本能寺の変(後)
頼りは二本のろうそく。
揺らめく小さなろうそくの明かりが細く狭い階段の足元を照らしているけど、その明かりは頼りなく、一気に駆け下りる事はできない。
何m降りたのか分からないけど、ようやく一番下にたどり着いた。
そこから続く通路の入り口の幅は、人一人がようやく通れる程度。
そして、その高さも低く、女の私がやっとの高さ。
信長様や長益様では屈まなければならない。
通路もこの高さと狭さだとすると、素早く移動はできそうもない。
通路の先にろうそくを向けて、目を凝らしてみる。
ろうそくの明かりは少し先を照らすのが限界で、通路の全容を照らし出す力は無かった。見える範囲ではその通路は入り口の形のまま、まっすぐ延びている感じ。
やはり素早い移動はできそうにない。
とは言え、広大な本能寺の敷地を抜けた先につながる通路を、急ごしらえさせただけに、文句は言えない。
それに戻る事はできない。
急いで行くしかない。
そんな思いで一人頷いてから、声に決意を出して行った。
「行きます」
そう言って、振り返ると、頷く長益と信長様がぼんやりとした暖かい光の中に浮かび上がった。
信長様の着物には赤い血の色が、大きく広がっていた。
急がないと!
そう思って、私は通路の先に進み始めた。
先頭を歩く私って、何だか信長様を逃がす英雄の気分。
とんでもない事態だと言うのに、一瞬湧き上がってきた昂揚感。
でも、早くこの場から離れて、信長様と一緒に安堵感に包まれたい。
そんな思いが込み上げてきて、私の頭の中のクロック周波数を上げる。
それにつられて、足が速まる
早く、早く。
暗闇の中を移動していく。
そんな時だった。
背後から軽い衝撃波が襲ってきた事に気づいた。
入り口を隠すための火薬に火が点いた?
もうあの部屋の辺りまで、火が回っていたの?
そう思った瞬間、天井からぱらぱらと土が落ちてきた。
今さらだけど、足を止めて、冷静になって周りに目を向けると、通路は本当に掘って土を固めただけの構造で、天井を支える構造すら無かった。
「早く抜けないと、危ないかもよ」冷静な私の言葉に納得。
「急ぎましょう」
そう言うため振り返ろうとした時、「ドドド」と言う音と、土の匂いが襲ってきた。
背後の天井が崩れた!?
きっと、さっきの衝撃波が原因だろう。
慌てて振り向くと、二人の姿はそこには無く、長益が手にしていたはずのろうそくの明かりも無かった。
私は一人慌て過ぎていた。
私よりも大きな二人が私のペースで移動なんてできやしなかった。
「上様ぁ」
長益の声が背後の暗闇の中にこだました。
とんでもない事が起きている。
私は慌てて狭い通路の中、体の向きを反転させて、引き返して行った。
暗闇のその先に、ぼんやりと長益の後ろ姿が浮かび上がった。
背中に積もる土。
やはり天井が崩落したらしい。
でも、信長様の気配は無い。
「ねね、明かりを」
「は、は、はい!」
そう言って、明かりを近づけると、長益のその先に土の壁が出来上がっていた。
信長様はその壁の向こうにいるはず。
そして、さっきの衝撃波が通路の入り口の周りに仕掛けられていた爆薬の爆発によるものだとすると、信長様は閉じ込められた事になる。
「崩しましょう」
「あい分かった」
私の提案に長益が、目の前の土の壁を手で崩し始めた。
狭い通路。横に並ぶこともできないので、長益の背後から手を伸ばして、私も土の壁を崩し始めた。
そんな時、かすかだけど、人の声が聞こえる気がした。
「長益様。声が聞こえませんか?」
長益も私も手を止めて、耳を澄ましてみた。
暗く細い通路の中、かすかに聞こえるのは信長様の声。
信長様は無事なんだ!
長益と私は顔を見合わせて、頷き合った。
早く壁を崩せ!
そう言っているんだと思いつつ、耳を澄まして聞いてみた。
「長益、ねね。聞こえておるか?」
「はい!上様!」
信長様の問いかけに、真っ先に答えたのは私だった。
「今、助け出しますから!」
そう言って、再び土の壁を崩し始めた私の耳に意外な声が聞こえてきた。
「ねね、よいか。
わしを置いて落ちよ!」
「何をおっしゃるんですか!
今すぐです!」
「長益。ねねを連れて、落ちよ。
ぐずくずしておると、お前たちも出られなくなる」
「嫌です!」
私はきっぱり言った。
土を崩す手は止めない。
「残念じゃが、わしはもうだめであろう。
わしは動けぬ。
ここでわしが死を迎えれば、光秀にわしの御首級を渡さずにすむ。
さぞや光秀の奴、悔しがるであろう」
突然、壁の向こうから聞こえてきた意外な言葉は私を絶望に追い込んだ。
やっぱ、歴史には勝てないの?
大好きな信長様を助ける事もできないの?
歴史を知っていたのに……。
返す言葉も見つけられず、口から言葉が出ない。
代わりに瞳から、涙があふれ出してきた。
「ねね。
相手が光秀では、信忠も生き残る事はできまい。
わしに代わって、天下を盗れ!
そちなら、できるじゃろう」
何を言っているのか、私の頭は理解できちゃいない。
「長益。早く、ねねを落せ。
よいな!」
「上様っ」
「ねねを連れて行け」
「上様ぁぁぁ」
それが信長様にかけた最後の私の言葉だった。
再び天井は崩れ始めた。
「嫌、嫌、嫌よ」
もがきながら、土の壁を崩そうと続けた。
降り注ぐ土の雨。
長益が私の体を掴んで押し出そうとする。
土の壁が遠くなっていく。
土砂降りの土の雨。
それが私と信長様の間を引き裂いていく。
ろうそくの灯も消え、真っ暗な闇の中。
私の体も土の中に埋もれて行く?
闇に包まれている事と、信長様を救い出せなかった衝撃から、私の思考も精神も混乱気味。
自分が今、どうなっているのかさえ分からない。
そんな中、何かが頭に当たった気がして、私の意識も闇に引き込まれて行った。
私の意識が戻った時、外には太陽が輝いていた。
私は小さな町家の部屋で、布団に寝かされていた。
私を取り囲む見知らぬ男たち。
「お方様!」
「ご無事で」
服装は町民風だけど、どうやら官兵衛の配下の者たちらしい。
「信長様は?」
私の問いかけに、男たちは静かに俯き、首を横に振った。
男たちの話では、抜け出て来ない私たちの事が心配で、抜け穴に入って来てくれたらしい。
そして、私を連れ出そうとする長益と出会ったらしかった。
長益の話を聞き、男たちは私たちを助け出した後、信長様を助け出すため、奥に向かって行ったけど、抜け穴の崩落は続き、身の危険を感じて引き返してきたらしかった。
もはや抜け穴は埋もれていると言ってもいいほどらしい。
土を掘り出さなければ先に進めないけど、光秀が支配する京では、そんな真似できる訳もない。
今となっては、信長様がどうなったかを確認する術すらないとの事だった。
光秀が襲ってくると分かっていたのに、大切な信長様を守りきれなかった。
全ては私のせい。
歴史に逆らえなかった。
そう悔み始めた時、この世界に来たばかりの頃に見た幻の中で聞いた言葉が脳裏に甦ってきた。
「島原君、以前に言ってたよね。
未来を変えるのはそう簡単じゃないって」
そうなんだ。
きっと、光秀を殺すくらいの事をやらないと歴史は変わらなかったんだ。
私が無理と簡単に諦めた光秀殺害。
諦めてたんじゃ未来を変える事はできない。
どんなに難しい事でも、挑んでみなきゃならないんだ。
悔やんでみても、もう遅かった。
私の憧れ、信長様は帰ってこない……。
結局は歴史どおりとなってしまった本能寺の変。
光秀の兵たちが焼け落ちた本能寺の跡で、信長様の御首級を探し求め回っている。
どんな人数をかけても、地上を捜し歩いても見つける事などできやしない。
信長様の御首級を奴ら謀反人などの手に渡さないためにも、今は信長様はそのままにしておくことにした。
おそらく亡くなっているであろう信長様が眠る通路の入り口に、両手を合わせて祈った。
こんな時は、今まで信じていなかった天国と言うものを信じたくなる。
あの世で幸せに。
そして、私が仇を討つのを見守ってくださいと。
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