あの日の未来を変えてみた
胸いっぱいに夢と希望を膨らませてやってきた、王立エリーティア学園。そこは確かに夢見たとおりに煌びやかな場所ではあったが、その輝きの裏には濃い闇もまた存在している……はずだった。
「ねえ、イケテリアス。あれは何?」
右も左もわからない転入生の自分が知り合った、この国の王子様。自分の隣を歩くやたらキラキラした見目麗しい王子に、ヒロイルナは思わずそう問い掛けてしまった。彼女の目の前で繰り広げられている光景があまりにも異質だったからだ。
「さあ、やっておしまいなさいミギルダ!」
「へっへっへ、今日こそ決めてやるぜ!」
如何にも高位の貴族令嬢らしく豪奢なドレスに身を包んだ金髪の美女……イジワリーゼがそう声をかけると、燃えるような赤髪を振り乱しながらミギルダが走り出す。その前に立ち塞がるのは、一〇人ほどの男女の集団。
「今日こそ完璧に防いで見せますわ! コリアンデ様に会えなかった一年間、鍛えに鍛えた我等のディフェンス力を侮らないでくださいませ! 多重防壁……今!」
「「オウ!」」
背後から聞こえた「いや、モブリナさん達、三日と開けずに初等学部の校舎に遊びに来てましたよね?」という呟きを無視してその女性が声をかければ、四人いた男子のうち二人が腰をかがめ、残り二人を宙へと飛ばす。それによって生まれる人間防壁の高さは三メートル近くなり、これを飛び越えるのはミギルダとて流石に無理だと思われたが……
「だからお前等はあめーんだ! ヒダリー!」
「ていっ!」
深い藍色に浸した髪を振り乱し、一見大人しそうな少女……ヒダリーがミギルダの体を横へと突き飛ばす。するとその勢いを利用したミギルダは壁を蹴って更に飛び、眼前に出現した人の壁を綺麗にかわして目的の相手へと狙いをつける。
「喰らえちっちゃいの! ごめん、あそばせぇ!」
「ていっ!」
「ぎゃふん!?」
長い足から繰り出された踵落としを、初等学部に入った頃からほとんど体型の変わっていないコリアンデがあっさりと受け止めた。そのままミギルダを床に放り捨てると、呆れた声で小さくため息をつく。
「まったく……高等学部になったというのに、いつまでこんなことを続けるおつもりなのですか?」
「イテテ……そんなの決まってるだろ。お前に一撃入れるまでだ!」
「ハァ、それでは卒業しても家に押しかけて来られそうですね」
「何だとー!」
苦笑するコリアンデにいきり立つミギルダだったが、床から立ち上がるとポンポンと服を叩いて汚れを落としつつ自分の体に目を向ける。
「くっそー、無駄にでっかくなりやがって。動きづらいったらないぜ」
背も伸びず体型も変わらないコリアンデと違って、ミギルダの身長は一六〇センチほどに伸び、更に胸がたゆんと揺れるほどに大きく成長している。目の前で圧倒的質量の暴力を見せつけられたコリアンデが何とも渋い顔で自分の体を見下ろしていると、不意にその背後から抱きついてくる存在があった。
「もーっ! コリアンデちゃんはコリアンデちゃんなんだから、いいじゃない!」
「ソバニさん?」
「ね? アッカム君もそう思わない? コリアンデちゃんは可愛いよね?」
「お、俺か!? ま、まあ、あれだ。その……わ、悪くはないんじゃねーか?」
「アッカムさん……それはお二人が順当に大きくなっているからですわ……っ!」
そっぽを向くアッカムの背は一七〇を越えており、今やコリアンデとは頭一つ分どころの差ではない。ソバニにしても年相応に成長しており、上から抱きしめられたコリアンデとソバニの関係性は、親子とまでは言わずとも少し年の離れた姉妹にくらいは見えることだろう……無論妹はコリアンデの方だ。
「くっ、まさか私の背がここまで伸びないとは……何故こんなことに……?」
コリアンデの頭に浮かぶのは、もう殆ど覚えていない幼い日に見た夢の景色。その時の自分は年相応の体型をしていたはずであり、こんな幼児体型ではなかったのだ。
(森での修行に、こんな恐ろしい副作用があったとは……まあ、どちらかを選べと言われるならば答えは考えるまでもありませんが)
「オーッホッホッホッホ! 田舎娘は何処までいっても田舎娘ということですわね! いずれはもっと大きく美しく成長したワタクシが、ペチャリと踏み潰して差し上げますわ!」
「何処までもお供致します、お嬢様」
「次こそ蹴っ飛ばしてやるぜ!」
自分を虐める存在は、今も変わらず目の前にいる。だがそれは恐怖の対象というよりは、腐れ縁の友人のようにすら思える。
「キーッ! ナナシーさん、次こそ! 次こそは鉄壁の防御を!」
「勿論ですわモブリナさん! さあ皆さん、今日からまた特訓ですわよ!」
「「オー!」」
成り行きとはいえ、縁が無いと思っていた沢山の友人もできた。いや、友人と呼ぶには少々微妙な関係だが、少なくとも自分を慕ってくれているのだから、一応友達でいいだろう。
そして何より……
「ねえアッカム君。アッカム君はボインボインのコリアンデちゃんと、ちっちゃくて可愛いコリアンデちゃんならどっちがいいの?」
「ふぁっ!? そりゃあ……あれだよ。チッ、いいじゃねーかそんなの! 何だって同じだろ!?」
「ふーん。つまりコリアンデちゃんなら何でもいいんだ?」
「ばっ!? おっま、ふざけんなよ!」
はしゃぐ親友二人の姿に、コリアンデの頬が緩む。この大切な友人達と一緒にいられるのならば、仮にあの日夢見た地獄のような日々であっても、きっと笑顔で過ごせたことだろう。
「くそっ、またからかいやがって……っ!? お、おいお前、どうしたんだ!?」
「え? 何がですか?」
不意に、自分を見たアッカムがギョッとした顔をする。だがコリアンデ自身にはそんな表情をされる理由が思いつかない。
「何で泣いてるんだよ!? 違うぞ、全部冗談だからな! 俺はお前の事――」
「コリアンデちゃん、何で泣いてるの?」
「泣いてる? 私が……?」
戸惑うコリアンデの頬に、ソバニがポケットから取りだしたハンカチをそっとあてる。するとじんわりとした熱が頬に広がり、そこで初めてコリアンデは自分が涙を流していることに気がついた。
「これは……フフッ、何でもありませんわ。強いて言うなら、幸せすぎてでしょうか?」
「幸せだと泣いちゃうの? 変なコリアンデちゃん……あっ!?」
ヒュウと吹き込んできた風が、コリアンデの涙を拭っていたハンカチを吹き飛ばしてしまう。慌ててソバニがそれを追いかけると、飛ばされたハンカチを拾い上げたのは…………
「あら?」
ふと足下に飛んできたハンカチを、ヒロイルナが拾い上げる。するとすぐに階段を駆け上ってきた落とし主が、息を切らせながらヒロイルナの前にやってきた。
「はぁ、はぁ……それ、私の……」
「ええ、そうみたいね。はいどうぞ」
「ありがとうございます……はぁ、よかった」
「そんなに必死になるなんて、大切な物なの?」
「はい! 私の宝物なんです!」
太陽のように輝く笑顔でそう答えると、少女はもう一度頭を下げてから友人達の元に戻っていった。それを見送るヒロイルナの隣ではん、イケテリアスが何とも複雑な表情を浮かべている。
「まったく、成人した貴族の子女があのように落ち着きのない様子ではな。というか、イービルフェルト侯爵家のご令嬢まで混じっているじゃないか! すまない、ヒロイルナ。失望させてしまっただろうか?」
「まさか! それってつまり、身分を超えて仲良くしてるってことでしょ? 最初はビックリしたけど……フフッ」
姦しく騒ぎ続ける少女達を見つめながら、ヒロイルナは嬉しそうに笑う。
「ねえ、イケテリアス。私決めたわ。そりゃ立場とか身分とか、色々あるのだと思うけど……でも、あんな光景が目の前にあるのなら、あれを当たり前にしたい。私が何かに選ばれてここに呼ばれたというのなら、それこそを目的にしたい。駄目かな?」
「あれを当たり前に、かい? 我が国を背負って立つ者達なのだから、せめてもうちょっと礼儀というか、体裁くらいは整えてもらいたいところなんだが……」
「じゃ、それも一緒にね! いいじゃない。ここは学園で、学ぶところなんだから!」
「ハァ、これは先が思いやられそうだ……」
張り切るヒロイルナの態度に、イケテリアスは思わず苦笑を浮かべる。だがその顔は何処か楽しそうでもあり、事実彼らはその後精力的に活動をして、学園からいじめや差別といったものを無くしていくことになる。
「私にも、あんな素敵な友達ができるかな……?」
一度だけ振り返ったヒロイルナは、さっき手にしたハンカチのことを思い出す。少しだけ色褪せたそのハンカチには、拙く、だが丁寧に三つ並んだ笑顔が刺繍されていた。
「あー、何か騒いだら腹減ってきたぜ!」
「アッカム君って、体はおっきくなっても中身はそのままだよね……」
「アッカムさんらしくていいじゃありませんか。では、休憩室でお茶でも飲みましょうか」
そして現実の世界でもまた、三つ並んだ笑顔は色褪せることなく輝き続けていた。
ということで、これにて完結となります。短い間でしたがお付き合いいただきありがとうございました。
明日からは前作「最強無敵のお父さん」の外伝を投稿する予定ですので、そちらも宜しくお願い致します。





