10
「今思い返すと、僕ってやっぱり、子供だったよなぁ……」
ラビリオ・グラースは遠い眼差しでぽつりと呟いた。
思い返す事5年前、父に言われた一言が耳に蘇る。
『これじゃあもう、騎士になれないね』
『じゃあ、学者になればいいよ、ラビリオは本や勉強が好きだろ?』
ラビリオは静かに目を閉じ、思う。
今なら言える。
昔の僕、ちょっと待て、と。
さわり、と風が紺色の髪を撫でていく。
ラビリオはつい先日、無事に11歳を迎えた。
この時期になると必ず思い出す、それに連なる黒歴史にラビリオは深くため息をついた後、両手で顔を覆って項垂れた。
「あれはない……、あれはないよ……」
あれから5年、一つ年を重ねるごとにラビリオは人目に付かない庭の奥で一人悶え、苦しんだ。
同年代との接触が初めてのあの日、数ヶ月年下の幼い少女に手を引かれながら泣きじゃくるラビリオを父母はおやおや、あらあら、と困ったように笑って出迎えた。
少女の父がラビリオの父と親友(父談)という事もあって、その日以降、交流は続いている。
それは構わない。構わないのだが、毎年この時期になると、必ずその話題を父母は振ってくる。
主に父主導で。
ラビリオももう11歳、かなり難しい年頃であるのだから、毎年傷口に塩を塗り込むような真似はやめてほしい。
お陰でその少女の家との交流は続いているものの、顔を合わせづらくなって仕方ない。
顔を合わせるのも月に一度、会うか会わないか程度なので、ようやく顔をマトモに見られるようになった1年後に(主に)父に傷を抉られるので、1年がかりの作業も振り出しに戻り、再びエンドレスである。
挙動不審この上ないラビリオをかの少女は初対面の第一印象そのままに、人付き合いの苦手な友人として認識し、嫌な顔一つせずに相手をしてくれているのが切ない。
「違う……、違うんだ……」
それが言えたら、それを理解してもらえたらどれだけ楽だろうか。
ラビリオも、あれからそれなりに人付き合いが増えた。友人と呼べる相手も彼女の他にも何人かいる。
普通に話すし、相手から目を逸らす事もない。
ただ一人の少女を除いては。
ラビリオにとって、初めてできた友人は、諦めかけたラビリオの夢に寄り添ってくれた、かけがえのない親友である。
大事な事なのでもう一度言う。
親友である。
決して、父と少女の父のような一方的な関係ではない。
ないと願いたい。
絶望に打ちひしがれたラビリオに希望の光を見せてくれた。
霞んでしか見えない筈の少女の満面の笑顔が、鮮明に見えたあの一瞬をラビリオは忘れない。
少女と出会った翌日、主治医を呼んでもらい、両親立会いの元でラビリオの視力について話し合いが行われた。
主治医が言うには、ラビリオのように悪環境で眼を酷使し、視力が下がる場合、一時的なものと、そうでないものがあるらしい。
遺伝や体質がそれに影響するという説もあるとかなんとか。
けれど、目つきが凶悪になる程眇めなければ見えないラビリオに医者は早々に諦めなさいと諭したが、少年は首を縦に降らなかった。
長い話し合いの末にやるだけやってみましょうと、いう結果となり、ラビリオは必死に視力の回復に努めた。
現在では時折霞むものの、裸眼でも字が読めるまでに回復した。
少年は決意も新たに夢の為に励んだ。そして今は、新たな目標が一つ増え、そちらも頑張っている。
具体的には彼女と面と向かって話せる努力を。
僕はやり遂げてみせる!!
そんな決意を新たにしたところで、背後でがさり、と音がした。
「こんなところに居ましたか、坊ちゃん」
振り返れば腰に剣を下げた赤毛の青年が低木ごしにラビリオを見下ろしていた。
「レット」
ラビリオは慌ててぱっと立ち上がる。
「ああ……っと」
レットと呼ばれた青年は生ぬるい視線を宙に彷徨わせる。
「その、毎年恒例の儀式は終わりましたか?」
その言葉にラビリオはふっと瞳に影を宿し黄昏た。
「……うん……」
「……ご愁傷様です……」
レットに言える事はこれで精一杯だ。
そろそろ思春期を迎える一人息子の心の傷に塩を塗るのはグラース家当主の恒例行事となっている。本人は微笑ましい思い出話のつもりだろうが、いかんせん、相手は多感な男の子である。
ラビリオが幼い頃から付き合いのある青年は当主の思い出話しの度にふらりと姿を消した子息を探し、毎年同じ場所で同じ光景を見てきた。
もはや、これもまた、恒例行事の一環である。
「そろそろ行けますか?」
「うん、行く!」
気遣いいっぱいの青年の言葉に、ラビリオは顔を上げて闘志を込めて傍の木剣を拾い上げた。
「今日は一本取るからね」
「言うようになりましたね」
レットは意気込むラビリオにニヤリと笑いかける。
「意気込みは大事ですけど、ペース配分もしっかり考えて下さい、今日はお出掛けでしょう?」
「う、うん」
表情が硬くなるラビリオの様子にやれやれ、とため息をつく。
「イリーナ嬢、でしたっけ?」
レットの言葉に少年の肩が震えた。
イリーナ・ハルベル
上流階級の有力者の末娘、家族総出で甘やかされ、蝶よ花よと大事に大事に育てられているという話は有名だ。
彼女が自分の思い通りにならない事に怒ろうが、家族は彼女を叱る事なく、その望みを叶えようと手を尽くすとかなんとか。
「そんなに嫌なら、行かなきゃいいじゃないですか」
グラース家の子息はいつも緊張した面持ちでハルベル家へ赴き、肩をしょんぼりさせて帰ってくる。
他所様の事情に首を突っ込むのもどうかと思うが、口数がそう多くないながらも、少なくもない少年が、背中にどんより重い空気を背負いながら、「今日もダメだった……」とため息を吐く姿はどうにも気持ちの良いものではない。
それに噂通りの少女であるならば、さぞかし気も重かろう。
そう思っての言葉だったが、
「そんな事ないよ!!」
思わぬ少年の反論にレットは面食らう。
「嫌とかじゃなくて、僕はイリーナに会いたいし、いっぱい話したいのに、父さんのせいで顔を合わせづらいって言うか、なんて言うか……」
俯き、ボソボソと口にする少年に、レットの口元は次第に緩み始める。
「はは〜ん、御当主の話にある小さな御令嬢はイリーナ嬢の事でしたか」
瞬間、ラビリオの耳が真っ赤に染まる。
「んじゃ、今日は俺から一本しっかり取って、可愛いイリーナ嬢への土産話にしなきゃなりませんね」
「なっ!!違……!!イリーナは僕の大事な親友で!確かにイリーナは可愛いと思うけど、そんなんじゃ……!?」
「はいはい」
益々顔を真っ赤にさせ、ムキになって反論するラビリオのその様子にレットはニヤニヤと笑いながら、少年の背をパンパンと叩いた。
「でも、一本は自力で勝ち取りましょうね」
「あ、当たり前だろ!!」
レットとラビリオは連れ立って訓練場へと歩き出した。




