11 終幕
「なんとか成功…………かな?」
私は眼前の光景を見おろして、声に出して確認した。
小高い丘の上だ。背後には古びて訪ねる者もない石造りの神殿があり、目の前には、丘のふもとで無事を祝いあう魔族達の姿がある。
「大陸を包む結界が完全に復活した。…………が、さしあたって、こちらには影響ないようだ。生き残った魔族は全員、移動させた。計画は成功だ」
同じ光景を見おろしていた魔王ダークロードも、満足げに宣言した。
ここは、聖花神フローラがはじめて地上に降り立った場所と伝わる『原初の島』。そこに建つ、聖花神殿の前だ。昨日、ローズマリー一行が一晩を明かした場所である。
魔王城崩壊のあと、私や魔族達は魔王の魔力で全員、ここに移動したのだ。
「まさか、よりにもよって、聖域である女神の島を魔族の避難場所にするとはな。魔族以上に恐れを知らぬ人間がいるとは、恐れ入った」
魔王が笑った。
私も計画の成功を実感して、笑みがこぼれる。
「ここは、『セイントローズ』世界の中で唯一、フローレンス大陸の外にある島だから。ここなら、大陸全体を包むフローラの結界から外れるんじゃないかと思ったし…………なにより人間側も、まさか魔族がこの聖域に引っ越すとは、夢にも思わないだろうから」
そう。私が提案したのは、魔族が生き残るため、『結界の外にある聖地に移住する』ことだった。
「もともとこの島は、世界の危機が起きて、聖花神のお告げを求める時と、セイントローズの認定を行う時だけしか使われないし。普段は人間は来ないから、魔族が騒ぎを起こしたりしなければ、ずっと隠れ住むことは可能だと思う。また、新しい世界の危機が起きなければ、だけど…………」
「そこは祈るしかないな」
風が吹いて、魔王の長い黒髪が川が流れるようになびいた。
実をいえば内心、魔族と魔王を連れてきたことで、聖花神フローラの怒りを買うのではないかと不安だった。
だが、一仕事終えたことを労うような優しい風が吹いたことで、なんとなく、この島が『それ』を許してくれているように思えた。
ちなみにこの島は土地としては貧弱で、作物は育たない。水源はいくつかあるが緑には乏しく、神殿しかない場所だ。人間が来ないのは、食べていけない土地柄だから、というのも大きい。
とはいえ、人間のような食料を必要としない魔族達なら、どうにかやっていけるだろう。今後はとにかく、ひたすら静かに、人間に見つからずに暮らしていってもらうしかない。
風に吹かれていると、魔王が訊ねてきた。
「お前はこの先、どうする? ダリア。いや、カスミ」
「私?」
「ダリア・ウィードリーフとして、領地に戻るのか?」
「領地か…………」
『領地』というのは、ウィードリーフ男爵領だ。ダリアの父親であるウィードリーフ男爵は、物語のラストではたしか、牢屋から出されていたと思う。だが。
「今の私にとっては、『父親』って気はしないし…………ダリアにとっても、あまり会いたくない相手だろうし…………下手に領地に帰って、ダリアの知り合いに見つかって、『生きていた』って王都に報告されても、面倒なことになるだろうし…………また、どこかで正体を隠して暮らしていく他ないかな。名前も別のものにして」
というより、一度、ビオラ村に戻らなければ。ヘザーおばさん達は心配しているだろう。
「…………ここに、いないのか?」
「ここ?」
「岩と石だらけで、なにもない島だが。人間一人、養う程度の魔力はある」
そう言った魔王は、なんだかはじめて見るような柔和な表情をしていた。
「私は――――」
ここに。この人達と?
「わた…………」
突然、突風が横から襲いかかってきた。火花が散る。
「なに!?」
「あれは…………」
魔王が先に気づいた。
神殿の手前、私達から十歩ほど離れた位置の、なにもない空間が、火花を散らして渦を巻いている。
この渦には見覚えがある――――
思い出した。
「そうだ…………あの時も、この渦が…………」
あの時。駅近くの歩道橋から落ちた、その先に。
これと同じ渦が巻いていて、私の体はその中に飛び込んだのだ。
渦の中心に、そこだけ切りとったかのように、まったく別の景色が見える。
「あれは…………」
私は目を疑った。
「弘史!?」
渦の中にいたのは、幼なじみだった。
弘史は青白い顔で頭を抱え、一目で、深く激しく苦悩しているのがわかる。
『俺が…………花純を…………』
懐かしい声が聞こえる。
渦の中の光景は次から次へと変化し、一つの事実を紡ぎ出す。
おそらくこれは、私が歩道橋から落ちたあとの、日本での出来事。
弘史は『花純を死に追いやった張本人』として周囲から非難され、本人もそう信じて自分を責め、後悔していた。
「私…………自殺したと思われてるの!?」
仰天した。でも考えてみれば、そうかもしれない。
私と弘史は、告白などの決定的な事実はなかったとはいえ、周囲からは『付き合っている』と思われていた。そこへ弘史が別の女子と婚約し、直後に私が死にかければ、「弘史に捨てられた花純は、失意のあまり歩道橋から飛び降りた」と解釈されても、おかしくはないかもしれない。
弘史は周りから白い目で見られ、腫物のように扱われ、あるいは、ただ誰かを攻撃したいだけの人間達から心無い言葉を投げつけられ、昔からの友人達からは距離を置かれ、噂を信じた私の家族からは詰られて、父に本気で殴られていた。
弘史自身、私を自殺に追いやった、と信じているようだ。
今は婚約者が支えてくれているようだけれど、いつまでもつだろう。弘史が壊れるのが先か、婚約者が諦めるのが先か。あるいは二人して、どこか遠くに姿を消すか…………。
私は迷った。
今の私は、ダリア・ウィードリーフだ。
けれど。
「…………帰る」
「なに?」
「私、帰る。日本に。弘史達の誤解を解かないと」
おそらくこのままでは、誰も幸せになれない。
「私が帰って説明しないと、本当のことが誰にも知られないまま、終わってしまうの」
魔王は私と渦の中を見比べた。
「あの男は知り合いか?」
「冬野花純の幼なじみ。今、私を自殺させたと誤解されているみたい。だから、説明しに帰る。――――あなたも来る?」
だが魔王は私の問いに答えなかった。
「あの男は恋人か?」
「…………違う。弘史には婚約者がいるし」
「だが、お前の恋人だったのではないか? お前は今も、あの男を愛しているのではないか? カスミ」
魔王が一歩、踏み込んでくる。
「カスミは、自分を捨てた男を、まだ愛しているのか? カスミを傷つけた男のために、帰るのか? 『ニホン』はそんなにいい世界か?」
正直、私は迷った。
「いい世界かっていうと…………欠点もいろいろあるし、弘史に失恋したこと、今でも憎たらしく思う時はある。ひどい目に遭ってしまえって、思ったこともあった」
「では、何故」
「でもね。それでも長年、好きだった相手だし。チャンスはいくらでもあったのに、一度も告白しなかったのは、私自身の選択だし。日本だって、懐かしい大事な故郷だし。なにより、このまま誤解が解けないと、たぶん誰も幸せになれない。弘史はもちろん、私の家族も、友達も…………弘史の婚約者もね」
私はあえて笑った。心を決める。
「弘史のために、なにかをするのは、これが最後。あとは、婚約者さんに任せる。ただ、この一度を逃したら、私は一生、後悔するのがわかるの」
「…………何故」
呟くように、魔王は問う。
「何故、そこまでする。己を裏切った男のために」
「裏切った、というのは語弊があるかな。私達、どちらも一度も『好きだ』って言ったことなかったし。むしろ『付き合ってない』って言いつづけていたしね。ただ」
私は断言した。
「私は、あいつが好きだった。そしてその『好き』は、報われなければゴミ箱に捨てて忘れる程度の、安い物ではなかったみたいだった、ってこと。報われる保証があるから好きになるんじゃない、報われなくても、好きになる時は好きになるのよ」
視界の縁がうっすらにじむ。
「くりかえすけど、私があいつのためになにかするのは、これが最後。ただ、その最後に、あいつの足を引っ張るんじゃなく、あいつが幸せになる道を選ぶ自分であったことに胸を張れるし、自分を褒めてやりたいと思う」
魔王の指が伸びてきて、私の目尻にふれる。
それで、自分が少し泣いていたことに気がついた。
体が浮く。まさに、ふわり、と浮いたのだ。
「待って、魔王も…………」
手を伸ばすが、魔王の手はとらえ損ねた。
「待って…………!」
見ると、魔王は今まで一番、驚いた顔をしていた。
愕然と、あるいは呆然と、漆黒の目をみはっている。
「まさか…………お前が本物の――――!?」
魔王の大きな手がこちらにむかって伸ばされるが、もう届かない。
魔王が叫ぶ。
「待て、花純!! お前が本物の――――!!」
ぷつりと意識が途切れた。