10 呉越同舟①
10 呉越同舟①
飯塚春菜
数ヶ月後
毎月月に一回、現在の既存店舗7店舗の社員を集めて会議を行ってる。セントラルの事務所にはみんなが入れるような会議室のスペースはないので、この時は入っているビルの会議室のスペースをレンタルする。
定期の会議なので、前月の各店舗の売上や動向の報告とそれに対してのこれから数ヶ月の方針というか、そういったものをシェアする会議で、また、新規の出店計画や全体に対する方針等を社長が発表する場でもある。
会議の資料を印刷してホチキス止めして、当日プロジェクターで流すパワポの資料を事前にメールで受け取り発表の順番に並べる。みんながつく前に資料を机の上に並べて、発表データをプロジェクターで映す準備をしたり、空調を入れておいたり、そんなことがずっと自分や野田くんの仕事でした。ホチキス止めとかは三原ちゃんも手伝ってくれた。
会議が終わった後にはコーヒーを淹れてみんなに配る。会議室のあるフロアにもコーヒーマシンはあるのですが、うちの会社で使っているような本格的なものではありません。新しい豆をみんなで味わったりすることもあるので、わざわざ自分達の事務所のフロアまで戻ってコーヒーを淹れてエレベーターで運ぶ。これも三人で手分けしてやっていた。それはわたしたちの仕事でした。
それが嫌だったとかそんなことを言いたいわけじゃないんです。
でも、当然のようにさおりがそれを手伝わなかった時、三原ちゃんはわたしにぼそっと言った。
「わたし、あの子嫌い」
そう言われて、わたしはコーヒー用のお盆を抱えたままぼうっとしてた。その日の会議を冒頭から思い出しながら。
「春菜ちゃんも嫌いでしょ?」
「うーん」
「ありがとうってまるで当然のように自分もコーヒー受け取って、何様のつもり?」
「……」
女王様のつもり?と冗談めかして言おうかと思って、口をつぐんだ。その日の自分はショックを受けていて、きっとその冗談には羽が生えない。滑るだろう。
正社員として入社してから一番と言ってもいいほどのショックをこの日わたしは受けてました。多分三原ちゃんも。
さおりというのはあの日、たい焼きを買うために100円をくれた女の子です。あの子は実は、どっかの飲み屋のお姉さんとかでは全然なかった。
「づかちゃん」
「あ、瀬川くん」
「すっごいね。あの人。びっくりした」
「ああ……」
「ね、瀬川くん、あの人、好き?」
三原ちゃんがすかさず瀬川くんにも似たようなことを聞いた。自分よりも二回り以上年上のベテランのおじさんたちに囲まれて、各店舗のフロアマネージャーとか厨房の責任者とか、また何人かはわたしたちと同じような世代の若い子たちもちらほら見えた。その中心にさおりがいる。
「苦手なタイプだな。ああいうの」
「当然のように今日、わたしたちの仕事、全然手伝わなかった」
「でも、彼女、ほら、発表があったし」
わたしがそういうと、三原ちゃんがきっとこっちを睨んだ。瀬川くんがわたしを睨んでいる三原ちゃんとわたしをちょっと困った顔で見比べてる。
「それはそれ、これはこれでしょ?ね、春菜ちゃん。年齢はほとんど変わらないけど、春菜ちゃんはこの会社ではあの人の先輩でしょ?最初にちゃんと言っとかないと、これからもいろんなこと当然のようにやらなくなるよ」
そして、ちょっと怒ったままでわたしトイレに行ってくるとあっちへ行ってしまった。
「づかちゃん、大丈夫?」
「ああ……」
苦笑いが漏れました。わたしはたしかに先輩だけど、でも、日本的なそういう先輩後輩という考えが彼女に通用するとは思えない。それでも言わなければダメ?言ったらどうなるのか。何を言われるだろう。そんなのわたしの仕事ではないと言われる。そして、わたしは毎日社内で顔を合わせる女の子2人の間に立たされる……。
やだな。
「づかちゃん」
「あ、藤田さん」
それはフォンテーヌの藤田さんでした。シェフ•ド•キュイジーヌ、料理長です。社長と篠崎さんと中川さんと藤田さん。うちの会社が初めてのお店、フォンテーヌを始めた時からいる人たちのうちの1人です。藤田さんがわたしのそばに寄ってきたのを見ると、瀬川くんは気を効かしたのか、今度は野田くんの方へ行ってしまった。
「あっち、行かなくていいんですか?」
わたしはサオリの方を指差した。藤田さんは柔らかく笑いました。
「あんなに人がいるから行ってもほとんど話せないでしょ?それに焦らなくたってまた機会はあるだろうし」
「どう思います?あの子」
「敵を作りやすいタイプの子だね」
優しい顔のままで淡々と藤田さんはサオリやその周りにいるみんなの様子を眺めていた。
「でも、あの、今周りにいる人たちは味方でしょ?」
「うーん、そうとも言い切れないのじゃないかな?味方のふりをして相手の様子を探っているのかもよ」
ため息が出ました。
「そんな、敵とか味方とか、こんなのフォンテーヌじゃないですよ」
そういうとはははと笑われた。
「づかちゃんは、うちしか知らないからな」
「ダメですか?」
「会社の中で敵と味方に分かれて、相手の腹を探り合ったりするのは普通のことだよ」
「そんなの神谷秀の会社じゃない」
「ねぇ、づかちゃん」
「はい」
「あの子は君が助けてあげないと」
「え?」
ポカンとしました。
「ほっとくと味方のふりした人たちに利用されて、二心ないような人たちには誤解されて味方にすることができず、孤軍奮闘してしまう。それじゃ、会社のために良くないよ」
「でも、わたし、あんな子を助けるようなすごい人じゃないですよ」
「そんなことないよ。自分で知らないだけ。そうじゃなきゃ、篠崎さんや中川さんが選ばないでしょ?」
そう言ってぽんぽんと肩を叩いてくれました。ちょっと泣きそうになった。
「助けるって具体的にどういうことするんですか?」
「あの子が誤解されて1人にならないようにしてあげて」
誤解。誤解?
「あの子もね、マネージャーが選んだんだ。変な子じゃないと思うよ」
「ああ」
「篠崎さんは人を見る目がある人だから。社長のことも選んだしね」
「え?」
「ああ、ごめん。今のは昔の話だったな」
言ってはいけないことを言ったとでも思ったのか、藤田さんはいつもと同じ優しい笑顔で誤魔化しながら向こうへ行ってしまった。この人、365日の眠ってる時以外で笑顔でいるパーセンテージがかなり高い人です。ではなくて、社長って篠崎さんに選ばれた人なの?つまり、篠崎さんがこいつはダメだと言ったら、うちの会社は生まれてなかったのだろうか?
……
中川さんは間違いなく社長より篠崎さんを信頼しているというか、頼ってます。これで、藤田さんももしそうだとしたら?会社を始めた中心の4人のうち、3人が篠崎さんより?もしかして、本当の社長は篠崎さんなのでは?
思わず創業時のあれやこれやを思い浮かべました。ちょっとぼうっとしてた。そして、ふと見ると、みんなが社長に挨拶しながら帰り始めた。あ、まずい。片付け入らないと。
そして、藤田シェフのおかげでしょうか。さっきまでのモヤモヤを少し解消した。それで、まだ数人に囲まれているサオリに近寄った。
「あの、鈴木さん、ちょっと」
サオリはきょとんとこちらを見た。周りのおじさんたちも。
「あ、はい」
「じゃあ、またね。サオリちゃん」
いい歳したおっさんが、まるで子供に手を振るようにバイバイしてる。この人も偉い人です。とある店舗の支配人。いつもは厳しい顔してるのに、サオリちゃんだって。ま、いいや。サオリを片隅に連れてく。
「ね、鈴木さんって呼ばれるのわたし嫌いなんだけど」
「でもね、名前にちゃん付けで社内で呼ぶのもどうかと思うよ」
「いや、呼び捨てでいいですって言ったし。ちゃんをつけたのは向こう」
わたしは姿勢を正した。
「うちの会社は女の人の比率も高いし、ああいう風にちゃん付けで呼ばれてるの横で見られるだけで、反感買うよ」
「だって、春菜だってづかちゃんってちゃん付けで呼ばれてるじゃん」
「わたしのは名字だからさ」
「何それ。日本ってめんどくさ」
サオリは吠えた。
「でもさ。おかしくない?神谷秀のコンセプトとずれてない?」
そう。社長は社員とピラミッドではなくフラットでいたいというようなことを言う人間で、そういう日本の従来の固定観念をどちらかと言えば否定している人間です。
この人も頑固だな。
「でも、ここ、日本だし」
神谷秀が作った会社の中は日本の中でも比較的自由な国のようなものかもしれません。でも、住人は普通に日本で育った日本人です。会社に入ったからその固定観念のようなものから、突然自由になるわけでもない。影響は受ける。
「なんか納得できない」
「忠告はしたからね」
「ね、でも、春菜はやめて。鈴木さんとか呼ばないで」
「……」
「サオリと呼んで。オーケー?」
「サオリ」
自分のキャラとずれている気がするのですが、妥協してみました。
「片付けがあるので、手伝ってください」
「ああ、はい」
ちょっとびっくりした。簡単にはいといったので。
「何するの?」
「とりあえず、皆さんの飲み終わったカップを集めて事務所に持ってって洗う」
「ね、なんでこれ、紙コップ使わないの?」
文句の多い人だ。人の減ってきた部屋で、あちこちに置かれたカップとソーサーを集める。
「普通、紙コップだよね?」
「陶磁器を皆さんにみてもらうためです」
「え?」
「今回は洋食器でしたが、時々焼き物使う時もある」
「へー」
「社長は器を大事にしている人なので」
「じゃ、これ、すっごい高いやつなの?」
「安くはないよ」
「ええ、嘘?へー」
さっきまで文句言ってたのが、あっさりと機嫌を直し、カップを持ち上げていろいろな角度から眺めてる。トレイの上にカップを集めていると、三原ちゃんが帰ってきた。わたしたちがカップを集めているのをみて躊躇した。
「あ、カップはいいよ。わたしたちで片付けるから」
「……」
ちょっと複雑な顔をされた。テーブルや椅子の位置を直している野田くんを手伝いに向こうに行った。その微妙な空気にサオリは全く気づいていませんでした。
「カップとカップをガチャガチャぶつけないでね」
エレベーターの中で口を酸っぱくしていう。
「なんで?」
「傷がついて模様が剥げちゃうの。洗う時もゴシゴシ擦っちゃだめ」
「はい」
「電子レンジとか絶対ダメだから」
「わかった」
うちの会社は、飲食をやっていることもあって会社で試作品を食べたりとか色々料理をすることもあるんですね。そんなこともあって休憩スペースの隅にはキッチンがあるんです。そのキッチンでカップをぬるま湯で洗って、洗った端から柔らかい布で拭いてゆく。
「飲むときにスプーンでかき混ぜる時とかも、カチカチぶつけないように気をつけてね」
「……」
「これ、傷がつきにくいように、純銀なんだよ」
スプーンを取り上げてみせた。
「ええっ」
サオリが驚く。
「なんかいろいろあるね」
「そうだね」
「ね、もしかして春菜ってお嬢様なの?」
食器洗っているわたしの横で、一つ一つ乾拭きしながらそんなことを言うから笑ってしまった。
「わたしのどこをどうとってお嬢様だっていうの?どっからどうみても庶民でしょ」
「でも、いろんなこと知ってるし」
「仕事しながら覚えたんだよ。いろいろ教えてもらって」
「そっか。安心した」
ホッとした顔して、スプーンを拭いている。ふと藤田シェフの言った篠崎マネージャーの選んだ人に悪い人はいないという言葉を思い出す。
「サオリはお嬢様じゃないの?」
「貧乏じゃないけど、こんなカップ使うような金持ちじゃないよ」
「そうなの?」
「うちの父親と母親はむっちゃ合理的。こんなめんどくさいもの使わないよ」
「そうなの?」
「うん。でも、綺麗だね」
拭きながらうっとりと眺めてる。それは、緑を基調にしたシノワズリのカップでした。黄緑の地に緑や白を使って草花が描かれたものと、その逆転で白地に黄緑と緑を使って草花が描かれたものがある。東洋の折衷が美しい。
「普段から身近に目にすることで、美に対する感覚が磨かれるからって社長がわざわざ揃えててみんなに使わせてるんだよ」
「そっか」
その時、三原ちゃんがそばに来ました。
「なんか手伝えることある?」
「あ……」
一瞬迷った。
「いや、大丈夫」
「そう」
少し暗いとも言えるような顔で三原ちゃんはあっちへ行ってしまった。
「ねぇ」
「ん?」
「わたし、千里のこと怒らせるようなこと、なんかした?今日」
千里は三原ちゃんの下の名前です。
「どうして、そう思うの?」
「今までこんなこと何度もあったもん。はっきり言わないままなんかわたしのこと怒ってて、しばらくすると嫌われるの」
「ああ」
「春菜みたいな子はわかりやすいからいいけど、ああいう子、だめだ」
「……」
お互い、嫌い発言をしてしまいました。一瞬くらっときた。
「それじゃダメだよ」
「え、だめ?」
「会社は、そんなこと言ってちゃダメだよ。一緒に仕事するんだから」
「……」
私生活なら嫌いで切り捨てればいいけど、会社はダメだと思います。なんか微妙な顔になりました。それで、ふと思いついた。
「あのね」
「うん」
「うちの社長と篠崎マネージャーって仲が悪いの」
「え、そうなの?」
「うん。お互い嫌いなの。でも、仕事はちゃんと一緒にしてるよ」
「ふうん」
「あんな風になればいいんだよ」
「それはつまり千里はわたしのこと嫌いだってこと?」
「……」
しまった。しまってしまいました。
「いや、違う違う違う違う」
「そこまで否定するってことはそうなんだ」
サオリは美しいカップを抱えたままで、ため息をついた。
「ね、みんな最初で決めつけすぎ」
「ん?」
「お互いのことよく知らないんだよ?そんなんでダメとか言ったら本当にダメになるし」
「ああ……」
さっき、会議の時の堂々とした様子からは打って変わって不安そうに見えた。




