うたた寝苺の三段ショートケーキ 前編
スイーツは可愛い。
真っ白なクリームはフリルのようで、キラキラ輝くフルーツたちはまるで宝石。
網目のチョコレートはレース生地と見紛う上品さで、それらを乗せるお皿は宝箱みたい。
「――ねえ、知ってる?」
お店や作る人によって、同じ名前のケーキでも味はまったく変わることを。
「例えば、ショートケーキだって、ひとつとして同じものはないのよ」
甘い苺。
酸味の強い苺。
苺の代わりに別のフルーツを使っているもの。
クリームだって、お店によってガラリと変わる。
だからこそ、実物をこの目で見なければ気が済まない。
「実物をしっかり味わわないと!」
だから、魔女アリノアは空飛ぶ箒に乗って山を越え、谷を越え、海を越え、ドラゴンさえも追い越して――
美味しい美味しいスイーツに会いに行く!
そこに、どんな危険があろうとも。
◆ ◆ ◆
「ええっ! うたた寝苺の三段ショートケーキが販売停止中⁉︎」
カフェの入り口にある看板を見て、アリノアは思わず大きな声を出してしまった。
通りの妖精たちが、何事かと一斉にアリノアに注目する。
ここは、至るところに花々が咲き誇り、花と果物の香りに溢れる花の国――
ガラスのように透明な翅を持つ妖精たちが暮らすこの国では、魔女というだけでも目立つのに……。販売停止の文字に深刻なダメージを受けているアリノアは、周囲の視線に気付けない。
「三日も不眠不休で箒を飛ばしてきたのよ。こんなの、あんまりじゃなくて……?」
身体強化魔法で己を酷使しながらここまでやってきたのは、ひとえに花の国の名物うたた寝苺の三段ショートケーキを食べるため。
なのに、このザマだ。
「……もう一ミリも、浮く魔力すらないわぁ……」
実際は、魔力はまだまだ底をつかない。でも、目当てのケーキを阻まれたショックと精神的疲労のせいで、その場から一歩も動きたくなくなった。
「うたた寝苺の三段ショートケーキ……」
アリノアはしょんぼりと肩を落とし、箒の柄を両手で握り締める。
いまにもヘナヘナとその場に膝をつきそうになった時、ただならぬ様子を察したのか、カフェの扉が少し開いた。
半透明の翅を羽ばたかせて、小さな妖精が店から出てくる。
「お嬢さん。もしかして、うたた寝苺の三段ショートケーキが目当てかしら?」
「……ええ、その通りですわ」
頷いたアリノアに、店主は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさいね。実はね、ケーキに使ううたた寝苺の群生地に大きなモンスターが住み着いちゃったのよ。悪い子じゃないんだけど、あそこが気に入ったらしくてずーっと気持ちよさそうに熟睡してて……」
「熟睡、ですか?」
「ええ。あまりに大きくて、近付くと寝返りで潰されちゃうから収穫ができなくてね。しばらくケーキはお休みにしているの」
それを聞いた途端、アリノアの青緑色の瞳がキランと輝く。
「つまり、邪魔なモンスターを退かせば作ってくれますか?」
「それはもちろん。でもね、あの様子だと本当に無理よ」
「いいえ、大丈夫です」
それなら話は早い。
百年以上を生きてきた魔女の辞書に「スイーツを前にして引き下がる」という選択肢は存在しない。
アリノアは旅の相棒である箒に素早く横乗りになる。
「お姉さん、危ないわよ!?」
慌てて引き止める店主の声を背に、アリノアは不敵に笑って地面を蹴った。ふわりと箒が浮き上がる。
「ふふっ、この魔女アリノアにお任せくださいな」
アリノアは、あっという間に空の向こうへ消えていく。
残された店主は雲ひとつない青空を呆然と見上げていたが……やがて、アリノアという名前に聞き覚えがあったことを思い出し、納得した様子でポンと手を叩いた。
あのおそるべきスイーツへの執念。
彼女こそが、世界に名高い七英雄の一人――〈暴食の魔女〉かと。
◆ ◆ ◆
世界には、魔王を倒した七人の英雄がいる。
その一人〈暴食の魔女〉アリノア――
彼女の名は世界中に知られているが、その功績は少しばかり変わっていた。
魔王軍から小さなりんご園を守った。
攫われた蜜の国の女王蜂をたった一人で救い出した。
魔王軍の進軍で封鎖された砂糖街道を単騎突破し、交易再開の道を切り開いた。
呪いによって枯れ果てたカカオの森を一晩で蘇らせた。
英雄譚として語られるには、どれもどこか牧歌的だ。
だが、その裏では確かに数えきれないほどの魔物や魔王軍の精鋭たちが退けられていた。だからこそ、人々は知っている。
甘いものを愛してやまないこの魔女が、紛れもなく世界を救った英雄の一人であることを。
アリノアは、光に透けるほど色素の薄い髪を風に靡かせて青空の下を真っ直ぐに飛んでいた。
「この先ね」
三角帽子の大きなツバを少し持ち上げる。青緑色の瞳は、期待に輝いていた。
その表情だけを見れば、お楽しみのスイーツに胸を躍らせる年若い娘にしか見えない。でも、箒を巧みに操る姿は百年以上を生きた魔女ならではの落ち着きと気品があった。若さと成熟が不思議な調和を見せるその姿は、どこか現実離れしている。
「待っていてね、うたた寝苺。絶対に食べてあげるわ」
アリノアは恍惚として、ペロリと唇を舐めた。
箒の速度がぐんと上がる。
〈暴食の魔女〉の頭の中は、うたた寝苺の三段ショートケーキでいっぱいだった。
微睡みの森は、花の国の東側にある。常に薄い黄金色の木漏れ日が射し込み、時間が止まったかのような錯覚を覚える美しい森だ。
風の音が子守唄のように聞こえ、そこにいるだけで穏やかな気持ちになり、ウトウトしてくる。
ゆえに、微睡みの森。
「あったわ! うたた寝苺の群生地!」
熟した実から放たれるあまい香りを目印に進むと、やがて木々が開けた場所があって、そこには広大な苺畑が広がっていた。
「なんて、夢のような光景かしら」
瑞々しい赤い実が、傾いてきた陽光を浴びて宝石のように煌めく。
見惚れて、アリノアはほうっと吐息を洩らした。
しばし芳醇な香りと美しい光景の虜になっていたアリノアだが、ふと違和感を覚えて我に返った。
「噂のモンスターはどこかしら?」
アリノアは疑問符を浮かべながらも降下した。
うたた寝苺の群生地に降り立ってキョロキョロと周辺を見渡す。……見当たらない。
「潰されそうになるほど大きなモンスターならすぐに分かるはずだけれど……ん?」
アリノアは目を細める。
「あれって」
実と葉の間から、なにかが生えている。長くて、細くて、けどフワフワしているあれは――
「猫の、尻尾?」
早足に近付くと、猫がいた。
いや、猫にしてはデカい。普通の猫と比べて、二回りくらいデカい。
混ぜる前のカフェモカみたいな、美味しそうな茶色と白の毛並みの猫は、「ぷすーぷすすー」と大変気持ちよさそうな寝息を立てている。
「あのー、猫さーん。お聞きしたいことが」
アリノアは猫の前で両膝を折り、丸くなっている猫の脇腹を突いた。
「おーい」
猫はモゾモゾと蠢いて、ゴロン、と真っ白な腹を出した。無防備にも程がある。
ウズウズと、悪戯心が湧き上がってきた。
「えいっ」
アリノアは、泡立てたばかりの生クリームみたいな白い腹毛をわしゃっと撫でてみる。
猫は「んんーっ」と鳴いて、仰向けのまま背伸びをし、そのまま脱力する。瞼は一瞬すら開かない。
しばらく様子見をしていると、ポカポカ陽気を全身で堪能したいのか猫はよく寝返りを打つ。
それを見ていて、アリノアはピンときた。
「ふふっ、妖精からすると、確かにモンスターかもしれませんね」
ここまで大きな猫も珍しい。
妖精からすれば十分に巨大なモンスターで、近寄り難くなっても仕方がない。
「猫さん、猫さん。起きてくださいな」
「んーっ……うるさいなぁ」
「あら、あなたはお喋りできる猫さんなのね」
「喋る相手が、いればね……ふあぁ」
猫は億劫そうに、ゆっくりと片目だけを開いてアリノアをチラリと見上げた。
「とても綺麗な浅瀬色の瞳だわ」
「僕さまのお目目だからね。……で、お前は誰?」
気だるげな猫に、アリノアは胸に手を当てて答えた。
「私はアリノア。うたた寝苺の三段ショートケーキのために、ここまできた魔女よ」
「うたた寝苺の三段ショートケーキ? あー、あれ美味しいよねえ」
「まあ、羨ましい! 食べたことがあるのね」
猫はのっそりと起き上がる。前脚はグーッと低く伸ばして、尻尾はピーンと高く立てるしなやかな背伸びをすると、猫は毛繕いを始めた。
「お名前をお伺いしても?」
小さな舌で器用に寝癖を整える猫に、アリノアは穏やかな声音で訊ねる。
猫は毛繕いをやめない。
一人と一匹の間を、やわらかな風が通り過ぎる。木々が風とともに歌い、それを聞いていると自然と脱力して、アリノアは欠伸が出そうになった口を押える。
「カッチャス」
ややあってから、猫のカッチャスは名乗った。
「魔力を持つ、ただの死なない猫だよ」




