10 愚痴を少し
ゆっくりと、黒い雲が晴れて青い空がのぞきはじめる。
美しい歌声が聞こえてきた。
セイントローズが歌う、聖花をよみがえらせる聖歌だ。
「魔王様…………」
魔族達は不安げに魔王城を見あげる。
私はローズマリー達と顔を合わせたあと、打ち合わせどおり、魔王城裏手の海岸で魔族達と合流した。ここは魔王城からは死角になっているし、主人公一行はダリアをのぞく四人だけで軍隊などは連れていなかったから、見つかる可能性は低い。
あとは物語上の役目を果たした魔王がここにくるだけ、なのだが。
「あれは…………!」
どよめきがあがる。
城から空へ、青い光の柱が立ちあがる。
最後の聖花、ブルーローズが復活したのだ。
私は息を呑む。
「城が!」
誰かが叫んだ。
青い花びらが降る中、地響きと共に、灰色の石で建てられた堅牢な魔王城が小刻みにゆれて、屋根や壁からぼろぼろと破片を落としはじめる。
「魔王様…………!」
「魔王様!!」
口々に叫ぶ魔族達の声は、祈りにも聞こえる。
「魔王、どうして…………」
ブルーローズは復活した。城が崩れはじめれば、物語上の『魔王ダークロード』の役目は終わりだと、教えたのに。
魔王はテレポートの術が使える。城が崩壊をはじめたらすぐに脱出すると、打ち合わせの際に確認したのに。
このままでは…………。
たまらず、私は走り出した。
「ダリア殿!?」
「そこにいて!」
魔族達を海岸に置いて、魔王城に戻る。
日本にいた頃の冬野花純の肉体では、絶対、すぐにへとへとになっていたはずだが、鍛えられたダリアの肉体は必死の全力疾走によく耐え、立派なタイムを叩き出してくれた。
「魔王!」
埃や石の破片が降ってくる廊下を走り抜け、玉座の間に飛び込む。
ローズマリー一行は当然、姿を消している。
広間の真ん中に、青く光放つ聖花ブルーローズが咲いている。
葉や花びらの一枚一枚、葉脈の隅々まで生命力がいきわたって、さっき見た枯れた姿はどこにも見当らなかった。
その美しい青い薔薇を眺めるように、黒いベールの青年が玉座に座っている。
「魔王!」
私は駆け寄った。
「逃げないと、魔王! 城が崩れる! 全部、崩れるから!!」
私は叫ぶが、魔王の反応は薄い。
「ああ。まあな」
頬杖をついた彼は、とてもつまらなさそうな声を出した。
すべてに失望し、投げ出そうとしているかのように。
「…………ここで、死ぬつもりなの?」
魔王は無言。
「やめてよ。それじゃ、計画が変わるじゃない」
ベールの中から、漆黒の瞳がこちらを見る。
「あなたには、待っている配下がいる。生き残った魔族全員、あなたが来るのを待っているのよ? それを見捨てるの? 彼らはあなたがいないと、逃げきれない。わかってるでしょ?」
視線がそれる。
「…………ここで、魔族全員と滅亡するつもり?」
魔王は答えない。
「…………そんなに、ローズマリーに拒まれたのが苦しかった? …………マーガレットを失ったのが、つらいの?」
すると、のろのろと返事があった。
「…………違う」
「違うの?」
「マーガレットのことは…………もういい。どのみち、数百年も昔に失った。死者は還らぬ。会えないことは…………わかっていた。夢を見ただけだ。ただ…………」
「ただ?」
「この感情も、マーガレットの存在も、俺の過去も魂も魔族の未来も、何もかもが作り物、誰かの意志によって左右されるだけの虚構と思うと…………馬鹿馬鹿しくなってな」
「だから…………逃げないの?」
天井から、音を立てて大きな破片が降ってくる。
私は胸がしめつけられた。
「虚構なのは、つらいよ。でも、だからって…………ここであきらめていい理由になるの? 魔族は全員、あなたを待っている。あなたは彼らを守り導く、義務と力があるでしょ。だからこその『魔王』じゃないの?」
もどかしかった。
一昨日、出会ったばかりの自分に、どんな言葉なら、この絶望した心に届くのだろう。
「そんなにつらいなら…………私がなんとかする。私があなた達をむこうに、日本に連れて行くから。それなら虚構じゃなくなるでしょ? だから、ここは逃げよう。まだ抵抗してみようよ」
魔王は私を見た。
「お前が?」
「そうよ。私が連れて行く」
「どうやって?」
「わからないけど…………でも、ここで死ぬよりは、ずっと前向きで生産性があると思う。日本に行って…………それで、作者の花宮愛歌さんに、文句でもなんでも言えばいい」
「文句か」
「ふっ」と魔王はようやく笑った。
玉座から立ちあがる。
「行くぞ。もう、この広間以外の大半は崩れた」
「逃げるの?」
「お前の力を信じたわけではないぞ。計画を遂行するだけだ」
かぶっていたベールを脱ぎ捨て、山羊の角と、左頬に炎の模様がある顔が露わになる。
「来い」と魔王の大きな手に腰をつかまれ、引き寄せられた。
耳元でささやかれる。
「…………少し、愚痴を言いたくなっただけだ。案じるな」
魔王の漆黒の瞳が、赤い光を放つ。
赤く輝く魔力が、私と魔王を包む。
崩壊する広間の光景が消えた。
「魔王…………」
なにか言おうとして、私は言葉を失った。
足の下に海がある。
右側に陸地と砂浜が見えた。沖縄旅行の時に乗った飛行機から見た景色に似ている。
「え? え? ええ!?」
とっさに、そばにいる魔王の体にしがみつく。
風が吹きつけ、飛行機どころか、グライダーもパラシュートも無しに飛んでいる事実を理解させられた。
「なんで…………っ」
気づいた。
陸にある灰色の小高い山――――崩壊した魔王城跡から、青い大きな光がゆっくり飛びあがって、空を飛んでいく。
「…………ブルーローズ?」
「ああ。王都の神殿に戻るはずだ」
最後の聖花ブルーローズは聖花神フローラの結界の要であり、もともとは王都の大神殿で奉られていた。それを魔王が枯らして、魔王城まで持って来ていたのである。
「行くぞ」
魔王にうながされる。
見ると、空のあちこちに同じように赤い光に包まれて飛ぶ魔族達がいて、みな、ほっとしたようにこちらを見ていた。
ほっと胸をなでおろすと、私を引き寄せた魔王の手に力がこもって、ぴたりと互いの体が密着する。
地上から見あげれば、青い空を無数の赤い光が移動しているように見えたに違いない。
だが、魔王は目くらましの魔術も同時にかけており、フローレンス大陸を脱出する無数の魔族達の姿を目撃した人間は、魔王城から脱出して一息ついていたセイントローズ一行を含めて、誰もいなかった。
青いばらの花言葉=夢かなう、不可能、奇跡、神の祝福など




