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木漏れ日②  作者: 汪海妹
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9 制御不能なもの












   9 制御不能なもの













   飯塚春菜












「ね、コーヒーが欲しい」


社長室のドアが開いて、社長が出てきて言う。


「ご自分でどうぞ」

「いや、づかちゃんに言ってないし」

「ブラックですか?」


三原ちゃんがそう言いながら席を立とうとする。わたしはそれを制した。


「三原ちゃん、いいよ。別に。自分でいれるから」

「なんで、づかちゃんが断るんだよ」

「ああ、僕がいれますから」


困った野田くんが立ち上がって、コーヒーマシンのある方へ消えた。事務所の中を見回した社長がそっと顔を寄せてくる。ひそひそ声で話しかけてきた。


「ね」

「はい」

「崇、なんかあった?」

「あー」


自分のデスクに座って、軽く目を瞑って頭抱えてる。


「二次面接まで来ていたあの、中川さんが一番気に入ってた人が」

「ああ、あの、男の子。明るくて素直な」

「大手銀行に決まったみたいです。辞退してきました」

「……」

「なかなかいい人が雇えないって悩んでるんです」

「俺のせい?」


思わずじっと社長の顔を見た。じっと。


「社長」

「うん」

「確かに、会社の中で起こる出来事のいくつかは社長のせいです」

「うん」

「でも、今回のは不可抗力です」

「胃がないって俺が言ったせいじゃないの?」

「そんなこと思うくらいなら、胃がないなんてわけわかんないこと言うのやめてくださいよ。無難に地味にまとまってください。いい歳なんだから」

「歳のこと言うの、やめて」


乙女かよっ。


「社長、コーヒーです」

「あ、ありがとう」


野田くんとコーヒー飲んでる社長とわたしで、まだ開いたノートPCの前で頭抱えて動かない中川さんを眺める。


「おい、これでなんか買ってこい」


急に千円札出す社長。


「いや、親戚のおじさんかなんかですか?」


ちょっとひく、わたし。


「いいから。崇が元気になるもの買ってこい」

「え、いや、子供じゃないし。小学生とか」

「それでも、なんかあるだろ」

「いや、なんかってなに?」

「ケーキ」


横から野田くんが口を挟んでくる。


「え、ケーキ?」

「クッキー、マドレーヌ、チーズケーキ、アイス」

「野田くん、それ、あなたの好きなものでしょ?」


野田は、とにかく食べるのが好きで甘いものも好き。

すると、デスクでPCに向かって何かデータを入力していた三原ちゃんがそっとこっちを向くと小声で言った。


「たい焼き」

「ん?」

「中川さん、あんこの方が好きだよ。あの角のたい焼きやさん」

「え、そうなんだ」


知りませんでした。三原ちゃんはニコッとするとまたPCに戻った。


「じゃ、行ってこい」

「え、わたし?」

「野田くんはさっきコーヒー淹れてくれたし」

「いや、未来が見えてたらわたしもコーヒーを淹れました」

「見えてなかったんだから、行ってこい」


叩き出された。ちえっ!


むしろ胃がない発言をしたお詫びに社長が行ってこい。しかし、どんなに上下関係に緩い会社であってもですな。あの人、一応、社長。やれやれ。

いや、でも、ビミョー。いい大人がですよ。仕事で落ち込んでる時に、たい焼きって……。そんなもんで騙されるか?

高級レストラン経営している会社で、たい焼き食べんのか。


うちって、緑茶あったっけ?コーヒー関係は充実してるけどさ。やれやれ。テクテクと角の鯛焼き屋さんへ。こんな都会でよくたい焼き焼いてんなと思います。中を覗くと、ちまっとしたばあちゃんがいる。失礼ながら身長がさして高くもないわたしよりももそっと低いコンパクトなばあちゃんだ。


「あのお」

「なに?」

「たい焼きください」

「そんなん言わなくてもわかってるよ」

「……」


通り過ぎたことはあったけど、初めてここでたい焼きを買います。千円札握りしめて一瞬頭が真っ白に。


「でも、だからって何も言わずにここに立っていてもいけないでしょ?」

「いくつ?」

「えっと……」


社長、わたし、野田くん、小松さん、三原ちゃん、中川さん。指を折り折り数える。


「六つ」

「1100円」

「え、そんなすんの?」


お小遣いが足りません。ばあちゃん、砂かけ婆*1みたいなおどろおどろしい雰囲気でこっちみた。


「失礼な子だね」

「1000円しか持ってない」

「じゃ、五つ、買ってけ」

「ケンカになるよ」

「こんな年寄りにまけろっていうのかい?年金暮らしなんだよ?」


年寄りは時々、ピンピンしているほど、やれ病気持ちだとか、年金暮らしだとかいうものである。


「あげる」


不意に後ろから声がして、ひょいと手が伸びるとばあちゃんの座っているカウンターにパチリと音を立てて100円玉が置かれた。


「え?」

「どうぞ」


それは同いどしぐらいの若い綺麗な女の子でした。髪が長くて、スーツを綺麗に着こなして香水の香りを漂わせた。


「見ず知らずの人から施しは受けません」


その100円玉を摘んで返そうとしたところで、ばしりと手を打たれた。ババア!


「わたしは受けるよ。ほい、六つ」

「ちょっ」

「毎度ありー」


ほかほかと温かいたい焼きを六つ紙袋に入れたの片手で持ちながら呆然とする。

綺麗な彼女はくすくすと笑い出した。


「あの、すみません。返します」


本当は財布持ってた。でも、自分のお金を出したくなかっただけです。ゴソゴソしてると、


「いい、いい」


その子は綺麗にマニキュア塗った手をヒラヒラと横に振った。


「え、でも……」

「あのね、ちょっと今日は運命の日というかなんというか」

「運命の日?」

「だから、いいことして運気あげたいの」

「はぁ」


そういうと彼女は歩き出した。なんとなく自分も彼女についてゆく。


「それにしてもあのばあさん。これ、まずかったら承知しないわ」


たい焼きを見ながらいう。


「初めて買ったの?」

「うん」

「六つも1人で食べるの?」

「まさか」


失恋でもした人かなんかですか?わたしは。


「あ、そうだ。ね、100円のお礼と言ってはなんだけど、このビル知らない?」


彼女はそう言って、スマホの地図アプリを見せた。


「ああ、うちのビル」

「え、そうなの?偶然」

「こっち」


しばらく歩くと我が社のビルに着く。

入り口でテナント案内の表示の前に立つ。


「どこに行きたいの?」

「ここ」


彼女がとあるプレートを指差した。

株式会社 フォンテーヌ


「うち?」


びっくりした。たい焼き落としそうになった。


「え、うそ?フォンテーヌの人だったの?やだ。偶然」

「あの、アポイントされたお客様ですか?」

「いや、約束はしてないんだけど、神谷社長に会いたくて」


ここで、失礼ながらもう一度頭から爪先までもう一度見た。

この人、そんなふうに見えないけど、もしかして飲み屋の姉ちゃんかなと。綺麗だし。


「アポ無しだと、無理ですか?」

「いや、大丈夫ですよ。今日は出かけておりませんし、どうぞ」


エレベーターに2人で乗る。

どっかの支払いをせずに回収にきたチーママか誰かかなぁ。


「社長、お客さんですよ」


がちゃっと開けて入る。社長はわたしの後ろから入ってきた女の子をじっと見た。


「誰?」

「知りません」


それからたい焼き抱えたままそっと近くに寄ると小声で言った。


「酔っ払って覚えてないとかじゃないですか?」

「え?」

「心当たりないんですか?」

「いや、ありすぎて……」


どんな生活しとんねん。


「あの……」

「あ、すみませんね。じゃ、こちらへどうぞ」


どんな話が出てくるか心配になったのか、社長は営業用の爽やかなスマイルになって彼女を社長室に案内した。パタン。やれやれ。


「中川さん」

「はい」

「たい焼き買ってきました」


まだ暗い顔した上司がどんよりとした目でこっち見た。


「なんで?」

「成り行きで」

「ふうん」

「いらないですか?食べちゃいますよ」


兄弟姉妹で食べ物を取り合いながら大きくなった自分、相手の闘争心を煽ってみた。


「コーヒー淹れる」

「え?」


覇気のない様子で立ち上がる上司。


「いや、たい焼きにコーヒーすか?」

「21世紀は許されてる」

「これ、カスタードとかじゃなくってあんこですよ。あんこ」

「あんことコーヒーわりといけるんだよ」

「え、そんなことないよね?」


うちの事務所で一番まともな三原ちゃんに問いかける。


「わりといけるよー」


裏切られた。


「小松さん」

「これが意外と」


地味なおじさんにやられた。


「野田っ」

「北海道では常識です」*2


いやっ、わたしの知らないうちに出来上がったニュースタンダードですか?君たち、宇宙から来ました?


「ね、わたしたちの分もあるんだよね?」


嬉しそうに立ち上がる三原ちゃん。わたしの持ちっぱなしの紙袋を覗く。すると、不意に社長室のドアがガチャリと開いた。


「崇」


コーヒーを淹れに立っていた中川さんに声をかける。


「ちょっといい?」


なんだろうという顔で持っていたマグカップを置くと中に入る中川さん。


「トラブルかな?」


三原ちゃんがちょっと探偵のような表情で2人の消えたドアを見る。


「お金で解決しなきゃいけないような」

「どんなトラブルだよ」

「そりゃ、男女のさ」

「えー」

「さ、たい焼き。たい焼き」


***


社長室にこもった人たちは、しばらくすると三人で出てきて、彼女は2人におじぎをして、


「お邪魔しました」


わたしたちの方を見て、そしてわたしを見てにこっと笑うと帰っていった。その後、社長と中川さんはまた2人で社長室に篭った。


「なんだろうね」


三原ちゃんと顔を見合わせた。そして、それからちょっとして中川さんが部屋から出てきた。そして、スタスタと席まで来ると自分のデスクの椅子の背もたれにかけていたスーツの上着を取り上げて袖を通した。


「ちょっとマネージャーのとこ行ってきます」


 元気のない笑顔でそういうと、静かにパタンと出て行ってしまいました。なぜ突然予定を変えてマネージャーに会いに行くのかを教えもせずに。わたしが元気のない中川さんを励ますために買ってきたたい焼きは一口も手をつけられずに冷めてしまった。


 そんな小さなことを普段気にする人間じゃないんです。


 大体その好意は、わたしからではなくて社長から出たものだったし。なのに、励まそうと思って買ってきたものが彼の元には届かずに、何やら秘密めいた様子で出かけていく。自分が無視された気がして悲しかった。こんなことぐらいで、いじける子供じゃない。わたしは。本当は。


 でも


 その相手が中川さんだから

 だからなんだと思う。無視されたくないんです。彼にとって無視できない存在でいたい。


 恋心というものが本来、制御不能なものなのだということに徐々に気づき始めていた。


*1 砂かけ婆

 奈良県や兵庫県や滋賀県に伝わる妖怪。人に砂をかける妖怪と言われる。(Wikipedia参照)


*2 (コーヒーをたい焼きと合わせるのは)北海道では常識です。

 これは話を盛り上げるために作者が作ったデマでございます。そんな事実はございません。自分も一地方人として、また、東北出身者として美味しいもののたくさんある北海道に関しては憧れも含めた好きな気持ちがあります。野田くんが北海道出身であり、その彼を描写するときの一切には自分としては悪い意味は含んでおりません。こういう描写は難しいもので、読まれる方によっては誤解されることもあるかもと、ここに一筆したためておきます。

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