25話
「えへへ、ありがとうサイモンさん。荷物を持ってくれる為に来たんだね? そういえば、今はこの船の乗務員だもんね」
「どうでもいい! あの起爆装置はどこへやった!?」
暢気な事を言ってサイモンへ荷物を渡すエィストへ、何故か拒否出来ずに素直な態度で荷物を小脇に抱えたサイモンは思い切り叫ぶ様な声をかけた。
そうしている間にも荷物はサイモンの腕に渡されていった。エドワース自身は渡すつもりが無いのか、しっかりとエィストに支えられて気絶している。
「うん? ああ、あの爆弾ね。あれはリドリー君にあげちゃった」
まるで、『貰い物が余ったから友達にお裾分けしたけど、君に対して失礼だったかな?』とでも言うかの様な気楽さを共にして彼女は答えた。本当にそう考えているのかもしれない。
本当に事態の深刻さが分かっているのかを疑いたくなる程の軽々しい声だ。思わず渡されてしまった荷物を投げ捨てたい気分にさせられたが、それが彼女の持ち物ではない事をサイモンは知っていたので、止める。
その代わり、掴みかかる様な勢いで言葉が口を突いて出て来た。
「あげちゃった、ってお前……そんな軽々と、第一、知り合いからの盗品だろうが!」
「君と私って、知り合いと呼べる程の付き合いも無いし……第一、我々はそういう社会の人間な訳だが?」
どこか口調の変わったエィストの声を聞いて、サイモンは口を閉ざした。一応、彼女の言う事は正しくない訳ではない。サイモンとエィストの関係は殆ど顔と名前を知っている程度の物である。
盗んだ物だという事に関しては、そもそも彼らはそういう物が当然の様に取引される世界に生きているのだから、言っても仕方がないのだ。
何より立場が逆であれば、サイモンは彼女よりもずっと白々しく同じ事を言っただろう。それが分かっているだけに、余り大きくは言えない。
彼女自身の気配がそんな気分にさせるのかもしれないが、そう分かっていてもサイモンは押し黙るしかないのだ。ケビンの言った通り、何を言った所で『手遅れ』なのだから。
「ん、それで……荷物は持ってくれる?」
それを見抜いたかの様にエィストは楽しそうな顔で見つめてくる。何を言っても楽しそうな反応以外は見込めそうにもない。荷物を小脇に抱えるサイモンにもよく分かるのだ。
サイモンがその荷物を捨てられない事を知った上での発言なのだと、すぐに分かった。意地の悪い言葉だ、楽しそうなのがより一層鬱陶しい。
そう思いながらも、サイモンは軽く頷いて荷物を持つ力を強める。彼女の持ち物であれば即座に捨てている所ではあるが、そうでないならどうしようも無い。大人しく持っていくべきだ。
「ありがとうぅ! うんうん、助かるよ!」
それを見たエィストは嬉しそうに頷いた。少し涙目になっている辺りがわざとらしいが、声の中には確かにサイモンの事を有り難いと感じる意志がある。
溜息を吐いたサイモンは諦めを覚えた。既に逃げる幸せなど無いと思っていたが、どうやらまだまだ幸せは残っている様だ。喜ぶべきなのかと思ったが、そんな筈は無い。
「ささ、行こう行こう! いやぁ、助かる、お礼もしないとねー……何が良いかな?」
「お前がくたばる事だ」
「ひ、酷い……ふふ」
そう言われる事が分かっていたかの様な顔をしながらも、エィストは不満そうな声を出す。そういう所がサイモンの心を揺らすのだが、分かっている為に全力で押さえ込む。
反応をするだけ無意味だと知っているが故の反応である。だがそれすらも彼女の予想通りだったらしく、楽しそうに笑う姿からは落胆の色が見えない。
クスクスと笑う彼女は見かけだけならば聖女の様な神々しさを放っている。しかし、中身を知っているサイモンにとってはおぞましく見えて仕方がない物だ。
サイモンは黙ってエィストの後へ付いていった。彼女が行く先は分からなかったが、少なくとも死ぬ事はあるまい。そういう方向に関してはまだ、信頼出来る女なのだ。
「んっ……? ああ、ごめんねエドワース君」
だが、彼女の足は唐突に止まった。急に止まった為にエドワースがずり落ちそうになるが、何とかエィストが支える事で姿勢を保つ。
それは此処ではない何処かを見ているかの様な目だ。今から何かが起きる事を歓迎する笑みを浮かべながらも、同時にそれに関する若干の不安も見え隠れしている。
不安の方は、多分、演技だろうが。
どうしたのか、と背筋に何故か走る嫌な予感と冷や汗を感じつつ、サイモンは強烈な疑念を抱いた。その時点で答えは分かりきっている気がするも、分かりたくないという気持ちがその答えに辿り着かせないのだ。
そして、そんな彼の意志を無視するかの様に彼女が足を止めてしまった理由は発生した。
----たった今、彼らが居た場所のすぐ後ろが爆発するという結果によって。
「おおっと!?」
爆風に晒されそうになった体を守るかの用に、エィストがエドワースを抱えながらサイモンの手を引いて、すかさず一番近くにあった部屋へ飛び込んだ。
幾つかの破片を受けそうになった彼女だったが、強烈な強度を持つコートは彼女が着る事によってより不自然な程の強さを纏い、小さな物はどんな勢いで飛んできても全ての衝撃を吸収する。
それでも防ぎきれない様な大きな破片は、まるで彼女と彼女が庇う二人を避けるかの様に都合良く側を通り過ぎた。
規模としてはそう大きくない爆発だが、危険な事には変わりない。驚きで一瞬だけ意識を飛ばしかけたサイモンは何とか正気を取り戻すと、ひきつりそうになる顔の筋肉を全力で抑えた。
----『手遅れ』か……! ボス…………!
そうしたからと言って安全な訳ではない。エィストを喜ばせないというだけの事であって、自分の身体が保証される訳ではないのだ。
しかし、サイモンは自分の命より優先すべき物が分かっていた。爆発が起きてから最初に頭に浮かんだ事がそれだったのだ。そして、それが自分の手に負えない事も分かっている。
悔しいが、この場はエィストを頼るしかない。別組織の人間に自分の命を委ねるという意味でも情けなく、また悔しいが、自分のプライドなど大した物ではないと彼は割り切る事にした。
だが、サイモンが何かを言う前にエィストは思い切り不敵な笑みを浮かべて見せ、彼の言葉に先んじて声を放つ。
「心配要らない! これも一応は『計画の内』なのさ!」
計画と言われて、サイモンはあらかじめ聞かされていた内容を思い出す。そう、彼女が事前に話していた計画の中にはこんな状況も含まれているのだ。
納得しかけたサイモンだったが、次なる爆発が船を揺るがした時にはその考えは危機感に書き換えられていた。
「……! おい! 流石にまずいんじゃないか!?」
「おっ……とと、それも心配御無用! さっき、甲板に居るのを確認したから!」
サイモンの危機感の正体が自分の命に寄る物では無いと一瞬で見抜いた彼女は船から立ち上る煙を背にしながらとびきりの危険な笑みを引っ張りだして来た。
また、次の爆発が彼女らの身体を揺らす。しかし今度はサイモンも戸惑いも驚きも無く、身体を揺らしたままエィストを睨んだ。
彼女の計画こそ、今の段階まで行ってしまったこの船を救う手だての一つとして一番良い部類に入る物だろう。そう分かっていても、止められない。
「……」
「……ふふっ」
数秒だけ、その場の音が彼女の口から漏れる笑い声だけになる。しかし、また爆発が部屋を揺るがした事によってそれは破られた。
何かを言わねばならない、そう考えたサイモンだったが、その前にまたもう一度爆発が広がる事によって声はかき消される。今度は、比較的近い場所だ。
「ああ、計画通りでもやばそうだ! 逃げなきゃいけないね!」
それを確認したエィストはそこで初めて焦る様な顔をする。ちょっとしたスリルか何かを感じているのか、やはり楽しげである。まるで楽しいアトラクションにでも参加しているかの様だ。
----ぐっ……何だ、何だコイツは……
少しだけ浮かれた彼女を見ていたサイモンは、やはりとてつもない不安を心に抱く。そのまま世界が終わってもおかしくない程の寒気が身体に響いて止まない。
その予感を現実の物とするかの様に、サイモンの身体をエィストは片手で抱き寄せる。エドワースも同じ様に抱え込み、軽く微笑んだ。
「荷物、持っててね」
その言葉を聞いて、サイモンは彼女が何をするつもりなのかを察する。その瞬間、彼の身体は強烈な悪寒に包まれて、震え上がってしまいそうになった。
かなり危険な事だ、何とか抗議して止めようとサイモンは口を開いたが、どうやら遅かったらしい。
「おいまさか……! ちょっと待……」
「しっかり、掴まってて!」
言葉を同時に彼女はその場から助走も付けずに走り出して----飛んだ。
凄まじい早さに任せた彼女はあっさりと窓から飛び出し、恐ろしいまでの勢いを共にして船から離れていく。そには戸惑いも無く、恐れも無かった。
「あはははは! っううぅぅぅ! これは良い感じだなぁあぁぁぁ!」
「馬鹿かお前は! いや、馬鹿だったなお前はぁぁぁぁ!」
凄まじい浮遊感とエィストの笑い声を味わいながら、サイモンは必死に荷物を抱える。振り落とされる心配だけは無いのが救いだ、彼女に限って、それは無い。
そんな思考はある意味で現実逃避なのだろう。風が身体を遠すぎて、何の頼る場所も無い事がよく分かってしまうのだ。
今、自分の命が一つの享楽主義的な女に握られている。そう思うと、流石のサイモンでも恐怖を抱かざるを得ない。
「あれは……!」
だが、それを何とか抑えてサイモンは下の、彼女が目指す先を見た。
一隻の船があった。優れた身体能力を持つサイモンでなくとも分かる、そこには、エィストが呼んだと思わしき男達が居るのだから。
「ぁ! みんなこんにちはー!」
彼女が今気づいたとばかりに彼らへ挨拶の言葉を飛ばした時には、三人の身体はもう浮遊を止めて自然の力に身を任せた状態に、つまり、思い切り落ちていた。
浮遊の分だけ、その落ちる早さは数倍も強い物だ。
勢いが余りにも早すぎて、何も考える間も無い程である。思考ができなくとも、サイモンはこの恐怖を受ける心配の無いエドワースが少し羨ましくなった。
そんな事をしている間に、彼女達の身体は落ちていく。落ちていって、落ちていって、やっと辿り着くべき場所へ落ちた。
「っっと! 着地成功! 二人とも、生きてるぅ?」
落ちきって一隻の船に飛び込んだエィストは膝と足をバネの様に落とす事で衝撃を和らげ、見事に着地を決める。
凄まじいまでに非常識な行いに一部の人間以外は目を剥いたが、その一部の人間は慣れた様子で彼女達へ近づいていく。
「生きてるよ! まったく……!」
その姿を視界の端に入れながらも、サイモンは恨みがましそうな声を上げて返事をした。着地による痛みは全く無い辺りは彼女のお陰の様だが、それくらいは良いだろう。
エドワースも死んではいないらしく、軽く息をしながら倒れ込んでいる。サイモンより若干丁寧に着地させられた風だ。
二人の人間を抱えて、船に飛び移った女に視線が集中する。しかし彼女にとっては何ら気負いする必要も無い光景だからか、その極めて明るい笑顔は微かにも揺るがない。
そんな彼女へ、近づいていく男が居た。どうやら彼女の仲間の一人の様だが、どこか胡散臭そうな目を向けている辺りがエィストの普段の行いを表している。
「よう、エィスト。船、随分ヤバい事になってるじゃないか、お前の話通りにな」
「ん、ボス達は甲板に居るから、すぐに迎えに行ってあげてね!」
気安く片手を上げて返事をするエィストからは、隠す気も感じられない親愛が見て取れた。それを見ていれば、彼女と側に居る男が友人の様な関係であると言う事は誰の目にも明らかだ。
ただ、サイモンに限ってはその男を見た事があった為に、初めから分かっていたのだが。
「ん? なんだか、おまけが付いてる様だが?」
サイモンの視線に気づいたのか、男が今気づいたとばかりに二人へ目を向ける。嫌味でも何でもなく、エィスト以外が目に入っていなかったのだ。
それを聞いたエィストは良くぞ聞いてくれました! とばかりにわざとらしく姿勢を正したが、相手の男が何の反応も見せなかった事が余程残念だったのかすぐに普段の口調に戻る。
「……エドワースと、サイモンさんだよ。ホルムスの所の幹部さんで……って、君は知ってるか。ま、今は敵じゃないし、もしかするとこの先も敵じゃないかもよ?」
二人の紹介を終えたエィストは何やら意味深げな事を言っている。他の者達には分からなくとも、サイモンは理解できた。恐らく、あの船の上でボスとその相棒は仲を取り戻している筈だ。
元々、考え方の僅かな相違から生まれた仲違いである。一時、というかつい数日前までは抗争一歩手前まで行っていたとしても、修復する事は簡単だろう。
その点に関しては、安堵を覚える事が出来た。しかし、エィストの言葉を聞いた男が微妙に首を傾げている事はどうにも、『自分とは関係無い様な気がする』奇妙な不安を覚えさせる物だった。
恐らく、その不安はエィストから伝染した物なのだろう。自分と同じ様な顔をするエィストの顔を見る限り、その想像は正しいらしい。
「そういえば……エィスト?」
「ん?」
不安の元となった男が何かを尋ねて来る。エィストはどうも好奇心、何かを忘れている様な不安を持ちながらも相槌を打ち、首を傾げる。
奥底ではその次に来る言葉も分かっている様だが、それでも彼女は表面的には何も知らない様子で不安を覚えている事がよく分かる物だ。それを分かりつつも、男は続ける。
「エドワースの事は分かったが……リドリーはどうした? 確かお前、あいつと一緒に……」
そこから先は何故か、言葉にしなかった。エィストが急に無表情になったのだ。滅多に見れない彼女のそんな顔を見た男は思わず口を閉ざしてしまい、その顔をまじまじと見つめる。
そうしていると少しずつ、彼女の顔は無表情から呆然とした様な物に変わっていく。そんな様子ですら美しく見えるのだから始末に負えないが、そこに居る二人の男は今更その程度くらいの事で反応はしない。
ただ、彼女が何をどう考えているのかが全く分からず、見る者に嫌な感覚をもたらす事は確かだ。
「……」
「……」
まるで無機質な人形が急に意志を持って笑い出した様な不気味さが、彼女の身体から放たれている。嫌な空気だ。いい加減にもう慣れているサイモンですら、また溜息が出てしまう。
そんな彼らを尻目に、エィストは数秒間、何事かを考え込んでいた。Mr.スマイル、いやエドワースの事があって、それが余りにも楽しかった為に、忘れていたのだ。
そして、彼女は小さく声を吐いた。
「……あ」
何かを思い出した事を明確にする声だ。どうせとっくに知っていただろうと言いたくなるも、言っても仕方が無い。
エィストは思わず自分の拳で掌を打つと、緩い笑みを浮かべながらもどこか真剣な顔をした。そして隣に居る仲間の男へ視線を送る。
「やばい、忘れてた。ちょっと、よろしく」
何が『よろしく』なのか、その点に関しては説明する事すらしなかった。だが、聞いた男は大まかに理解できたのか、呆れながらも軽く頷いて意志を伝えている。
エィストは男の方へ軽く近づいて、凄まじい勢いでそこから銃を手に取った。
サイレンサー付きのそれは人を撃つ為の非常に実用的な物に見えて、同時に彼女がそれを持っているという事実は人を恐怖させる。
「借りるね」
だが、その銃は人に向けられる事は無く。エィストは男へ一言声をかけたかと思うと銃口を先程まで居た船へ向け、何の躊躇も無く発砲する。
「ん、命中。返す」
銃弾は一応、船に届いたらしく、エィストの口から満足そうな声が漏れる。すると彼女は背後に居た持ち主へ銃を投げ返し、少し助走を付け始めた。
投げられた銃をきちんと手に取った男は、安全装置が掛けられている事を確認して安堵の息を吐く。これから彼女が何をするかなど、分かっている様だ。
「じゃ、行ってくるよ!」
思い切り助走を付けた彼女は言葉と同時に恐ろしい早さで走り出し、先程と同じ様に思い切り船から飛び出した。
違うのは助走を付けている事、そして行き先の船は今乗っている物よりも大きいという事だけだ。先程の『飛び移り』も正気とは思えなかったが、今度はもっと凄まじい。
そして、船から飛び出たエィストは一秒程度だけ空中に居たかと思うと、すぐに落ちていく。あれでは船の側面に届くかもしれないが、中には入れまい。
だが、その予想はエィストにとっては無意味な物だ。
何せ、彼女は側面にどうやったのか指をかけたと思うと、それを支柱にして蹴り上げ、足の力だけで体を飛ばしたのだから。
「……ああ、本当に凄いよな、お前は」
サイモンの口から呆れる様な声が漏れる。先程の銃弾が作り出した小さい穴に指を突っ込み、指だけで全体重を支え、見た通りに蹴り上げたのだ。
しかも、それだけでは距離が足りなかった為か彼女はいつの間にか靴を脱いで、足の指までその穴に引っかけていた。
人間業ではないが、もう見慣れていた。これくらいは軽々とやって見せそうな雰囲気が彼女にはある。今更、それくらいは驚く様な物ではあるまい。
「人間業じゃないな、ああ、相変わらずだよエィストは。ある意味、安心したがな」
「全く、その通り。あいつには船で酷い目に……いや、直接は会わされてないんだな」
「その辺が、厄介だよなぁ。怒るに怒れねえ」
船の中へ消えていくエィストを眺めながら、二人の男は奇妙な共感を覚えて話していた。
だが、サイモンの頭の中にある事はまた別だ。口は隣の男と会話を交わしていた物の、目はエドワースに向けられている。
「……はぁ」
「ははっ、そっちも大変だな。だが、こっちも酷いぞ。何せ大急ぎで船を飛ばして来たんだ、レンタルしたばっかりの奴を、な」
「ああ……まあ、そうだな」
サイモンの溜息を自分と同じ考えから来る物だと勘違いして、男が声を掛けて来る。それに対してサイモンは適当に返事をしつつも、忌々しい気分でエドワース、Mr.スマイルを見ていた。
彼女はエドワースがMr.スマイルである事に関しては何ら言及する事無く、行ってしまった。これでは、彼を連れていこうとしても止められてしまうだろう。
今、彼の隣に居る男もサイモンを止めるくらいの実力の持ち主である。第一、この場には居ないだけで他にも仲間が居る筈だ。その辺も、彼女はしっかりと考慮していたに違いない。
何もかも、エィストの掌の上に乗せられてしまったかの様だ。
そう考えたサイモンは軽く息を吐き、肩を竦めた。恐らくはプランク達やアールはもうすぐ、他ならぬこの船によって救助されるのだろう。その点ではもう心配はしていない。
だが、全てが上手く解決するかどうかには不安が残っていた。何より、彼にとってはボスさえ幸せであればどうでも良いのだが、そうでなければ無意味なのだ。
だとしても、もう彼は何も出来ない。エィストの様に船に戻る事も出来なければ、連絡手段も無いこの場所ではボスと話をする事も出来ないのだ。
もうすぐ、甲板からこの船が見える位置に出るだろう。身動きが取れなくなったサイモンはそれを理解した途端に、ルービックキューブを手に取り、船の奥へ引っ込んだ。
察したのだ。もう、自分の仕事は終わったのだと。ただ、溜息だけは続いていたのだが。
「……はぁ」
+
そしてサイモンの予想通り、船の中に居た生き残り達は次々と乗り移っていった。
その中にはアールやケビン、それにプランクやコルム達も含まれていて、サイモンは喜んで良いのか、今後の展開に頭を悩ませれば良いかを迷っていた。
だが、こちらはそうではない様だ。
「あははは! 忘れてたヤバいヤバい! リドリー君、まだ生きてるよね! よね!?」
サイモンが悩む一方で、船の中へ戻ったエィストは大急ぎで前方の甲板へ向かっていた。
無論、船内は一直線で目的地まで辿り着ける程に単純な構造をしている訳ではない。だから、なのか彼女は少し迷う様に体を操って通路を右往左往している。
方向感覚も優れている彼女にとってはこのくらいの道はどうという事の無い短い物の筈なのだが、しかしそうとは思えない程に時間がかかっている。案外、焦っているのかもしれない。
こんな状況でありながらも、彼女はそういう『人間らしい感覚』を楽しんでいる様に見えた。傍目から見れば殆ど異常者のそれに近いが、それがどうしたとばかりに彼女は走っている。
この船は単純な構造ながら、道は迷路の様だ。同じ様な飾り気の無い通路が続く為か、それは更に分かりにくい物となっている。それが原因で迷う程、この船に乗っている者達は普通では無かったのだが。
もしかすると、いよいよ追いつめられたらプランク達はこの船に籠城でもする気だったのかもしれない。頭の片隅でそんな馬鹿な事を考えつつ、エィストは走る。
そんな彼女の背に、何かが迫ってくる様な嫌な感覚が浮かんで来た。
「なんだろ! すっごく危ない気がしてきたよ! って、これは凄い!」
あくまで楽しそうにエィストは振り向いて、そのまま背を向けて前方へ走っている。彼女の感覚は正しい物だった。爆発に耐えきれずに沈んでいく船に、海水が飛び込んで来たのだ。
まるで荒れ狂う龍の様にエィストを飲み込もうと、水が迫って来る。だが、彼女にとってはそれすらも楽しい事なのか、笑みは一切崩れない。
いや、どちらかと言うと、その笑みは危険な色が含まれている。海水に飲まれた所で彼女には何の影響も無いのだろうが、今から行く先に居る人物、特に少女の方はそうではないのだ。少し心配になったのか、エィストの目により強い色が灯る。
「あは、あはは! やっば、ちょっと焦ってきちゃった! もうすぐ、もうすぐに行かないとダメだね!」
海水を振り払うかの様に、彼女は凄まじい勢いで走り出した。今までも十分に早かったが、今は間違いなくそれを上回り、恐ろしいくらいに早く動いている。
それに追従するかの様に海水が迫っていく、彼女にとっては大した物では無いが、やはり人間や船を死に至らしめる程の力は持ち合わせている様だ。
それに対して彼女は余裕の無い笑みを浮かべていた。それもまた演技なのかもしれない。だが、いつもの事だろう。
「見ぃつけた!」
やっと通路を曲がると、その先には前方の甲板に出る場所があった。既に船は傾き切っていて、縦になったまま沈む状態にある。
一刻の猶予も無い、そう判断した彼女は壁を、厳密には床を上る事をやめて、部屋のドアの数々、時折落ちそうになっている『兵隊』だった物を蹴り上げて次々に飛び上がっていく。
海水が彼女の体を飲み込み掛ける所まで近づいて来た。
だが、あくまで遊び半分と言った体のエィストは焦りはしても本気で動く素振りは見せない。自分に、カナエに許される限りの早さでしかないのだ。
しかし、間に合わないかもしれない。そう考えたエィストは----最後に、海水を蹴り上げた。
「ま、まに、まにあうかなぁああああ!?」
今までとは桁違いの跳躍を行った彼女の手が、甲板への入り口へ伸びて----




