9 最終決戦
『いきましょう――――この世界を、フローレンス大陸を救うために』
『最後の戦いだ。みな、生きて帰るぞ』
鏡の中で、ふわふわした金髪をなびかせ、白い膝丈の巫女服に身を包んだ紫の瞳の少女と、洗練された剣をにぎった白い軍服風の衣装の銀髪の青年が、仲間をふりかえる。仲間といっても、全員合わせて四人しかいないが。
「来たな」
魔王らしい一言を述べて、黒いベールをかぶった青年が広間に並んだ魔族達に命じる。
「行け」
作戦はすでに昨日、魔族達に伝えてある。
あとは、それを計画どおりに実行できるかどうか、だ。
私は鏡をのぞき込む。
『こんなに敵が…………!』
『セイントローズ、僕のうしろに! あなたが死んでは意味がない!!』
鏡の中で、金髪の少女が灰色の髪の少年魔術師の背後に隠れる。魔術師はつぎつぎ火球を放ち、王子は長剣をふるって魔族を倒していく。盗賊は小型の短剣と毒針が武器だ。
異形の生き物達はどんどん冷たい床の上に倒れて、塵と化していく。
『…………おかしいな』
『どうした? ベテルギウス』
『いや。魔王の本拠地というわりには、手応えが弱くないか?』
『魔王の罠かもしれない。油断するな』
ベテルギウスとシリウスの会話。
鏡をのぞき込みながら、私もダリア愛用の弓を肩にかけた。矢筒にはぎっしり、矢が詰まっている。
「そろそろ、私も行くね」
玉座に座ったままの魔王を見やる。
今の私の役目は、少しでも時間を稼ぐこと。
セイントローズ一行に計画を悟られてはならない。
魔王はこちらを向いて、無言でうなずいた。
私は広間を出て、小型の魔族に先導されてローズマリー達のもとへと走る。
「やはりおかしい。いくら六つの聖花が復活して、聖花神とセイントローズの力が増しているからといって、魔族達のこの手応えのなさは――――」
眉間にしわを寄せて左右を見渡したベテルギウスの足もとに、一本の矢が届いて石の床にはねかえった。
「誰だ!」
シリウス達の視線が一斉に射手の姿をさがし――――ぴたりと動きをとめる。
「…………ダリア?」
銀髪の青年が青い目をみはる。
その台詞に、「ああ、やはり今の私はダリア・ウィードリーフなのか」と、あらためて実感した。
今、私は『セイントローズ・聖花の歌姫』の世界の中にいる!
ああ、やばい。ちょっとどころではない感激だ。
本物のローズマリーが、シリウスが、目の前にいる!
ローズマリー達は今、吹き抜けになっている大廊下を移動中で、私は並んだ柱の一本の影から姿を現した。
まさに、漫画で見たダリアの再登場シーンそのままに。
「ダリア…………生きていたのか!」
シリウスが、信じられないという表情でこちらに歩み寄ってくる。
私は即座に矢を向けた。
「近づくな」
「ダリア?」
「悪しき侵入者どもめ、これ以上は進ませぬ」
こんな感じの台詞だったはずだ。本来は、少女漫画っぽい女言葉でしゃべっていたダリアだが、魔王城で再会した彼女は、暗い目をした男言葉のキャラに変貌していた。
「どうしたんだ、ダリア」
「なれなれしく呼ぶな。今の私は、魔王様の部下。あの方をお守りすることこそ、私の使命…………!」
表面上の物語を変えないため、必死にダリアの台詞を思い出し、にやけそうになる顔に冷たい無表情をはりつける。『私はダリア、私はダリア』と心の中で言い聞かせる。
「どうしたんだ、ダリア! 魔王の部下だなんて!」
「まさか、僕達を裏切ったのか!」
「しっかりして、ダリア! 私達は仲間よ!!」
つぎつぎと記憶どおりの台詞を語るシリウス、リゲル、ローズマリー。
「私に仲間などいない。今の私の味方は魔王様だけだ。お前達が魔王様を倒すというなら、ここで私がお前達を殺す!」
あああ! 本物のローズマリーだ、本物のシリウスだ、本物の(略)。動いてる! しゃべってる! 会話してるぅ!! 私、本当に『セイントローズ』の世界に(略)。
唇を強く噛んだ。
ここで歓喜の大声なんかあげたら、すべてが台無しになる!
笑い声を出さないためにも、つがえていた矢を放った。どのみち、ここで射るのは原作通りの展開だ。
「やめろ、ダリア! 魔王に操られているのか!?」
「きゃああ! やめて、ダリア!!」
次々射っていく。魔術師のリゲルが結界を張ろうとするので、その隙を与えない。
ローズマリー達をかすめるように、けれども致命傷を与えては物語が変わってしまうので、塩梅が難しいが、そこは『鮮血の戦乙女』とまで呼ばれた弓の名手、ダリア。
精神は平和ボケした冬野花純でも、肉体はちゃんと仕事を果たしてくれた。
「ダリア…………そんなに俺達が憎いのか…………!」
憎まれる覚えがあるんだ、シリウス。自分がダリアを見捨てた自覚はあるんだ?
子供の頃は、ずっと「ローズマリーとシリウスが両想いなんだから、ダリアは邪魔しないで、あきらめて」と思っていた。だから、このシーンを見た時も「ダリア、めんどくさい」としか思わなかった。
しかし二十一歳になって読み返すと、別の感想も生まれた。
ダリアを振るにしたって、やり方というものがあるでしょ、シリウス。まして、もうずいぶん前からダリアの気持ちを「知っていた」と明言して、『ハイドランジェ編』では期待を持たせるような台詞まで口にしていたなら、なおさら。
「私は、新しい自分に生まれ変わっただけだ」
原作のダリアの台詞を口にする。
中身が違う、という意味では、生まれ変わったようなものかもしれない。
「今までの自分はすべて忘れた。今、私の愛と忠誠のすべては、あの方だけに…………!」
忠誠というよりは、手を組んだだけだけど。
「くっ…………いたしかたない! やめないと言うなら、ダリア、私がお前を…………!」
「やめて、シリウス!」
こちらに剣をむけようとするシリウスの腕に、ローズマリーが抱きつく(ちなみに彼女のバストはDカップだ、作者の花宮さんが明言している)。
他の魔族達は、計画通りに動けているだろうか?
私がここに出てきたのは、セイントローズ一行の注意をこちらに引きつけるためだ。
実は、彼女達が倒してきた城内の敵はすべて、魔族が生み出した幻、もしくは操り人形だ。昨日、一日がかりで、準備できるだけの幻と人形をそろえた。
魔王の目的は一体でも多くの魔族を救うことだから、倒されるとわかっていて配下を主人公達と戦わせるはずがない。
だが、それを主人公一行に気づかれてはならない。気づかれては、物語の流れが変わってしまう。
そこで彼らの注意をそらす役として、ダリアである私が出てきたのだ。
期待通り、ローズマリー達は死んだと思っていたダリアが現れたことで、襲ってきた魔族達の手応えに違和感を覚えていたことを、すっかり失念している。
いい感じだ。このまま原作通りに…………。
「ダリア!!」
目の前に金色のふわふわした波が襲ってきたかと思うと、やわらかいものがぶつかってきた。
「目を覚まして、ダリア。あなたは魔王に操られているわ」
ローズマリーが抱きついてきたのだ。
「シリウスを忘れたなんて、嘘よ。私は知っている。あなたは心からシリウスを愛していた。その気持ちを忘れてはダメ。誰かを愛する清らかな心を、自分で憎しみで汚してしまわないで――――」
記憶通りのローズマリーの台詞。
申し訳ないが、私は思いきり彼女を突き飛ばした。
「ローズマリー!!」
倒れた彼女に、シリウスが駆け寄る。
「ダリア! お前は本当に…………!」
「今の私が心からお慕いしているのは、魔王ダークロード様一人。あなたのことはもう、どうでもいい。さようなら、シリウス」
できるだけ冷ややかな侮蔑のまなざしと表情を作って、最後の台詞を放つ。
漫画ではダリアの表情を描いたコマだったため、角度上、シリウスの顔は描かれていなかったのだが、直に見た彼は驚きの表情を浮かべていた。恐怖とか絶望による驚愕ではない、「え? お前、俺のことが好きだったんじゃないの?」というような。
なんだか間の抜けたシリウスの表情に、ひょっとしたら、ダリアの代わりに少しだけ一矢報いてあげられたのかも、と口元がゆるみかけた。
身をひるがえして、手近な出口の一つへ走る。
リゲルが火球を放ってきたが、出口のむこうに身を隠して、なんとか直撃を避けた。
「ダリアの出番終了! あーよかった、なんとかなったみたい!」
走りながら大きく息を吐き出す。
あとは魔王の出番だけだった。
「怪我はないですか、セイントローズ」
「ダリア…………まさか本気で、ローズマリーを殺そうとするなんて…………」
「違うわ、シリウス。ダリアは、ダリアのままよ。私には、わかるわ。だって本当に私達を殺す気なら、もっと早くに、そうできたはずだもの。ダリアは私達を殺せなかった、ダリアは私達を忘れていないわ――――」
その頃の私。
「おおお! ローズマリーに触わったー! 生ローズマリーだよ、実体あったよ! 本当にいい匂いがするんだ、フローラル系の…………あ、シリウスが薔薇の髪油をプレゼントしていたから、それ!? 肌、白ーい!!」
走りながらぶつぶつ言う、ちょっとした変な人だった。
玉座の間に飛び込む。
「魔王! ローズマリー達が来るよ! あとは、あなたの演技しだいよ!!」
「わかっている」
魔王ダークロードは玉座に座り、鏡から視線を外したところだった。
「私の覚えている限りの台詞は教えたけど…………完璧ではないから、あとは、あなたのアドリブで埋めて。丸投げしているようで、申し訳ないけど…………」
「かまわん。なにも情報がないよりはましだ」
複数のかすかな足音が近づいてくる。
「じゃあ、私は外に避難するから。あなたも演技が終わったら、すぐに逃げてね」
「ああ」
正面扉から入ってくるローズマリー達とはち合わせないよう、玉座の背後にある扉から出ようとしたところで、魔王に呼びとめられた。
「…………さっさと避難するのだぞ?」
「? うん、もちろん」
魔王は無言。
「なに? まだ、なにか…………」
足音が迫る。
「なんでもない。…………協力、感謝する」
思わず吹き出しかけた。
その一言を告げるために、こんな長い『タメ』が必要だったのか。
「どういたしまして。お互い様だから」
私は笑って扉を抜けた。
背後で、巨大な正面扉が開く、重い音が響いた。