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世界を撃った少女  作者: 機乃 遙
世界を撃った少女《The Girl Who Sold the World》
9/9

 翌朝の七時過ぎにはイリノイ州に入り、十時前にはシカゴに到着した。そのころにはチューズデイも目を覚まし、出血も止まっていた。

 イリノイ州、シカゴ。五大湖の一つであるミシガン湖に隣接し、工業地帯として発達した都市。かつてはアル・カポネなどといったマフィアがのさばったことでも有名な街だが、いまやその姿は大きく変貌していた。少なくとも、かつてチューズデイが訪れたとき――およそ二十年以上も前になるが――とは、まったく異なる姿になっていた。

 シカゴをぐるりと回る高架鉄道、通称ループ。現在はリニアレール・ユニオン・ループというのが正式な名称だが、チューズデイが以前にきた頃には、まだ改修工事がされる前だった。十九世紀末に作られたという高架橋は、いまやその伝統的な風貌な残しつつも、その実リニアレールラインとして最新鋭の列車を走らせている。

 三人を乗せたゴルフは、ちょうどシカゴ・ユニオン駅の近くを通ったが、ちょうど飛び降りた列車――エンパイア・ビルダーのポートランド行きが引き返していくところだった。

 高架橋の上をリニアレールが駆け、さらにその頭上をAmazonのロゴのついたドローンが飛んでいく。そしてさらにその上空では、アドバルーンのようにモニターを取り付けた大型無人機が周回を続けていた。モニターには今日と明日の天気が交互に映されている。

「ぜんぶ監視ドローンだ」

 ループを抜ける途中、渋滞にハマったゾーイが、苛立ちながら言った。

「監視ドローン?」

 応えたのはチューズデイだけ。ウィルは眠っていた。

「そうだ。アタシがシカゴに飛ばされた理由、知ってるだろ?」

「……フライデイの一件のあと、CIAと取引したとは聞いている」

「そう。アタシには証人保護プログラムが行使され、CIAからは仕事も与えられた。アタシは金額で動く人間だから。それで、その仕事というのが、このディストピアを作ることだった」

 車列が動き出す。一台ぶん、ゆっくりと。そしてまたテールランプが点り、前から順に停車していった。

「二〇一〇年代から、すでにこのシカゴには無数の監視カメラや監視システムなんかが導入されていた。元々殺人事件の多い街だし、かつてはH・H・ホームズが殺人の城を建てたような場所だ。そういう監視ネットワークをいち早く導入して、治安の維持を図ったんだろう。そのために最新の監視システムの実験実証都市になった。アタシを引き抜いたのは、中央情報局(CIA)なのか、そこと取り引きした連邦捜査局(FBI)なのか、国家安全保障局(NSA)なのか。あるいはそれらと取引したバイロンのような企業なんか……そのへんは知らされなかったが。だが、ともかくアタシは、それまでの罪を帳消しにして、米国の永住権を得ることと引き替えに、監視用のドローンの開発とシステムの構築を任された。それが二十年前の話。システム自体は、十年前にはとっくに完成した。いまはそいつらがこの街を覆っているのさ。あの無人機も、この無人機も、すべてアタシたちの行動を監視している。すこしでも間違えを犯せば、AIが生体認証と登録情報を照会して、すぐに警察に通報。すると、またドローンを連れ立った警官がやってくる……という寸法だ」

 ゾーイは不適に笑み、そして上空を飛行する巨大な無人機を指さした。一見して広告用のアドバルーンのようにも見えるそれも、彼女が作ったディストピアの一端なのだろう。


 ループを抜け、三人はミシガン湖近くの倉庫街にまでたどり着いた。その中でも、ゾーイは古びた小さな工場前にクルマを駐車。そこが彼女のセーフハウスだった。

 ウィルとチューズデイは、ゾーイの後を追って工場内へ。外壁はコンクリート打ちっ放しの簡素で古びた建築だったが、内部はその印象と大きく反していた。

「ここはかつて紡績工場だった。マフィアお抱えのな。でも、いまはもうその元締めもいなくなって、誰も使っていない。だから、アタシが自由に使わせてもらっている」

 自慢げに言うゾーイの言葉の通りだった。

 そこは、元は紡績工場だったらしい。外壁にはかすれた『ミシガン紡績』の札があったし、内部にも高い天井から蛍光灯がいくつもぶら下げられ、かつてそこに何十人、何百人という工場員が横一列になっていたことを思わせる。

 だが、いまは違った。そこにあるのは開けた空間と、ガレージのような修理工場。作業を続けるロボットアームと、修復されるクルマが数台。そしてさらに奥からは火薬のにおいもしていた。

「ゾーイ、あなたここで何やってるの?」

「べつに。MI6にいたときとも、CIAにいたときとも変わらないよ。老後の暇つぶしにクルマの改造を引き受けたり、武器の修理を引き受けたりしているだけさ。アタシは金さえ払えばなんだってするからね。……チューズデイ、アタシがアンタにやった武器や装備、どこで調達したと思ってたんだ?」

「ここで作ってたってわけね」

「ビンゴ」

 ゾーイは指を鳴らして正解をたたえた。


 続いてゾーイが案内したのは、工場の奥にある部屋だった。かつてそこは工場長の執務室だったようだが、いまはゾーイの作業部屋と化していた。革張りのソファーは作業台に置き換えられ、事務机は銃火器のラックに変わっていた。

「こっちだ。頼まれたモノは用意してある」

 そんな雑多な部屋の奥。ゾーイは散らかった部屋の中から、迷うことなく一つの棚を見つけだした。そしてその中からいくつかの書類をとってきた。

「友人に頼んで偽造書類は一式用意した。ジェイミー・ボンドのぶんと、ウィリアム・ボンドのぶんだ。ウィルは米国籍で、ジェイミーの孫息子。まあ、この設定だとバアさんが孫を訪ねてアメリカにきたってことになるな」

「バアさん?」

「自覚ないのか、チューズデイ。アンタはもう十分バアさんだ。ウィルと並んだら、十分すぎるほどに。……で、次の装備だが……。一応さっきも言ったが、この街は生体認証(バイオメトリクス)によって管理されている。そしてこの技術は、おそらく今現在の軍事企業も取り入れているはずだ。システムの基礎を構築したのはアタシと、その仲間のグループだが。ようするにこれは、集団としてのグループを個として統一を取れたものにするには最適なシステムだ。AIが自動的に集団からはずれた個人を特定し、もう一度集団へと引き戻す……言ってる意味わかるか?」

「まったく」

 チューズデイはタバコに火をつける。ちょうどゾーイのデスクには灰皿があったので、禁煙ではないだろう。ウィルも寝起きでうつらうつらしていた。

「つまりだ。犯罪者を即座に特定するシステムは、同様に部隊内での規律を乱すものを罰することもできる。軍隊でまず重要視されるのは統一が取れていることだ。フリーランサーばかりを束ねた軍事企業が、一国の軍隊のようにデカい行動がとれるようになったのは、この監視システムと無人機によるところがデカい」

「つまり、感情に流されて動くような。あるいは上層部の意に添わぬものを即座に糾弾できるシステムということね」

「そういうことだ。すでにバイロンなんかでは導入されているはず。となれば――」

「ウィルにも使われている?」

「かもしれん。そうだとしたら、こちらの場所はすぐに見破られる。だから――」

 と、そう言って今度はデスク抽斗(ひきだし)を開けた。中から出てきたのは、注射器だ。パウチされた袋の中に、細長い筒状のモノが入っていた。

「右手を出せ、ウィル。痛くはしない」

「本当ですか?」

「アタシを信じろ。それとも、もう一度あの襲撃者どもと会いたいか?」

 ウィルは首を横に振った。そして右手の袖をまくり、ゾーイの前に差し出した。

「いい子だ。ちょっとチクッとするが、それぐらいは我慢しろ」

「うん、わか――」

 ウィルが応えようとしたのも束の間。ゾーイは注射器を振り下ろし、一発、何かを彼の腕に挿入した。それは液体のようだったが、しかしただの薬剤ではないようだ。

「……ぃったぁ!」

 苦悶にゆがむウィルの表情。しかしゾーイはそれに気を許すこともなく、しばらくの間彼の右手を押さえつけ続けた。二、三秒はそうしていただろう。

 やがてすべての薬液を打ち終えると、ゆっくりと針は抜き取られた。ウィルの白い肌には、ただ一点、赤い斑点ができていた。

「よし、問題ない。これでとりあえず監視の目から捉えられることはない。仮に無人機が彼を発見したとしても、表示されるのはウィリアムという少年になる」

「本当に……ですか?」

 痛みに涙を漏らしながら、ウィルは言った。

「アタシを信じろ。金額さえ提示すれば、最高の仕事をする。それがアタシの主義だ。……だろ、チューズデイ?」

 奥に控えていたチューズデイが静かにうなずいた。

「そういうわけだ。とりあえず下準備は終わった。あとはチューズデイ、アンタの装備の話だな」


 改装された紡績工場は、もはやゾーイの工房と言ってさえ良かった。

 ブーツのかかとでアスファルトを鳴らし、つかつかと先を行くゾーイ。その案内に続くチューズデイと、さらに後ろをついてくるウィル。ウィルはまだ痛そうに右手をさすっていた。

「こっちだ。地下の倉庫にアンタの装備を用意しておいた。足と、それから銃も」

 錆びた手すりに触れながら、ゾーイは階段を降りる。明かりは一階天井から差し込む陽光だけで、地下は薄暗かった。土地勘のあるゾーイは良くても、後に続く二人は慎重に進むしかなかった。

 そうして地下室にたどり着くと、ゾーイは足下の何か――それは太いケーブルで接続されたスイッチだった――を踏みつけ、明かりを灯した。バチン! と大きな音が鳴り響くと、電灯は何度か明滅を繰り返してから部屋を照らし出した。

 一階と同じコンクリート打ちっ放しの空間。クルマ二台ぐらいが入るガレージのようなスペースだ。そこにはいくつかのラックと作業台、それから壁面には小火器をかけるスペースまでもがあった。しかし、なかでもとりわけ注目を惹いたのは、灰色の布をかけられた《《なにか》》だった。形状からしてクルマであるとは予想できるが、しかし車種まではさすがに特定できない。

「まずは武器だ。いまのアンタじゃ、無人機相手にまともに戦えない。だから四十五口径(それ)に乗り換えたんだろ?」

 チューズデイは否定も肯定もしなかったが、ゾーイは話を続けた。彼女は作業台にある一丁のガバメントモデルを手にすると、それをチューズデイへと差し出した。

「ナイトホーク・カスタム・タロン2。ガバメントのカスタムモデルを、さらにアタシなりのカスタムを施してアンタ用に仕立て上げた」

「私用に?」

「そう。アンタが好むのは暗殺に適した拳銃。一撃で音もなく相手を殺せる、非常に精度の高い銃だ。だから今まではスタームルガーを好んできた。だろ? でも、いまの老いたアンタは、それでいてマン・ストッピング・パワーもほしい……。そこでだ。ナイトホークは元々競技射撃コンペティション・シューティング向けの銃だが、アタシがそれを実戦向けに改造。アンタの求める銃に仕立てあげた。ほら、使ってみろ」

 ゾーイから受け取り、早速チューズデイはそれを構えて見せた。

 漆黒のガバメント・カスタム。マガジン・キャッチを押し込んで弾倉を取り出し、残弾がないことを確認。スライドを引いて薬室も確認。装填されていないことを再確認すると、チューズデイはようやくそのハンドガンを構えた。

「4.3インチモデルか。……表面は炭化珪素(SiC)コーディングかしら。サイトはハイニー・タイプのナイトサイト。セイフティはシングルで、グリップはボブテイルにカットしてある……携行性優先ってところかしら。隠し持つ(コンシールドキャリー)にも向いてる。バレルは延長しているみたいね」

「サプレッサーを取り付けるためだ。サイレンサーコ製のハイブリッド・マイクロを用意してある。装着してもサイトには影響しないし、小型で取り回しもいい。銃声も一二〇デシベルまで抑えられる。……どう、アンタ好みだろ?」

「そうね――空撃ち(ドライファイア)しても?」

「もちろん」

 セイフティを解除、トリガーを絞る。

 撃針(ストライカー)内壁(ブリーチ)を叩き、静かに金属音を鳴らした。


「銃は他にクリスK10を用意した。ヴェクターの小型版。こっちも四十五口径。威力は申し分ない。それに、アンタは長物(ライフル)は趣味じゃないだろうからな」

「使わなければならないときは、使うけれど」

「言うと思ったよ。……で、次はこっちだ」

 ゾーイは銃のラックから手をおろし、今度は反対側。ガレージのようになった空間へ。そこにはグレーの布を被せられたクルマが一台止められていた。もちろんカバーのせいで車種はわからない。

「アンタは足を用意しろと言ったが。いまのアンタの状況を鑑みると、なかなか難しい。さっきも言ったが、シカゴは実験都市として先進的に生体認証システムを街中に張り巡らせている。それに、軍事企業の連中もとっくに導入している。さっきデータを上書きしたウィルだとか、そもそも存在自体が都市伝説のアンタには関係ないだろうが、世に出回っている製品は別だ。銃にせよ、クルマにせよ」

「それらすべてにも認証システムが設けられているということか」

「正解。使用者と登録情報が一致しなければ、すぐに警察が飛んでくる。だからその銃を調達するにも一苦労だったし、クルマを調達するにも手間がかかった。もっとも、どれも元々アンタとは違う顧客に売る予定だったものを、突貫工事でアンタ用にカスタムしたんだが……っと!」

 ゾーイはクルマにかけられていたシートをはぎ取った。

 積もっていたホコリが舞い、光を反射してきらめく。そのなかに、それはあった。艶のある赤い流線型のボディ。カエルのような丸い二つ眼のヘッドライト。あきらかにそれは、この時代のクルマではなかった。

「一九六五年製のポルシェ911。いわゆるナローポルシェと言われるモデルだ。登録情報を更新しないままのジャンク品だったが、最近アタシのもとに修理の依頼が来た。あいにく依頼主は受け取る前に死んじまったがね」

「だから、くすねたってわけ?」

「そうとも言える。もっとも、そのおかげでこいつの登録情報はアタシのものということになっている。それで、アタシがアンタの偽造身分証明書に譲渡したということにしてやれば問題ない。そもそもこんな古いクルマに認証システムはついてない。乗り回したって、バイロンの連中も気づきやしないさ。……とはいえ、アタシが改造したんだ。性能は保証する」

「特殊装備は?」

「もちろん」

 そう言うと、ゾーイは壁に掛けられたメタルラックからキーを取り出した。むろん、キーレスエントリーなどない時代のクルマである。しかし彼女がキーのスイッチを押すと、ナローポルシェは独りでに鍵を開けたではないか。どうやら中身は完全に別物。最新式になっているようだ。

「まずは武装だが――」

 スイッチ一つ。ボンネット先端のポルシェのエンブレムが開く。そこから銃口が姿を現した。

「七・五六ミリの機関銃を一門。そして――」

 もう一度、スイッチを押す。

 今度はヘッドライトだ。円形をした一対のヘッドライトが上方へと開き、その奥から巨大な砲塔が顔を覗かせた。

「携行式多目的ミサイルを左右一つずつ。対地、対空の二つのモードに選択可能だ。とまあ、メインの武装はこれぐらい。そして防御面だが。電磁防壁(EMA)を装備。かなりエネルギーを食うが、銃弾ぐらいなら確実に弾く。それから、さすがにタンデム弾頭は防げないが、ロケット擲弾も一撃までなら耐えられる計算だ。あくまでも、理論上の話だが。他には光学迷彩は積めなかったが、電磁防壁の応用で車体色の変更は可能。二十年前と違って、いまは特殊な塗料を使うことであらゆる色調、パターンに変更できる。光学迷彩は難しいが、保護色に変更するぐらいなら可能だな」

 自慢げに語るゾーイ。彼女を後目に、チューズデイはナローポルシェに手を触れた。艶やかな赤いボディ。洗練された流線型の形状。とても一世紀近く前に作られたとは思えない、機能美を凝縮したようなクルマだ。

「こんな改造を所望した元オーナーは何者だったわけ」

「さてな。それは聞かないのが、アタシたち雇われ者(フリーランサー)ってとこじゃないのか?」

 ――そのとおりだ。

 チューズデイは心の中で首肯しつつ、ナローポルシェを見つめていた。


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