迅風の翼
軽く歩行した後、エンドリフギルは機兵架に収納され調整が始まった。
梯子と架橋を忙しなく往来し、建物に金属音を反響させる整備兵たちの中。テテュスはダグアーラの他、数人の技術士官とやり取りをしていると瞬く間に時は過ぎてった。
「やっほ~♪ どんな感じ?」
機体を仰ぎ尋ねて来るのは、小柄な体躯のスコル。灰白の強化服は彼女の女性的な曲線美を強調していた。
「もうすぐ大詰めですよ」
開放されたコックピットテテュスが声を発する中、座席を隔てたダグアーラは返事をしない。
作業着姿で魔導回路に身を屈め、油に汚れた手袋を外し指先で術式の縁をなぞっている。傷を撫でるように、あるいは獣の喉元を確かめるように。
魔力の伝導率を測っているようだ。整備兵が何かを報告しても、視線は上がらない。機体の内側へ深く潜り込むような集中。
その横顔は、危ういほどに美しかった。
「わかった。悪いけど、初戦は勝たせてもらうから♪」
腰に手を当て、胸を突き出すことで曲線美が前面に押し出され、男共の視線が一点に集中する。テテュスはそれを、凍り付いた視線で搭乗席から睥睨していた。
「男って……」
半眼でぼやいてると画面の端、エンドリフギルを見詰めているナイジェルの姿。何かを訴えかける眼差しが慇懃な言動を思い起こさせ、軍属巫女は彼を意識の外に追いやった。
手持無沙汰になったテテュスは開いたコックピットの縁に肘を置き、指先で冷たい装甲をなぞった。
熱い。触れているのは硬質な鋼なのに、胸の底だけが先に火照る。
〇 〇
機体の最終調整が終わり、テテュスはエンドリフギルを演習場に向かわせた。
鋼の巨躯が一歩を刻むたび、地面の奥が鈍く唸った。
足裏の接地は遅れて来る衝撃となって操縦席へ昇り、肋骨の内側を叩く。
その一方で魔導心炉の脈動が背骨に伝わり、視界の隅で計器の針が微かに震えた。
山頂部の研究施設に対し、演習場が山の中腹にあるのはラクリマ基地と似ていた。朝方の霧も今は見る影もなく、淡い空色が地面を照らしていた。
一足先に待っていたスコルが駆るのは、白亜の機体。
陽光が映える躯体の装甲は白磁を思わせる。風を纏うように青銀へと偏光した細身の機体は、静止してなお滑走する矢のごとき飛翔の気配を孕んでいる。流線の肢体は優雅に伸び、顎をわずかに引いた立ち姿は、刃にも似た静かな威厳を湛えていた。
名はフルムハルグ。エンドリフギルと同じで、今は背中の飛翼はオミットされていた。但し、腰背部の滑空翼は装備されたままの高機動仕様。
有翼の巨人とは距離を隔てているのに、瞬時に距離を詰めて躍り掛かって来そうな激しい気性を内包しているようにも見える。目にする度、喉元に牙をあてがわれた心地になって落ち着かない。
「自信も、納得だな」
対するテテュスの専用機は推進器を脹脛に忍ばせる。フィヨルズボリンと同じで、直感的な操縦も大丈夫そうだ。
<二人共、準備はいいですか?>
通信越しの声はダグアーラ。問題ないと答えれば、核に宿るリョースが賛意を示した気がした。
<いつでもどうぞ♪>
嬉々とした顔が目に浮かびそうだ。スコルの返答に、テテュスはクスリと口角を上げる。
太刀を携える真紅のエンドリフギルと、二丁拳銃を提げる白亜のフルムハルグ。晴天の下で対峙する二機は、色そのものが喧嘩を売り合っている。
沈黙の間、演習場の砂礫は振動していた。互いの質量と機巧の駆動音が地面を押し潰し、目に見えぬ波紋が足元で広がる。
<お二人の、健闘を祈ります>
少佐の通信が切れると空気が締まり、次の瞬間には「始まる」という事実だけが身体に落ちてきた。
「さあ、リョース。勝ちに行こう」
口端を不敵に吊り上げ、機体に収まる相棒へ発破をかける。
演習開始。ブザーが鳴った直後、スコルが飛んだ。
「なっ――」
軽く、速い。白亜の滑空翼が、地上を滑るように詰めてくる。踏み込もうとしたが完全に裏をかかれ、堪らず瞠目。
対してエンドリフギルの初動は僅かに重い。舌打ちしたテテュスは操縦桿を軽く傾けると、関節が重力の軛を断ち切り慣性が空転する。
真紅の巨体を脇構えで半歩だけ引かせた。それだけで踵の下の土が皺を寄せ、石が砕けて跳ねた。衝撃は遅れて操縦席へ上がり、胃が一瞬だけ下へ引かれる。格納庫で感じた熱はこの瞬間、質量の圧として胸郭を締め付けた。
地面を抉り、土煙を上げ軟着陸しながら近距離で銃を構えるフルムハルグ。
まだ撃たない。次の行動を誘っている。だからこそテテュスは迎撃態勢。銃口に魔力の高まりを感じた瞬間、脚部の推進器で跳躍。
爆ぜる推力で地面が陥没し、逆巻く石と砂。猛る駆動音を響かせる鋼の巨体。それが空の一部を占有することで大気が悲鳴を上げた。
空を切る銀の閃光を躱し二体の機兵が天と地で交錯すると、白亜の飛翼は急反転。頭上に狙いを定めた直後、空に逃げたエンドリフギルは更なる噴炎を上げ真横に滑空。片足ずつ噴射させることで急激な空中機動を実現した。弾丸は虚しく空気を穿つ。
虚空に咲く炎は美しくも、テテュスに牙を剥く。推力が脚から骨盤へ突き上げ、固定帯が肩を噛む。跳躍したことで地上の砂が一斉に後ろへ流れ、遅れて轟音が追いついた。
「やはり、馴染むな……っ」
テテュスは喜悦を漏らして画面に食い入る。乗り心地はまるで飛翔鎧。一瞬の時間差もなく追従してくれる反応速度。自身の魔力が循環する鋼の巨体はもはや、拡張した四肢にも思えた。
これなら、操縦で後れを取ることもなさそうだ。心臓の拍動が加速し、魔力の充溢で精神が昂る。あるのはただ、恍惚にも似た戦意だけ。革帯の食い込みは、強化服の緩衝力が全て阻んでいる。
まだ地に足はあるのに、もう空の味を覚えてしまった。
<いいねぇ♪ そう来なくっちゃ!>
衝撃を穿って地表を疾駆するエンドリフギルに、スコルは喜色を滲ませた声で応射。魔法の弾丸が空中にばらまかれ弾幕を形成。横っ飛びで大きく回避すると、着地点に向かって一発の銃弾が肉薄。
唸る機巧の腕で一刀両断。爆炎が舞い、火中に突進。スコルが接近させまいと発砲するも、悉く斬り伏せた。突風を起こす滑空翼で逃れても、一瞬で間合いを潰す瞬発力がこの機体にはある。相手もそれが解っているのか、中々距離を取ろうとしない。
攻撃の最中、太刀を振るうエンドリフギルの装甲を銃弾が掠め、薄い火花が散る。熱が頬に触れた気がして、喉が笑いそうになる。危険の匂いが、甘い。
「はああああッ!」
テテュスは刀身に展開する斬撃魔法を飛ばす。進路上の弾丸は儚く散華し、障壁結界へと牙を剥く。すると今度は二丁拳銃で地上掃射。土砂の紗幕が立ち上がる。その中に突っ込むともぬけの殻。周囲を見渡したが、白亜の翼は影も形もない。
「上――」
機体の顎を跳ね上げたと同時、連射された弾丸が驟雨の如く降り注ぐ。展開された結界が受け止めるも、瞬く間に耐久力が削られていく。操縦桿とペダルを操り、苦虫を噛み潰して全速離脱。
だが、みすみす逃がしてくれる相手でもない。滑空から着地すると、接近して畳み掛けに来た。近接戦闘は、銃身下部の刃部で応戦する心算を看破する。
「オオオオオオオオオオッッ!」
向かって来るなら、迎撃するまで。噴口が宙に炎の尾を引き、一気呵成に吶喊。しかし、轟風をなびかせヒラリと回避。驚愕を浮かべて急制動。地裂の砂塵を吹き上げ、無様にも背中を晒した醜態に弾丸が殺到。障壁が決壊し一発着弾。装甲が撓み、五体に駆け上がる衝撃が冷える肝を潰しにかかる。
(このままでは――)
一方的にやられる。テテュスは画面を睨み、滾る臍を噛む。堪らず距離を取って弾幕から脱出。それでも振り切れない。有翼の機体とでは、機動力が違う。
(少佐が託してくれたのに……っ)
魔弾に対し機動防御に奔走する中で口を真一文字に引き結び、喉からせり上がる感情を必死に抑え込んでいた。
<ほら、どうしたの? まだ、そんなものじゃないでしょ⁉>
滑空翼が【突風】を展開。迸る轟風。余波で砂礫が舞い上がり、後方の観測塔に叩きつけられる。けれどダグアーラを案じている余裕がテテュスにはない。
翼で風に乗ったスコルが突撃。弾幕を展開してこのまま間合いを潰し、戦闘を終わらせようという魂胆が透けて見えた。
「そっちがその気なら……」
蛮勇の暴挙に鉄槌を。銀光を発する巫女は奥歯で苦虫を噛み潰す。
(リョース!)
機体内で脈動する魔力の奔流、それに支流を作り相棒に送り込む。推進器内の【劫火】の術式を増幅させる、幼精の加護によって。
轟く爆閃。砂塵が燃え上がり、暴力的な加速がテテュスの身体を貫いた。
世界が後塵を拝す加速の中、計器類が警告域に入る。
音が消えた次の瞬間、轟音が遅れて内臓を押し潰す。この軋みが今は心地いい。




