表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第1話「召喚されたのに、俺だけハリセンだった」

 光が、うるさい。


 比喩じゃなく、本当にうるさかった。目を閉じているのに白が瞼を貫通してきて、耳の奥では高周波みたいな振動がずっと鳴っている。全身が浮いている感覚。足の裏がどこにも触れていない。水中とも違う——重力ごと持ち上げられて、自分という存在がどこか別の場所へ運ばれている。


 そんな感じだった。


 目を開けた。


 白い光の柱の中にいた。光というより、発光する霧に近い。手を伸ばすと指先の向こうが透けて、その先に——見えた。


 文字だ。


 空中に浮かぶ、透明な文字列。淡く光る輪郭だけが、光の霧の中に何行も何行も漂っている。


 【勇者補正:起動済み】

 【好感度誘導:対象固定中】

 【感動演出:自動展開準備完了】


 読めた。日本語だった。いや、日本語に見えているだけかもしれない。でも意味は分かる。分かってしまう。


 ——なんだ、これ。


 舞台裏だ、と思った。芝居の本番中に舞台袖から照明の指示書が丸見えになっている、あの感覚。観客には見えないはずのものが、俺にだけ見えている。


「おい、これ見えてるか? なんか変なの浮いてんだけど」


 声を出した。光の柱の中には、もう一人いるはずだった。


 振り向く。


 二メートルと離れていない場所に、神城レオが立っていた。


 同じ高校の一学年上。顔と名前くらいなら知っている。金髪——いや、元の世界では茶髪に近かったはずだが、今は完全な金に変わっている。身長は元から高かったが、ここではさらに背が伸びたように見える。碧い目。整った顔。光の柱が、まるでレオだけを照らすスポットライトみたいに集中して——


 いや、違う。


 光がレオの周囲で密度を変えている。文字通り、レオの身体を中心に光が渦を巻いて、粒子が集まっている。俺の側はどことなく薄暗い。同じ光の柱の中にいるのに、俺の側だけ蛍光灯の端っこみたいだ。


「すげえ……これ、マジか」


 レオは上を見上げていた。透明な文字列ではなく、光そのものに見惚れている目だった。


 見えていない。


 あの文字が、レオには見えていない。


「先輩」


「ん? あ、ツカサだっけ。お前もいたんだ」


 目線がこっちに来た。一瞬だけ。すぐ戻る。レオにとって、光の柱の中で最も面白いのは自分自身に降り注ぐ光のほうらしかった。


「いや、だからこれ。文字。浮いてるでしょ、そこに」


「文字? どこ?」


 指を差した方向をレオは見て、首を傾げた。何もない空間を見る目。本当に見えていない。


「……いいです」


 言いかけた口を閉じた。押し問答をする間もなく、光の柱が急速に収束していく。足の裏に石の感触が戻る。重力が戻る。


 光が晴れた。


 巨大な空間だった。天井が高く、柱が左右に並び、壁面には紋章入りの旗が垂れている。正面にはゆるい階段の上に高い椅子——玉座だ。映画で見るやつ。


 そして、人がいた。大勢。


 正面階段の上には華やかな衣装の若い女性と、その隣に鎧姿の巨漢。左右の列柱の間には色とりどりの宮廷服を着た中年の男女がずらりと並び、最後列には兵士らしき者たちが直立している。


 全員がこちらを——いや、レオを見ていた。


 空気が揺れた。最初に声を上げたのは、正面の女性だった。


「——降臨なさいました! 勇者様が、我がクレストリア王国に!」


 声が広間に反響し、一拍遅れて歓声が湧いた。割れんばかりの拍手。足を踏み鳴らす音。中年の廷臣の一人が涙ぐんでいる。若い侍女が口元を両手で覆って震えている。


 過剰だ。


 そう思った。まだレオは一歩も動いていない。名前も言っていない。なのにもう泣いている人間がいる。拍手がどんどん大きくなっていく。あの透明な文字列に【感動演出:自動展開準備完了】と書いてあったのは、これのことか。


 仕込み済みの感動。


「——おお」


 レオは両手を軽く広げた。光が収まったばかりの召喚陣の上で、金髪が揺れている。碧い目が歓声を受け止めて、口元が弧を描く。満足そうな、というより——当然のことを確認した顔だった。


 俺はその隣で、所在なく突っ立っていた。


  *


「それでは、お二方の固有能力を鑑定いたします」


 正面の階段を降りてきた男が、厳かに——というには多少の事務感を滲ませつつ——そう告げた。


 ヨルグ・ベッセルと名乗った。五十代半ば。禿げ上がった頭頂部を隠す気もなく、分厚い片眼鏡を左目に嵌めている。几帳面に整えた灰色の口髭。指先が墨で黒ずんでいた。書類仕事の人間だ。三十年以上この仕事をしている、とも言った。


 召喚陣の中央から、二人そろって前に出される。鑑定官がレオの前に立った。片眼鏡の向こうの目が細まり、しばらく沈黙があった。


「——おお」


 鑑定官の口から漏れた感嘆詞に、周囲が反応する。


「神城レオ殿。固有スキル一覧を読み上げます」


 鑑定官は手元の羊皮紙に書き付けながら、よく通る声で読んだ。


「まず、【聖剣適性】。伝説の聖剣との親和性を示す、極めて稀少な資質です」


 広間がどよめいた。


「続いて、【光属性】。攻撃・治癒・浄化を兼ねる上位属性です」


 歓声が重なった。階段の上の女性——王女だろう——が片手を胸に当てて目を閉じた。祈りのポーズ。


「さらに、【王家の加護】。クレストリア王家の守護と結びつく祝福です。そして——【高位祝福】。これは……失礼、三十年鑑定をしておりますが、初めて拝見いたしました。勇者として召喚された方に付与される最上位の恩寵です」


 拍手が爆発した。


 レオはそれを浴びながら、片手を腰に当てて涼しい顔をしていた。驚いてすらいない。「まあ、そうだろうな」とでも言いたげな余裕が全身から滲んでいて、それがまた周囲の熱狂に火を注ぐ。


 全部乗せ。テレビゲームの初期キャラでこんなステータスが出たら、データ破損を疑うレベルだ。


 鑑定官がレオの前から退き、俺の前に来た。


「では、乾ツカサ殿」


 同じように片眼鏡を向けられる。レオのときより短い沈黙。鑑定官の表情が変わった。


 困惑ではない。もっと正確に言うなら、「鑑定器具が故障しているのかもしれない」と疑う技術者の顔だ。もう一度見直している。片眼鏡を外し、裸眼で見て、もう一度嵌め直した。


「……失礼。もう一度確認いたします」


 二度見だった。三十年やっている鑑定官に二度見させるスキル。それだけで嫌な予感しかない。


「乾ツカサ殿。固有スキルは——」


 一拍の間があった。


「【物理ツッコミ】。以上です」


 沈黙が落ちた。


 拍手が来ない。歓声も来ない。さっきまでの熱気が嘘みたいに引いて、代わりに広間の空気が急速に冷えた。誰も何を言えばいいか分からない顔をしている。


「——は?」


 最初に声を出したのはレオだった。


「ツッコミ? なにそれウケる」


 笑った。腹を抱えるのではなく、片方の口角だけ上がる笑い方。面白がっているのではなく、面白いと判定した自分を楽しんでいる笑い方だった。


 それを合図に、廷臣たちが追いかけるように笑い始める。正確には——レオが笑ったから安心して笑えた、という順番。最初から面白かったのではなく、勇者が面白がったから面白くなった空気。


 右手に重さがあった。


 目を落とす。握っている。細長い、見慣れた形。紙と竹で組んだ棒。張りぼてのハリセン。


 高校の文化祭で作った。クラスの出し物のコントで使った小道具。気に入ってそのまま持ち歩いていたら、いつの間にか「乾のハリセン」で通るようになった。誰かが場を壊したときに振り下ろすと、パンと小気味いい音がする。それだけの代物。


 それが今、異世界の召喚陣の上で、俺の右手に握られている。


 いつから持っていた? 光の柱の中にいたときには気づかなかった。でも今、確かにここにある。軽い。紙の感触。文化祭の夜に巻き直したガムテープの跡まで、そのままだった。


「ツッコミだってよ!」


「スキルって戦闘用のものではないのか……?」


「聖剣適性と比較するのも失礼だろう」


 廷臣たちがざわめいている。哀れみと呆れの混合物が空気に充満していく。


「失礼ですが」鑑定官が口を開いた。事務的な声。しかし言葉は選んでいる。「【物理ツッコミ】は、過去三十年の鑑定記録にも、それ以前の文献にも記載のないスキルです。効果の詳細は、現時点では不明としか……」


 正直な男だった。見栄も忖度もなく、ただ事実だけを述べている。助かる。その分、余計に現実が冷たいが。


「つまり何もわからないってこと?」俺は聞いた。


「……左様です」


 鑑定官は申し訳なさそうに頭を下げた。


「まあまあ」


 レオが俺の肩に手を置いた。身長差があるから、自然と見下ろす角度になる。


「全員が戦闘スキルってわけじゃないだろ。な? ツカサも何かの役には立つって」


 悪意がなかった。それが一番きつい。


 レオは本気で「何かの役に立つ」と思っている。その「何か」が、自分の隣で輝く何かではなく、自分の後ろで荷物を運ぶ何かであることに、一ミリも疑問を持っていない。


 視線を上げた。レオの背後に——ラベルが浮いている。


 【好感度誘導】。薄く光る文字が、レオの肩口あたりでゆっくり明滅していた。


 周囲の廷臣たちを見る。全員の視線がレオに向いている。好意的な目。信頼の目。まだ会って五分の男に向けるにしては、あまりにも——出来すぎた好意。


 見えている。俺にだけ。


  *


 謁見の間に移された。


 大召喚の間から続く回廊を抜けて、より装飾の密度が増した空間に出る。天井にはフレスコ画。壁面には武具と旗。正面に玉座があり、その傍らに小さな椅子が二脚用意されていた。


 ——二脚。


 そう思ったのは一瞬だった。


「勇者様、どうぞこちらへ」


 侍従がレオを誘導する先は、玉座の右隣。小さな椅子ではなく、玉座と対になるように新しく設えられた、装飾付きの席だった。


 もう一脚の小さな椅子は使われなかった。俺は末席——広間の隅に近い、壁際の長椅子——に案内された。廷臣たちの列の端。隣に座った中年の文官が、俺の存在に気づいていないかのように正面だけを見ていた。


「クレストリア王国第一王女、セレスティア・クレストリアより、勇者様に歓迎の辞を申し上げます」


 階段の上から、あの女性が歩み出た。


 プラチナブロンドの巻き髪。淡い紫の瞳。背筋がまっすぐ伸びて、微笑みが貼りついている。白を基調としたドレスに、紋章入りのショールが風もないのにわずかに揺れていた。


「異世界より召喚されし勇者、神城レオ殿——ようこそ、我がクレストリア王国へ。あなたの降臨を、この国のすべてが待ち望んでおりました」


 丁寧に、しかし確信を持って告げる。彼女にとって、勇者が来ることは疑問の余地のない希望であり、事前に定められた筋書き通りの出来事なのだろう。


 俺の名前は出なかった。


 続いて、王女の傍らから一歩進み出たのは鎧姿の男だった。五十代前半。日焼けした顔に古い刀傷。灰色交じりの短髪。重装鎧が体格のいい身体にぴったり合っている。


「王都騎士団長、ガルド・ヴァレンハイトだ。勇者殿、明日より訓練と任務の概要を説明する。よろしく頼む」


 簡潔だった。軍人の喋り方。視線がレオを捉えて離さない。こちらには一度だけ目が動いたが、すぐに戻った。判断材料が足りないと思ったのか、あるいはそもそも末席の人間に構う暇がないのか。


 廷臣の一人が近づいてきた。にこやかな顔。しかし視線は俺の手元——ハリセン——に落ちて、表情が微妙に歪む。


「あの……乾殿、でしたか。お聞きしたいのですが、その、戦闘系のスキルでない場合、後方支援等でお力添えいただくのがよろしいかと……」


 言いかけて、何かを計算する目になった。


「……いや、それすら、どうお願いすればいいのか……」


 正直でいい人だと思った。嘘がつけない。困っているのが丸わかりだ。


「まあ、無理に使わなくても」


 声が上から降ってきた。


 レオだった。玉座の隣の席に座ったまま、こちらを見て——笑っていた。


「ツカサも何かの役には立つだろ。俺の荷物持ちとか」


 悪意が、ない。


 周りがどっと笑った。笑いというより、安堵に近い。「そうだそうだ、勇者様が許容しているのだから問題ない」と変換される空気。レオがそう言ったから、俺の処遇が決まる。レオが笑ったから、笑っていい空気になる。


 俺だけが笑えなかった。


 見えている。


 この広間の空気が、全部レオを中心に回っているのが、目で分かる。視線の集中。声のトーン。廷臣が立つ位置すら、無意識にレオの方角へ半歩ずつ寄っている。王女も騎士団長も、レオと話すとき微かに前傾する。離れるとき、名残惜しそうに首が遅れて戻る。


 重力が歪んでいる。


 人の意思や感情が、見えない力で一方向に引き寄せられている。誰もそれを不自然だと思っていない。彼らにとってはそれが「自然」なのだ。勇者が来た。素晴らしい。称えよう。当然のこと。疑問を挟む余地はない。


 だが俺には——見えている。


 空中のラベルが、広間のあちこちで薄く光っている。廷臣の頭上、王女の傍ら、騎士の列の間。


 【好感度誘導:対象固定中】が、何枚も。


  *


 宴が始まった。


 謁見の間から続く大広間に、長テーブルが並べられている。銀の食器。山盛りの肉。果実の入った杯。蜜を塗った焼き菓子。天井から吊るされた魔法の灯火が、暖色の光を揺らしている。


 レオの席は上座の中央。王女の右隣。騎士団長がその向かい。幹部級の廷臣たちが周囲を固めて、話題も笑い声もすべてがそこに集約される。


 俺の席は末端だった。テーブルの端も端。隣は空席で、向かいには酔って居眠りし始めた老廷臣がいた。料理だけはちゃんと置かれている。味は——悪くない。少なくとも、飯だけは平等らしい。


 食うか。


 ハリセンを膝の上に横向きに置いて、見慣れない肉に手を伸ばす。固い。でも味はある。噛んでいると、広間の喧騒が遠く聞こえた。


 遠い、というより——俺を避けている。


 物理的に音量が変わるわけがないのに、笑い声がレオの周囲で膨張して、末席までは届く頃には減衰している。聞こえはする。でも、あの輪の中にいる感覚は、一口分も分けてもらえない。


 杯を手に取り、膝の上のハリセンをもう片方の手で掴んで、立ち上がった。


 理由は特になかった。座ったまま端っこで肉を齧っているのが、なんとなく負けた気がしただけだ。誰に負けるとか、何に対してとか、そういう具体的な話じゃない。ただ、座っていたくなかった。


 壁際を歩く。


 広間は活気に満ちていた。廷臣たちが互いの杯を鳴らし、侍女が料理を運び、楽士が弦を弾いている。その全部が、なんとなく中央のテーブルに向かって流れている。川の水が低い方へ集まるように、音も視線も人の足も、レオのいる場所へ吸い込まれていく。


 立ち止まった。


 広間の柱の影から、上座が見えた。


 レオが笑っている。王女が何か話しかけて、レオがそれに応じて、周囲が沸く。絵になる光景だった。


 ——その背後に。


 見えた。


 巨大な——ラベルだった。


 これまで見てきたものとは、桁が違う。【勇者補正】も【好感度誘導】も【感動演出】も、せいぜい手のひらから腕くらいのサイズで空中に浮いていた。


 だが、今レオの背後で揺らめいているそれは——天井に届いていた。


 【主人公補正】。


 文字がゆっくりと脈動している。心臓の鼓動みたいに、一定のリズムで膨張と収縮を繰り返す。文字の周縁から光の靄が滲み出て、広間全体に薄く広がっている。あの不自然な引力——全員がレオへ吸い寄せられる力の、大元がここにある。


 でかい。


 途方もなく、でかい。


 レオの身体からはみ出して、背後の壁を覆い、天井の梁にまで届く巨大な透明の文字列。それが、この広間の空気を、この王宮の人間関係を、もしかしたらこの世界の何もかもを——一人の男を中心に回す引力として機能している。


 レオはそれに気づいていない。


 誰も気づいていない。


 俺だけが見ている。


 手元の杯を見下ろした。琥珀色の液体が揺れている。蜜酒か何かだろう。一口も飲んでいなかった。


 もう一度、上座を見る。


 レオが笑っている。王女が微笑んでいる。廷臣たちが拍手している。騎士団長が腕を組みながらも口元を緩めている。美しい光景。異世界召喚ものの第一話として、これ以上ないほど完璧な「歓迎の宴」。


 ——完璧すぎる。


 台本があるみたいに。


 杯を柱の台座の縁に置いた。空いた手で、もう片手のハリセンを握り直す。紙と竹の感触。文化祭の夜の匂いがまだ残っている気がした。


 この世界は、おかしい。


 何がどうおかしいのか、まだ言葉にできない。でも一つだけ、はっきり分かることがある。


 この世界は——あいつのために歪んでいる。


 そして俺は、それが見えている唯一の人間だ。


 宴の喧騒が続いていた。レオの笑い声が広間に響き、拍手が波打ち、灯火の光が揺れている。


 その全部の裏側で、巨大な【主人公補正】が、静かに脈打っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ