封印と覚醒
ぼたりと粘ついた液体が俺の足下に零れる。
肥だめにお酢をぶちまけて煮詰めたような酷い臭いだ。
あまりの臭さに、鼻の奥から頭に向けてナイフでも刺されたかのように痛みがはしる。
その臭いの元凶は――、
「グルァアア!」
四メートルを超える巨人トロールだ。臭いのはトロールが撒き散らす唾液のせい。
そんなトロールに俺ことレイスは追いかけられていた。
遺跡に残された石の柱を楽々担いで走れるトロール、マジ化け物。木の枝じゃないんだぞ? 石の柱だぞ? 軽々振り回すなよ!?
トロールの振り回す石の柱で小突かれたら、俺は間違い無くぺしゃんこになって死ぬ。先っちょだけでいいからなんてお願いされても断固拒否だ。
先っちょだけでも当たったら、骨という骨がくだけてくにゃんくにゃんになった身体をぺろっと食べられるに違いない。
今日のトロールさんの三分クッキング、今日は新鮮な人間のたたき、薬味は鎧の鉄です――みたいなことになる。
いや、そもそも石の柱なんか使わなくても、あの手で身体を軽く握られたら、あっという間に生き血百パーセント、果肉ならぬお肉たっぷりな絞りたて鮮血ジュースになれる。
料理の名前は男性冒険者のスムージー、お通じ改善にピッタリです。
どっちが良いかなー?
「どっちも嫌に決まってんだろうが!」
でも、神様は俺にはもう一つ別の死に方を選ばせてくれるらしい。
何て気前が良いんだろうか。ありがた迷惑だ。ノシつけて送り返してやりたい。
いい加減に俺にも良いこと起こしてくれないと、小さじ一杯ほども無くなった信仰心も捨てるぞ。
だって、もう一つの死に方は、味方に焼き殺されるって選択肢なんだから。
「何やってるんだレイス! こっちだバカ野郎!」
「ダメだ! 間に合わねえ! レイス、てめえが悪いんだからな! 魔法に巻き込まれても恨むなよ!」
待ち伏せを仕掛けていたパーティメンバーが俺に気付き、声を荒げる。
しかも、俺に構わず盛大にあたりをぶっ飛ばす上級範囲魔法を放とうとしていた。
なんで事前に打ち合わせていた場所と全く違う所に待ち伏せしているんだよ!?
トロールに殺されるか、仲間の人間に殺されるか、そんな死に方の選択肢なんて恨むぞ神様!
「エクスプロ――」
エクスプロード、トロールが相手でも直撃させれば中までこんがり焦げる威力の高い魔法。そして、近くにいる俺もこんがり焼け死ぬという訳だ。
人間のステーキ、焼き加減はウェルダンで。冒険者なので脂身が少なく、赤身が多く健康的ですよ。最近体重が気になっていそうなこの太ったトロール君もさぞかし喜ぶだろう。
くそ! パーティメンバーですら敵だ! 頭おかしいだろこいつら!
「レイス君! 伏せて!」
俺が死を覚悟した途端、女性の声がして、白い閃光が目の前をよぎった。
遅れて赤い鮮血が目の前を染める。
俺の血ではない。トロールの血だ。手首から先がバッサリ切られ、地面に落ちていた。
そして、そのトロールの腕を断ち切った少女は声を張り上げる。
「レイス君、逃げるわよ。ついてきて。ブリック、エクスプロードを!」
「任せろ! フィフィー!」
フィフィーと呼ばれた少女は俺の手をとって走り出すと、トロールが爆炎に包まれた。
ギリギリだった。炎が背中をかすめて熱いと感じたのだから、フィフィーが俺の手をとって逃げるのを手伝ってくれなければ、俺は炎の中で焼け焦げていただろう。
でも身体が熱いのは魔法の炎のせいじゃない。
フィフィーが俺の手をまだ握ってくれているからだと思う。
フィフィーは長く美しい黒髪、凛々しく美しい顔、そして、流れ星のような速さで強くなっていく魔法剣士、街一番の勇者候補だと皆に言われていた。
実際、来月からの大遠征では勇者パーティというのが組まれるそうで、そこに所属するとか。
そんなみんなの憧れの存在なのに、無能である俺と小さいころから優しく接してくれる女の子だ。
「みんな無事ね。良かった。レイス君も辛い役割だったのに頑張ってくれてありがとう」
天使の笑顔でフィフィーは皆を労う。
その笑顔でパーティメンバーはデレデレしている。
けれど、俺だけは……。
「ゲホッゲホッ……おえぇ……」
戦闘が終わって気がついたけど、トロールの唾液を浴びたせいか身体中から酷い臭いがする。
臭いが目に染みて、思わず泣きそうだ。
「おい、レイス、お前臭いんだよ! 近寄るな!」
「魔物の囮くらいもうちょっと上手くやれよな」
魔法使いのブリック、剣士のカイトが罵声を浴びせてくる。
うん、思わず泣きそうだった。
そう、俺は魔物の囮くらいしか出来ない。
「努力してもレベルアップできないって何の冗談だよって話しだもんな」
何故ならレベルが一切上がらないのだ。
この世界では職業のレベルと人間としてのレベルという物がある。
職業レベルは職業に応じた行動をしていたらあがる熟練度みたいなものだ。
んで、人間としてのレベルは筋力とか魔力とかそういうステータスが変化する。
レベルが上がった時に上昇する能力は個人差があり、能力が上がりやすいモノを才能と呼んだ。
そして、ここから先は俺の話。そんな世界で残念な生き方をすることになった理由だ。
一言で言えば、俺はレベルアップが出来ない。身体の成長は年相応なのだけど、それ以上にならないのだ。
どれだけ魔物を倒そうとも身体は強くならない。
それなら、せめて職業レベルだけでも上げようと思って、誰でもなれる戦士になってみたのだけれど、どれだけ魔物と戦っても職業レベルも上がらなかった。
戦う職業が無理なら生産職はどうだろう? もちろん、そう思った。
鍛冶士に弟子入りしたり、料理人に弟子入りしたりしたこともある。
けれど、全てうまくいかなかった。
最低限の基礎の基礎、いわゆるレベル1で手に入るような技術以上は、手の中からこぼれるように消えていくんだ。
だから、生活する分には困らない技術は手に入るものの、仕事として腕を振るうことは絶望的だった。
両親を早くに亡くしたのもあって、生きていくためには魔物退治を生業とする冒険者パーティの荷物持ち兼囮をするしかなかった。
それでも無能力者だと役立たず扱いされるけれど、フィフィーは構わず俺を使ってくれる。
彼女だけが俺にとって唯一の心のよりどころだった。
「レイス君、あの、ちょっと言いにくいことだけど、あっちに泉があったから、洗ってくると良いよ」
「……行ってきます」
他のパーティメンバーに何を言われても構わないけど、フィフィーに臭いと言われるのは辛い。
フィフィーは俺を人間扱いしてくれるたった一人の人なんだから。
そうこの時までは信じていた。
変わってしまったのは、俺が泉に向かう途中、とあるモノを落としたことに気がついたからだ。
フィフィーが俺にくれたペンダントがなくなっている。
レベルが上がらない俺に、お守りと言って渡してくれたものだ。
それを取りに戻ると、不意に三人の声が聞こえた。
トロールの解体に夢中なようで、俺の姿には気付いていない。
「にしても、フィフィーも物好きだよな。あんなクズに小さい頃から施しを与えるなんてさ。パーティの荷物持ちなら、もっと良い奴がいるだろ?」
「ううん、レイスが一番だよ」
「どこがだよ? 逃げ足だけは速いけど、力もスキルも無いから大した量運べないだろう?」
「そうだねぇ。後、三人くらいは欲しいよね。そうしたら荷物持ちとしては普通に役立つくらいだし」
「おいおい、あんな無能がいくら集まっても面倒臭いだけだろう?」
ブリックの言う通りだ。俺が増えたところで何の役にも立たない。
それなのに、何でフィフィーは俺のことを使ってくれるんだろう?
もしかして、俺のこと――好きなのかな? いや、ありえないよな。でも、もし、本当にそうなら嬉しいな。
「だって、死んでも誰も悲しまないでしょう?」
そう。俺なら死んでも誰も悲しまないから。
え? 今のフィフィーの声? 聞き間違えだよな?
「ハハ、言えてる。なるほど。囮としては最高ってことか」
「そーいうこと。あんたたちが虐めてくれるおかげで、私が少し優しくするだけでコロッと騙されるんだもん。扱い安くて助かる囮よ」
……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!?
「おー、悪い女だな。虐める俺たちと全く同罪じゃねぇか。ん? これ、あいつにやったペンダントだろ?」
「あぁ、後でちゃんと返しておかないとね」
「はは、奴隷の首輪はちゃんと繋いでおかなきゃってか?」
「ま、それもあるけどね。あいつの経験値ってムダになる訳でしょ? なら有効活用しようって思って。ほらこれ。ビルギット神官に作って貰った印」
「ん? この石の中に刻まれた印って、経験値還元の印じゃないか? ぷっ! ハハハ! お前一人だけ随分レベルアップが早いと思ったら、そういうカラクリかよ。なるほど。そりゃお前があの無能を飼いならす訳だ」
経験値還元? え? あの経験値を譲渡する術?
で、でも、俺に使っても、俺はもともとレベルが上がらないし、全く意味がないんじゃ……。
「レベル差補正ってすごい美味しいわよね。レイスったら私の何十倍もの経験値貰っているんだもん。それなのにレベルアップしないなら、私が貰わないともったいないわ。経験値の有効活用よ」
別にそれぐらいは良い。だって、俺はレベルアップしないんだから……それぐらいは……。
「それにあのダメさを見ていると、自分は大丈夫って思えるでしょう? レイスに比べれば、自分は恵まれているって。あの惨めさ、見てると安心しない? ちょっと優しくしただけですがってくる目は見ていてゾクゾクくるわ」
「ハハ、それは言えてる。何言われてもレイスよりマシだろ? で通じるからな。あれはもう人間の形をした何かだよな。さて、金目の素材もあらかた切り分けたし、後は安い素材をレイスに持たせよう」
「そうね。臭くてきつい仕事はレイスに任せちゃいましょう。こういうことしても、心が痛まないってのが本当に良いわね」
素材の数が少なかったのは知っていた。
でも、そっか。それはフィフィーが仕込んだモノだったんだ。
てっきりブリックたちが仕込んで、フィフィーは断りきれないだけだと思っていたのに。
あぁ、俺はやっぱりそういう人間なんだな。いや、人間扱いもされていないんだ。
これ以上はここにいられないな……泉に行ってこよう。
○
俺は泉に身を投げ出して、水の中で目を閉じた。
これが俺に出来る唯一の復讐だ。
水の音が消えて、息苦しさも消える。気付けば、水の中にいる感覚すらも消えていた。
苦しまずに死ねたな。良かった。
「人の泉でいつまで寝てるつもり?」
「……え? あれ? ここどこ? 俺は泉に身を投げたはずなのに」
死んだつもりだったのに、俺は泉の上に立っていた。
そして、目の前には気だるそうにあくびをする妖精が飛んでいた。
「トロールの唾液がついたまま入ってきたから追い出したのよ」
どうやらこの妖精の魔法で俺は今泉の上に立っているらしい。
「それにしても、あなた変わった人間ねー。祝福に封印かけられている人間なんて初めてみたかも」
「え? 封印?」
「魔王を倒すため、神様から何かしらのギフトを貰ってるのが人間でしょ? 祝福の儀を受けたなら必ず何かギフトは貰えるでしょ」
妖精の言う通り、俺たちは十五になると何かしらの才能を神様から貰える。
フィフィーは剣と魔法を同時に使う才能を、ブリックは上級魔法の才能、カイトはあらゆる武器が使える才能を神様から貰っている。
もちろん、俺も祝福の儀を受けた。けど、何も貰えなかった。
いや、ちょっと待てよ? よく考えてみれば、祝福の儀を受けたはずなのに、神官の言葉は全く覚えていないぞ。
でも、神殿に入った時と出た時の記憶はある。つまり、儀式を受けた時間帯だけがスッポリ記憶から抜けているのだ。
「……記憶も消された?」
「ねえねえ、封印解いてみても良い? 解いてみても良い? こんなに頑強な封印なんだ。一体なにが封印されてるか興味がつきないよ」
「う、うん」
もし、俺にも本当に才能があるのなら……。頼む、あってくれ。
「解呪っと」
「あっ!?」
あああああ!
思い出した! そうだ。俺にはちゃんと祝福があった。
魂魄喰。
魔物ではなく人の魂を喰らって強くなる祝福だ。
人が一生で貯めた経験値とスキルを全て受け継ぐ才能、いや、強奪する才能だ。
死んだ人間でも、生きた人間でもその人の魂を具現化し、自分の力に変換すること出来る。
そのあまりにも強力過ぎる効果の代償として、人以外の魂を喰らってもレベルはあがらないというのもあって、人というより魔物に近いスキルだ。
そのせいで、あまりにも危険なスキルだと言われ、神官のおっさんに封印されたんだ。
しかも、その後、俺が無能だと言い、周りの大人たちに、俺へ救いの手を出すなと言ったのもあの神官だ。フィフィーにレベルドレインの印を授けたのもあいつって言っていた。
「あはは、道理でお兄さんは変わった匂いがする訳だ。腕にそんなモノを飼ってるなんてさ」
自分でも分かる。
全てを思い出したこの瞬間、俺の中で何かが弾けたせ。
そうだ。俺は奪われたモノを俺は全て取り戻す。
神官に才能を奪われ、ブリックとカイルに誇りを奪われ、フィフィーには俺の尊厳を壊された。
その全てを取り戻す。俺を陥れた全員から奪い返して、見返してみせる。




