64 ヨハンナとシャンティ
遅くなりました。すみません。
薬師部へ戻りながら、シャンティは納得がいかずにイライラしていた。
可愛い妹から嫌われるリスクを背負いつつ、血の涙を流してリャーナを叱ったというのに。シャンティの叱り方がまずかったのか、マーサから2人まとめて叱られてしまった。シャンティにしてみれば、泣きっ面に蜂どころか、殺戮蜂の集団に襲われたぐらいの災難だった。
その上、マーサからのお説教が終わったと思ったら、マーサに召喚された利益管理人、フロスからのお説教が始まった。フロスの説教は声を荒げることもなく、ただ事実を述べていくだけの淡々としたものなのだが、『情報流出により学園の先生方の損失は、平均的な利益登録による収入額から算出すると金貨200枚以上、訴訟費用なども上乗せして〜』と、具体的な数字を出して被害の大きさを実感させられるので、マーサからの説教とはまた違ったテイストで、心を抉られた。これまで倹しい生活をしてきたリャーナなど、金額の大きさに倒れそうなほど真っ青になっていた。可哀そうに。
それにしても。リャーナよりもシャンティへのフロスの当たりが強い気がするのは気のせいだろうか。いや、リャーナが責められたら全力でシャンティが盾になるので、結局はシャンティが叱られることになるので、別にそれは構わないのだが。どうやらフロスはシャンティを叱ることで、間接的にリャーナに反省させているようだ。
他者から虐げられてきたリャーナは、自分が怒られるのは当たり前になりすぎていて、感覚が鈍くなっている。だが、シャンティが一緒に叱られると、それこそ身が切られるほど辛く感じるようだ。自分よりも他人が傷つく方が辛いなんて、そんな優しいところもリャーナの魅力の一つでべらぼうに可愛いのだが。そこを見越して敢えてシャンティに標的を定めるフロスの高度な説教テクニックに、シャンティはそこはかとない恐怖を感じたのだった。
そうして全ての長い説教が終わり、なんとなく解散の雰囲気になったので、シャンティは自分の職場へと這々の体でもどったのだが。
「あのっ! シャンティ様! 僭越ながら、質問が!」
やたらと元気にシャンティを追いかけてきたのは、リャーナと同じ魔術開発部の、たしかヨハンナとかいう同僚だった。なぜかマーサやフロスの説教を、ヨハンナはマルクと共に最後まで見守っていた。あの、人の心をとことん抉る説教を最後まで聞いていて、よくもこんなに元気でいられるものだと、シャンティはげんなりする。
「なに?」
ピッと真っ直ぐに手を挙げているヨハンナに、シャンティが面倒くさそうに答える。
皇宮に勤めるようになってから、気軽にシャンティに質問をしてくる奴らが増えた。相手が薬師で仕事の話ならば答えてやることもあるが、たとえば皇宮勤めの貴族とかがシャンティを取り込もうと下心を持ってちょっかいを掛けてきたときには、容赦なくボロクソに扱き下ろしてやっている。
立ち振る舞いからおそらく貴族であろうヨハンナもその一人なのかと、シャンティは不遜ともいえる態度でヨハンナを睨みつけたのだが。
「はい! まずは飲み物からお願いします。リャーナ様は少し温めの紅茶、茶葉はルティーナ領産の香茶を好まれます。ただ、これから暑くなってくると、温かなものより冷やしたものをお出ししようと考えておりますが、果実水ならミルミルの果実水、レモティーナの果実水のどちらが良いのでしょうか」
「それはレモティーナ一択ね。リャーナちゃんはお菓子は甘めを好む分、飲み物はすっきりしたものを好むわ」
意外な質問に軽く目を瞠ったシャンティだったが、即座に答えを返す。ヨハンナはふむふむと頷いて、律儀にメモを取る。
「なるほど、レモティーナですね。それでは次に茶菓子ですが、先日干しポルカをお出ししたところ、大変喜んでいただいて、お代わりをなさっていました。このように他にお好みのオヤツがあれば教えて頂きたく……」
きらりと、シャンティの眼が輝く。これでもリャーナのオヤツに関しては、一家言をもっているつもりだ。並大抵のお菓子では、認めるつもりはない。だが。
「干しポルカ! リャーナちゃんは素朴な味わいを好むから好きなのは分かるけど、あれ、ドーン皇国でも南が産地でしょう? なかなか手に入らないのよね! そんなに喜んでいたの?」
「はいっ! 可愛らしく『ふぉぉぉ』と声を上げていらっしゃいました。マルク殿下宛ての贈物から頂いても問題ないものをオヤツに出させて頂きました」
「『ふおぉぉぉ』ですって? 最上級レベルの満足度じゃないの! ぎぎぎっ。あの魔術バカ。権力に物を言わせてリャーナちゃんを懐柔する気かしら!」
「いえ。干しポルカが殿下からの差し入れだということは、内緒にしましたので。リャーナ様は全くお気づきになっていないです」
シラッとした顔でヨハンナが言うのに、シャンティは改めて彼女を見つめた。
「貴女。なかなかやるわね」
「いえ。リャーナ様が口癖のように『お姉ちゃんは凄い』と仰るシャンティ様ほどでは」
「えぇ? リャーナちゃんがそんなことを?」
途端にデレッと相好を崩すシャンティに、ヨハンナは頷く。
「ええ。昨日も、『シャンティお姉ちゃんが整備した薬草畑、魔力が行き渡ってすっごく綺麗だったの!』と自慢していらっしゃいましたよ」
「も、もう~。リャーナちゃんったら。嬉しい事言ってくれるわねぇ」
デレデレともはや原型をとどめないぐらい崩れたシャンティに、ヨハンナは手ごたえを感じた。ヨハンナの鋭い勘は、リャーナとよりお近づきになるには、マルクよりシャンティを篭絡した方が確実だと察知していたのだ。これはリャーナとの会話の中で、話題に出てくる割合がマルクよりシャンティが遥かに多いというパターン解析の賜物である。将を射んとすればまずは馬である。
だが。馬はそれほど甘くはなかった。リャーナの賛辞にデレデレと緩めていた顔を、すっと引き締めて、ギラリと狂気めいた目でヨハンナを睨みつける。
「貴女、私をおだてて、何が狙いなの。もしもリャーナちゃんに害を為すつもりならば……」
どろりとシャンティの瞳が邪悪に濁り、手が流れるように懐へと動いて、どす黒い液体の入った瓶を取り出す。そのおどろおどろしい瓶に、途轍もない危険を察知して、ヨハンナは叫んだ。
「シャンティ様、お静まり下さいませ! 私はただ、リャーナ様の輝かんばかりの英知に魅せられた凡夫に過ぎません。あの方の足元で、素晴らしい魔術の技を覗き見る栄誉を頂きたいだけなのです」
「魔術……。まさか、リャーナちゃんの魔術を搾取するつもりでは……」
「いいえ! まさか! 私はアーガン伯爵家の娘です! 我が家は富も名声も十分すぎるほど持っております! どちらかといえばリャーナ様に湯水の如く貢ぎたいのです!」
ヨハンナは必死に弁明した。彼女は本気で、アーガン伯爵家の総力を挙げてリャーナに貢ぎたいと思っていた。それぐらい、リャーナのあの美しい魔術に魅せられていたのだ。流れるように次々と魔術陣を生み出す才能がありながら、その才能をひけらかすことなく、リャーナ本人はあくまで謙虚で、こちらが心配になるぐらいチョロ、いや、素直だ。しかも、本当に可愛い。総じて、大変に魅力的だ。是非とも全力で見守りたい。
ヨハンナとリャーナは短い付き合いではあるが。そんなことは関係ないぐらい、ヨハンナの中でリャーナに対する尊敬やら庇護欲やらが爆発的に高まっていたのだ。
だが。そんなヨハンナの野望を、妹狂いのシャンティが許す筈もなく。
「なんですってぇぇぇ。リャーナちゃんを愛でて貢ぐのは、姉の私の役目よぉ。弁えなさぁい」
シャンティが完全にキマッた目でどす黒い液体の入った瓶の蓋を開けるのに、ヨハンナの口から「ひぃぃぃぃ」という引きつった悲鳴が漏れる。
「も、申し訳ありませぇんっ! み、貢ぐのがダメならぁぁぁ、せめて、せめて、リャーナ様のお側に侍る事をお許しくださぁい! リャーナ様のあの素晴らしい魔術の閃きと天賦の才能をお側で見られなかったらぁ、私、生きていけないぃぃぃ! 皇太子殿下の魔の手から必ずリャーナ様をお守りいたしますからぁ」
ひれ伏して懇願するヨハンナに、シャンティの動きがピタリと止まる。狂気に染まったシャンティの思考が冷静に動き出す。
シャンティは出来る事なら四六時中、リャーナに張り付いてあの魔術バカを牽制したいと思っている。だが、そうもいかないのが現状だ。いや、シャンティとしては、皇宮での仕事なんて放りだして、リャーナに張り付いていてもいいのだが、そんなことをしたら可愛い可愛いリャーナに『ちゃんとお仕事をしないお姉ちゃんは嫌い』と言われてしまうかもしれない。なんせ、リャーナは母国で仕事をしない奴らから、山ほど仕事を押し付けられていたのだから。
それに、最近のリャーナは独立心旺盛で『それぐらい、1人で出来るもん』と鼻血が出そうな可愛いことを言いながら、シャンティの手助けを拒み、自分でなんでもやりたがるのだ。妹の自立が寂しくもあり、そんな頑張る姿も尊いと、シャンティは日々葛藤している。
しかし自立心旺盛でも恋愛的にはチョロすぎるリャーナを、皇宮に一人にするなど危険すぎる。出仕してまだ間もないというのに、リャーナの可愛さに惹かれた野郎どものなんと多い事か。身近な奴はシャンティがぎちぎちに仕事を詰めてリャーナに接近させない様にしているが、最大の敵は野放し状態だ。幸いにもリャーナの中ではマルクはまだ『いい人』止まりの様だが、いつ何時、それが恋心に発展するかも分からない。
確かにヨハンナならば、リャーナと同じ魔術開発部の所属なので、マルクを見張るのには打ってつけだろう。どうやらリャーナの魔術に心酔しているようなので、リャーナの不利になるようなことはしなさそうだ。それに。曲がりなりにも貴族の娘なのだ。平民のリャーナよりも、遥かにマルクの相手に相応しいだろう。いい意味で防波堤になってくれそうだ。
「貴女、もしかして、皇太子殿下の婚約者候補とかだったりするの?」
シャンティのストレートな問いに、ヨハンナは眉を顰めた。
「ええー……。まさかそんな、面倒臭い、いえ、恐れ多い。ホホホ。それに我が家はしがない伯爵家ですから、家格が足りませんわ」
後半は取り繕っていたが、前半は本音が隠しきれていない。というか、ヨハンナの表情が『お断りだ』と如実に語っている。貴族の令嬢ならば、もう少し表情を隠した方がいいのではないかと、シャンティは呆れる。
「チッ。さっさと婚約者を決めればいいのに」
シャンティが毒吐くと、ヨハンナは溜息を吐く。
「あの方、国内のめぼしい令嬢からは全てお断りされているんですよ。魔術バカ、ゴホン、会話が高尚過ぎて、理解できないって。国外からも、やんわり避けられているみたいで」
国内外から縁談を断られる皇太子なんて、聞いたことがない。皇太子妃は普通、貴族令嬢にとっては憧れの地位だ。それがこれだけ忌避されるなんて、どれだけマニアックな魔術バカなのかと、シャンティは心底呆れた。
「私も少なからず魔術の心得がありますが、それでも殿下の話に付き合うのは骨が折れるんです。仕事なら我慢できますけど、会話が一々、マニアック過ぎて。ちょっと魔術陣を目にしただけで、『あれをエルマル派理論で応用したらどうなるか』とか、ディスカッションが始まって。アレが日常になるなんてイヤー。皇太子妃になれるとしても、普通の女性には耐えられないと思います。……って、あー、でも……」
ヨハンナが何かを思い出したのか、歯切れが悪くなる。
「そういえばリャーナ様は、いつも楽しそうに魔術の話をマルク殿下と語り合っていらっしゃいます。それこそ時間を忘れるぐらい……。あんなに女性と楽しそうに語り合う殿下を見たのは初めてで……。そういう意味ではマルク殿下とリャーナ様ってお似合い……?」
なんということだ。思っていた以上に皇太子とリャーナの距離が縮んでいる。
シャンティの頭が凄まじい勢いで回転する。リャーナを愛でるヨハンナ輩が増えるのは業腹だが、背に腹は代えられない。あの皇太子を野放しにするのは危険すぎる。
そう瞬時に判断して、シャンティはヨハンナに命じる。
「ヨハンナ。リャーナちゃんとマルク殿下の邪魔をしなさい。徹底的に。語り合いの途中でも、美味しいオヤツがあれば、リャーナちゃんの気は惹けるはずよ。その役目を果たすなら、リャーナちゃんの側にいることを許すわ」
突然軟化したシャンティに驚くヨハンナだったが、思わず、プッと吹き出した。
「確かに、リャーナ様ならすぐにオヤツにソワソワしそう。あーもー。想像しただけで可愛い。殿下が肩透かしを食らう顔まで想像出来ました! ふはははは。普段、小難しい討論ばっかり吹っ掛けてきて、ちょっと答えられないと『それぐらいも分からないのか』とかナチュラルにこっちのココロを抉ってくるから、地味にイラっとしていたんですよねー。分かりました! 誠心誠意、妨害役を努めさせていただきます!」
関係のない私怨も混ざってはいたが、ヨハンナを手に入れたと、シャンティはにんまりと笑うのだった。
シャンティは舎弟を手に入れた。




