表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死之都 ―Necropolis― Berlin 1945  作者: [蒼色伽藍]
武装親衛隊 Waffen-SS
14/19

第15SS所属武装擲弾兵師団[レットラント第1] ・[ヤヌムス]戦闘団・第15SS所属武装軽歩兵大隊

第15SS所属武装擲弾兵師団[レットラント第1] ・[ヤヌムス]戦闘団・第15SS所属武装軽歩兵大隊

15.Waffen Grenadier Division der SS [Lettische Nr.1]・Kampfgruppe[Janums]・Waffen Fuesilier Battalion der SS 15


 1940年6月17日、ラトヴィア(レットラント)共和国はソヴィエトの侵攻を受け併合された。それから1年後、ドイツ軍によるソヴィエト侵攻によりラトヴィアは”解放”されたが、この1年間で3万5千ものラトヴィア人が殺害、あるいは収容所送りとなっていた。そのためにラトヴィア人はソヴィエトへの強烈な憎悪を持っており進んでドイツ軍に協力する者、あるいは治安維持部隊・警察部隊に志願する者が続出した。42年2月23日、これらのラトヴィア人治安維持部隊/警察部隊を統合して3個大隊で編成された保安警察部隊が設立され、後に[レットラント]SS義勇兵団《Lettische SS Freiwilligen Legion》と改称された。43年2月15日、ヒムラーよりの拡充命令により《レットラント》義勇兵団は師団へと改編成され、43年5月15日にSS[レットラント]義勇師団《Lettische SS Freiwilligen Division》と改称された。

 編成後、師団は東部戦線に展開しソヴィエト軍と交戦した。44年4月、師団は戦線後方で再編成され第15SS所属武装擲弾兵師団[レットラント第1]《15.Waffen Grenadier Division der SS [Lettische Nr.1]》と改称している。再編成終了後の6月より、再び戦線に復帰した。

 44年1月12日、ソヴィエト軍はA軍集団に対する攻勢を開始した。A軍集団の前線はたちどころに突破され1月23日にはブロンベルグが陥落し、オーデル河前面へのソヴィエト軍襲来も時間の問題となった。この時、再編成中であった師団に対しても動員命令が出され、3月までヴェストプロイセン~ポンメルンで戦闘を行った。再編成途上にあった師団は同地の戦闘で大損害を受けたが、最終的には臨時集成集団[フォン・テッタウ]の一部となり包囲を突破、友軍戦線へ辿り着いた。だが、師団の兵力は5千程度まで減り装備の多くも失われ、戦闘に投入できる状態にはなかった。

 師団残余は残存の装備をドイツ軍に引き渡した後は建設部隊となり、45年3月30日よりベルリン北方のフェルトベルグ付近、ノイシュトリッツで陣地構築作業に投入された。師団残余は5月2日にはノイハ―ゲン付近へ移動、西方へと後退しシュヴェーリンの森で師団に残されていた4千名がアメリカ軍に投降した。


編成―45年2月以降、建設部隊へ改編までの編成(注1)


・師団長 カール・ブルクSS准将


・師団本部/第15SS所属武装擲弾兵師団[レットラント第1](本部中隊)

 第33SS所属武装擲弾兵連隊(2個大隊―第32SS所属武装擲弾兵連隊残余を編入)

 第34SS所属武装擲弾兵連隊(2個大隊―第32SS所属武装擲弾兵連隊残余を編入)

 第15SS所属砲兵連隊(4個砲兵大隊)

 第15SS所属装甲猟兵大隊(3個装甲猟兵中隊)

 第15SS所属武装軽歩兵大隊(3個軽歩兵中隊)

 第15SS高射砲大隊(3個高射砲中隊)

 第15SS所属工兵大隊(3個工兵中隊)

 第15SS所属通信大隊

 第15SS所属野戦補充大隊

 その他[第15]を冠するSS所属各種支援部隊


 第15SS所属武装擲弾兵師団[レットラント第1]はヴェストプロイセン~ポンメルン戦後は戦闘力を失っていたが、4月初めに師団に対して1個戦闘団編成の命令が出され、一部兵力が再武装され[ヤヌムス]戦闘団《Kampfgruppe[Janums]》が編成された。


*編成


・指揮官 不明


・第Ⅰ大隊/第33SS所属武装擲弾兵連隊

・第Ⅱ大隊/第34SS所属武装擲弾兵連隊

・第15SS所属武装軽歩兵大隊


 [ヤヌムス]戦闘団は編成後、4月20日にベルリン東方のヘルツフェルデへ移動、ここで戦闘に投入された。その後、戦闘団は第15SS所属武装軽歩兵大隊を分離、戦闘団本隊は散発的な戦闘を行いつつベルリン南方のレッピンヒェンを経由し西方へ撤退、リンダウで戦闘団残余824名―将校40名/下士官126名/兵658名―がアメリカ軍に降伏した。


 戦闘団より分離されたナイランツSS大尉以下、約100名の第15SS所属武装軽歩兵大隊《Waffen Fuesilier Battalion der SS 15》はベルリン市街戦に投入され、4月24日、ノイルピン地区へ展開した。以後、大隊は帝国保安警察本部・帝国航空省などに立て篭もって奮戦した。

 5月1日、ナイランツSS大尉はクレーブス大将が降伏交渉に赴く際に通訳として同行している。その後、大尉は帝国航空省に立て篭もる大隊残余―20名―と合流、翌2日の脱出戦に参加した。包囲の突破に成功した彼は僅か数名となったラトヴィア義勇兵とともにエルベ河に到達しそこでアメリカ軍に降伏、奇跡の脱出行を終えた。


注1 推測を含む

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ