雨とチョコレート
<んなっ――>
今度はスコルが絶句する番だった。即座に踵を地面に突き刺し、翼を展開し急制動。更に地面に銃撃で煙幕攻撃。
テテュスは軋む駆動系の悲鳴を無視し、斬撃魔法【光刃】で薙ぎ払う。加護を受けた斬閃は眩い光で土砂の遮幕を晴らす。障壁に紫電が散り、結界が壊れるのを感じた。
寸毫の差で右手に逃れたフルムハルグを視認。躯体を翻して強引な進路変更。銃口が向けられた瞬間、深く腰を落として狙いを逸らした。一瞬の間隙に斬り上げ。相手は銃身の刃部で魔法の斬閃を受けるしかない。
「むんッ!」
太刀を投擲。防御で足を縫い留められる相手を尻目に、一足飛びで更に加速。駆動系の絶叫も押し潰す限界機動。肩に手を掛け、ついに捉えた。
「捕まえた!」
<まだだッ!>
颶風が逆巻き、音が一瞬消えた。
次いで轟音が遅れて落ち、掴まれた肩を支点に旋回。テテュスは遠心力に潰される。操縦が疎かになると、スコルが片手を振り上げた。陽光を反射する銃身の刀刃。何をするかは一目瞭然。
(まずい……っ)
かかる圧力に肺腑が締め上げられ、操縦桿にはしがみ付くので精一杯。訪れる破断の未来に、冷たい怖気が背骨を凍らせる。
【光刃】が駆動系に牙を突き立てるその刹那。パッと掴んだ手を放す。光の刃は空を切った。塵埃が光に焼かれ、粉雪のように舞い散る。
<ウソでしょっ⁉>
悲鳴交じりの声で離脱するスコル。恐慌する顔が想像できてしまう。地を揺らして蹲ると機体が静止。気道の圧迫がほどけ、テテュスはようやく呼吸を取り戻す。
「ありがとう、リョース」
煌めく宝珠が「気にするな」と語りかけてくれてるようだった。
「さあ、反撃開始だ!」
相棒に強く呼びかけ、太刀を拾ったエンドリフギルは駆け出す。対する|フルムハ
ルグ《白翼機》が地を蹴り滑翔、頭上から銃撃でガリガリ削る作戦に切り替えたようだ。
「甘いッ!」
再び投擲。曳光する太刀は陽光を細い線に変える。それを相手が躱した瞬間、【劫火】。大地が轟音で爆ぜ、赫灼の砲弾と化した機体は飛翔。軌道上の大気を全て圧殺して激突。通信越しにスコルの悲鳴が響いた。しかしすぐに怒号が飛んでくる。
<負けるかッ!>
突き付けられる銃口は発砲寸前。テテュスが想うより早く、エンドリフギルが銃身を握り潰した。
そんな指示は出してない、喉の奥で言葉が引っかかる。直後、至近の爆発で視界が紅蓮に塗り潰された。
二機は空中で縺れ合い、白翼機を抱えたエンドリフギルは両踵を地面に突き立てる。踵が刺さった地点から、蜘蛛の巣状に亀裂が走った。
拳を相手の眼前に突き出せば撃墜判定。状況終了の通告が耳朶を打った。
切迫した緊張感から解放され、盛大に溜め息をついたテテュスは座席に身を預けた。
スコルが駆るフルムハルグはとても強かった。リョースが居なければ敗北は確実。最後の着地も、彼がやってくれた。
「まったく、我が相棒は最強だな……」
コンソールに収まった宝珠が、一際大きく輝いた気がした。
<凄いです、中尉っ ここまで性能を引き出してくれるなんて!>
「少佐」
機器を間に挟んでも、彼の興奮振りは少しも減衰していない。それを微笑ましく思い、テテュスは頬を緩める。
<それでですが――>
<中尉。ともかく初演習、お疲れ様です。一度撤収してください>
副官と思しき女性士官がダグアーラを遮る。彼女の心配りと、通信越しに聴こえてくるたしなめに口を綻ばせつつも、別の想いが胸中に燻ぶっていた。
胸の奥がまだ熱い。
指先が震えているのは疲労ではなく、続きを欲しがっているから。
計器の警告灯が一瞬だけ明滅し、すぐに沈黙した。誰にも気づかれないほど小さく、宝珠が脈打つ。
テテュスは目元に微笑を湛えつつ、なぜか唾を飲み込んだ。その反応に、自身で訝しみながら期待を歩かせた。
〇 〇
雨の匂いの奥に、まだ焦げた鋼の記憶が残っている。
初演習から数日後、テテュスたちは基地の麓に広がる街ソクダルへ下りていた。
昼だというのに、空は低く垂れこめ、細い雨が石畳を絶え間なく叩いている。跳ね返った雫が靴先を濡らし、晩秋の冷たさがじわりと染みた。
「あいにくの雨だね」
傘を傾けたネイラが空を仰ぐ。深緑のコートから覗く飾り気のないパンツルックは森人の長身が映える。
「ふっふ~ん♪ こういう日の方が、却って過ごしやすいんだよ♪」
隣のスコルはむしろ上機嫌だった。モカブラウンのコートの下で揺れる暖色のスカートは、快活な笑みを浮かべるスコルに不思議なほどよく似合っていた。
彼女に案内された先にあったのは、木の看板を下げた小さな店。
カフェ「ゴートベル」。
少し濡れた扉を押した瞬間、湿った外気がふっとほどけ、焼きたての甘い香りとミルクの湯気が頬を撫でた。
「わぁ……いい匂い……!」
ノーラが肩をすくめたまま目を輝かせる。傘を畳んだ軒先の水滴が前髪に雫が落ち、テテュスはそっと手巾を差し出した。受け取った少女が拭う仕草は、小さな獣みたいに頼りなくて、思わず目尻が下がる。
「相変わらず仲良しだね」
少女を前に、ふっと目を細めるのはネイラ。 彼女に「雇ってみるか?」と尋ねれば少女が憤慨する。
「もうっ テテュスのいじわるっ」
「違う違う。ノーラは私のメイドだろう?」
ネイラには彼女以外のメイドと示唆したのだが、誤解させてしまったらしい。頭を撫でてなだめると、店員に案内されたテテュスたちは四人でテーブルを囲む。
雨で客足が遠のいたのか、店内は静かだった。
カウンターでは小鍋が火に掛けられ、とろりと盛り上がる褐色の液面を店主が木匙で混ぜている。焙った木の実にも似た深い香ばしさが鼻先をくすぐり、外の冷えを忘れさせた。
「ここはね、ホットチョコレートとココアミルクが名物なんだよ♪」
スコルが尻尾を揺らしてメニューを広げる。
「ホットチョコレートは観光客向け。こっちは毎日でも飲めるやつ」
「毎日でも?」
ノーラが首を傾げると、ネイラが淡々と補った。
「油脂を絞った粉を乳で伸ばしてるからね。飲みやすいよ?」
二人は何度か来たことがあるようで、勝手知ったる余裕を見せていた。
あれこれと迷った末、ノーラはココアミルク、テテュスは名物のホットチョコレートを頼んだ。程なく運ばれてきた小ぶりのカップは、両手で包むのにちょうどいい大きさで、指先がじんわり温まる。
「ん……おいしい」
「でしょ~?」
ノーラがぱっと顔をほころばせる。スコルが得意げに笑い、ネイラも小さく肩を竦めた。
テテュスはカップを両手で包むと、熱が指先から腕へ伝わり、肩の力が抜けた。外は雨。窓硝子を流れる雫が、演習場の砂塵とは逆に静かに世界を洗っている。
視線を雨に向けながらホットチョコレートを静かに舌へと流し込めば、濃厚な甘味と少しの苦味が舌の上で二重奏を奏でて飽きさせない。
シェアのため少女にホットチョコレートを手渡し、差し出されたココアに口をつけると、甘さは控えめで、喉を通るたびに身体の芯がほどけた。
「……なるほどな」
毎日愛飲できるというのは、あながち誇張ではなかった。サラリとした口当たりと喉越しは確かに軽やかで、何杯でも飲みたくなる。
やがてパン籠が運ばれてきた。蜂蜜が練り込まれた白パンは指で割るとふわりと湯気が立ち、薄い蜂蜜が素朴に香る。ふわふわとした生地から、噛むごとにコクのある甘味が広がり、ほろほろと解けていく。
胡桃と糖蜜の巻きパンは渦の隙間に焦げ目が走り、歯を立てると香ばしさが弾けた。林檎のコンポートを詰めたパンは小ぶりで、濃厚で甘い煮汁が舌先に溢れる。
干し葡萄のパンには野苺のジャムが添えられ、酸味が甘さを引き締めた。
「ねぇ、テテュスさま。白パン、ケーキみたいです!」
ノーラの声に、スコルが笑う。ネイラは淡泊な態度の中、口元だけは緩んでいた。
湯気の向こうで、四人の間に落ちた沈黙は、戦いの重さではなく、温さだった。
彼女たちの間に流れる空気は柔らかく、雨音さえ遠い。
その様子を見渡しながら、テテュスは胸の奥がふっと緩むのを感じる。
それでも。そのさらに底では、戦いの熱がまだ小さく燻っていた。
笑い声の中で、そこだけが静かに火を抱いている。
テテュスはそれに気づかないふりをして、ホットチョコレートを一口飲んだ。濃い甘さが苦味を孕んで喉を落ちていく。けれど、胸の底の火だけは、雨も湯気も届かない場所で、まだ消えずにいた。まるで熾火のように。
「っていうか。二人ってホントに私服持ってないんだね?」
ネイラから振られた話題に対し、ノーラはきょとんとし、テテュスは一瞬だけ言葉に詰まる。
胸元の布が妙に重い。喉が狭まり、カップを持つ指先に無意識に力が入った。
白と緋色の巫女装束を纏う自分、それ以外の姿を考えたことがない。その事実だけが、妙に心許ない。
ホットチョコレートに視線を注ぐテテュスの心には、波紋が広がっていた。




