54 薬師ノルンの出会い①
リャーナの前のシャンティはハイテンションで物騒ですが、普段のシャンティは物静かで物騒です。
ノルン・ボカスは、その日、とても緊張していた。
皇宮薬師部にとって重要人物ともいえるべき有能な薬師が、初めて出仕してくるのである。
その人物を皇宮薬師として迎える為に、皇宮薬師部はあらゆる努力をしていた。皇宮の上層部に訴え、薬師ギルドに再三の要請をし、貴族のツテやコネを駆使して、彼の薬師との繋がりを求めたが、なかなか上手くいかなかったと聞いている。彼の薬師は身分は平民だが、その功績が凄まじ過ぎて、たとえ皇宮薬師部といえど、おいそれと手出しが出来なかったのだ。
そもそも、彼の薬師は人嫌いで、滅多に人前に現れることはないらしい。彼の薬師が開発した『魔力茸』や『忌避の薬草』などの論文発表会も人数を絞りに絞った小規模なものだった。噂では薬師ギルドで一度だけ『魔力茸』についての講習会を開いたらしいが、受講者数に制限があり、国内外の薬師たちがその僅かな席を巡って熾烈な競争があったようだ。ノルンの所属する皇宮薬師部からは部長一人しか参加できず、もちろん下っ端のノルンは参加できなかった。そのため、彼の薬師の人相なども正確には伝わっておらず、名前からは女性であろうと推測されていたので、ノルンはなんとなくしわくちゃなお婆さん魔女のような容姿を想像していた。
そんな薬師が、詳しい経緯は分からないが、急に出仕する事になった。その知らせに、皇宮薬師部は歓喜に包まれた。これまでの地道なアプローチが、とうとう彼の薬師に届いたのだ。きっと、皇宮薬師部の熱意が、人嫌いな彼女の気持ちを変えたに違いないと。
そうして、出仕当日。上司や先輩薬師たちに引きずられるようにしてやってきた彼の薬師を見て、ノルンは驚いた。彼の薬師の事をてっきりお婆さんだと思いこんでいたが、年の頃は殆どノルンと変わらない。いや、どうみてもノルンよりも歳下だ。しかも青い目と茶色の髪の、中々の美人だ。ただし、めちゃくちゃ目つきが悪かった。
ノルンは上司や先輩薬師たちに囲まれて憮然とした様子の薬師と目があったのだが。聞き間違いでなければ『チッ』と舌打ちをされた。初対面なのに。
それが、薬師シャンティとノルンの出会いであった。
ノルンはドーン皇国の皇宮薬師として、この春から働き始めたばかりだ。田舎の貧乏男爵家の3男だったので、跡取りの長男、スペア兼補佐の次男に比べ、大分雑に育てられた。
両親からは幼い頃から『お前には譲る財産も爵位もない。手に職をつけて独立しろ』と言われていたため、10の歳には領地内の薬師の元に弟子入りし修行を積んだ。特に薬師に思い入れがあった訳ではなく、剣の稽古よりも勉強の方が好きだったからだ。
薬師の仕事はノルンに合っていたのか、彼の才能はぐんぐん伸びた。師匠からは『こんな田舎で薬師をやるより、皇宮薬師を目指した方がいい』と言ってもらえるぐらいは、ノルンは優秀だった。
師匠の助言に従い、ノルンは成人後に皇都に移り住み、師匠の知り合いの薬師の店で働きながら皇宮薬師を目指した。その店でもノルンの優秀さは際立っていたので、皇宮薬師の試験も簡単に受かるだろうと思っていたのだが、早々に自分の実力不足を痛感することになった。皇都に移って一年目の試験に、ノルンは合格できなかったのだ。
それはノルンの、薬師として初めての挫折だった。試験に出題された薬草の3割以上がノルンの知らない薬草だった。残りの7割の薬草は知っていたし扱ったこともあるが、そんな馴染みの薬草にさえ、ノルンの知らない隠れた効能があって。ノルンは己の知識不足と経験不足を痛感した。そこからは勉強に勉強を重ね、王都にきて4年目、ようやく試験に受かることが出来た。周囲からは早い方だと褒められた。師匠の見込み通り、多少は薬師としての才能があったのだろう。
皇宮薬師として働き出してからも、ノルンは上司や先輩薬師の才能を目の当たりにして、自分の実力不足を知った。希少な薬草の育て方、薬草の組み合わせ、新しい薬草の開発、どれもノルンの知らない事ばかり。皇宮薬師部の上司や先輩たちは、熟練した腕と確かな経験で薬草を扱い、薬を作っていく。毎日新たに覚える事ばかりで、ノルンは頭が破裂しそうだったが、必死に上司や先輩たちに食らいついていった。
そんな上司や先輩薬師たちでさえ一目を置く『薬師シャンティ』。膨大な研究データと大胆な発想力で綴られた論文を読むたびに、ノルンは憧れを抱いていたというのに。
「ちっ。皇宮の薬草畑っていうから期待していたのに、なんなのこの有様は。根本からなってないじゃない」
半眼で呟く薬師シャンティに、上司や先輩薬師たちは一斉に青くなる。そんなにダメなのか? とオロオロと薬草畑とシャンティを見比べている。ノルンの見る限り、薬草畑は青々と茂っており、何の問題もなさそうに見えるが。
「調薬以前の問題よ。まずは薬草畑の整備からね。畑を4区画に分けて。そこはシュメーリル草に植え替え。そこのマデガー根は土を変える。それから……」
薬草畑を睨みながら、次々と指示を飛ばす薬師シャンティの言葉に、全員が目を丸くした。シャンティの指示の意図が分からなかったからだ。薬師たちの目には薬草は順調に育っている様に見える。ここにある薬草たちはどれも希少な薬草ばかりだ。余計な事をしてうっかり枯らしてしまったらどうするのか。
「あの、シャンティ様。どうしてこのような配置に植え替える必要があるのですか?」
ノルンは薬師たちを代表して、そう素直に質問してみたのだが。
「……『薬草大全』726ページ。クリス・ジョンバン教授の『生育地における薬草の効能』別記付録」
「は……?」
返って来たのは、そんな素っ気ない言葉で。
「あ、あの。どういう意味ですか?」
問い返すノルンに、シャンティは舌打ちする。
「あんたの疑問に全て答える義務が私にあるの? 文字が読めないわけじゃないでしょう?」
「なっ!」
その物言いに、ノルンはカッとなる。
「おい、『薬草大全』とジョンバン教授の論文を!」
だが上司や先輩薬師たちは、シャンティの言葉に一斉に動き出した。1人の薬師が書庫へダッと走り出し、他の薬師たちは先ほどのシャンティの指示を忘れないうちにメモをする。植え替えに必要なスコップを取りに走る者やプランターを取りに行く者と、自然に役割分担をしている。ノルンはその動きに乗り遅れ、シャンティの傍で呆然と立ち尽くし上司や先輩たちの行動を見ていた。
「使えないわね」
チッと再び舌打ちされ、むかっ腹が立ったが、ノルンは我慢した。このむかつく女が言うことが正しいのか、確認してやろうと先輩が持ってきた『薬草大全』とジョンバン教授の論文を皆と一緒に覗き込んだのだが。
「ああぁぁぁ。『シュメーリル草は冬は日に当てすぎると効能が薄れる』なんて。なんでこんな分厚い本の巻末に小さく書くんだよぅ……」
「マデガー根は、元は岩山が生息地だから日当たりは多く、水と栄養は与えすぎるとダメなのか。だからウチの畑のマデガー根はこんなに細いのか。ぐぅぅ、知らんかった。こんな大昔の論文に、希少薬草のマデガー根の生育方法が載っているとは……」
結果、上司や先輩たちと一緒に、頭を抱える羽目になった。シャンティの示した通りの資料にその根拠が載っており、それに照らし合わせると、たしかに薬師部の薬草畑はてんでなっていなかったのだ。ノルンはさきほどシャンティに腹を立てた自分が恥ずかしくて、真っ赤になった。
「こんな育てられ方をして、薬草が可哀そう」
けっと吐き捨てるよう言われても反論の余地はないのだが。ノルンはともかく、薬師部の上司や先輩たちは、何年も皇国の薬学を支えてきた存在なのだ。もうちょっと穏やかな言い方というものがあるだろう。しょぼんとした上司や先輩方の様子をみても、何も思わないのか。
その出来事がきっかけで、ノルンの中でシャンティは『極めて優秀だけど性格は最低』と印象付けられ、余り関わりたくない存在となった。
それからシャンティは薬師部に週に3日のペースで通い続けていたが、ノルンの苦手意識とは裏腹に、薬師部の薬師たちから毎日の様に囲まれ、質問攻めにされていた。どれほど冷たくても不愛想でもコミュニケーション能力がゼロでも、彼女の齎す知識は有用であり、薬師にとっては宝の山なのだ。あまりにも未熟な質問は黙殺されるが、それ以外は意外にもちゃんと指導をしてくれる。仕事以外で薬師たちと関わる事は無かったが、淡々と仕事に向き合う姿は薬師たちから尊敬を集めていた。聞けばシャンティは薬師ギルドでもそんな感じで、孤高の存在だという。
ノルンは、シャンティはきっと優秀過ぎるが故に、自分以外の人間は全て愚かだと馬鹿にしているのだろうと、穿った見方をしていた。初対面の時以来、極力避けるようにしていたが、シャンティの有能さに対する嫉妬もあって、ノルンの中のシャンティはどんどん最低な人間になっていた。
だから、ある文官がシャンティを訪ねてきた時も、仕事の関係だろうと思っていた。
「あ、あのう。シャンティお姉、いえ、薬師のシャンティ様はいらっしゃいますでしょうか」
訪ねてきたのは、女性文官だった。応対に出たノルンを見上げるように立っていて、小柄な身体つきに似合わぬ豊かな胸元に、ノルンはどこを見ていいのか分からなくなった。いや、絶対にそこに目を向けてはいけないことは分かるのだが、そこは男の性というか。ノルンは必死に視線を下に向けないように注意した。できるだけ、女性文官の顔を見るようにしたのだが。
可愛い。とても可愛い。淡いふわふわの金髪に、紫水晶のような綺麗な瞳。ちょっとだけ吊り目な所がツンとした気位の高い猫の様だ。物珍しそうにキョロキョロと薬師部を見回していて、物なれない様子なので、ノルン同様、まだ新人なのだろう。でもこんな可愛い子、同期にはいなかったはずだ。いつの間に採用されていたのか。思わず顔が緩みそうになるのを我慢して、ノルンは出来る先輩を装って冷静に声を掛けた。
「薬師シャンティは今、調薬中だ。何か用かな? ええっと、薬師部は初めてだったかな? 君の名前は……」
こんな可愛い子、一度見たら絶対に忘れないだろうが、ノルンは敢えてさり気なく、自然に名前を聞きだした。本心ではめちゃくちゃ名前が知りたかった。どこの所属だろうとか、彼氏はいるのかとかも。
「はい! 先日魔術開発部に配属されました、リャーナと申します。よろしくお願いします!」
にこっと笑って自己紹介してくれるリャーナに、ノルンの心臓は高鳴った。声も仕草も可愛い。はきはきしていて、ノルンの目を見てしっかり答える姿も好感しかもてない。そうか、魔術開発部にはこんな可愛い子がいたのか。うん? 魔術開発部? あまり聞いた事のない部だな。
ノルンの脳裏に、何かが引っ掛かった。最近、王宮内の噂で、その名前を聞いたことがあったような。
「あのう。シャンティおねえ、いえ、シャンティ様にお声がけいただく事は出来ますでしょうか?」
申し訳なさそうに頼むリャーナに、ノルンはすぐに頷いてやりたくなったが、なんとか思いとどまった。シャンティは、調薬中に邪魔をされることを嫌う。一度ノルンが調薬中に質問をしたら、舌打ちされ睨まれ、『後にして。気が散る』とこちらの背が冷える様な声で言われたのだ。
「いや、それは……。あの人は、調薬中は、その、集中しているから、邪魔をすると酷く気分を害するんだ。あー、なにか言伝てでもあるのかな? 私が代わりに聞いておこうか?」
ノルンの歯切れの悪い言葉に、リャーナはこてんと首を傾げた。
「いえ。そういうことでしたら待たせていただきます。今日はランチを一緒にと約束していたので、私の仕事が早く終わったので、迎えにきたのです」
「は、ランチ? 誰と? まさかあの女と? 」
ノルンは自分の耳を疑った。今のリャーナの言葉は、まるであの女と一緒にプライベートでランチを食べる約束をしているようではないか。あの仕事以外は最悪のあの女と、こんなに可愛い子が?
2人が仲良くランチを食べている姿が全く想像できなくて、ノルンは混乱した。もしかしてリャーナは、あの女に嫌がらせでも受けているのではないだろうか。こんなに可愛い子なのだ。同性からは妬みの対象になるのかもしれない。それならば、なんとしてでもあの女から、可愛いリャーナを守ってやらなくては。
「リャーナ嬢。もしやあの女から何か嫌がらせをうけているのだろうか。私は薬師部に所属するノルン・ボカスだ。何か困っているのなら、私が相談に……」
その時、お昼を知らせる鐘の音が聞こえた。途端に、調薬室のドアがバタンと開き、シャンティが飛び出してくる。
「うふふふふふふ。リャーナちゃんとお昼、おひ……っ! ああああああ! リャーナちゃん! どうしたのぉぉぉ! ふおおおおぉぉぉ! 薬師部で見るリャーナちゃんも可愛いぃぃ。ムサ苦しい薬師の巣窟に降り立った妖精ぃぃぃ! 日頃の鬱憤が淡雪のように浄化されるぅぅ !」
いつもの冷ややかな無表情はどこに行ったのやら。みっともないぐらい笑み崩れた顔で調薬室から飛び出してきたシャンティが、目を見開いて絶叫した。舌打ちか、静かな叱責しか聞いたことがなかったノルンは、シャンティの奇声に驚いた。なんだその、心の底から喜びに満ちたシャウトは。そんな声が出せたのか。そして仕事以外のこともそんなに喋れたのか。
「お姉ちゃん、迎えにきちゃった!」
ニコニコと嬉しそうにはにかむリャーナに、孤高の薬師シャンティは見事に撃ち抜かれ、その場に崩折れたのだった。
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