電波 第1話
ねぇ、君は知っているかい。
この世界には、説明できない現象がある。
それは、幽霊や怪物のようなわかりやすいものじゃない。
もっと曖昧で、もっと日常に紛れ込んでいる。
――例えば、“誰もかけていない電話”。
気持ちよさそうに眠っていた神崎綾乃は、
携帯電話の着信音で目を覚ました。
枕元を手探りし、画面も見ずに通話ボタンを押す。
「……はい……」
『やっぱり寝てたでしょ』
聞き慣れた声。妹の実夏だった。
「……うん……」
『今日から新しい部署でしょ?』
「……え?」
綾乃はゆっくりと目を開ける。
時計を見る。
午前七時三十分。
「えっ!?」
飛び起きた。
クローゼットから服を引っ張り出しながら、
携帯を肩に挟む。
「なんで起こしてくれなかったのよ!」
『起こしたわよ。三回も』
「嘘でしょ!?」
『全部出たのに、無言で切ったじゃない』
綾乃の動きが止まる。
「……私、出た?」
『出たわよ』
「……覚えてない」
短い沈黙。
『寝ぼけてたんじゃない?』
「……そうかも」
そう答えながらも、違和感が残った。
“通話した記憶がない”。
朝の新宿駅。
人の流れはいつも通りだった。
同じ時間、同じ動き。
何も変わらない日常。
その中で、一人の女子高生が立ち止まる。
神崎実夏。
彼女はスマートフォンを見つめていた。
画面には、“通話中”。
だが――
相手の番号は表示されていない。
「……もしもし?」
返事はない。
ザ……ザザ……
ノイズだけが流れる。
実夏は眉をひそめる。
「……誰?」
その時、背後から友達が声をかけた。
「何してんの?」
「なんか、勝手に繋がってて……」
そう言いながら、通話を切ろうとする。
だが、画面が一瞬だけノイズに歪んだ。
ザザ……
そして――
――聞こえるか
「……え?」
思わず、耳から離す。
今のは、気のせいか。
その頃。
都内のマンションの一室。
テーブルの上に置かれた携帯電話が鳴っている。
この部屋の住人は、三日前から行方不明だった。
『プルルル……』
発信元不明。
やがて、着信音が止まる。
――通話が接続される。
誰も出ていないのに。
ザザ……
低いノイズ。
その奥に、何かが混じる。
だが、それが言葉なのかどうか、判別できない。
その日の昼。
警視庁。
神崎綾乃は、辞令を手に立ち尽くしていた。
「特異現象対策室……?」
聞いたことのない部署名。
「そこはな、“説明のつかない案件”を扱う」
上司はそれだけ言った。
冗談には聞こえなかった。
「今朝、新宿で妙な報告があってな」
「妙な……?」
「通信記録に残らない通話が、複数確認されている」
綾乃の心臓が、わずかに跳ねる。
今朝の違和感。
あれと、同じものかもしれない。
地下三階。
人気のない廊下。
古びた扉。
小さく書かれた文字。
S.P.D. TOKYO
ノック。
返事なし。
ドアを開ける。
中は散らかり放題だった。
資料の山。
空き缶。
煙草の匂い。
そして、ソファで眠っている男。
「……あの」
声をかける。
男はゆっくり目を開けた。
「……誰」
「神崎綾乃です。今日から配属に――」
「ふーん」
男は体を起こし、ぼさぼさの髪をかきあげる。
「九条仁」
短く名乗る。
そして、いきなり聞いた。
「君、“勝手に繋がる電話”って信じる?」
「……は?」
「発信してないのに繋がる。
履歴にも残らない。
でも、音だけは残る」
九条は机の端末を叩く。
画面に表示される通信ログ。
同一時刻。
同一波形のノイズ。
発信元不明。
「今朝、新宿で起きた」
綾乃は息を呑む。
「これ……」
「心当たり、ある顔だな」
「……私の携帯も、少し変で……」
九条は小さく笑った。
「だろうな」
そして、天井を見上げる。
「こういうのはな、いつも“上”から来る」
「上?」
「電波ってのは、見えないだろ」
九条は煙草をくわえながら言った。
「でもな、一番遠くから届く」
その瞬間。
綾乃の携帯が震えた。
画面。
《実夏》
通話ボタンを押す。
ザザ……
ノイズ。
「……もしもし?」
返事はない。
だが、確かに“何か”が混じっている。
九条は静かに呟いた。
「……来てるな」
その頃。
どこかの部屋。
複数のモニター。
新宿駅。
警視庁。
通信ログ。
煙草の火が灯る。
誰かが画面を見ている。
「反応、確認」
低い声。
「……まだ初期段階だ」
煙が、ゆっくりと広がる。
誰も、その存在を知らない。




