることは一つでも多くするべきです。生き残るために」
もう一度、彼女は生き残るためにという言葉を使った。そのことが印象的だった。




