老獪な謀議
日差しの戻らぬ、春の昼前。
ビャルネ・ヘンネフェルトは、走鳥が牽く羽車から降りた客人を自室に迎えていた。
窓の外では、雪解けの水が石畳を濡らしている。
ファウスト・バルリングは外套を預け、いつものソファへ腰を下ろした。老人二人。無言で葉巻を取り出す。
「そういえば。貴様の孫娘、飛翔型の研究をしていたそうだな?」
「話題が遅過ぎる。もう季節が一つ巡った後だぞ?」
知らぬはずがない。
わざわざ蒸し返す辺り、こちらの不満まで承知しているのだろう。
ビャルネは葉巻に火を点け、旧友から目を逸らした。
煙の苦味を舌へ残し、細く吐き出す。
「まったく、ままならぬものよ……」
ソファに背を預けて天井に揺蕩う煙を眺め、今度はビャルネが嘆く番だった。
王立魔導研究所でのヘイズルフリングルの開発主任。それがビャルネの孫娘だ。
しかし、風聞では王子の功績ばかりが耳に入る。主任を差し置いて。
当の孫娘は、軍への出向を名誉にすら感じていた。
『誠に殿下は、素晴らしき慧眼をお持ちでしたわ』
出立前、誇らしげに胸を張った顔は純粋に微笑ましい。
ビャルネは面白くなかったが、言祝ぐだけに留めた。
それを不満と呼ばれるのも、癪だった。
「……殿下は、あの子の働きをよくご理解されておる」
「ならば、世間が知らぬだけで不満はないな?」
灰皿へ伸ばしかけた手が止まる。
ファウストは涼しい顔で、卓上の紙束を指した。
軍と研究局。それぞれから上がった試験報告だった。
「さて。この機体を相手にしても、孫娘の仕事に不足はないと言い切れるか?」
落とし損ねた灰を払い、葉巻を灰皿へ預ける。
空いた手が、指された報告を自分の前へ引き寄せた。
この男が機体の出来を疑っているはずもない。
わざわざ孫娘を持ち出す、その口振りが神経を逆撫でる。
「いやはや。まさか、貴様が愚問を口にする日が来ようとは」
「聞き捨てならんな」
「どの口が」
憎まれ口を叩きながら、既に演習結果の頁を開いていた。
ファウストは取り戻そうともせず、その手元を眺める。
孫の仕事を軽んじられるのは面白くない。だが、それだけで研究局へ横槍を入れるほど耄碌してもいなかった。
旧友も承知している。こちらの贔屓を確かめるだけなら、わざわざ足を運びはしない。
ファウストは研究局側の紙束をめくり、人員についての報告を開いた。
ダグアーラ王子の合流。その記述へ、節張った指が止まる。
「殿下は、自作の機体を諦めておらんらしい」
「然もありなん。夢と希望が、その双翼に乗っておればこそ」
「ほぅ。見て来たような口ぶりだな」
「ほざけ。嘲弄で無粋を極めるか」
孫娘の夕食時の振る舞いを、否応なく思い出す。
試験を終えて帰宅した彼女は皿を脇へ寄せ、ルミラとジークが乗り込んだ際の記録を広げた。
ビャルネが問いを挟むと、別の紙を抜き、該当箇所を示す。
褒めて終えるつもりだった夕食は、いつの間にか白熱の試験報告になっていた。
『蒼銀の魔女』ルミラと、出向軍人のジーク。
軍事込みの操縦技術と、彼女の膨大な魔力。その二つがあってこそ、ヘイズルフリングルは十全に動く。
孫娘の術式も、二人が重ねた試験も、機体から切り離せるものではない。
「どう見る?」
ビャルネはエンドリフギルの試験記録へ目を戻した。
急制動時の課題を記す箇所で止まり、その先を読む。解消されなければよい、と願って待つのは現実的ではない。
報告を閉じる。王子が開発に合流すれば、今度も聞かされる名は同じだろう。
「幕が上がってから、席を探すのは御免だな」
「止めるか」
「閉じた幕の前で石を投げられる趣味はない」
王子を葬るために設けた計画が、その王子へ人を集めている。
今さら開発を止めれば、他国との競争を放り出した責めまで負う。
ビャルネは二つの報告を並べ直し、葉巻を取り上げた。
旧友は、その手元から目を離さなかった。
「いっそ、潰し合わせるか」
「その心は?」
「軍と現王、そして魔術師陣営の三方良しだ」
ヘイズルフリングルが直接対決で勝利し、神殿と王子に割を食ってもらう事で政治的均衡を作り出す。
「随分と賑やかな催しになりそうだな」
「厳粛な儀式だ。秘めやかにするのが必定では?」
敗北を公衆の面前に晒そうものなら、それこそ神殿の面目が丸潰れ。均衡など、一瞬で崩れる。
だからこそ、飛ぶ鳥を落とす勢いのダグアーラに泥を被ってもらう必要があった。
「しかし、神殿が勝てば殿下の手柄。また名声を上げるだけではないか?」
「仕方あるまい。民衆の甘い夢は、我らが嚥下すべき苦汁だ」
旧友の憂慮に、ビャルネは渋面で応じる。せめてもの慰みに葉巻を吸い込んで、暗澹とした気分ごと煙を吐く。
「では研究局の継続条件には、殿下の名も添えてもらうか」
「然り。舞台の主役だからの」
立ち会う者には記録を持ち帰らせ、次回の試験を巡る協議で使わせる。
王子自身の助言を反映させ、逃げ道を塞ぐのが狙い。
揃っていなかった紙の端を、ファウストが指で押さえた。
「逆の幕切れなら?」
ビャルネの問いに、旧友は短く答える。
「知れたことであろう」
当初の予定通り、何も問題はない。ヘイズルフリングルの研究開発を推進すれば、他国も容易には追随できまい。
「一度の勝ち負けで、幕を下ろす気はなかろうな?」
ファウストは演習結果の頁を閉じた。
「次を求めるなら、理由を出させる」
「勝者にも?」
「無論」
ビャルネはペンを取った。紙の上へ、二機の名を記す。
その上に空けた場所は、まだ白い。
「名目は合同演習、か」
「技術交流でもよい」
「看板ばかりは、幾らでも立派な物が作れるな」
次に記したのは、神殿への打診。その下へ、研究局に照会する内容を添える。ファウストが僅かに顎を上げた。
「軍ではなく?」
「先に槍を並べてから招けば、誰でも身構える。席だけなら、向こうも選べよう」
「断った場合も、先に招いたという事実は残るな」
ビャルネは答えず、内々に進める旨を書き添えた。まずは、この二つ。返答を待って軍へ回す。
孫娘には、正式な話が届いてから知らせればよい。
筆を置くと、ファウストが紙へ手を伸ばした。
「そろそろ一矢報いたいところだな」
「その一射で心臓を撃ち抜いてもらいたいものよ」
「物騒なことだ」
「貴様ほどではない」
憎まれ口で応じ、書いた紙を押しやった。
手を戻す途中、エンドリフギルの報告へ指が触れる。
戦闘機動の頁を開くと、向かいから低い笑いが漏れた。
ビャルネは顔を上げず、孫娘の機体の記録を傍らへ寄せた。




