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番外編

「約束だから」


 彼女はそう言った。

 その言葉は、魔王である彼にはるか昔を思い起こさせた。






「約束だから。できる限り多くの魔族が生き残れるよう、努力するよ」


ばらの聖女(セイントローズ)』一行の一人、ウィードリーフ男爵令嬢ダリアはそう言った。


 セイントローズ一行が、この魔王城にたどり着く前日。一行の目をあざむくため、魔族総出で城中に幻術の仕掛けを施している最中のことだ。


「私は魔術が使えないから、幻術の仕掛け作りの手伝いはできないし」


 そう言って、ダリア・ウィードリーフは仕掛け作りに奔走する魔族達に、飲み物や軽食を配ってまわっていた。

 その彼女に、魔王ダークロードは「ずいぶん熱心だな」と声をかけたのだ。

 現在、ダリアには異世界『ニホン』から来た『フユノカスミ』と名乗る娘が宿っている。

 そのフユノカスミにとって、魔王と魔族は手を組んだとはいえ、昨日までは完全に赤の他人だった存在。情報を提供したあとは客室で自由にしていても不思議ではない。

 そういう疑問を含んでのダークロードの問いに、フユノカスミはそう答えたのだ。


「約束だから」


 と。

 魔王の信頼を得て油断させようとか、取り入ろうという意図をまったく感じさせない、本当に「ただ、そう思っている」だけのフユノカスミの言葉。

 その言葉は『魔王』と呼ばれて久しいダークロードに、彼方の記憶を呼び起こさせた。

 懐かしい、いまだ愛しい彼女の記憶を。


(マーガレット…………)


 ただの人間。けれど、それだからこそ貴重だった、唯一無二の存在。

 数百年の昔、ダークロードは一人の人間の少女と出会った。

 少女は高い身分も尊い血筋も豊かな財産も、なにも持たぬ、けれども純真で信心深い、他者の心に寄り添える人間だった。

 当時はダークロードもまだ『魔王』ではなく、生まれついての異形と魔力ゆえに人々から迫害される、非力で半端な魔族の一人にすぎなかった。

 ダークロードは強欲な人間達に魔力を利用され、それでいて尊敬や感謝を返されることは一度もなく、ただただ汚れた存在として酷使されつづけていた。

 そんな魔族の少年の前にマーガレットは現れた。

『初めて』の相手として。

 マーガレットは生まれて初めて、ダークロードに感謝してくれた。

 彼に「ありがとう」と笑いかけ、「大変だったでしょう」と労わってくれた。

 自身もけしてゆとりある生活ではないのに、わずかな食料でこき使われていたダークロードに、こっそりパンや果物や木の実をわけてくれ、時には甘い焼き菓子を差し入れてくれた。

 彼の「おいしい」という感想に「良かった」と言ってくれた、初めての人。

 ぼろぼろだった彼の手や足や顔を濡れた布で拭き、傷だらけの彼のため、仕事の合間を縫って薬草を採って来てくれたのは、マーガレットが初めてだった。


「いつか二人で、どこか遠くに行けたらいいわね。誰も私達を知らない、誰にもこき使われない、優しくて穏やかな場所に――――」


『未来』を初めて語りあったのも、彼女。

 自分との約束を守ってくれたのも、また。

 それまでダークロードは「汚れた魔族だから」という理由で約束を破られつづけてきた。

 彼に『約束』してきた人間達は、たとえ、それがどれほど些末で他愛ない内容であっても、それを守ったことはなかった。

 パンの一切れ、牛乳の一杯ですら、約束したはずの人間達は彼にそれを与えることを拒否した。

 彼が「魔族だから」という理由で。


「相手は魔族だから、約束など守らなくていい」


「魔族相手に報酬を与えるなんて馬鹿馬鹿しい」「せいぜい利用してやればいい」


 それがダークロードの周囲にいた人間達の考えだった。

 その考えに、ダークロード自身も腹を立てたり悔しく感じたりしなかったわけではない。

 だが「どうせ自分は魔族だから」と、あきらめていたのも事実だった。

 ダークロード本人でさえあきらめていたことを、マーガレットだけが守ってくれたのだ。

「約束だから」と。

 ダークロードもマーガレットとの約束は守った。

 魔族であろうと人間でなかろうと、マーガレットの信頼だけは裏切りたくなかった。

 最終的に、ダークロードはマーガレットに永遠を約束した。

 この命つづく限り、マーガレットを愛することを約束する、と。

 魔族にとって『命つづく限り』は永遠にちかい意味を持つ。

 マーガレットは頬を染めて恥じらい、彼の知る中でもっとも愛らしいほほ笑みを浮かべて、たしかにうなずいた。

 こんなにも幸せな『約束』もあるのだと、ダークロードはその時、生まれて初めて知った。

 ダークロードはマーガレットの胸に約束の証であるリコリスの痣を刻み、マーガレットは「いずれ機会を見つけて、二人で遠くに逃げよう」とダークロードに約束してくれた。

 けれど、その約束は果たされなかった。

 その約束だけが、果たされなかった。

 非力でも半端でも、魔族と愛し合い将来を誓ったマーガレットは、『汚れた娘』だと人間達に断罪され、魔女として処刑された。

 ダークロードが駆けつけた時にはすでに事は終わり、マーガレットは共同墓地に眠ることさえ許されず、高い山の崖の上から亡骸をうち捨てられて、獣に喰われていた。

 マーガレットの消滅は、ダークロードに決定的な変化をもたらした。

 耐えに耐えてきた心と体は、絶対の聖域を最悪の形で汚されたことで一線を越えた。

 積もり積もった憤怒と憎悪は決壊して、ダークロード本人すらせき止める術はなく、嵐のごとき嘆きの中で、ダークロードは魔族の血と魔力を完全に目覚めさせ、『一介の半端な魔族』から『魔王ダークロード』へと進化した。

 そして「魔族と通じた汚らわしい魔女など、処刑して当然だ!!」と言い放った人間達に報いをくれてやったのだ。

 以後、『魔王ダークロード』の名はまたたく間に知れ渡り、彼を頼って大陸中から魔族が集まり、一大勢力へと成長した。

 その途中で忌まわしい大陸の守護者、聖花神フローラと一悶着あり、一時的に勢力と魔力を大幅に削られはしたものの、数百年を費やして今の復活を果たした。

 そして、失われた彼女(マーガレット)をふたたび探しはじめた。

 崖の底に捨てられた亡骸に、彼女の魂はすでに宿っていなかった。

 獣に喰い荒らされた亡骸を丁重に葬ったあと、ダークロードはマーガレットの魂を捜したが、魔王の魔力と配下を用いても、手がかりも目印もない魂を探し出すことは容易ではなかった。

 それでも「これでは」と思う少女を一人、発見したのだが。

 リコリスに似た痣を持つ少女、セイントローズのローズマリーは、マーガレットに似ているようで決定的に異なる少女だった。

 さらに、この世界が虚構であると知り、すべてが「どうでもよい」と思えてしまったダークロードだったが。

 異世界から来た娘の一言は思いがけず、昔の彼女の記憶を呼び覚ました。


「…………約束だから、か」


「? そうだけど? したからには守りたいし」


「…………相手が魔王でも、か?」


「魔王でも魔族でも、約束は約束でしょ。…………それともあなた、まさか約束を破る気?」


「いや」


 表情をくもらせたダリア・ウィードリーフことフユノカスミに、懐かしい感情がよみがえるのを自覚しながら、「引き止めて悪かったな」と魔王ダークロードは話題を打ち切る。

 フユノカスミは不思議そうにしていたが、やがて他の魔族に呼ばれ、飲み物を載せた盆を手にダークロードから去って行く。

 そのかいがいしい後ろ姿も、ダークロードには懐かしい彼女を思い出させた。






 やがて戦いは終わった。

 ダークロードは一度は消滅への誘惑にとらわれたものの、危険を承知で崩壊がはじまった城に戻って来た花純に説得され、魔王城を脱出した。

 計画通り、配下のすべてを『原初の島』へと魔力で移動させる。

 ダークロードは腕に花純を抱きながら、王都へ戻っていく最後の聖花・ブルーローズを空から見送った。

 自分は負けた。

 魔王ダークロードは聖花神フローラの結界の復活を阻止できず、肝心のマーガレットの行方も手がかり一つ得られないまま、この大陸を去る。

 けれど憎しみや怒り、悔しさや不甲斐なさは感じなかった。

 胸に占めるのは、静かな水面のような諦観。

 見おろせば、魔王城からやや離れた位置で、セイントローズ一行が無事を確認しあっている。

 マーガレットの生まれ変わりを疑った少女を目にしても、もはやその諦観はゆるがなかった。

 自分は負けた。すべては終わった。

 マーガレットは死んだのだ。

 この世界のどこにも、あの優しい少女は存在しない。残り香一つさえ。

 冬に咲く幻の花のように、今となってはダークロードの心と記憶の中にのみ存在する少女。

 その事実を諦観と共に受け容れ、認めたのだった。

 ダークロードは花純と共に『原初の島』に飛び、生き残った魔族達も全員、島への移動を完了する。

 これからは、この小さな島が魔族達の密かな隠れ家となるのだ。

 魔族を忌み嫌っていた女神の島と神殿が、その魔族に占領される事実にひそかな小気味よさを覚えながら、ダークロードは花純に訊ねた。

「お前はこの先、どうする?」と。

 今となっては領地も勢力もかなりそぎ落とされたが、花純にはできる限りの便宜をはかってやりたかった。

 ダークロードにとって、彼との約束を守り、情報を提供して、危険を顧みずに彼を助けに戻って来た花純は、マーガレットについで『約束を守ってくれた人』だった。

 それゆえ、帰るあてがなさそうな彼女を「ここに、いないのか?」と誘ったのだが。


「私、帰る」


 花純は断言した。

『ニホン』には自分を裏切った男がいる。それでも、その男を助けるために帰るのだ、と。


「報われる保証があるから好きになるんじゃない、報われなくても好きになる時は好きになるのよ」


 そう言い切った彼女に、ダークロードは引き止める言葉を持たなかった。

 思い返せば、はるか昔の彼も、そんな風にマーガレットを愛した気がする。

 花純の、いや、ダリア・ウィードリーフの肉体から、冬野花純が離れていく。

 花純の魂が、次元に空いた穴へと吸い寄せられていく。

 初めて直に視た彼女の魂に、ダークロードは驚愕した。

 花純の魂に刻みつけられたリコリス。永遠の誓いの証、その魔力。

 まさか。


「待て、花純!! お前が本物の――――マーガレットなのか――――!?」


 手を伸ばした時には、花純の魂は消えていた。次元の向こうへ戻ったのだ。

 呼んだダークロードの声さえ、彼女の耳に届いていたかどうか。


「花純…………マーガレット…………」


 ダークロードは倒れたダリア・ウィードリーフの肉体を抱えて、立ちあがる。

 腹の底から笑いが込みあげてきた。

 まったく、なんという人生、なんという世の皮肉だろう。

 それともこれは忌まわしい女神の慈悲、あるいは嫌がらせか。


「すべてをあきらめ…………マーガレットの死を受け容れたあとに、彼女の生をちらつかせるか…………!!」


 ダークロードは笑った。『魔王』にふさわしい、堂々たる笑い声だった。

 周囲の魔族達も何事かと彼を見つめ、やがて次々と膝をついて、頭を垂れる。

 ダークロードはひとしきり笑うと、大きく息を吐き出した。


「――――いいだろう」


 花純のいなくなったダリアの肉体を見おろし、次元の穴があった位置を見あげて、誓う。

 他の誰とでもなく、自分自身に。


「それが女神だか運命だかのやり方なら――――最後まで抗ってやろう。『魔王』らしく――――それが俺の生き方だ。魔王ダークロードは、聖花神にも運命にも屈しはしない!!」


 自分達の『王』を見あげる魔族達の目に光が宿り、ダークロードの体の隅々に力がみなぎる。あれほど削られていた気力が復活している。

 挑まれた勝負をどこか楽しむような余裕さえ、感じていた。


「今度こそ探し出す。どこにいても、必ず見つける。マーガレット――――花純――――!!」


 生まれて初めて、ダークロードは自分自身に『約束』した。

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