初日Ⅱ─遭遇─
商店街は閑散としていた。
にもかかわらず開きっぱなしになっている店のシャッターがこの空間の不気味さを際立たせている。
そんな商店街の入り口でで来栖は思いもよらぬ事象と遭遇していた。
「ねえねえ!あそこのカフェでお茶でも飲もうよ!」
ナンパである。
道を教えてほしいと訪ねて来たこの青年を助けたのが運のつき。ナンパの常套手段に嵌ったと気付いた時にはすでに遅く、しつこくカフェに誘われているのである。
「カフェも何も人がいないんだからお茶なんて出てくるわけないでしょ!少しは無い知恵絞って考えたら?」
「うー!辛辣な千夏ちゃんも素敵だぁ!」
先程からずっとこの調子である。真田篤と名乗ったこの男にはどんな言葉をかけても素敵だで返されてしまうのだ。もしかしたらこいつはマゾヒストなんじゃないかと真剣に疑い始める来栖。
「一人より絶対二人のが楽しいし、何かと便利だよ?ね?一緒に行こうよ!」
楽しいかどうかはさておくとして確かに真田の言うことも一理ある。残酷な話だが、鬼ごっこにおいて多人数で行動していた方が助かる可能性が高いのは小学生にも分かる事だ。
「お願い!」と挙句の果て捨てられた子犬みたいな目をして懇願してくる真田に呆れつつも、
「分かったわよ。ただし私、友達と合流したいから進路は私が決めるわよ?」
「千夏ちゃんと一緒ならどこへでもー!」とはしゃぎまわる真田を見て、道を訊いてきたのはやっぱりただの口実か、とどつき回したくなる衝動に襲われる来栖。
(にしても、こんな状況でよくナンパなんてことができるわ。案外大物だったりして)
ダメダメと頭を振るってお気楽モードになりかけた気持ちを引き締めなおす。油断は命取りになりかねない。
来栖は真田の質問攻めにあいながらも商店街の中へと足を進めた。
一方、そのころ篠ノ木も新たな出会いを果たしていた。
青木銘太。都内の大学の理工学部に通っていると自己紹介した後、青年は篠ノ木に一緒に行かないかと持ちかけた?
「別に構わないけど」
「ほんとに!?いやあ心強いよ!」
「でも俺これから知り合いと合流したいから商店街の方に行きたいんだけど」
「いいよいいよ、別に僕の方には目的地もないし」
「すまん、助かる」
「いやいや、同行をお願いしたのは僕の方だからね」
にこっと人の良さそうな微笑みで青木は返す。
歩き出すと彼はさらに自らの事を雄弁に語った。それによると彼は足の速さには相当の自信があるらしい。なんでも高校の時に陸上部でインターハイまで行ったのだとか。
「だから並みの人間からなら逃げ切れる自信はあるんだけど、やっぱり少し心細くて」
臆病者だよね、と締め括った彼ははははと陽気に笑ってみせた。
「いや、こんな状況でビビらない人の方が珍しいだろ?」
「そうかな?そう言ってもらえると気が和らぐよ」
ああ、やっぱり人と話すのは良い事だ。特に極限状況の中で自分の言葉に返事を返してくれる人といううのは心の大きな安らぎ処となってくれる。
青木のおかげかか少しばかり軽くなった足取りでまっすぐに商店街を目指す篠ノ木。辺りはもう住宅街に差し掛かっているのに人っ子一人すらいない。
ためしに近くにあった家の扉に近づいて引いてみると鍵がかかっているようで開かない。しかし隣の家の扉を引いてみるとすんなりと開き容易に中に入ることができた。
(あくまでゲームってことか?こうやってダンジョンを探索しろってことなんだろうな)
青木と一緒にしばらく家を物色していると現実世界の家には決して無いような光り輝くガラス容器を発見した。しかしそれに触れた途端、光の粒子となって消え去ってしまう。
同時に腕時計から新着メッセージを伝えるバイブレーションが鳴り響く。見てみるとそこには
【ポーション×1 入手】
とだけそっけない文字で書かれていた。
「アイテムみたいだね」
「ここら辺は本当のゲームを真似して作られてるのか。じゃあやっぱりあのステータスにも意味があるのか?」
「よくは分からないけど鬼ごっこでHPってのも変な話だよね」
(確かに。鬼に捕まってもHPがある限り負けにならないなんてことはないだろうな。謎ばかりだな、全く)
篠ノ木たちはしばらく屋内を探索してから外に出た。
先程に比べて少し気温が上がっているように思える。太陽の位置が高くなっていることも併せて考えると時刻はもう真昼を過ぎているようだ。
「だいぶ時間経っちゃったね、待ち合わせしてる友達は大丈夫?」
青木が少し気を使った様子で訪ねてくる。
「向こうも探索しながら向かって来てるだろ。その証拠にほら」
そう言って青木に見せた時計には、まだ商店街を抜けきっていない来栖の赤い点が明滅している。
そこでまだフレンド登録をお互いしてないことに気付いた。
「なにかと便利だし登録しとくか」
「いいの!?本当に心強いよ!!」
お互いに文字盤をかざしあうとピピッという軽快な音と共にフレンド登録が完了した。
「しかしゲームが始まってから三時間、鬼の一匹たりとも遭遇しないね」
案外ちょろいかも、と笑う青木を篠ノ木が注意する。
「油断が一番怖いぜ?青木さん」
「そうは言っても現に鬼は来ないじゃないか」
自分の意見に同意してもらえると思ったのだろう。少しだけ不機嫌そうに反論する青木。
しかし篠ノ木は頭の中にある不気味な不安を消し去ることはできなかった。
(このまま終わってくれるに越したことはないけど、そんな甘いもんかね?)
そしてこの不安は最悪の形で当たり、この日最悪の遭遇を引き起こす。
耳に入ってくる些細な違和に先に気付いたのは意外にも青木の方だった。
「な、なにか聞こえない?」
そうおびえた草食獣のような目つきで自分に語りかける青木を見て、篠ノ木も耳を澄ませる。すると確かに、微かだが何かが動くような、地を踏みしめるような音がした。
だがそれは人間の出す足音よりも、むしろゴジラやキングコングなどの特撮映画で聞き馴染んだ怪物の足音に近いもので、篠ノ木はより一層体を強張らせる。
「に、逃げよう!早く!ここに居たら危険だよ!」
「逃げるたってどこへ?」
「え?」
「こんな些細な音から鬼の位置が分かるか?逃げた先で鬼とこんにちはしたら本末転倒にもほどがあるだろ」
「だ、だ、だからってここで立ち止まって死ぬのを待つのかよっ!?」
「青木さん落ち着けって。とりあえず鬼の位置が把握できるまではむやみやたらに動いたら危険だって」
「……じゃあどうするんだい?」
「少しずつ動くんだ、さっき鬼と鉢合わせるって言ったがそんなのは微々たる確率だ。それでも全速力で逃げたんじゃ万が一出会った時に行動が遅れちまう」
篠ノ木は半分この言葉を自分に向けて言っていた。冷静に、落ち着いて、この状況では先程の青木みたいに取り乱した人間から死んでいく。
精一杯こころを落ち着かせて耳を澄ませる。まだ足音が聞こえるということは残念ながら遠ざかってはくれてないらしい。それを確認してからゆっくりと歩を進める。
「どこに向かってるの?」
青木もいくらか落ち着いたようで平時の声量で訪ねてきた。
「とりあえずは友達の方向。でも今まで以上にゆっくり、耳を澄ませて歩こう。足音が大きくなったらそれは危険信号だ。気付いたら知らせてくれ」
了解と静かな声で返事を返した後は青木も篠ノ木も弱い音を拾うために一切の会話もしなかった。
(あれ?)
はたりと足音が止んだ。先程まで小さな音とはいえとらえていた移動音が途絶えたのだ。普通に考えれば鬼が遠ざかったと考えるのが妥当だろう
しかし違和感。こびりついたカビのように頭から離れないそれは篠ノ木の緊張を徐々に募らせていく。
「足音、止んだね」
危機状態を脱出したため青木は一足先に肩の力を抜く。篠ノ木は違和感の正体を突き止められずにいたが、いくら耳を澄ましても何も聞こえてこないし何かが表れる気配もない。
(いくらなんでも考えすぎか……)
ふぅ、と大きく息を吐き出し緊張状態を解く篠ノ木。周りを見渡す余裕がなかったので気付かなかったが、辺りの風景が閑静な住宅地からスーパーやデパートが立ち並ぶ駅前の大通りまで変化していた。しかしここまで来ても人っ子一人いないので相変わらず閑静なままである。
(一応1000人くらい来てたはずなんだけど逢わねえな。みんな隠れてんのか、もしくはもうすでに……)
なんにせよ来栖と合流しなければと勢いよく曲がり角を曲がる。
その時、篠ノ木は一種の脱力状態にあった。先ほどまでの足音の恐怖から解き放たれ、目的地までの距離もだんだん近くなっていたから。また、間接的とはいえ鬼を撒いたということがある種達成感として篠ノ木の心を満たしていたからかもしれない。
理由はともあれその時、篠ノ木は油断していた。少なくとも普段なら曲がった先を確認してから出るところを確認もせずに飛び出してしまうほどには。
飛び出した道の先にそれはいた。しかし緩みきった思考能力は目の前の白い怪物が何なのか認識することすら一瞬でできない。
恐怖を感じた心臓は破裂するんじゃないかと思うくらいばくばくと鼓動し、足はコンクリートに固められたかのように一歩も動かない。あれほど鬼に遭遇した時の逃亡パターンを考えていたのに肝心な時にそれはすっぱり頭から飛んで行ってしまう。
三秒。たったそれだけの時間が果てしない時の流れの中にぶち込まれたみたいに長く感じられた。───そしてたったそれだけの時間が致命的だった───。
振り向いた鬼には顔にあるべきパーツがほとんどなかった。しかしそれは“獲物”の存在を確認すると唯一残された口を三日月のように裂いて───笑った。
それでも足が動かない。
(あれ?なんだよ!動かない!足が動かない!逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!死ぬぞ!……死ぬ?こんなところで?……ふ……ざ……けんなぁぁっっああああ!!!クソっ!!なんでだよ!!働けよ頭ぁぁっ!逃げろよ!……逃げろよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!)
篠ノ木が恐怖と混乱に足が固まってしまっても時が止まってくれるわけではない。
ついに鬼が動いた。クラウチングスタートのような体制から弾丸のように飛び込んでくる。
ここに来てやっと足が言うことをきいた。
青木とどちらが先に動いたかは分からない。しかしどちらともなく今まで来た道を全速力で引き返していた。
後ろを振り向く余裕などない、だがその突き刺すような威圧感が背後にいる事を確信させる。
不幸中の幸いか鬼までは50m以上距離があった。そのため二つ目の曲がり角を篠ノ木たちが曲がる頃、鬼はまだ最初に遭遇した曲がり角を曲がったばかりだった。
がぎり、と全速力で曲がるために鬼がつかんだ電柱が粉砕される。さらに鬼が走るたびに起こる地鳴り、地震も半端なものではない。
(なんだよ……!あの化け物っ!!頭の位置が家の屋根と同じってどういうことだっ……!!デカいにも限度ってもんがあるだろっっ!!!)
単純な話、大きさが二倍ということは走る速さも二倍ということ。現に3mを優に超える体躯を揺らして走る鬼は徐々にだが篠ノ木たちとの距離を詰めてきている。
(完全に追いつかれる前に撒くっ!)
篠ノ木は最後の力を振り絞って戻ってきた住宅街の路地をくねくねと走り回る。不規則に、ランダムに、自らが迷うほどに複雑に走る。しかし背にかかる威圧感は拭い去れない。
“あと少しだけ”
そう思った時に最後の絶望が降り注ぐ。
「冗談……だろ……?」
そこにあったのは無機質な壁、無慈悲なほどに篠ノ木たちを迎えるそれは『行き止まり』という名の絶望の監獄に他ならなかった。




