↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝翼のテテュス ~誇り高き巫女は、王子の愛に靡かない~  作者: 三津朔夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/73

霧の城

 ナイジェルは悪びれることなく、清涼な空気を纏《まと》ったまま指摘する。


「その発言は、越権行為なのでは?」

「は?」


 口から出た声が、自分でも薄く聞こえた。

 背中に視線を感じて振り返る。神殿から出向している壮年の神官。静かに見定めようとする冷徹な眼差しに、胸に微《かす》かな痛痒《つうよう》を覚えて落ち着かない。


「いいえ、違います」


 ダグアーラが、被せる。


「中尉は、何も変なことは言ってません」


 その瞬間、胸の奥がふっと緩《ゆる》んだ。差し出された助け舟に、安堵《あんど》してしまった。

 同時に、別のものが喉《のど》の奥に刺さる。庇《かば》われたのは、発言が正しいからではない。

 自分の失言が、ダグアーラの職責内に収められただけ。


「殿下……」


 ナイジェルの眉根《まゆね》が一瞬だけ揺《ゆ》れた。仮面の下の本心が、刃の先のように覗《のぞ》く。

 だがすぐ整う。その冷たさに、テテュスの皮膚が粟《あわ》立つ。

 揺《ゆ》るぎない自信を湛《たた》えた碧眼《へきがん》を前に翻意《ほんい》が無理だと悟ったのか、神殿騎士は肩を竦《すく》めた。


「仕方ありませんね。殿下がそういうのであれば」


 浮かべた苦笑には、冷たい諦観《ていかん》が滲んでいた。二人の関係にヒビが入ったように感じられ、テテュスは落ち着かない。

 テテュスは匙《さじ》を持つ指先に、力が入らないのを自覚した。

 さっきの我儘《わがまま》が、少佐の迷惑になっている。迷惑どころか少佐の立場を笠《かさ》に着て、自分の居場所を守った。


「大丈夫です」


 ダグアーラが、こちらを見る。


「守るって、約束しましたから」


 瞳の蒼碧《そうへき》が細まる。その優しさが、今はひどく甘い。甘い毒が胸の内側へ染み出し、息をするたびに広がっていく。

 安心してしまう。頼ってしまう。それが怖い。


「少佐……」


 何を言うべきなのか。テテュスは自身の本音を見失い、ありのまま出すことを恐れて言葉が迷子になる。


「さ。食べましょう。移動は強行軍ですから」

「……はい」


 ノーラが不安げにこちらを見ている。テテュスは笑ってみせた。笑える自分が、一番苦しい。

 食器の音だけが、静かに響いた。

 その静けさは、和《なご》やかさではない。

 呑《の》み込み切れずわだかまる想いが、舌を鈍らせた。

 

 〇                           〇


 ほの暗い朝。冷たい木と石の匂いが鼻先をかすめる。

 目覚めた瞬間、知らない天井が視界に落ちてきた。


(……ああ。そうだ)


 身体を起こすと、背中の筋が重い。毛布の匂いが違う。基地の布は洗剤の香りが薄く、幽《かす》かに森の匂いがした。

 感覚が鮮明になるにつれ、ソクボルグ基地に来た実感が立ち上がる。


 食堂の湯気。スプーンが皿を叩く小さな音。ノーラの笑い声。

 そして、あの目。神官の冷徹な視線。

 夕食の席はささやかな歓迎会の様相を呈《てい》し、再会したネイラが軽口を叩き、スコルが冗談《じょうだん》を飛ばして笑いに包まれた。


 それだけで胸の奥がほどけて、危うく泣きそうになった。

 だから、笑ってしまった。

 笑って、全部を誤魔化した。

 入浴の湯気の中で、ようやく呼吸が深くなった。

 それでも、寝台に横たわった瞬間。肚底《はらそこ》の冷えだけは残っていた。


『楽しみだな』


 その呟《つぶや》きは、嘘《うそ》ではない。

 まだ見ぬ専用機を操縦する事に対し、興味があるのも事実。ダグアーラによれば、反応速度は最新鋭機(ヒュルンドレキ)を上回るという。それに胸が躍《おど》ったのは間違いない。


 けれどそれは、希望じゃない。

 懺悔《ざんげ》の色を含んでいた。

 ふと、手の甲が疼《うず》く。

 指先でなぞると、後悔が背骨を駆け上がった。


「ふぅ…………」


 切り替えろ。心の中で強く念じて頭《かぶり》を振る。それだけで、頭の中の靄《もや》も少しは晴れた。

 テテュスはベッドから出て、部屋の窓を開ける。


 白濁した霧の眺望《ちょうぼう》。高い標高の晩秋は冬の気配を含み、無意識に呼吸が浅くなる。

 南東部高原の縁に張り付くように築かれているソクボルグ基地は、いわば天然の要塞。


 切り立った斜面の上に広がる石造りの建物群は、朝夕《ちょうせき》になると濃霧《のうむ》に包まれ、遠目には輪郭《りんかく》すら白煙の遮幕《しゃまく》に没《ぼっ》する。


(攻め上がるには、最悪の地形ね)


 眼下を見渡して分かったが、飛翔鎧(セラフィム)での索敵《さくてき》も難しそうだ。テテュスは要害の堅牢《けんろう》さに感心する。

 視界は奪われ、足場は湿り、攻城兵器の設営にも倍の手間がかかる。その霧は守勢にとって、城壁よりも強力な防塁《ぼうるい》だった。

 攻める者を拒む城。近代化改修して運用するのは、参謀本部の慧眼《けいがん》があればこそ。


「いやー、何度来てもご飯が美味しいねぇ♪」


 食堂に響いたのは、スコルの快活な声。昨日の内に朝食を一緒に取る約束をしていた四人は、テーブルの一角を占有《せんゆう》していた。護衛のゼルヴァは、少し離れた位置で黙々と食指を動かす。

 彼女はジャガイモが入ったホクホクの煮込み料理を頬張《ほおば》り、満足そうに息を吐く。


「ま、高原野菜が新鮮だからね」


 応じるネイラは淡々としていた。肘《ひじ》をつくと、匙《さじ》を回して弄《もてあそ》ぶ。

 寒暖差があると野菜は糖度が増す。それをテテュスは、神殿に奉職していた頃から知っていた。


「これで、パンが白ければなぁ。ハハ……」


 逸らした視線を床に落とし、乾いた笑いが哀愁《あいしゅう》を漂わせる。テテュスにとってパンとは、茶色か黒なのでスコルの気持ちが分からない。ただ、彼女なりに耐え忍んで来たことは窺《うかが》えた。


「近衛師団は、随分といいもの食ってたんだね?」


 さすがお貴族サマ。庶民《しょみん》代表からの皮肉に、スコルの眉《まゆ》がピクリと跳ねる。

 近衛師団は王都に駐屯《ちゅうとん》しており、穀倉地帯の恩恵を受けているようだった。最新の製粉機は性能が良いと、研修時代に聞いた事があった。


「そうだよ。お貴族様はね、しっかり経済も回しちゃうんだよ? その辺の庶民よ・り・も♪」


 胸を反らして勝ち誇るスコルに対し、ネイラは咀嚼《そしゃく》していた口をへの字に曲げた。

 まるで子供のケンカだ。黒パンをもそもそ食べるテテュスが静観していると、口を開いたのはノーラ。


「白パンって、そんなにおいしいんですか?」


 少女が首をかしげるのも無理はない。暮らしていた孤児院は裕福とは言い難《がた》く、ラクリマ基地も白パンは出なかった。


「うんっ とっても美味しいよ? ケーキみたいにね♪」

「ケーキ⁉」


 ノーラの顔が目に見えて輝き出した。その笑顔は屈託《くったく》がない。テテュスは胸の奥が、ふっと緩《ゆる》むのを感じた。


「今度、食べに行こうか?」


 はい。幼い侍女《じじょ》は嬉々として首を縦に振る。

 皮肉の応酬《おうしゅう》をしていた二人は見合わせた顔を綻ばせ、朝餉《あさげ》の一時は穏やかな空気が流れていた。


 ヴァールヘイト基地で抱えたもの。

 越権《えっけん》、庇護《ひご》、甘さ。それらは、今この食卓では語られない。

 語られないからこそ、ここは心地いい。

 食器の音が落ち着き、湯気の匂いが薄くなる頃。食堂の入口に、金色の尻尾《しっぽ》が揺《ゆ》れて現れる。ダグアーラだ。


「中尉。少し時間を頂けますか?」


 耳朶《じだ》を打つ少年の声に、甘い疼《うず》きが胸に宿る。屈託ない笑みを浮かべる姿は見ていて微笑《ほほえ》ましい。だが少年の後方には神殿騎士が控《ひか》えており、嫌でも昨日の事を思い出した。


「おはよー♪ ダグアーラ少佐。ゴハン食べた?」


 柔らかく尻尾と手を振るのはスコル。彼は短く「はい」とだけ。

 食卓を訪れた少佐は他の面々にも会釈《えしゃく》し、次にテテュスへ向き直る。


「試運転の前に、最終調整をお願いします」


 嬉々として上気した頬《ほお》が、旺盛《おうせい》な好奇心を物語っていた。自身が設計した機体の動くところを早く見たい。衝動的な愉悦《ゆえつ》が全身から溢《あふ》れ出している。ダグアーラの無邪気さに当てられ、口角を緩ませる自分がいた。


「はい」


 それ以外の言葉など、意味がない。テテュスも思わず頬《ほお》が綻《ほころ》ぶ。ただ、突き刺さる視線が心に冷や水を浴びせて来る。


「天才である殿下が技術を愛し、政治を理解しておられることは重々承知しております。ですが誤解を生む余地は、作らぬに越したことはございません。愛情すら政治に変質するのが、王族なれば」


 ナイジェルの言葉に、その場の空気が凍る。ダグアーラは忠言を送る護衛へ向ける碧眼《へきがん》に、烈火《れっか》の炎を宿していた。

 政治の力を使えばこそ、研究を継続できてるのは自明。技術の牙城にあって、それを否定することはできないでいた。


「僕は、一人の技術者としてここに居ます……」


 それだけ言うと、口を引き結ぶ。震える拳に気持ちを押し込めた少年の、ささやかな抵抗だった。


「ええ、そうでしょうとも。私は殿下の口から直接、それを聞きたかったのですよ」


 言質《げんち》を取ったと、柔和な笑みを浮かべる。自身の立場を鑑みればこそ沈黙を貫くダグアーラ。テテュスは代わりに抗弁したい衝動が沸き起こるが、昨日の事が二の足を踏ませる。

 もどかしさに肚《はら》の底で焦燥《しょうそう》が募る。少年に視線を向ければ、微笑を返してくれた。一瞬、心臓が跳ねた。


「貴方に言われずとも、政治は理解しています」


 少年は柔らかい声音で、しかし確信を込めてそれを口にする。


「だからこそ、証明します。技術で」


 前人未到の大望を。揺らぐことなく。


「ナイジェルはさ。護衛が任務なら、政治に口挟むのは職分を超えてるんじゃないの?」

「一番手っ取り早いのはさ、結果で黙らせることじゃない?」


 友人二人も護衛役に苦言を呈《てい》する。形勢不利を悟ったのか、青年は大仰《おおぎょう》に肩を竦《すく》めた。


「では、行きましょうか? 中尉」


 爽やかな笑みから差し出される手。食事を終えたテテュスは椅子を引くと、


「それじゃ、後でね♪」

「がんばれ」

「応援してますっ」


 三人は口々に鼓舞《こぶ》して送り出してくれた。


「みんな、ありがとう」


 緊張がほどけ、胸の奥に残る冷えが霧のように薄れていく。

 ——今度こそ、大丈夫。

 そう、信じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。