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ニエ


「お前は勇者のために死ぬ」


占い師の確信に満ちた声が、赤子を抱いた両親を絶望へと突き落とす。

見届け人として側にいた長老も眉間に深いしわを寄せた。


「いわば勇者の贄だ」


数週間前に生まれた勇者の証を持った少年。

当たるときもあれば当たらないときもある、そんな占い師の言葉は、運命に抗えぬ証のように、私の名前をニエと名付けた。



長老は私の両親に口外を禁じてはいたが、私が物心つく頃に両親が私に教えてくれた。その言葉を理解していたのか、どうなのかは正直覚えていないのだが、母親の私と一つ下の弟に対する態度の違いがそのためだとやけにすんなり受け入れられた気がする。

弟を溺愛する母に、時折私から目をそらす父。

そのせいか、私は一人でいることを好んだ。そんな私は、人から離れて勇者様の背中を見るのが日課になっていた。


勇者の証を持ち生まれただけあって、ひとりだけ群を抜いて優秀な彼。初めて聞く学問も彼には当たり前に存在する理論を飲み込むだけだった。武術も魔術も歩くことを覚えるように自然と体が覚えていった。

そんな輝いているような彼を見ているのが、どこか誇らしかった。

困っている人がいれば手をさしのべ、いつしか周囲を笑顔にすることができる人だった。離れてみているだけの私ですら、彼を見ていると笑みが浮かんでくるのだ。


こんな田舎の教育では、勇者としての資質を磨くことができないと判断したのだろうか、彼は王都の学園に通うことになった。母の愛情の賜物なのか、弟も能力を認められ彼とともにこの村を離れた。


同じ村で生まれ育っただけの私は、彼を遠くから見つめていただけで、彼との特別なつながりもなく、きっと私の顔すら、・・・名前すら覚えてもらっていないだろう。


勇者のニエと。


遠くに旅立った彼は、ときおりこんな片田舎にまで届くような偉業を成し遂げ、そのたびに村人は沸き立った。

彼のいなくなったこの村で、どこか穏やかで、のんびりとした生活の中で、私はいつしか自分の運命が、あのときの予言が、嘘だったのではないかと錯覚していた。


長老と占い師が亡くなった。


何もおかしいことはないのだ。二人とも高齢で、天寿を全うしたと言ってもおかしくはない。ほかの村人は皆そう思っているだろう。

でも、何かが始まると私の中で声がした。

この世界で、私の名前の由来を知るのが、私の両親と私だけになった。


そんな折り、彼と弟が帰ってくると言う知らせが入った。なんでも、王都の学園には長期休暇があり、心身のリフレッシュとともに学園外での体験を通じて成長してほしいという意図らしい。たいていの学生は実家にもどり、休養をとるそうだ。彼は、これまでの長期休暇はほかの土地を見て回る度にでたり、魔術研究所に出入りしていたようだが、どうやら今回はこの村に帰ってくることにしたようだ。


あぁ、そろそろか。

運命が近づいてくる。

父と母が教えてくれてから十数年、覚悟を決めるには十分な時間があった。



「ただいま、母さん」

「おじゃまします」

母が久々に心から笑った。数時間前から、しかめっ面のままずっと落ち着かずに部屋をうろうろしていたのが、嘘のようだ。

「おかえりなさい、ロイ!!」

弟に抱きつき頬にキスをしてひとしきり再会の喜びをあらわすと、隣にいた彼に、ようやく挨拶をした。

「いらっしゃい、アレク。あなたも疲れているでしょう、ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

奥の部屋から母越しにかすかに見える彼に、おもわず息をのむ。

母は、二人を家に上げると、弟の好きな食べ物を次から次へとテーブルにおいていく。母は弟が帰ってきたのが、うれしくてたまらないようだ。弟も母に全力で迎えられて、嫌な気はしていないようだ。そんな二人に挟まれて、彼も居づらいだろうが、私にどうこうできるはずもない。


久々の彼の姿、私が見てきた背中よりもずっとたくましくなった背中を、いつまでも見ていたいと思っていたが、私にも仕事がある。大きめのかごを抱え、汚れてもいい服装に着替えると、彼らの視界に入らないようにそっと後ろを歩く。



「あれ?君は」


急に彼が振り返る。

そして、目があった。


初めて間近で見る彼に私は固まった。

息もできない、鼓動もとまる、そんな衝撃だった。


「・・・山に行くつもりなのかい?」

私の様子にかまわず彼が問う。答えられない私だが、装いが肯定しているようなものだ。

「・・・一人で?」

小さく頷くと、なぜか彼は私に笑顔を向けると弟に言った。

「女性の一人歩きは危険だよ。僕が護衛するから、ロイはお母様とゆっくり休むといい」

私の返答も聞かずに、彼はいすから立ち上がる。

「アレクさん、長旅で疲れているだろう?もう少し休んだ方がいいよ」

「あの子はなれているから平気よ」

弟と母が否定するが、彼は荷物から短剣を取り出すと、腰のホルダーにつける。

「十分に休ませてもらったよ。それに久々の故郷を見て回りたいんだ」

母にお茶の礼を言うと、私に笑いかけた。



「行こう、ニエ」



「昨日の雨で少しぬかるんでいるから、気をつけて」

普段から歩きなれた山道、危険な枝や葉は彼が短剣で刈り取ってくれた。少しでも段差があれば、振り返り私に手を差し出す。

その姿は、とても旅慣れていて、人を助け慣れているように見えた。昔と変わらないだけれど、こうやってふれあうことは初めてだった。きっと彼には大したことではないだろうけど。

「私の名前、知っていたんですね」

急に話しかけたせいで、彼の歩みが止まる。

「え?」

私があなたの視界にはいることはなかったでしょう?私も、あなたの背中ばかりで、向き合ったことは一度もなかった。

無言の私に彼も苦笑しながら答える。

「さすがに、親友のお姉さんの名前ぐらいはしっているよ。それに、君は同級生だしね」

確かに、彼と弟はいつしか隣にいた。彼のことを実の姉よりもずっとしたって追いかけている。それなら私のこと名前を知っていてもおかしくはないのかもしれない。

「私はこの名前が嫌いなの」

これを逃せば、彼とはもう一生話せないかもしれない。でも、私の口からでるのはかわいげのない言葉ばかり。

「そう?いい名前じゃない?とても呼びやすいし、素敵な名前だと思うよ」

何も意識していなくて、何も考えていない言葉なんだろう。

私は恥ずかしくて、悲しくて、うれしくて、

ただ下を向いて、つながれた手が離れていくのを見ていた。




笑いかけてくれて、手をさしのべてくれて、名を呼んでくれた、

優しい人なら何でもないことだろう。

でも、私には・・・




翌日。

自警団の男性が我が家に駆け込んできた。

「ロイ、魔獣が出た!!すまないが、西の森でアレクの加勢に回ってくれ」

突然のことに、騒々しくなる我が家。母は露骨に嫌な顔をする。

「ロイ、貴方が危険な目に合う必要はないわ。ここにいなさい。危なくなったらみんなと逃げましょう」

「そんなことはできないよ、母さん。アレクさんになんかあってからじゃ遅い。あの人だけは守らなくちゃ」

「落ち着くんだ。ロイにはするべきことがある」

私はそれをしり目にゆっくりと立ち上がる。

鏡の前に立ち、すっと息を吸った。

鏡に映っているのは、亜麻色の髪に琥珀の瞳、彼と同じ色。そして、女性にしては高い身長。



彼を見て、初めて気づいた。

私の運命。



鋏を握りしめると、何の迷いもなく、彼と同じぐらいの長さに切った。長さがそろっていなくていびつになっているが、そんなことどうでもよかった。

そして、そのまま弟の部屋に行き、適当に荷物をあさると男物の服を取り出す。

「おい、何やってんだよ」

私の異常に気付いたのだろう。私の後ろには不機嫌そうな弟が立っていた。それはそうだろう、自分の荷物をあさられたのだ。怒って当然だ。

「ちょ、ちょっと」

だけど、私にはあまり時間がない。弟にかまわず服を脱ぎ、弟の服に着替えた。さすがにぶかぶかだが、パッと見た感じでは女には見えないだろう。ましてや、相手は人間ではないのだ、何の問題もない。

弟は突然脱ぎだした私にたじろいでいたが、着替え終わったころには私の意図が分かったようだ。彼は口を開けたまま、呆然としていた。血の気が引いているのが、よくわかる。

「・・・・・・」

何も言葉にできないのだろう。

正直、弟はあまり好きではなかった。

私が持っていないものをすべて持っていたから。

やさしい母に、彼のそばに入れるほどの才能、村の人からの信頼、

口にすることはなかったが、私の弟に対する態度は冷たいものだったろう。


でも、今は、今は、そんなことどうでもよかった。

深緑の髪は父譲り、真紅の瞳は母譲り、私に残せないものはここにある。

「アンタが、いてくれてよかった」

ヒュッと息を吸い込む音が聞こえた。

私は弟の横をすり抜け、玄関へ向かう。

そこで、騒いでいる両親と目があった。

一瞬で、凍りつく両親。

目を見開き、顔をゆがめるその表情は、絶望そのものだった。きっと占い師の予言を聞いたときにもこんな顔をさせてしまったのだろう。私がかまわず、家を出ようとすると、金切り声が響いた。

「嫌!!いかないで、いかないでぇ」

手を伸ばし、私を追いかける母に思わず気持ちが揺らいでしまう。

父は、母を押しとどめながらもボロボロと涙をこぼしている。

「ありがとう」

これ以上言ったら、涙が出る。

涙が出たら、走れない。

だから、そのまま家を飛び出した。





「アレクが西の森から帰ってくるそうだ」

「いや、山小屋に向かっているぞ」

「関門が突破されるって本当か」

外は大人たちの喧騒で満ちていた。情報が錯そうしているようだ。けれど、必要な情報だけが耳に入ってくる。


「北の聖域に異常な魔力が集まってきているらしい」



私は北に向かって走り出す。

普段あまり運動をしないせいか、とても息苦しい。



『お前は勇者のために死ぬ』



息苦しさのせいだろうか、頭に声が響く。



『いわば勇者の贄だ』



私は生まれたばかり、この言葉を聞いているはずはないのに、



『お前の死が、勇者を勇者たらしめる』



覚悟は決まった。




やさしい声が頭に響く。

『行こう、ニエ』



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