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63 紅茶と慰め

大変遅くなり申し訳ありません。

 シャンティ、マーサ、そしてマーサから知らせを受けて駆けつけた利益管理人、フロスからのお説教を受けたリャーナは、それはもう落ち込んでいた。

 

「ううう。情けない」


 心配してくれるシャンティの前では空元気を出していたが、皆がいなくなって魔術開発部の部屋にぽつんと1人になると、途端に自己嫌悪に陥った。とんでもない事をしてしまったと。


 リャーナにとって、魔術はとても身近な存在だ。とくにカージン王国ではリャーナは極貧で毎日食べる物にも事欠いていたから、魔術が使えなかったら今頃どうなっていたか分からない。お金がなくても、仕事が辛くても、魔術で工夫してなんとか乗り切ってきたのだ。

 今回の怒られた原因であるジーランド古代魔術の『固定』や『防護膜』も、とても便利な魔術だ。『防護』を使えばリャーナの着古したぺらっぺらの服も破けなかったし、雨の日に『防護膜』を使えば、水だって弾いてくれて、たった一足しかなかった靴を泥だらけにせずにすんだ。『固定』も『防護膜』も、大きな効果はないけれど、少ない魔力で持続性が高く、とても使い勝手のよい魔術なのだ。人々が火魔術や水魔術を便利に使う様に、リャーナにとってもジーランド古代魔術は便利に使える魔術の一つに過ぎなかったのだ。それなのに。


「……リーソ教授とフェリントン教授に、損害を与える事になるなんて」


 フロスがリャーナに滔々と語ったのは、古代魔術を不用意に漏らしたことにより、どれほどリーソとフェリントンに経済的な被害を与えるかだった。リーソやフェリントンが得ることができる収益、それを害されたために被る損害。具体的な金額を淡々と積み上げられ、想像以上の金額の高さにリャーナは文字通り血の気が引いた。

 それに、被害は金銭だけではないとフロスは告げた。『必死に研究し得た成果を横から掠め取られる虚しさを、リャーナ様は一番よくご存知でしょう』と。


 それを聞いて、リャーナは頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。

 知っている。リャーナはその悲しさを、嫌というほど知っている。


 カージン王国にいる頃は分からなかった。リャーナのような身分の卑しいものは、高貴な人々に全てを差し出すのが当たり前だと言われていたから。


 でも、この国では違う。頑張ればそれに見合う対価がもらえて、成果は全て正しく帰属する。それが普通で当たり前だと、皆が口を揃えてリャーナに教えてくれた。


 それなのに、リャーナはリーソとフェリントンの権利を蔑ろにしてしまったのだ。まるで、カージン王国でリャーナの権利を奪って当然の顔をしていた人たちのように。それが何より、リャーナにとってはショックなことだったのだ。


 カチャリ、という微かな音に釣られ、リャーナはゆらりと頭を上げた。


 目の前にはほのかに湯気が立つカップ。紅茶の香りが鼻腔を擽る。


「えっ!」


 だけど、紅茶を置いてくれたのは、ありえない人で。


「マ、マルク殿下?」


 ぎこちなく自分の分のカップもテーブルの反対側に置いて、マルクは自信なさそうに笑う。


「見様見真似で、淹れてみたのだが。口に合わなければ飲まないでくれ」


 魔術開発部にはいつでもお茶が楽しめるように、簡易なキッチンがついている。いつもはヨハンナが、ヨハンナがいない時はジョットかリャーナがお茶の準備をする。魔術開発部の長であり、皇太子であるマルクがお茶を淹れるなんて、誰も考えたことさえなかった。


 それに、この部屋には誰もいなかった筈だ。ジョットは魔術研究所に行っているし、ヨハンナも慌ただしく部屋を出ていった。マルクも政務があるから、護衛官のショーンと共に出ていった筈なのに。気付けば部屋の隅に、ショーンも気配を消して立っている。


「マルク殿下、お仕事は……」


「……ああ、うん、大丈夫だ」


 目を泳がせるマルクの様子には気づかず、リャーナは急ぎの公務は無いのだろうと思った。

 そんな2人から離れた場所で、ショーンはそっと遠い目をする。叱られてい落ち込むリャーナが心配だからと、マルクは無理をして公務を抜け出していた。たぶんこの後、仕事に戻ればマルクは机から離れる事は出来ないだろうし、下手したら徹夜になるかもしれないが、本人が選んだことなのでショーンは止めなかった。マルクはどれほど魔術に夢中でも、公務を疎かにしたことはないので、そういう点では信頼があるのだ。


「……ゴホン。リャーナ嬢。随分と厳しく叱られていたようだが。大丈夫か」


「いえ! 私が悪いので! 」


 間髪入れずにリャーナは答える。全面的に非は自分にあるのだ。叱られて当然だ。

 特に今回は()()シャンティまで怒らせてしまった。いつもリャーナに無条件に味方してくれるシャンティからのお説教は、リャーナには何より堪えたのだ。それがマーサの目論見通りだということに、リャーナは全く気づいていない。


 しょんぼりするリャーナに、マルクはフッと笑みを漏らす。


「君は本当に、皆から可愛がられているのだな」


 ダルカス一家のリャーナへの過保護ぶりは分かっていたつもりだが、改めてマルクは実感する。厳しく接していても、その根底には彼女への愛情が感じられた。


「でも……。呆れられているかもしれません」


 あれほど何度も注意されているのに同じ失敗をしてしまう自分に、皆が失望しているのではないかと、リャーナは増々落ち込む。


「そう思うのなら、次から新たな魔術を披露する時は、気を付けたらいい。少なくとも、先に家族に相談する癖をつけるといい」


 本当は自分に相談してほしいとマルクは言いたかったが、皇太子という立場である以上、自分では無条件にリャーナの味方になるとは断言できなかったので、口にはしなかった。施政者である以上、リャーナ個人の益よりも国を優先すべきと考えれば、マルクはそれを実行する事を躊躇わないだろう。それならば無条件にリャーナの味方になるダルカスたちに相談するのが最善だろう。


「それと、君はもう少し自己評価を見直すべきだ」

 

「自己評価、ですか?」


「ああ。君の作り出す魔術はどれも素晴らしいものだ。だが君自身、その価値を認めてはいない。だから人前で無防備に色々と使ってしまうのだろう」


「で、でも! 私、そんな凄い事だと思えなくて!」


 リャーナにとってどの魔術陣も生活に便利なだけの魔術陣だ。リャーナには、皆に褒められるほど凄い事をしたとは、到底思えないのだ。


 そんなリャーナを、マルクはしばらく見つめていたが、やがて静かに口を開いた。


「リャーナ嬢。魔術陣を開発することが出来るのは、相応の実力がある魔術師だけだ」


 そもそも、新しい魔術陣を開発できるのは、魔術に対する知識も経験も豊富な者に限られる。魔術を習う学生ならば、既存の魔術陣を理解するだけで精一杯だし、熟練の魔術師でも、普通は魔術を行使するだけで精一杯だ。新しい魔術陣を開発するのは知識も経験も豊富でいて、なおかつ魔術陣を作り出したいという気概と才能がある、ほんの一握りの魔術師だけだ。


 その一握りの魔術師たちが、研究を重ね新しい魔術陣を作り上げたとしても、それが実用可能なのか、有益なのかはまた別の問題だ。魔術学会ではいくつもの魔術陣が論文として発表されるが、抜きんでて優秀な論文でもなければ、大々的に取り上げられる事はない。


「そんな中、臨時学会が開かれるほどの魔術陣を開発できたのは、君が飛びぬけて優秀な魔術師だからだ。魔術師の1人として言わせてもらえば、君は自分の能力を過小評価しすぎだ」


 なんのてらいもないマルクの率直な意見に、リャーナは目を大きく見開いた。


「え、でも、そんな……」


「君の開発した魔術陣は、どれもとても美しい。計算され尽くした論理と秩序。交わる筈のない術式を、驚くべき手法でまとめ上げる緻密さ。あれほどの魔術陣を生み出すことができるなんて、君は、本当に素晴らしい才能の持ち主だ。君という素晴らしい人に出会え、私は一生分の幸運を使い果たした気がする」


 突然、何かのスイッチが入ったかのように、マルクが熱っぽく語りだす。翠の瞳がリャーナを真っすぐに見つめ、ため息とともに紡がれる言葉には焦がれのような響きがあって、マルクから得も言われぬ色気が漂う。  

 

 そんなマルクの不意打ちの色気は、リャーナの許容量を一瞬で超えてしまった。マルクは、普段の残念さで忘れがちだが、大変な美形なのだ。そんな美形にこんな熱のこもった視線を向けられたら、いくら色気より魔術のリャーナであっても動揺する。耳が、顔が、熱い。心臓がバクバクと凄い音を立てている。


「本当に、君は凄い人だ。君の手から紡がれる美しい魔術陣を見る度に、私はいつも胸の高鳴りが押さえられない。あの美しい魔術陣をずっと感じていたい。ああ。本当に、毎日が幸せでたまらないのだよ。どうか、ずっと君の側にいさせて欲しい」


 うっとりと魔術陣への賞賛を続けるマルクに、リャーナの体温がますます上がる。甘く響く声で手放しに(魔術を)褒められ、リャーナは恥ずかしさに耐え切れず、声を上げた。 


「あ、あ、あの、殿下! お褒め頂くのは、大変! 大変、ありがたいのですが! は、恥ずかしいので、もうやめて下さい」


 リャーナの必死の言葉に、魔術の素晴らしさに陶酔していたマルクはハッと我に返る。

 目の前には恥ずかしさで真赤になって、目まで潤ませたリャーナが。そんなリャーナの庇護欲をそそるような暴力的な可愛らしさに、今度はマルクがぶん殴られたような衝撃(魅力)を受けた。


「ぐっふう、なんという破壊力」


「へ?」


「グ、ゴホン! いや、なんでもない」


 思わず素直な感想が口から滑り出て、マルクは咳払いと共に誤魔化した。『君はエルマル魔術陣の様に美しい』とか『ジョーグ魔術陣の様に鮮やかだ』とか、次々と陳腐で的外れな誉め言葉が浮かんだが、必死に漏れないように自制する。上司が部下に掛ける言葉としては、非常に不適切だ。下手すれば訴えられる。


 お互いに恥ずかしさで目を合わせられなくて、ひたすら黙ってモジモジする2人に、離れて立つショーンは思わずため息をついた。

 純粋培養なリャーナは仕方ないにしても、マルクの方はもうちょっとどうにかならないのか。24にもなって、しかもいずれは皇帝になる男が、口説き文句の一つも口に出せずにどうするのだ。魔術に対する賛辞なら、口説き文句まがいの言葉があんなにスラスラ出る癖に。


「あ、あの、殿下。紅茶、いただきます!」


 リャーナは気まずさを誤魔化すために、マルクの淹れてくれた紅茶に手を伸ばす。紅茶はちょうど飲み頃に冷めていて、緊張した喉を潤してくれた。


「そ、そうだな。私も頂こう」


 マルクもリャーナに釣られるようにカップに手を伸ばし。紅茶を一口飲んで、思わず噎せた。


「うっ! に、苦い」


 マルクの淹れた紅茶はとんでもない苦さだった。一瞬、毒入りかと疑ったが、考えてみれば自分で淹れた紅茶である。毒が入っている筈がない。

 よくよく観察してみれば、いつもの紅茶の色より大分色が濃く、香りも飛んでしまっている。マルクが初めて淹れた紅茶は、どうやら大失敗だったらしい。とても飲めたものではなかった。


「リャーナ嬢? どうして平気な顔をしているんだ。不味いだろう。無理して飲まなくていい!」


 リャーナがコクコクと紅茶を飲むのを見て、マルクは慌てて止める。 


「え? 大丈夫ですよ? 美味しいです」


「いやいや、渋いだろう? とても飲めたものではない」


「そんなことないです! スジカールの木の皮を煎じたものより、渋くないですし!」


 リャーナが喩えたのは滋養に効く薬湯の材料だ。即効性があるのだが、とんでもないえぐみがある。リャーナが体調を崩した時に、医者から処方されて、毎日飲まされていたものだ。

 そんな薬湯と比べられてマシだと言われてもなんの慰めにもならず、マルクは肩を落とす。元気づけようとしたのに逆にリャーナに気を遣われてしまった。


「茶の一つも満足に淹れられず、すまない」


 マルクは情けなくて項垂れていたが、リャーナは不思議そうに首を傾げる。


「美味しいから大丈夫ですよ? それに、殿下の淹れてくれたお茶で、とても温まりました」


「いやそんな、温かいものを飲めば、温まるのは当たり前だろう」


 それならただの沸かした湯でも同じではないか。もはや茶として最低の基準すら満たしていないと、マルクは増々落ち込むのだが。


「そんなことないです。心の中が、とても温かくなりました」


 そっと胸を押さえて、リャーナはふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべる。

 リャーナを心配して、わざわざ戻ってきてくれて。やったこともないのに、紅茶を淹れてくれた。

 マルクの心からの気遣いが、温かい紅茶のように、リャーナの心を温めてくれた。


「私は、マルク殿下の淹れてくれたお茶、大好きです」


 嬉し気に頬を染めるリャーナの無邪気な愛らしさに、マルクは紅茶を飲んでもいないのに、再び噎せそうになってしまった。

 

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あー! 只でさえポンコツとポンコツなのに、大好きな魔術以外はポンコツ同士故の絶妙な噛み合い具合! たまらん可愛い!!! しかも邪魔者がいないだけで何だか甘い空間に見える!
殿下よ、侍女長に紅茶の淹れ方をご教授いただくのだ!! そしてホニャホニャ笑顔をゲットするのだ!! スジカールの薬湯は本当に効能があるかどうか怪しいものなのでオネーチャンにお聞きしておこう。 相手側の…
部屋の外にシャンティが居なくて良かったね 居たら部屋に突入した挙句、マルクに毒を盛ろうとしただろうから
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