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キラーハート The Killer In Smiling MAN S  作者: 曇天紫苑
The Killer In Smiling MAN S 大笑編
51/77

最終話



「……は、はは! 俺達は、此処で……!」



 リドリーが別世界を受け入れるかの様に手を何処かへ伸ばしたのと同時に、海水が、二人を包み----



「そうじゃないさ! 君達には、まだ役が残ってるんだから!」



 ----海水と殆ど同時に、だが僅かに早く飛び出したカナエが、リドリーの手を取った。

「や、お待たせ! 待った?」

「待ったよ、遅いな!」


 凄まじい勢いで体を飛び上がらせながらも、エィストはリドリーと軽快に言葉を交わした。

 自分達の体が浮いている事など一切気にも止めず、遊ぶ約束に遅れた友人を窘める程度の、つまり状況に全くそぐわない会話を繰り広げるのだ。

 何の前触れも無く訪れた状況に対して、リドリーと共に死ぬ覚悟を決めていたジェーンが呆然とした様子になる。


「え……え?」

「あはは、こんにちはジェーン・ホルムス! 私は君の事も知ってるエィストちゃんだよ! ところで君は可愛いね! その赤いドレスが素敵だよ! 特に、不幸を呼びそうな所が!」

「ははっ、確かに不幸を呼び込んだ! ただし、俺にとっては幸福だけどねぇ!」


 そんな少女の様子など知った事では無いとばかりにエィストが楽しそうな挨拶を決める。

 だが、体が浮いている事よりもずっと、彼女の言葉はジェーンに寒気を覚えさせる物だ。悪気は無さそうだが、それがより一層恐ろしい。

 これならまだリドリーの方がマシなのかもしれない。そうジェーンは考えた。彼は確かに映画に魂を浸食されていて、不気味な程にそればかり考えている。が、彼女ほど存在自体に違和感がある者ではないのだ。

 そんな事をぼんやりと考えていられるのも、この場が空中だからなのかもしれない。

 しかし体は落ちる物で、数秒間だけ空中に居た三人はまた船へ落ちていく。


「……っ……!」


 そのままでは海の中へ落ちてしまう。その衝撃と海水の味を頭に思い浮かべて、ジェーンは思わず強く目を瞑って衝撃に備えた。


「あはははっ! 大丈夫、私達が守って上げるから! ……今日までは、だけどね!」


 ジェーンのそんな行動が気に入ったのか、エィストは軽やかに微笑んで落ちていく。もしかすると、海に落ちるのも良いと思っているのかもしれない。

 まあ、そんな事はある筈も無いのだが。リドリーはそれを分かっている、彼女がコートの下に着込んでいる服を濡らす事は、まず絶対にあり得ないのだから。

 だが、そうだと分かっていてもリドリーの足は自然と動いていた。海に落ちる衝撃を抑える為ではなく、もう一度飛び上がる為に。


「うん、この落下の感触は、怖いなっ……と!」


 エィストの言葉と同時に、彼らの足は海に触れかける。だがその瞬間、三人の体は先程よりも高く飛び上がった。

 そこには、完全に沈んだ船の先端があったのだ。落ちていく時の早さを乗せてリドリーとエィストが船を蹴り飛ばせば、そのくらいの事は簡単だ。


「うわっ、あぁ……!」

「しっかり、支えてあげるから! 力を抜いて!」


 ジェーンの口から戸惑いと恐怖とが混ざり込んだ悲鳴が漏れ出て来て、その感情すら支える様にエィストとリドリーは少女を守るかの様に抱き締めて、落ちない様にしている。

 また異様な浮遊感が三人を包み込んでいた。しかし、今度は落ちたとしても支える物がない。今度こそ、海水に浸かるしかないだろう。

 だが、リドリーとエィストの目は余裕に溢れていた。その理由は、ジェーンにもすぐに分かった。落ち行く先を見れば誰でも分かるのだ。そこには、一隻のモーターボートがあった。

 船が沈む時の衝撃を巧みに避けて、一心に三人が落ちる場所で向かってくるそのボートは操る者の凄まじい技量を如実に示している。

 しかし、そんなボートであっても彼女らが落ちるより早くその場に辿り着けるとは思えない。そんな心配をジェーンはしてしまったが、無意味な事だとエィストが知らせた。


「大丈夫! 頑張るっ!」


 ジェーンを安心させる様にそう叫んだかと思うと、コートを器用に操ったエィストは受ける風の量を操作する事によって落ちる位置を操作する。

 まるで重力が操作されているかの様だ。そう感じるジェーンを視界に入れつつも、エィストはじっと真剣に動いている。

 落ちる場所を操作出来る程には海からの距離は無い筈なのだが、誰も気にしなかった。

 そして三人は----落ちた。


 ボートの、上に。




「あはっ! 痛いけど……! 大、成功!」


 リドリーとジェーンの体を見事に着地させたエィストは、思わずガッツポーズを作って嬉しそうな顔をした。

 彼女にとってもその成功は喜ばしい事だったのだろう。例え自分が着地に失敗して尻餅を着いていても、そこに喜び以外の表情は無い。はしゃぐ彼女の姿は子供の様だ。


「いやぁちょっと危なかったかな? ジェーンちゃんが居なかったらやる気が出なかったかも! ありがとう!」


 何とか冷静になってエィストを観察していたジェーンに、そのエィストが横から思い切り抱きついて来た。


「やめ、やめてよ……!」

「うぅぅ、ジェーンちゃんの体は柔らかくて気持ちいいなぁ……」


 そこには感謝の意志があるのだろうが、同姓の『筈』のジェーンの心ですら妖しく揺るがしてしまう彼女の香りを感じると、思わず気絶してしまいそうな気分にさせられるのだ。ある意味、悪臭よりもタチが悪い。

 あらゆる意味で、近寄りたくない相手である。何とか引き剥がそうと体を動かすも、所詮ジェーンはただの少女で、エィストを振り解ける筈もない。

 先程の死を待つだけの状態よりも辛い。そんな、思わず心が絶望に落ちそうになったジェーンを助けたのは、少なくとも少女にとっては予想もしない相手だった。


「なあ、エィスト。それ以上やってくれると俺がお前を殴らなきゃいけないんだけどねぇ?」


 何と、リドリーが助け船を出して来た。言葉を聞いて止める気になったのか、エィストの力が少し緩む。その隙を見逃さず、ジェーンは思い切り振り払ってエィストから離れた。


「あぁ……! あんなに幸せになれるのに……!」

「わ、私は幸せじゃないよ……! もう、何なのこの人……」


 至極残念そうな声を漏らし、拳を何度か開閉しながら見つめてくるエィストに対して、ジェーンは呆れと危機感を共にする声を上げた。

 彼女から離れるのに体力を使ったからか頬が僅かに紅潮していて、エィストを睨み付けている目にも力は無い。人とすら思えない何かに対する嫌悪感の様な何かは含まれている物の、それほどの力は無い。


「いや、本当に悪いねぇ。そこのそいつには抱きつき癖があって、老若男女構わずにやりやがるんだ」

「あ、いや。うん。その……うん」


 初めて聞いたリドリーの思い切り呆れた声を聞いて、ジェーンは驚きの余り妙な返事をしてしまった。彼がそんな雰囲気になる事自体が理解の外側だ。

 それこそ、エィストと呼ばれた女がどういう存在かを示しているのだろう。何故か助けられてしまったジェーンは、まだエィストに対しての戸惑いで頭を一色にしている。

 エィストは戸惑うジェーンを眺めたかと思うと、素足のままでボードの前方へ歩いていく。少なくとも足は海水で濡れているだけで、傷一つ無い。


「や、ありがとう!」

「大変だったんだぞ! 爆発する船に近づくなんて怖すぎるんだよ!」


 彼女が歩いていった先には一人の男がボートを巧みに操っていた。船の破片でボートを傷つける様子もなく、神業の様な技量を見せつけている。

 だが、流石に沈む大型船へ飛び込んでいくのは怖かったのだろう。目には危険に飛び込んだ事への怯えが確かにあって、それを誤魔化すかの様にエィストを怒鳴りつけている。

 それを見て流石に悪いと思ったのか、エィストは少し沈んだ顔をして男の肩を叩いた。


「ああ、悪い。今度何か奢るから」

「そういう問題じゃ……! 畜生……エィスト、せめてうまい飯を奢れよ……で、あの子は?」


 エィストが確かな本気で反省している事を見て取った男は、口から出る罵声を何とか抑え込む。それ以上何を言っても仕方がないと諦める程度には、男は利口である。

 だが、彼女が運んできた少女の方は気になってしまったらしい。視線が興味を持っている事を物語っている。


「あ、見なかった事にして、お願い。分かるよね? 」


 しかし、その興味もエィストの『お願い』によって完璧に四散して消え去る。触れてはいけない事なのだと、魂に直接教え込む様な強い力を感じた。

 もう一度、男は少女を見る。見覚えが無い、という訳ではない。むしろ知っている、と言っても良いのかもしれない。敵対する組織の幹部を知らない程、怠けた生き方をしてきたつもりは無いのだ。

 視線をエィストへ戻す。妖しい笑顔だ。信頼性の欠片も無く、近寄る気すら封殺されてしまいそうなくらいに。間違いなく性格で損を、いや、『彼女以外が』損をしているな、と男は考える。

 そんな心を読まれたのか、エィストの笑みが何やら危険な色を帯びる。それを見た男は慌てて閉ざした口を開き、彼女の『お願い』を了承した。


「……俺はリドリーとエィストを助けに来たんだ、他の奴なんて此処に居る筈が無いよな」

「分かってくれた様で何より。ああ、誰にも言わないでね? ボスにも、だよ?」

「……分かった、ボスにも言わない」


 渋々と言った体であからさまにエィストの事を怪しんでいたが、男は頷いた。

 その事に対してリドリーとエィストは安堵の息を吐く。男は人が秘密にしている事を話す様な人間ではない。了承した以上は、本当に誰にも話さないだろう。


「うんっ。ところでジェーンちゃん、この服は可愛いと思わない? 女の子として、どう?」


 相手からの了承を得たエィストは思い切った様にジェーンの方へ振り返り、彼女に自分のコートを着せるとその下に着ていた服を見せつける様にその場に立った。

 何故コートを着せたかと言うと、ジェーンもやはり海水を多少は浴びている為に寒そうだったのだ。


「ああ、ありが……うわ、これ……」


 少しだけ有り難いという気持ちの沸いたジェーンだったが、コートの正体に気づくとその気持ちだけを受け取っておきたい気分にさせられた。つまりそれは、Mr.スマイルの着ていた物だ。

 即座に脱ごうとしたが、止める。どうやら、理性の拒絶を越えるくらいには寒かった様だ。ジェーンは仕方なくコートを羽織り、エィストの着ている服を見た。

 薄桃色のセーター、プルオーバー(前後の開きが無い形状)だ。何かのキャラクターがプリントされていて、暖かそうだ。


「……その服は、私も好きだよ。着心地が良いんだよね……デザインはともかく、何で似合うんだろ」


 お世辞抜きにジェーンは感想を述べた。

 ジェーンは実際に同じメーカーのセーターを着た事があるが、保温効果の優れた良質な物だった。『ただし、デザインを除いて』という言葉を入れなければならないのが残念な部分だ。

 が、エィストが着た場合は彼女の雰囲気に服が汚染されるのか、それともこの世の違和感の塊に違和感を被せても仕方がないからなのか、何度見ても似合っている。

 妙な溜息がジェーンの口から漏れたのは、諦めからなのだろう。


「そうだろう? うんうん、このキャラクターが良いよねー」


 そんなジェーンの発言の内、都合の良い部分だけを聞き取ったのかエィストは至極機嫌の良さそうな笑顔で何度も頷き、自分の着ている服を摘み上げては嬉しそうにしている。

 誰かからのプレゼントなのだろうな、と思って、ジェーンはふと気づいた。自分が父親に服をプレゼントされれば、恐らくはアレと同等の反応をするのだろう、と。



「んー……? どうしたの、急に落ち込んで」

「……何でもない」


 少し気が重くなったジェーンは、逆に冷静になる事が出来た。リドリーとエィストの姿をもう一度観察する余裕が生まれたのだ。


----こいつら……


 ジェーンは、二人が友人の様な悪友の様な何かなのだと、すぐに気づく事が出来た。だが、よくわからない所が一つ、ある。リドリーの事だ。

 何度か頭で考えてみたが、答えが出ない。結局、リドリーという人間の一番におかしな部分を見抜いたつもりで、見抜けていなかった様な気さえする。

 だから、ジェーンは少し不思議そうに小首を傾げ、努めて可愛らしく映るような方向で二人に声をかける事にした。


「ね、どうして……あなたは押したの? やっぱり爆発するからなの? そんなに、船が爆発するべきだと思ったの?」


 彼女の言葉が、確かに二人の耳へ届く。リドリーが助けを待つ様な事を言っていたと思い出した彼女は、疑問を抱いたのだ。そもそも、何故船を爆破したのか、と。

 答えは何となく分かっていた。どうせ、『楽しそうだから』とでも言うに違いない。この数分以下の時間でエィストの性格と何となく掴んだ少女は、そう予想していた。

 そう、予想していたのだが----



「……へ?」

「……え?」



 帰って来たのは、首を傾げて可哀想な物を見る様な目でジェーンを見つめて来る、二人の視線と小さな声だった。どうやら、全く予想とは違う理由で船を爆破する選択肢を取った様だ。

 それを理解したジェーンは予想を思い切り外した恥ずかしさを覚えながら何かを言おうとしたが、その前にエィストとリドリーが息のあった様子でジェーンに顔を近づけていた。


「え、え? そんな、幾ら何でも、私がノリと勢いで友達の乗ってる船を爆破すると思ったの?」

「いやいや、常識で考えて欲しいねぇ。普通、爆発させたいからって自分の乗ってる船を爆破するのかい?」


 声が聞こえたのか、ボートを操る男から『お前等が言うな!』という意志が発せられている。

 まったくだ、と全身で同意する意志を見せたくなったジェーンだが、そこはぐっと堪える事を決める。エィストとリドリーから爆破の真相を聞くまでは、何とか耐えられる。

 そんな意志を見て取ったのか、エィストはゆっくりと口を開いた。


「全ては、君が死んだ事にする為の計画さ。そうなれば、君は生きたままでプランクさん達とホルムスは仲良く出来るからね」


 後ろで、何度もリドリーが頷いている。彼が船を爆破したのも、エィストの言った計画の通りなのだろう。確かに、普通はあの場でジェーンが死んだと思う筈だ。

 しかし、リドリーが生きていては疑われるのではないか、そう感じたジェーンだったが、そこは反応を読んでいたエィストがウインクを決める事によって黙らされる。


「ふふ、他の誰が納得しなくたって、プランクさんが死んだと言えば下の連中は納得するしか無いしね、ホルムスと関係を崩さない為に、あの人は口を噤むよ」


 楽しげに話す様子からは、プランクを気に入っている事がはっきりと分かる意志が見て取れた。

 そして、軽い説明だったが、ジェーンにとっては一定を理解するのには十分な内容だった。

 だが、まだ分からない事がある。自分が必ずしも生きている必要は無いのだ。死んでいても、あの流れであればプランク達とホルムスは手を組むだろう。


「どうして、私を生かしたの……?」

「ふふっ、君にはまだ、やる事が残ってるんだよ。それに……君のお父さんに、娘を殺す事は出来ないから」


 何もかもを分かりきった口調で、エィストは微笑みながらジェーンの顔に思い切り近づいていく。

 唇が触れ合ってしまいそうな距離に来たが、そんな心配は欠片も浮かばない。むしろ、彼女の目の奥にある『何』に圧倒されて、声を出す事すら出来なくなってしまった。

 振り払う事も、拒絶する事も許されない雰囲気。それを感じたジェーンは、ある意味でリドリーはまだ普通の『人間』だった事を理解せざるを得なくなった。



 ----エィストの雰囲気とリドリーの全てを比べると、リドリーの方がまだまともに見えるのだから。



「ほらっ、ジェーンちゃん? 君の物語は終わらない、ううん、私が終わらせない。さあ、行こう! 我々の人生はこれからだ!」


 そんな認識を受けていると分かっているが、気にしない。そう言いたげに腕を広げ、カナエと名乗っていた筈の女は----エィストは、笑わなかった。

 しかし、ジェーンとリドリーと、ボートを操る男の三人のあらゆる感覚は、笑い声を聞いていた。

 まるで巨大な世界そのものが、笑っているかの様な声を。

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