幽霊と家事
朝の事務所に、掃除機の音が響いていた。
多田が眉間に皺を寄せながら床を掃除している横で、私はソファに寝転んで猫動画を眺めている。
『お掃除ご苦労様~』
完全に他人事の口調で声をかけると、多田がじろりとこちらを見た。
「……お前、ここに住み憑いてるよな?」
『えぇ、そうね。 居心地最高よ』
「だったら少しくらい家事を手伝え」
鼻先にびしっと指を差される。
指を差すなんて失礼ねっ!でも——。
手伝うのは吝かじゃない。私は勢いよく身を起こした。
穀潰しなんて言われちゃたまんないものね!
穀、潰せないけどね。幽霊だから。
『任せなさい!幽霊だって家事くらいできるところ、見せてあげるわ!』
◇
まずは掃除ね!
綺麗な建物は幽霊としても気持ちいもの。
雑巾を持とうとする。すり抜ける。
掃除機の柄を握ろうとする。すり抜ける。
ゴミ袋の口を摘まもうとする。すり抜ける。
『……』
「……」
気まずい沈黙が事務所に流れた。
『掃除って難しい……』
「まぁ、わかっちゃいたけどな」
『なによ、折角人がやる気になってるのにっ!』
諦めきれずに、洗濯物を畳もうとしてすり抜け、食器を洗おうとして水にただ手が沈み、包丁を握ろうとしてまたすり抜ける。
『……私、家事に向いてないわ』
「幽霊だからだろ」
そんな身も蓋もない結論で、私の家事チャレンジはあっけなく終了しちゃった。
(もうちょっとやれると思ったんだけどなぁ)
幽霊ってままならないわ。
◇
お昼過ぎ、多田が買い物袋を持って出かけようとする気配を察して、私はすかさず声をかけた。
『待って。買い物なら私も行くわ!』
「何しに?」
『家事よ!』
「まだ諦めてなかったのかよ」
『買い物も家事でしょうが。 手伝えって言ったの、多田じゃない。 ほら、行くわよ!』
荷物は持てなくても、商品を探したり、値段を見比べたり、買い忘れないよう覚えていたり。
実体なんてなくてもできることぐらい、あるはずよ!
「……まあ、いないよりはマシか」
そうして、私は堂々と多田の買い物についていく権利を勝ち取った。
スーパーに着くと、私は早速店内を自由に飛び回った。
壁も棚も関係なく通り抜けられるのは、こういう時も本当に便利なのよね。
『牛乳はこっちよ!』
「分かってる」
『卵、安いわよ!』
「今日は買わねぇ」
『お菓子も買いましょう!』
「お前のためじゃねぇか」
『ちっ、ちっ、ちっ。依頼人へのお茶請けよ。余ったらお供えしてね』
「それ、最後食べるの俺じゃねぇか」
なんだかんだ言いつつ、多田がポテチもカゴに入れてくれる。
『私、買い物の才能あるんじゃない?』
「付き添ってるだけだろ」
ふふんっ、細かいことは気にしない主義なの。
◇
買い物を終えて帰る道すがら、私はふわふわと宙を漂いながら機嫌よく浮かれていた。
『あっ、猫ちゃん!』
塀の上でくつろいでいた猫を見つけて、思わず近寄る。
猫の方は、「……?」という顔で、ほんの少しだけこちらに視線を寄越しただけだった。
それでも私は嬉しくなって、しばらくその周りをくるくる回る。
――その直後だった。
バサバサッ!
黒い影が、いきなり私に向かって突っ込んできた。
『——ぎゃあああああ!?』
「なんだっ?!どうした!?」
私はものすごい勢いで多田の背中に隠れた。
幽霊だって、怖い物は本気で怖いのよ。
『カラスよ!!』
「お前、幽霊だろ……」
『幽霊でもカラスは怖いの!』
犬や猫は好きだ。あの子たちは可愛いし、こちらを警戒しても、あくまで動物らしい距離の取り方をしてくる。
でもカラスは違うっ!
あいつらは絶対、私たち幽霊を玩具だと思っている!
「そんなに怖がるとか……カラスに何されたんだよ」
『頭目掛けて体当たりされた。三回連続で』
「でも幽霊だからすり抜けただろう?害はねーだろ」
『気分の問題よっ』
そうこう言っているうちに、二羽、三羽と、あっという間にカラスが集まってくる。
私は慌てて多田の背中から離れ、塀を抜け電柱の裏を抜け、逃げ回った。
けれどカラスは律儀に壁の向こう側で待ち伏せしてくる。
『なんでよぉぉぉ!丸焼いて食っちゃうわよ!』
なんて、叫んでみても……実体のない幽霊には文字通り手も足も出ない。
その光景を見ていた多田は、腹を抱えて笑っていた。
『こいつら私が触れないって分かっててやってるのよ!』
「やっぱりカラスって頭いいよな」
『褒めるなー!!』
結局、私は電柱の影から電柱の影へ飛び移り、建物の中をくぐり抜けながら、なんとか事務所まで逃げ切ったのだった。
幽霊だからって、無敵ってわけじゃないのよ、ほんと……。
◇
事務所に戻ると、私はソファにぐったりと沈み込んだ。
『今日は大変だったわ……』
「買い物についてきただけだろ」
『カラスに襲われたのよ! あいつら絶対わざとよ!』
多田は買ってきたものを黙々と冷蔵庫に片付けていく。
その背中を眺めながら、私はふと呟いた。
『……でも』
「なんだ?」
『買い物、ちょっと楽しかったわ』
特に深く考えたわけじゃない、ただ思ったことをそのまま口にしただけだった。
多田は片付けの手を止めて、少しだけ笑う。
「じゃあ次からも付き合え」
『ええ!いくらでもっ!……ただしカラスのいない道で!』
「そんな道あるか」
ぱっと顔を上げた私に、多田がどこか呆れたような目を向けた。
家事の役には立たなかったけれど、まぁ、こういうのも悪くないわね。




