第16話 暴かれた亡霊と、譲れない意志
開け放たれた重厚な扉の奥から、肺を凍らせるような死の冷気が地下空間へと溢れ出す。
『……アァァ……すべてを、一つに……』
地鳴りのような怨嗟の声と共に姿を現したのは、どす黒いヘドロのような流体で構成された、巨大な不定形の怪物だった。
その場にいるだけで、精神を直接削り取られるような圧倒的な重圧。
「ハハハハッ! 見ろレオン! これぞ海を越えた他国の古代遺跡から発掘された、世界を滅ぼす真の災厄……!」
狂喜の声を上げる公爵の言葉を、俺は冷たい溜息と共に遮った。
「寝言は死んでから言え、公爵。お前、骨董品商に騙されてるぞ」
俺の言葉に、公爵の笑い声がピタリと止まる。
「な、なに……?」
「俺の【超鑑定】を舐めるな。こいつの出自も、構成成分も、すでに全部丸見えだ」
俺はモニターのウィンドウを空中に展開し、その怪物の真実のデータを表示した。
配信を見守る数百万の視聴者たちに向けても、その情報は克明に映し出される。
「海外の兵器でも、世界を滅ぼす災厄でもない。こいつは数百年前に、この国の初代国王が作ろうとして失敗し、手に負えなくなってこの北の大地に不法投棄した『王国最初のダンジョンコア(失敗作)』だ」
「ば、馬鹿な!? 私が莫大な資金を投じて他国の闇市場から手に入れた最高傑作が、この国の粗大ゴミだとでも言うのか!?」
「ああ。お前が心臓に埋め込んだ人工コアも、冒険者ギルドの地下にあったキメラも、全部こいつの残骸から作られた劣化コピーだ。……自分の国の足元に埋まってたゴミを、わざわざ海外産だと騙されて高値で買わされた気分はどうだ?」
スケールが大きすぎる妄想を抱いていた公爵の顔が、絶望と屈辱で真っ赤に染まる。
コメント欄は『公爵、詐欺に引っかかってて草』『世界規模の脅威かと思ったら、ただの不法投棄でワロタ』と、緊張感が一気に裏返った爆笑の渦に包まれた。
だが、相手が国内の『亡霊』であろうと、数百年分の怨念を溜め込んだ初代コアが危険であることに変わりはない。
『……個を捨てよ。意思を捨てよ。すべてを同じ色に染め上げ、平定せよ……』
這いずる泥の怪物が、部屋全体に黒い波紋を放った。
それは物理的な攻撃ではなく、対象の精神を直接塗り潰そうとする『精神汚染』の波だった。
「マスターッ!」
アリアが俺の前に立ち塞がり、魔力障壁を展開する。
しかし、黒い波紋は障壁をすり抜け、アリアとリーシャの身体を透過した。
二人の瞳から、一瞬にして光が失われる。
「アリア! リーシャ!」
『無駄だ。そのシステムは、人間の思考を停止させ、すべてを同じ規格の歯車に作り変える絶対の強制力……』
公爵が血を吐きながら嗤う。
かつての王が、国民を完全に支配するために作り出そうとした最悪の洗脳兵器。それがこの泥の正体だった。
暗闇に沈む二人の意識の中で、泥の怪物が甘く囁く。
『悲しみも、苦しみもない。お前が大切にしているものも、憎んでいるものも、すべて手放せば楽になる』
だが、その囁きを打ち破ったのは、他でもない二人の『激しい怒り』だった。
「……ふざけ、ないで」
虚ろだったリーシャの瞳に、鋭い殺意の炎が宿る。
彼女は双剣を強く握り直し、泥の怪物を見据えた。
「何が大切で、何が嫌か。そんなの人によって違うに決まってる! 私は、大好きな妹の笑顔を奪う奴が世界で一番嫌いなの! 勝手に私の気持ちを一つにまとめようとしないで!」
「その通りです。実に不愉快極まりない」
アリアもまた、冷徹な美貌に明確な嫌悪感を浮かべて立ち上がった。
「私は私の意思で、誇りを持ってマスターに仕えるメイドです。誰かに思考を塗り潰された平穏など、吐き気がしますね。……私たちの『価値観』を、土足で踏み荒らすな」
洗脳兵器が最も苦手とするもの。
それは、自分自身の『好き』と『嫌い』を明確に持ち、決して譲らない強固な個の意思だった。
俺は二人の背中を見つめ、満足げに笑った。
「聞いたか、公爵。お前や過去の王たちがどれだけ武力や洗脳で民を縛ろうとしても、絶対に完璧な支配なんてできない」
俺は一歩前に出て、【超鑑定】の全魔力を右手に集中させる。
「人はそれぞれ違う。大切なものも、許せないものも違うんだ。それを無視して一つの枠に押し込めようとするから、お前たちは失敗作になったんだよ」
俺の右手から、黄金の光の奔流が放たれる。
それは攻撃ではなく、王都から繋がった『新生・王都ダンジョン』のマスター権限そのものだった。
「俺のダンジョンは、そんなお前たちの窮屈なシステムごと、この国のすべてを喰い尽くしてアップデートしてやる!」
黄金の光が泥の怪物を包み込む。
初代コアの怨念は、俺の【超鑑定】による圧倒的なデータ書き換えの前に、悲鳴すら上げられずに光の粒子へと分解されていった。
『バ、バカな……数百年の遺産が、一瞬で……』
「さて、公爵。お前の頼みの綱も、ただのデータの肥やしになったぞ」
怪物を完全に吸収し、王都のダンジョン機能をさらに強固なものへと進化させた俺は、這いつくばる公爵を見下ろした。
地上では、セレスとギルバートの活躍により、三万の兵士たちの武装解除が完了したという報告が届いている。
国内最大の脅威であった北の牙城は、こうして完全に俺の手によって平定された。
『レオン様、カッコよすぎる……!』
『アリアもリーシャも、自分の意思貫いてて最高!』
『これでこの国は完全にレオンの物だな!』
配信画面は、過去最高の盛り上がりを見せている。
「アリア、リーシャ。凱旋の準備だ。王都に帰るぞ」
「はい、マスター。今日の夕食は、最高級の祝勝会メニューにいたしますね」
「レオン様、お疲れ様です! 肩、揉みましょうか?」
緊張感の欠片もなく微笑み合う俺たちを見て、公爵はついに完全に白目を剥いて気絶した。
王国全土を巻き込んだ激動の数日間は終わりを告げた。
だが、この国のシステムを完全に掌握した俺の前に、次なる『内なる変革』の波が訪れようとしていた。
国を一つにまとめたからこそ見えてくる、新たな日常と、予期せぬ来訪者たちの気配が。




