11 二人目の神谷秀
11 二人目の神谷秀
中川崇
数ヶ月前 たい焼きの日
その日、自分はフォンテーヌを始めたばかりの頃のことを思い出してました。今まで働いてもらっていたのから給料を下げられてのスタート。文句を言ったら、篠崎さんに言われた。
今までは僕は大きな船の客だったけど、今は自分でオールを持っているんだと。波に呑まれて上へ下へと揺さぶられる生活は怖いかもしれないが、歳を取った時に大きな船の操縦桿を握る人は、若い頃にオールを持った人だけだと。
あの言葉が自分を変えた。あの言葉と、あの、最初の1店舗から始めた、あの日々が。
そうでなければ自分は今の自分にはならなかっただろうなと。
自分が取り立てて他の人と違うとは思わない。ただ、自分のそばには篠崎さんがいた。自分を導いてくれる人に恵まれた。だからやってこれただけ。1店舗が2店舗になって、少しずつ会社が大きくなる。人がどんどん増えるんだから、その人の数だけ楽になるんだろうと思ってた。でも、人が増えるに従って不思議なことが起こってきた。
簡単にいうと、1人が1人じゃないんです。
立ち上げメンバーのみんなは、そりゃみんなそれぞれの役割でめちゃくちゃ働いた。頑張った。頑張らなければ後がないから。いつも崖っぷちにいるような不安はあったけど、手応えはありました。それが僕のいうところの1人だった。一人分の労働力、パワー。
それが、会社が少しずつ大きくなると、そこまで必死にやらないとろんとした目の人が入ってくる。そして、ああだこうだと会社に対する不平や不満を言い出す人が出始めた。言いたい放題言って辞めてく。思うようにいかない中で落ち込んでると、篠崎さんに言われた。
「余裕が出てきたからですよ」
余裕?余裕ってなんだ?
寝ぼけた顔して、寝ぼけたことを言ってくる子たちを眺めながら首を傾げる。そして、ある時、気がついた。ああ、そうかと。
これが大きな船のお客さんだと。
そのくらいいつの間にか僕たちは大きくなってたんだなと。オールを握って必死に岸を目指したスタートから、いつの間にか僕たちは船を乗り換えていたんだと。そして、もし、あの時篠崎さんについてフォンテーヌの立ち上げに参加しなかったら、僕もまたこんな目をしてたんだろう。
それから、目覚めさせるというのは難しいものだなと考えるようになった。半分眠ったような目をしているあの子たちは、かつての自分な訳です。悪気があるわけじゃない。だけど、追い込まれたことがないから目覚めることができないんです。
会社の中に『お客さん』が少しずつ増えてくる中で、ちょっとはこっち側に近いような危機感でいてくれる人、そういう人を必死で探す。探しても探しても、いい人というのは世の中に少なくて、そして、面白がって雑誌に取り上げられることはあっても規模として小さく歴史も浅い会社に入社してくれる一流の人材というのはなかなかいない。
二次面接でこの子はちょっといいなと思っていた子が他の会社に内定したのでと言って辞退してきた。今年の採用も絶望的だなと、二次募集をどっかにかけた方がいいのかとかいろいろ考えながら、ぼんやりとしていた。また雇っても、また辞めるかもなと思いながら。
「中川さん」
「はい」
「たい焼き買ってきました」
見るとづかちゃんがたい焼き持って立ってた。
「なんで?」
「成り行きで」
「ふうん」
「いらないですか?食べちゃいますよ」
本当に今にも手に持ったたい焼きに噛みつきそうな顔をしていた。なんだかそれを見て、ぴんと貼った糸のような緊張感が切れた。
「コーヒー淹れる」
「え?」
立ち上がる。
「いや、たい焼きにコーヒーすか?」
「21世紀は許されている」
「これ、カスタードとかじゃなくってあんこですよ。あんこ」
「あんことコーヒーわりといけるんだよ」
「え、そんなことないよね?」
納得できないづかちゃんがデスクに座ってる他のみんなになんか言ってるのを聞き流しながらコーヒーメーカーの前に立った。
「崇」
社長の部屋のドアが開いて呼ばれた。
「ちょっといい?」
マグカップをコーヒーメーカーのそばに置くと、部屋に入った。さっきお客さんが来てた。見たことのない若い女の子。社長の部屋の応接の椅子の上にちょこんと座ってガラスのテーブルの上に書類を広げてる。それは履歴書でした。履歴書と経歴書。
「鈴木サオリと申します」
「うちで働きたいんだって」
「え?」
ポカンとした。
「あ、あの、募集なら個別では受けてなくて」
「新卒じゃないんです」
「……」
「今、こういうところで働いています」
立ち上がってパッと名刺を出してきた。
「ええ?」
思わず凝視しました。
「落ち着かないな。座れよ。鈴木さんも」
言われて名刺を持ったまま社長の横に座った。
「なんで?」
「なんでと申しますと」
「いや、だって、こんないいところで働いているなら、うちで働く必要なんてないでしょ?」
そう言うと彼女は曖昧に笑いながら小首を傾げた。
それは大手広告代理店の名刺だったんです。
「みんながこぞって受けてすごい倍率の中からやっと入ったんじゃないの?それにまだそんなに長く働いていないでしょ?」
「はぁ、まぁ」
「それがなんでうち?」
「神谷社長のお話に感動しまして」
「……」
眉間に皺がよった。
「な、お前、見ろよ。だから言っただろ?俺は別に変なこと言ったりやったりしてないって」
ドヤ顔の社長にバシバシ肩を叩かれた。
「いや、よく考えたほうがいいよ」
「な、お前、なんてことを」
「だって、せっかく苦労してこんないいところ入ったんでしょ?」
ちょっとじっと目を見張られて見られた。その次の瞬間にぷっ、くすくすと笑われた。
「2人で漫才してるみたい」
「……」
「いや、こんな人たちだとは想像してなかったな」
そして、またしばらくくすくすと笑われた。社長と2人で顔を見合わせた。
「なんとなくその場の気持ちで転職して、後で後悔してまた別の会社に転職し直すようなことになるのではないの?」
「どう見えるかわかりませんが、軽い人間に見えるのかもしれないけど、わたし、そんなに適当な人間じゃありません」
「うーん」
彼女は姿勢を正すと、両手を膝の上に載せた。
「改めまして鈴木沙織と申します。生まれてから大学入学する前までは、親の仕事の都合で海外を転々としながら大きくなりました」
「はい」
「大学では主にマーケティングについて勉強していて、就職時の希望はむしろ自分の知識や才能が活かせそうなもっと新しくて伸びている小さな会社に入ろうと思ってたんです」
「うん」
「でも、親に反対されて。日本の社会は新卒でないと大手に入れない。大手の履歴というのは人生の財産のようなものになるから、仕事をして一人前になって生きていきたいなら、大手に入って三年はやれと。騙されたと思ってそうしろと」
ため息が出た。
「立派なお父さんだねぇ」
「つまらない三年でした」
社会に出て長くなってくると、彼女のお父さんの言っていることの正しさがよくわかる。しかし彼女はあっさりとそう言った。
「で、なんでうちなの?」
社長がそう聞く。
「これからも拡大されていきますか?」
「その予定です」
「人材不足ではありませんか?」
「……」
「会社の中に胃がない。わたしなら胃をつくれます」
「あれを読んだのか」
社長の声が弾む。
「おい、崇、今の聞いたか?ほら」
「……」
げんなりした。
「わたしならマーケティングの手法を用いて、既存店舗や新規店舗の企画が立てられます。これから会社を拡大されるなら、企画広報の核になるような人間が必要ではないですか?」
彼女の生き生きとした顔を見ながら、そっと履歴書に目を滑らした。立派な学歴でした。うちの会社には間違っても面接に来るようなことはない立派な大学の子だった。
しばらく社長と鈴木さんは経営やマーケティングの話、ビジネス上の世間話をしていた。自分はその横で2人の様子を眺めていました。しばらくしてもうそろそろと立ち上がる。
「こちらからまた連絡します」
名刺を渡して、それから部屋の外に出る。会社の入り口で見送った。
「お邪魔しました」
彼女はお辞儀をすると帰っていった。見送った後で社長室にもう一度戻る。
「どう思う?」
率直に聞かれた。
「ちょっとまだなんとも。びっくりしてます」
「断る理由はないと思うんだけど」
「でも、続くかどうかですね。それと、ミスマッチ」
「ん?」
「彼女が僕達のことをどう思ってるのか、いまいちよくわかりません。入ってみて違ったとなって辞められると影響が……」
試しにホイホイと人を採用できるほどの余裕がうちにあるわけじゃない。
「それに彼女を入れることで別の人の不満が出るかもしれないし」
「あー」
社長が声を上げる。ちらりとその顔を見た。
自分は、どちらかといえば熟考するタイプ。様々な案件のリスクやデメリットを探り吟味するタイプ。社長は何も考えないわけじゃない。考えるけど、だけど、ざっくりとしたリスクやデメリットを押さえた上で、それでも致命的な何かがなければやってみようとするタイプ。
消極的な自分をなじる言葉が出るかとその時思ってました。
「任せる」
「はい?」
「言わなくてもわかってると思うけど、俺は断る理由はないと思う。人なんて一緒に働いてみないとわからないし、働いてみていまいちだったらそれはまたその時考えればいいと思う。でも」
「でも?」
「会社の中を守ってきたのはお前と篠崎さんだから任せる」
「……」
「2人が決めた結論に従うから」
じゃ、そういうことで、仕事するから出てけと追い出された。経営の数字を見直してたらしい。計画に対してずれた実績の部分の分析。それをもとに未来を描くのが社長の仕事。
机に向かってPCの画面を眺めながら考え事をはじめた社長に背中を向けて部屋を出ようとしたときに呼ばれた。
「崇」
「はい」
振り向くと神谷秀は笑った。いい笑顔だった。
「あの子が2人目の神谷秀になるといいな」
その言葉を聞いた途端に明るい何かが見えた。社長は僕の返事も顔いろも全く気にせずまた画面に戻ってる。そして、とても楽しそうにしていた。
ドアを閉めて外に出る。自分の席に戻ると椅子の背もたれにかけていたスーツを取り上げて袖を通した。
「ちょっとマネージャーのとこ行ってきます」
そうして鞄にさっきのあの子の持参した履歴書と経歴書を入れると会社を出た。駅に向かいながらぼんやりと考える。
さっきまで自分は頭を抱えていました。
会社は人で成り立っている。会社を支える人を入れないと、いつかどこかで問題が出る。どんどん大きくなる体を持て余してた。自分には責任がある。どうしようと。
そこにまるで開いていた窓から鳥が飛び込んでくるように雇ってくれと人が飛び込んできた。
自分はこの鳥はどんな鳥だろうとまた、あれやこれやと考えながら不安になっていた。
そこで社長が一言、何か言う。
その途端にガラリと背景が変わる。さっきまでいた薄灰色の世界から、一気に晴れて、向こう側に美しい空が見える。見渡す限りの水平線。そんな未来が見える。僕達の輝いている未来。
神谷秀の言葉には時々、不思議な力があるんです。言葉だけではなくて存在に。
自分がいつも物事の暗い側面や、まだ起こってもいない悪いことばかり考えるからいけないのかもしれない。神谷はいつも、リスクを無視するわけじゃない。だけど、明るい面を見て、そして、そこに期待する。そして、神谷がそこに言及すると、それが確かに実現するような気になる。
人をその気にさせる力がある。
神谷秀にそんな力があるのは、起業してから今まで確かにそういう口にした言葉を形にして実現させてきた人間だからだと思う。経験に裏打ちされているから。
いいことが起こると信じることがまずは大事なのだなと思う。でも、自分はなかなかそれができない。そんな自分の気持ちを一瞬にして変えた。
もう1人の神谷秀になるといいな。
会社の起動力になるような人材が、もしかしたら手に入るかもしれない。
***
「あなたは何を気にしてるんですか?」
マネージャーは僕の話を一通り聞いて、履歴書と経歴書に目を通した後に僕に向かってそう言った。
「入ってすぐに辞めてしまうかもしれません」
「うん」
「彼女をあてにして今年の採用人数を減らした場合、後々問題が出ます」
「それから?」
「他の社員とのバランスですかね。彼女だけ1人学歴も経歴も飛び抜けてるんで」
「バランスとは?」
「和が乱れるというか」
「……」
マネージャーは黙ってもう一度そっと履歴書を眺めた。
「社長はこんなこと言ってたらキリがないっていうかもしれないけど」
「僕は神谷くんの話じゃなくて今はあなたの話を聞いているんですよ」
そう言ってじっと僕の次の言葉を待っていました。
「なんというか、こんなこと言うと前時代的なのかもしれませんが」
「はい」
「優秀な個と言うのは、理想的には集団の中でリーダー的な位置に立って生かされるべきなんですが」
「うん」
「でも、現実的な日本の社会の中では、周りとうまくいかずギクシャクして、生かされないままに潰されることも多いと思うんですよ」
「なるほど」
「実際、自分はうちで働いている人の愚痴を毎日のように聞いていますし」
それは船のお客さんの話です。お互いに足を引っ張り合おうと手ぐすねひいているような人もいるわけで。
「社長の理想には同意します。異分子を入れて異分子から学ぶ。でも、それは理想であって現実では難しいです」
「難しい?」
「うちの会社の人は、社長という異分子は愛しています。日本という社会の中での社長はちょっとした異分子です」
「はい」
「でも、2人目の神谷秀が愛されるとは限らない」
「そうなるとどうなりますか?」
「会社の中で争いが生まれます」
今だって小さな小競り合いはある。
「それが収められなければ、むしろ凡庸な人を入れた以上のダメージを喰らうことになる」
篠崎さんはじっとまた鈴木さんの経歴書を見ていた。
「今までの10年とこれからの10年は違います」
そしてポツリとそういった。
「会社を始めた時に、目指したことはなんでしたか?」
「……」
「質問を変えましょうね。こういうお店を作ろうと神谷くんが思ってその理想に賛同してわたしたちは協力してきた。その理想を叶えるためにこの子は役に立ちそうですか?」
マネージャーの言葉にまた、別の側面が見えた。
「わたしたちの経営の目的は会社の中で争わずにうまくやっていくことではありませんね」
「つまりは社長の理想に従い、異分子である彼女を受け入れろと」
「そうではない」
「違うんですか?」
「神谷くんが攻めの要なら、あなたは守りの要なんですよ。中川くん」
「……」
篠崎さんにはいつも、出会った頃からたくさんのものを与えられてきた。
「あなたが心配しているような争いが起きたり、活かそうと思っていれた人材が潰されるリスクは確かにあります。あなたの考えすぎではありません」
この日、マネージャーは僕にまたとても大切なものを与えてくれました。
「神谷君はそれがわかっている。だから、あなたにこの件を任せているんです。理想のままに進んでいきたいけど、今のタイミングでそれをして、中を守り切れるかとあなたに聞いているんですよ」
「……」
「神谷君はね、1人では何もできない人なんですよ。中川君。あなたや他の人が手伝ってあげなくてはね。だから、あなたが心配していることは会社にとってとても大切なことだし、意見としてきちんと上げるべきことなんです。聞かれているんだから」
それは二番手として生きるプライドです。
もともと篠崎さんが、一流の二番手の人です。表に出ることはないが、裏でずっと会社を支えている人です。そして僕を育ててくれた。そのままだったらたいしたことのできない僕を、ここまで育ててくれた。
「一度、直接会ってお話ししてみましょうかね」
「鈴木さんとですか?」
「ええ。連絡を取ってもらえますか?」
***
僕達の理想、それは、
レストランは人をレストアする場所、来たお客さんを元気にすることがレストランの使命。
それ以外にない。
最初の10年と次の10年は違う。僕達は今、転換点にいる。最初の勢いに乗ってやってきた。これをこれからもこの勢いでやり続けられるか?本当に難しいのは最初の理想のままに続けることなのではないかと思う。人が増えて、たくさんの人の思惑が絡んでくる。
その中で人は自然に自分達を守ろうとする。自分を守るのは人間の本能だ。
すると……
ここで、社長の言葉を借りると、僕達は退化し始める。
会社というのは生き物のようなものだと思う。生きて変化している。
成長し続けるか、それとも成長を止めるのか……。
争いは悪いことだけではない。でも、大きな争いが起きると会社を痛めつけてしまう。
僕は会社を守り切れるだろうか。




