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音芸神話 - yukito's side story -  作者: 七海 雪兎
第 章 -reconstruction-
45/69

makeover:海神 / 兎々


シャン。


ひとつの輪が、水面を駆ける。

どこまでも拡がるその輪は、いつの間にか溶け静まる。


シャン。


再び駆ける輪。

今度も同じように溶けていった。


シャン。


繰り返す。

何度も。


シャン。


薄暗い中、仄かに浮かぶ表情。

そこには何の感情もない。


シャン。


祈る様に。


シャン。


そう、祈る様に。


シャン。






誰かが駆け寄る音。

どうやら見付かってしまったらしい。

彼女は気怠そうに音のする方を見つめた。


シャン。


「やはりここに居られましたか」


男が彼女の前に姿を現す頃にはすでに、彼女は興味を失っていた。


シャン。


「もう、終わりにしましょう」


男は諭すように、彼女に騙る。


シャン。


それを遮る様に、彼女は祈る。

能面のようなその顔には、未だ湿り気を帯びた涙跡。


「ここで貴女の血も絶え、今こそ我々がこの国を治めるのです」


シャン。


男は剣をぬらりと引き抜くと、未だ自分と目を合わせようとしない彼女の首に刃を沿わせた。

それでも彼女は祈りを止めようとしない。

流石に気に障ったか、男は彼女の両頬をぐいと抑え無理矢理こちらを振り向かせた。


シャン。


「――っ」


その目は死んでいなかった。

燃えていた。

怒りか、はたまた悲しみか。

男には分からなかった。

ジロリと男を睨む彼女。

乾いた涙の後は赤く染まり、まるで血の涙のようだった。


シャン。


「……残念じゃったのう、時は来たれり」


男が息を呑む音が、ハッキリと彼女の耳には届いた。




夜が、明ける。




「まだだ、まだ間に合う」


一気に水深が増し、膝まで水に浸りながらも男は彼女を引き寄せ剣を握りしめた。

ものの数秒。

ほんの一瞬。

それだけあれば十分だった。


十分だと、思っていた。


「もう遅い……この場所がどういう場所かは、お主もよく知っておるじゃろう」


一歩、彼女が踏み出す。

そこに渦が生まれる。


「そんな馬鹿な!まだ月は齢を二十を数えた頃だったはず……」


渦に足を捕られる。

迂闊に動けば足を滑らせこの泉に沈んでしまう。

握りしめた剣を持ち上げることすら難しい。

力をバランスを取ることに費やしてしまった男の腕から、彼女はスルリと容易に抜け出した。


「さて、それを教えたのは誰じゃったかのう」


この国で正確に月を読めることの出来る人間は、果たしてどれほどいるのだろう。

男には分からない。

いつも呪い師に頼っていたから。

月などもう随分とまともに見上げたことなどなかった。


彼女が月を見上げる。

ここからでは到底拝むことの出来ないその姿を、彼女は間違いなく捉えていた。


「残念じゃ……次に月を拝めるのは、いつになるのかのう……」


そう零して彼女は目を閉じた。


男は諦めていなかった。

この泉に沈んでしまうかもしれない状況で、僅かに剣を持ち上げていく。

ここで彼女を殺してしまわなければ、この都は沈んでしまう。

どこの国にも攻められることなく、安心して暮らせる場所を我々はようやく手に入れたのだ。

こんなに素晴らしい土地を、沈ませてなるものか。

たかが暇つぶし程度で、家族を殺されて堪るものか。


そして男は自分の体が沈みゆくのを感じながら、彼女を目掛けて一気に剣を突き出した。

間違いなく刃は彼女に届く。

男はそう確信した。

だがそれを確認することは出来なかった。

渦の虜となった男は、泉の底へと既に誘われてしまったのだ。


「……無駄なことを」


頬を伝う血を手の甲で拭い、彼女は男を一瞥した。

瞳には先ほどまではなかった悲しみの色。


「手遅れなんじゃよ……全て」


彼女は目を細め再び月を眺める。

そしてもはや泉なのか海水なのかの境界も危うい水の中へ、彼女は飛び込んだ。






かつて海よりも深い場所に、ひとつの都があったそうな。

そこには神が住んでおり、事あるごとに「この都を沈めてやろうか」と人々を脅していた。

故に神は人々から疎まれ、しばしば反感を買っていた。

とは言え一度は命を救われた身なので、誰しも神に対して強くは出れなかった。

そんなある日、この都を海から守っている祠があるという噂が広まる。

この都が沈まないのはその祠のおかげであり、神は関係ないのだ……と。

事実、神はそれらしき振る舞いもでず、祠に通うこともない。

もし神が祠に赴く時は、この都を沈める時なのだ。


意外にも、人々の大半はそんな噂を信じることはなかった。

例えそうなのだとしても、特に意味などないと皆考えたのだ。


一方で噂を信じる者もいた。

彼らはその祠さえ守れば、神は不要。

この都を脅して統治しているのはただの余興。

むしろ人の世は人が統治すべきだ、と考えたのだ。

そしてこんな閉じた世界なら、王にでもなれるのではないか、と。


それから数年間、人々は何も変わらない毎日を過ごす。

噂の確証もなく、それで特に不都合もなかった。

ところがある日、一人の青年が気付いてしまった。

少しずつ都が沈み始めていることに。

同時に、神が件の祠の付近でよく目撃されるようになる。

噂を信じていた者たちは、それが真実だったのだと分かると動き始めた。

都を守るために、神を止めようと。


人々はみな、沈めるなと神に乞う。

神はいつも曖昧にその乞いを受け流す。

どことなく投げやりな感覚を人々は味わうばかり。

やがて都の淵は徐々に沈み始め、神は姿を見せないことが多くなった。


もうすぐ人々の生活に支障が出そうなところまで沈んで来た時、神の姿が祠で確認される。

祠は狭く、大人数で押しかけることは出来ないので、人々は代表として一番がたいのいい男に剣を持たせた。

ここで神を亡き者とすることに抵抗を感じる者もいたが、みな口は閉じたままだった。


かくして祠で祈りを捧げている神の元に、男は立ち塞がる。

その男がどうなったのか、神はどうなったのか。

結局都の人々はそれを知ることは出来なかった。


人々が次に覚えていたのは、見知らぬ海岸で寝そべっていたことのみ。

祠に送った男は未だに行方が知れず、神の姿もそこにはなかったそうだ。


こうして人々は生き永らえた。

結果も原因も分からなかったが、それを究明する気にはなれなかった。

そもそもそんな都自体見付かることはなく、当時話を聞いた人はみな、巧妙な作り話だと笑った。


さて、今どうしてこんな話を君にするかわかるだろうか。

私は君に礼が言いたいのだ。

そして謝らせて欲しい。




彼女は無表情に私を見つめると、何も聞かないぞと言わんばかりに踵を返してしまった。

あの頃とは全く容姿も異なるし、何より威厳がない。

それでも私には分かるのだ。


私は苦笑すると、そっと自分の頬を撫でそこに傷などないことを確認して彼女に向かって頭を下げた。



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