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王国最後の軍師 ―敗残兵から始める異世界覇道戦記―  作者: 千蘭


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第1話 王国は、昨日滅びた。

 王国は、昨日滅びた。


 国王は死んだ。


 王都は焼けた。


 三万を数えた王国軍は壊滅し、王家の旗は帝国兵によって城壁から引きずり下ろされた。


 そして今日。


 その滅びた王国の生き残り、二百三十七人が。


 俺の目の前にいた。


「……もう一度言って」


 銀髪の少女が言った。


 声は静かだった。けれど、右手は剣の柄に置かれている。


 泥に汚れた白銀の鎧。左肩には乾いた血。銀色の長い髪も、ところどころ赤黒く固まっている。


 疲労で顔色は悪い。


 それでも背筋だけは真っ直ぐだった。


「帝国軍が来るまで、長く見積もって二時間」


 少女の後ろに立つ老兵が言った。


「斥候の報告では、およそ五千。騎兵だけでも八百はおります」


「対して、こちらは?」


 俺が聞く。


 老兵は一瞬黙った。


「……二百三十七」

「戦える奴は」

「百八十二。ほかに、非戦闘員が二名おります」

「弓は?」

「使えるものが三十二張」

「矢は」

「……千本もありません」

「馬」

「十一頭」

「食料」

「三日分。節約すれば四日」

「負傷者」

「五十三」

「そのうち歩けない奴」

「十二名です」


「なるほど」


 俺はしゃがみ込み、足元の土へ小枝を突き立てた。


 五千。


 百八十二。


 数字だけなら、考えるまでもない。


「無理だな」


 少女の眉が動いた。


「……何?」

「正面から戦えば負ける」


 空気が凍った。


「貴様!」


 兵士の一人が剣を抜いた。


「我々を愚弄するか!」

「やめなさい」


 少女が制した。


「ですが、殿下――」

「剣を収めて」


 殿下。


 その一言を、俺は聞き逃さなかった。


 だが今は、それより先に聞くことがある。


「それで?」


 少女が俺を見る。


「戦えば負けるのでしょう?」

「ああ」

「では、あなたの策とやらを聞かせてもらえる?」

「その前に一つ」

「まだあるの?」

「帝国軍は、なんで俺たちを追ってる?」


 少女が黙った。


 今度は俺が彼女を見る。


「全員殺すつもりなのか、捕らえるつもりなのか。それとも、この先へ進む途中なのか」

「残党を処理するためでしょう」


 老兵が答えた。


「その可能性はある。でも、他にも目的があるかもしれない」

「何が言いたい」


 俺は兵士たちの顔を見た。


 疲れ切っている。話を聞く余裕さえ、ほとんど残っていないようだった。


 俺だって、答えを持っているわけじゃない。


 だから考える。


 一つ。


 残党の殲滅。


 二つ。


 この先に軍事的に重要な場所がある。


 三つ。


 俺たちの中に、帝国がどうしても捕らえたい人間がいる。


 四つ。


 追撃そのものが目的ではない。


 まだある。


「……殿下、か」


 銀髪の少女の顔が変わった。


 老兵が剣へ手を伸ばした。


「貴様、どこでそれを――」

「さっき、そいつが言った」


 俺は剣を抜いた兵士を指差した。


 兵士の顔が青くなる。


「申し訳――」

「いいわ」


 少女が遮った。


 そして俺を見る。


「そうよ」


 彼女は胸元から細い鎖を引き出した。


 煤に汚れた銀色の紋章。


 砕けた王冠と、一羽の鳥。


「私はセレスティア・アルヴェイン」


 少しだけ間を置いた。


「昨日滅びたアルヴェイン王国の第一王女よ」


 なるほど。


 これで一つ、考えるべきことが増えた。


「じゃあ、敵の目的はあんたかもしれない」

「でしょうね」

「生きたまま捕らえたい理由に、心当たりは?」

「……何?」

「あるいは、殺さなきゃいけない理由」


 何人かの兵士が俺を睨んだ。


 セレスティアの目にも怒りが浮かぶ。


 それでも続ける。


「どう追ってくるかを考えるには、そこを知りたい」


 俺は土に三本の線を引いた。


「王女が生きていると困る理由」


 一本目。


「血統」


 二本目。


「何かを持っている」


 三本目。


「あるいは――」


 小枝を止める。


「生きているだけで、人が集まる」


 今度は誰も怒鳴らなかった。


 セレスティアだけが俺を見ている。


「……あなた、本当に何者なの?」

「それは俺が知りたい」

「ふざけないで」

「ふざけてない」


 本当に分からない。


 昨日、この世界に来るまで、俺はこんな場所にはいなかった。剣も握ったことがない。戦争なんて、本の中と画面の向こうでしか知らなかった。


 どうしてこの世界にいるのか。


 なぜ言葉が通じるのか。


 この身体は誰なのか。


 何一つ分からない。


 ただ――。


「地図は?」

「……地図?」

「この辺りの地図。あるなら見せて」


 老兵がセレスティアを見る。


 彼女が頷くと、一人の兵士が荷袋から羊皮紙を取り出し、地面に広げた。


 粗い。


 縮尺も怪しい。


 だが、話を聞くためには使える。


「俺たちはここ?」

「そうです」


 老兵が一点を指す。


 街道。


 東に森林。


 南に川。


 北西に小さな山地。


 そして西側に――。


「これは?」

「ラグナ峡谷です」

「幅は?」

「最も狭いところで、馬六騎ほどでしょう」

「高さは?」

「左右とも二十……いや、三十メルほど」


 メル。


 知らない単位。


「人間一人の身長は何メル?」


 全員が変な顔をした。


「……あなた、本当に大丈夫?」

「大丈夫じゃないから聞いてる」


 老兵が自分を指した。


「私で一・八メルほどですが」


 なるほど。


 俺の知っている単位と、大きくは違わないらしい。ただし、決めつけるのは危険だ。


 今はそれだけ分かればいい。


「川は?」

「今の季節なら腰ほどです」

「騎兵でも渡れる?」

「場所を選べば」

「今夜、雨は?」

「雲を見る限り、降る可能性はあります」

「雨が降れば?」

「増水します」

「どのくらいで?」

「それは……」


 老兵が言葉に詰まる。


 当然だ。


 ゲームじゃない。都合よく数字が出てくるわけじゃない。


「分からない、か」


 それでいい。


 分からないことが分かった。


 俺は地図を見る。


 帝国軍、およそ五千。


 こちらは二百三十七。


 正面戦闘。


 論外。


 峡谷で待ち伏せ。


 敵だって考える。


 川は渡れる。


 今夜は雨の可能性。


 王女。


 敵の目的。


 騎兵八百。


 負傷者五十三。


 歩けない者十二。


 食料は三日。


 まだ情報が足りない。


「斥候を出したい」

「時間がありません」

「だから出す」


 俺は地図の三か所を指した。


「三組。敵本隊を見る奴。川を見る奴。それから――」


 指を北へ動かす。


「こっち」

「何を見るの?」

「兵がいないか」

「北へ逃げるために?」

「逃げられるか、確かめるために」


 セレスティアが地図へ目を落とした。


「俺たちが見つけた道は、敵も見つけてるかもしれない」


 俺は地図から顔を上げる。


「敵が馬鹿だと思わない方がいい」


 そこで初めて。


 セレスティアの表情から、俺への露骨な不信感が少しだけ消えた。


「三組出します」


 老兵が言った。


「いや、四組」

「四組?」

「帝国軍の後ろも見たい」

「後方?」

「補給だ」


 老兵の目が細くなる。


「五千人が動くなら、五千人分の食料も必要になる」

「ですが追撃軍です。数日分なら各兵が携行している可能性も」


 俺は老兵を見る。


 いい。


 ちゃんと反論してくる。


「その可能性もある」

「……否定されないのですか?」

「なんで?」

「いや……」

「俺はこの世界の軍隊を知らない。あんたの方が詳しい」


 老兵が黙った。


「だから教えてくれ」


 俺は言った。


「俺が間違ってたら、その場で言ってくれ。遠慮はいらない」

「軍師というものは、自分の策に自信を持つものでは?」

「軍師?」


 その言葉に、少し笑った。


「俺は軍師じゃない」


 少なくとも、まだ。


「ただ――」


 地図を見る。


「死にたくないだけだ」


     ◇


 最初の斥候が戻ったのは、一時間も経たない頃だった。


「帝国軍を確認!」


 全員が立ち上がる。


「距離!」

「およそ七キル!」


 また知らない単位だ。


「歩兵が中心! 騎兵は前方! 数は――」


 斥候が息を整える。


「五千より少ないかもしれません!」

「どのくらい?」

「分かりません! ですが……三千? 四千?」


 老兵を見る。


「どう思う?」

「遠目で軍勢の数を正確に測るのは困難です」

「だよな」


 五千という数字を、確定したものとして扱うのをやめる。


 三千から五千。


 今は幅を持たせて考える。


「旗は?」

「帝国旗のほか、黒地に金獅子!」


 その瞬間。


 セレスティアの顔色が変わった。


「……まさか」

「知ってる?」

「帝国西方軍」


 彼女が呟いた。


「ヴァルター将軍よ」


 周囲がざわめいた。


「強い?」


 俺が聞く。


 セレスティアは信じられないものを見るような顔をした。


「知らないの?」

「知らないから聞いてる」

「……帝国で最も慎重な将軍の一人よ」


 最も慎重。


 嫌な言葉だ。


「罠にかかる?」

「まず、かからないでしょうね」


 もっと嫌な情報だった。


 なのに。


 胸の奥で、何かがわずかに動いた。


 恐怖とは違う。


 絶望的な盤面を前にしているはずなのに、頭だけが妙に冴えていく。


 それに気づいた自分自身が、一番不気味だった。


「それと!」


 斥候が続けた。


「妙なことがあります!」

「何?」

「敵が――」


 息を吸う。


「急いでいません」


 俺は顔を上げた。


「どういう意味?」

「追撃のはずなのに、進軍が遅いのです! 騎兵も先へ出ません!」


 ざわめきが止まった。


 俺は地図を見る。


 敵は王女を追っている。


 その可能性を考えていた。


 八百騎もいるなら、一部を先行させて道を塞ぐこともできるかもしれない。


 なのに、見える範囲ではそうしていない。


 一つ。


 疲れている。


 二つ。


 警戒している。


 三つ。


 急ぐ必要がない。


 四つ。


 俺たちがどこへ逃げるか知っている。


 五つ――。


「レン?」


 セレスティアが俺を見ていた。


「どうしたの?」


 俺は答えなかった。


 地図を見る。


 南。


 川。


 西。


 峡谷。


 東。


 森。


 北――。


「北へ出した斥候は?」

「まだ戻っておりません」

「何分前に出した?」

「最初です。もう戻ってもいい頃ですが……」


 嫌な感じがした。


 さっきまで見えていた盤面が、一度崩れる。


 敵が俺たちを追っている。


 まず、その考えから疑う。


「……ただ追ってるだけじゃないのかもしれない」

「何?」

「俺たちに追いつくことより、先にやりたいことがあるのかも」


 セレスティアの視線が地図へ落ちた。


「何をしようとしているの?」


 分からない。


 まだ断定するな。


 ただ、一つ。


 今までの情報を説明できる仮説がある。


 俺は北側の道を指した。


「逃げ道を選ばせてる」


 その瞬間だった。


「伝令!」


 森の向こうから馬が飛び出してきた。


 一騎。


 北へ出した斥候だ。


 馬の首が泡だらけになっている。


「兵が!」


 斥候が馬から転げ落ちるように降りた。


「北の街道に兵がいます!」

「数は!」

「分かりません!」


 斥候は叫んだ。


「ですが、旗が……!」


 セレスティアが駆け寄る。


「旗が何!?」

「帝国旗ではありません!」

「なら誰の――」

「王国旗です!」


 誰も動かなかった。


 昨日滅びたはずの国の旗。


 味方。


 そう考えるべきなのだろう。


 なのに。


 俺の背中を、冷たいものが走った。


「……一つ、聞きたい」


 全員が俺を見る。


「王都が落ちたことを知っていて、王女がこの道を通る可能性まで知っていた人間は――」


 俺は北の街道を指した。


「どれだけいる?」


 セレスティアの顔から血の気が引いた。


「まさか……」


 まだ証拠はない。


 王国旗がある。


 それだけだ。


 生き残った味方かもしれない。


 帝国軍の偽装かもしれない。


 俺たちの知らない事情があるのかもしれない。


 だから、決めつけるな。


 それでも。


 帝国軍が急がない。


 騎兵を先へ出さない。


 逃げ道を選ばせるように進んでいる。


 そして、その先には王国旗。


 確かめずに進むには、不安なことが多すぎた。


「殿下」

「……何?」

「あの旗には、今すぐ全員で近づかない方がいい」

「どうして?」

「誰が掲げてるのか、まだ分からないから」


 俺は遠くの街道を見る。


 風の向こうで、滅びた王国の旗が揺れていた。


 昨日までなら。


 あの旗を見れば、誰もが安堵したはずだ。


 けれど今は。


 迫る帝国兵よりも。


 慎重な敵将よりも。


 あの旗の方が、ずっと不気味に見えた。


「もし俺の考えが正しいなら――」


 言葉を切る。


 考えたくない仮説が、一つだけ残っていた。


「王国を売った奴は」


 セレスティアが息を呑む。


「敵の旗を掲げてない」


 風が吹いた。


 遠くで王国旗が大きくはためく。


「味方の顔をしてる」


 俺はその旗から目を離さなかった。


 最初に警戒するべき敵を、間違えていたのかもしれない。


――第一話 了



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