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「お、おわったぁ~………っ!」
やっとのことですべての素材を馬車に積み、セツナは崩れ落ちるようにして雪の上に体を預けた。
期限ぎりぎりであった。
一山魔物の死骸を抱えて持ち帰るだけでは、足りなかったのだ。
素材をはぎ取り、使えるものとそうでないものを仕分けて馬車に乗せると、ずいぶんと体積が減った。もう2,3往復必要だったのだが、脚に疲労がたまりつつあったセツナには難事業であったのだ。おかげで、ずいぶんとアイテムを使うことになったのである。
一往復目では使わなかった閃光石や煙玉などは所持分すべてを吐かされ切った上に、脱兎の護符も使った。クーユルドに帰ってからはグレードの高い回復薬を購入して脚の治療に使った。度重なる酷使で疲労がたまり切っていたのだ。セントラル大霊洞で在ったような腱を切るような無茶まではしなかったが、このまま修行に入ると確実にそうなる……という予感があった。
幸いにして、狩ってきた魔物の量が量だったので、魔物の肉を売りさばいたり、セツナでは運搬が難しかったり所持に免許が必要な素材類をギルドに納品するなどして(※1)、得た利益で消耗したアイテムの代金はギリギリ帰ってきた。ここにスノーモンスターの素材納品で得られるセントラルで受けた依頼の報酬も乗るので、今回の収支を総合で見るとプラスになったのである。散財も多かったが、一番大きかったのはやはり命名指定級の発見報酬と討伐補助報酬だろう。
SSランクの命名指定級だったので本来はステータスがSSSランクの傭兵か二つ名持ちの傭兵くらいしか請け負わない討伐任務だ。たとえその報酬の割合が微々たるものでも、階級の上ではシルバーランクのセツナには大金だったのである。
なお、スノーモンスターというのは、樹氷に扮したトレント種、ファールス連山で姿を現す樹の魔物である。スノーモンスターの特異性は、身にまとった雪が打撃攻撃を強力に吸収するという点であったが、それ以外はBランク相当の動く樹と変わらない。そして、動く樹であればついこの間さらにランクの高い相手と飽きるほど戦闘をしてきたセツナに負ける要素は何一つなかった。ゼンの言葉通り、セツナは往復の合間に数体伐採して素材を持ち帰ったのである。
そんなわけで、収支がほぼ確定し、黒字となって本業のほうが落ち着いたので、ようやく後の時間をセツナは修練に使うことができるようになった。
ゼンとの待ち合わせの時間はもうそろそろだ。時刻を確認しながら、セツナはクーユルドの傭兵ギルドに据え付けてある酒場で時間をつぶしていた。先ほどから何度か顔を上げて周囲を見渡しているが、酒場に彼が訪れる気配はいまだ感じられない。
傭兵がギルドで待ち合わせをするとなると、基本は酒場のことを指す……と、セツナは東のギルドにいたころに師匠から教わっている。具体的な場所の指定がなかったので、傭兵の暗黙の了解ととらえてここに来たのだが、間違っていただろうか、あるいは北では文化が異なるのだろうか、と少し不安になっていた。
「失礼します、レイン様。『厳歩』様からの言伝と支度金を預かっております。」
「……?!あ、あなたは……」
そわそわしつつ、席について待っていたセツナに、一人の男性が声をかけに来た。
セツナは、声をかけられるまで彼の存在に気が付けなかった、ともいう。内心ドキリとしながらもそちらを振り向くと、そこにいたのは青い制服の男が。胸元にある妖精金で出来た紋章は、セツナが前にセントラルで見た、あのキヤフ・モナークがつけていたものと同じだった。
彼はこのノースエリアを統括するギルドマスター。名を、サンキア・ニグラ。鷹のように鋭く冷たい目を持った、黒髪の青年であった。無論、見た目は青年だが年齢はその見た目にそぐわない。
彼もまた、世界最高の傭兵の一人でもある。
そして、そんな彼が唐突に現れても、周りの誰も気が付いていない。彼の姿が、見えていないかのように。
セツナには、彼が何をしてここにこうしてたたずんでいられるのかわからなかった。世界最高峰の実力の持ち主であることは間違いないだろう。だが、魔力を感じられない。認識を操作しているのか、それともほかの何かを使っているのか。
普通何かしらの魔術や魔法……あるいは装備に備わったスキルを使うにしても、事象に干渉するには魔力が必要だ。そして、セツナには術を相手に悟らせないようにする術など知らない。あるいは、他の何かで……しかし、セツナには判断の材料も、経験もまるで足りなかった。ともかく、こうして平然とたたずむ彼が、すでに理解しがたい領域の存在であることは、間違いなかった。
逆説。これほどの存在を言伝一つのために動かせるのはゼンくらいしかいない。彼がゼンの使者であることは、疑いようもなかった。
「伝言を読み上げます。
……『自力で、ファールス連山中腹まで来い。期限は4日とする。』」
「………え。」
思わず、そんな声が出てしまう。
数秒思考を回し、今告げられたことが、いったいどれほどの難行であるかを、セツナは理解してしまったからだ。
ファールス連山の中腹。標高10000mを超えるその領域はすでに気温は絶対零度近くまでに下がっている。環境の厳しさでいえば、他の未踏破領域の”奥地”に匹敵するレベルだ。
ゼンが言っているのはおそらく、ファールス連山中腹への境目である”静寂点”のことだろう。
静寂点とは多くの気体がその低温により、液体や固体となり、気体として存在しなくなる領域のことだ。音を媒介する、大気そのものが凍り付く究極の低温。体一つでは踏破不能と言われる境目としても知られる。セツナでは到底進めない場所だ。
だが、冒険者はそんな摂理など己の技術と装備で捻じ曲げて先に進む。
逆を言えば、セツナもこれくらいできなければ、冒険者にはなれない。
ゼンからの試練は、冒険者への道を歩む彼女には、必要なことだと思えたのだ。
「支度金として、8000万ピークを預かっております。万全の準備を。」
「……わかりました。それでは、失礼しますね。」
「ご武運を。」
大金の入ったトランクケースを受け取ったセツナは、一秒も無駄にできないといわんばかりの勢いで、酒場を飛び出す。
その姿が見えなくなるまで、サンキアは最後まで彼女を見届けた。
(ああ。彼女が『天衣無縫』の忘れ形見か。………一目でわかる。)
サンキアはギルドマスターの責務として、彼女に危険を諭すつもりであった。ゼンからの伝言を”独自の伝手”で入手して慌てふためいたキヤフからは特に止めるようにと言われていた。
しかし、それをすることはなかった。彼には一目でわかった。
その後ろ姿に、ある男の面影を見たのだ。
(……止めても無駄なところまで、師によく似ているな。良くも悪くも。)
あこがれにその魂まで焼かれ、愚直に前に進むことしかできない、あまりにも若く眩しいその在り方を。
* * *
所持に免許が必要な素材類をギルドに納品するなどして……
毒物や劇物等を含んだ魔物の素材であったり、扱いを間違えると危険物になったり、そもそも傭兵が持ち歩くのを認められていない素材類。セツナはBランクまでの免許は持っているが、Aランク以上の毒物劇物の取り扱いはできないので、それらの納品を内容とした依頼を即時達成して報酬を受け取るなどしていた。
こうした規制素材類は、多くの場合で違法な薬物の原料や危険な魔術の触媒になることが多かったり、放置していると魔物になったりするものが多い。ただし研究目的で納品の対象となっているものも多い。