第1章:第14話『莉央奈と律華の朝』
「…なんか、目が覚めちゃった」
起き上がった莉央奈は枕元の時計を手に取ったが、時間はまだ5時半を示していた。実は10分程前に目が覚めており、もう一度眠ろうと努力してみたのだが、上手くいかなかったので、観念した。
「まだ5時半かぁ…みんなまだ寝てるよね。とりあえず着替えたりしよっかな」
洗面所に立ち、寝ぼけ眼を水で洗い流す。タオルで顔を優しく拭いながら、昨日の事を思い出していた。
「…楽しかったな、タコパ」
前を向くと、鏡に映る自分の顔が目に入った。これが、実莉央奈。まだ出会ったばかりの自分。本当に本当の自分なのかは分からないけど、今はこれがわたし。いまだに不思議な感覚が抜けない。覚えている事は色々あるけれど、自分が何者なのかは分からない、この感覚が。
「みんな、わたしのために色々してくれる。守ってくれる。わたしも、頑張らなきゃ。今できるのは、とにかく、忘れてしまった記憶を思い出す事」
パジャマから着替えて、思いっきり伸びをする。爪先立ちになって両手を高く、高く突き上げる。凝り固まった全身の筋肉が引き伸ばされるような感覚が心地良い。
「んーー…ぐぐぐ……ふぅ」
部屋の隅にある机に目をやると、一冊のノートが置きっぱなしになっていた。ノートを開き、ぱらぱらとめくる。記入されているページは、まだ少ない。
「日記を始めてみたけど、まだこれっぽっちしかないんだ。わたしの人生の記録…」
表情を曇らせながら改めて日記を読み返す。不安な心情を吐露する内容も多かったが、どの日の内容にも、楽しかった事が何かしら書いてあった。
「自分の記憶を整理してたら何か思い出すかもしれないし、まだ続けてみようかな。それに、楽しかった事も思い出せる」
それから、なんとなく部屋の中を歩き回ってみたが、物が少ないので特に新しい発見などもない。ストレッチをしたり、筋トレをしたり、なんとか時間を潰そうと画策していたが、そのうち限界がやってきた。誰か起きていないだろうか? だけど、電話を掛けたりするのはなんとなく気が憚られた。玄関の扉に耳を当ててみたが、人の話し声は特に聞こえない。莉央奈は少し考えてから、外の様子をうかがうために、そーっと扉を開いた。すると、ほぼ同時に隣の部屋の扉が開き、中から出てきた律華と横目に目線が合う。たまたま同じタイミングで扉を開けたらしい。二人は目を合わせたまま固まり、5、6秒経ったあたりで一緒に吹き出して、笑い合った。
「あぁもう。朝からすごく笑っちゃったわ」
「えへへ。わたしも」
律華も莉央奈と同じく、何となく目が覚めてしまった様子だった。二人は律華の部屋でアイスコーヒーを啜りながら羽を伸ばしていた。
「律華ちゃんの部屋は、綺麗に片付いてるね。さすがだねぇ」
「物が少ないだけよ。あんまり女子らしくない部屋だとは思ってるけど」
「そんな事ないよ。あ、あのパンダちゃんかわいい」
莉央奈は部屋の隅にあるタンスの上に腰掛けていたパンダのぬいぐるみを指差した。
「この子の良さに気付くとはね。この子は、ぱんぱんぱんだ」
律華がパンダのぬいぐるみを抱き上げながら応える。垂れ気味のほっぺたに相反して、パンダにしてはキリッとした表情。全台的にかわいらしくデフォルメされたデザインのパンダだった。首には水色のスカーフを巻いている。
「『もふもふ日和ぱんぱんぱんだ』っていう、Web漫画が発祥のキャラクターよ。あらゆるものをもふもふして、世界を幸せで満たそうとしている子なの。青いスカーフは平和の象徴なのよ」
壮大なのか緩いのか、よくわからない塩梅の設定を聞きながら、莉央奈はぬいぐるみの頭を撫でる。
「きみはそんなにすごい子だったのかぁ。よしよし」
「そう。パンダはすごいのよ。えいっ」
ぬいぐるみを莉央奈の顔面に突撃させる。
「うおっ。なんてもふもふなんだ! 」
「そうでしょう? くらえ、もふもふもふもふー」
「んーー、もふもふもふもふぅ」
パンダの柔らかさに埋もれて、気が抜けていく莉央奈。
「んん、かわいいなぁ。なんだか力が抜けちゃうー」
「ぱんだのもふもふぢからを、思い知ったぱん」
いつの間にかパンダになりきっている律華。
「やられたぱんー。ふにゃ」
そのまま二人でカーペットの上にへたり込む。
「なんだか気が抜けちゃうねぇ」
「お休みだもの。抜けちゃいましょう」
今日は土曜日で学校も休みだった。テレビを見ると、朝の情報番組が映し出されている。今日の天気は快晴のようだ。
「みんな、仲良いんだね」
昨日の事を思い出しながら、莉央奈はぽつりと呟く。
「部隊の皆は、歳も近いし似たような境遇だったりして、わりとすぐに打ち解けたかな。隊長と副隊長も良い人だし」
「誠奈人くんの話はちょっと聞いたけど、他のみんなも同じような苦労をしてるんだね。やっぱり…魔力があったから? 」
「そうね…。色んな事情があってね。皆寮に住んでるわ。全ての学生がそういうわけじゃないけどね。親元で暮らしてる子もいるわ」
「魔導士の子供って、みんな魔導士なの? 」
「実は必ずしもそうではないの。産まれた時に魔導核があるかどうかがその分かれ目な訳だけど、これは魔導士の子供だと必ずあるわけではないの。可能性は高いけどね。逆に、両親はそうじゃなかったのに、子供は魔導核を持って産まれてくるケースもある。祖父母や、ご先祖様に魔導士がいる家系でそういう事が起こるわ」
「隔世遺伝…ていうやつだね」
「そのとおり。世代を隔てて特性が表れる事もある…血液型なんかの身体的特徴と同じね」
「家族みんなが魔導士とは限らない…か。それも大変そうな問題だね」
「まさに、現代において難しい問題の一つよ。魔力がある事、ない事を隠したまま育てられる子もいる。周囲からの差別を避けるためにね」
「そっか…魔力のある無しは血液型とは違って、大きい問題だもんね」
「本当は血液型とか、背が高いとか、足が速いとか、声色とか、そういう身体的特徴の一つに過ぎないんだけどね。でも、魔力という物の扱いはそれらとは一線を画している」
「うん…」
「あらあら。そんなにしょげないで」
「わたし、魔導士ってすごいなぁとか、わたしも早く魔導が使えるようになりたいとか、呑気に思ってたけど。それで苦しんでる人もいるんだって、反省しなきゃと」
「魔導をすごいこと、と捉えてくれるのは嬉しいわよ。自分の事じゃなくて皆の心配してたなんて、あなたはやっぱり優しい子ね」
そう言って律華は莉央奈の頭を撫でる。
「えへへ。ありがとう」
「あなたのそういうところに、私も救われてるの。最近事件が多くて皆忙しかったし。誠奈人も同じ気持ちだと思う」
「うん。わたしがみんなに何かを与えられていたなら、嬉しいよ」
「もう、ほんとにかわいい子。ぱんだと同じくらい! よしよしよしよし」
「あはは、くすぐったいよぉ律華ちゃん」
寮の片隅にある道場。生徒達が集まって何かをする時などに使われているが、ちょっとした筋トレ用の器具が備え付けられており、広いので鍛錬に使う者も多い。今朝は誠奈人が一人で汗を流していた。大きなダンベルを左右の腕に持ち、ゆっくりと交互に上下させる。
「………至遠」
昨日その名前を出してから、気になってしまっている。かつて親友だった少年が、今どこで何をしているのか。彼を引き止められなかった己の弱さを思い出し、鍛錬にふける。
「…俺はもっと、強くならないと。力も、魔導も、心も…」
深く呼吸しながら、無心で腕を動かす。汗が滴り、床に落ちて弾ける。自分の体を虐めるように、体内から生気を搾り出すように、何度も何度も繰り返した。しばらく続けた後、限界が訪れてダンベルを静かに置く。乱れた息を整えながら天を仰ぐ。こんな簡単に揺らいでしまうなんて、自分の心の弱さが嫌になる。魔力の放出量や操作精度は精神状態によって大きく左右される。心が揺れれば強い力は出せない。故に、魔導士にとっては精神修行も大切なステップとなる。
「どうすれば強くなれる? 俺は…特に、心が」
自問しても答えは出ない。であれば、ひたすら己を鍛えることしか彼にはできなかった。たとえ方向がズレていたとしても、少しでも前に進みたかった。立ち止まらずに、進みながら道を探す事を選んだ。今、正しい方向を向けているのかは自分でもまだ分からない。
一息ついて、誠奈人は立ち上がる。魔力で刀を作り出し、中段の構えをとる。精神を集中させた後、瞬時に踏み込んで袈裟斬り、右薙ぎ、左切上。流れるように刃を走らせる。再び構えると、炎、雷、風…と、魔力によって生み出した自然現象を順番に刀に纏わせる。最後に水を纏わせて刀を下から振り上げると、纏っていた水が華麗に天高く舞う。そして回転しながら横向きに刀を一閃すると、全ての水は再び刀身に纏わりついていた。刀を一瞥すると魔導を解除し、刀と水に込められていた魔力を体内に回収する。
「朝から精が出るね」
振り返ると学生寮守衛の仙田玄治が立っていた。工務箱を片手に下げており、何か作業の途中だったらしい。
「おはようございます。まだまだ未熟なもんですから」
「たまには自分を褒めてあげなさい。きみは今の時点で本当に優秀な魔導士だよ。それを裏付けるだけの努力と成果を、皆知ってる」
「ありがとうございます。だけど俺は…いつも何かを失くしてばかりなんです」
「それはきみのせいじゃないよ。取り返そうと意気込むのはいい。だけど、あまり気負いすぎないことだ」
「……はい」
「さて、私は仕事の途中だったからそろそろ行くよ。ほどほどにね」
朗らかな笑顔で去って行く玄治の背中に一礼する誠人。床に置いていたタオルで汗を拭き、深呼吸する。
「…今日は、こんなところにしておくか」
誠奈人は自室で着替えてから、寮の談話室に向かった。男女共用で生徒達の憩いの場となっている。既に律華と莉央奈が四つの椅子を添えたテーブルに陣取っていた。
「おはよう、誠奈人くん」
「あぁ、おはよう。皆は? 」
「聡太先輩は用事があって学校。大治君とみーこは任務があるみたい」
「土曜日だってのに大変だ」
「わたしたちはどうしよっか」
「ゆっくりするか? 今日は」
「そうね。もう少ししたら散歩にでも出てみる? 」
「さんせーい」
「今日は天気良さそうだしな。莉央奈にこの辺の地理を知ってもらった方がいいだろうし」
「昨日たくさん食べちゃったし、消費しないとね」
「律華ちゃんてスタイルいいよね。やっぱり普段からそうやって気にかけてるんだ」
「人並みにはね。莉央奈だってそうじゃない? 」
「そうかな? えへへ。わたし魅力的なスタイルかしら」
「また調子に乗ったな」
「むむむ…わたしはずんぐり寸胴だと? 」
「いや、そうは言わないが」
「じゃあ、ナイスバディかな? 」
「……平均だ」
「誠奈人、ひょっとして照れてるのかしら? 」
「照れてない」
「照れてるわよ」
「照れてないっ」
「あらー。誠奈人くんかわいいー」
「…ぐぎぎ」
二人にやり込められ、唸り声を上げる誠奈人。旗色が悪いので逃走を試みる。
「ほら、行くんだったら速く出発するぞ」
顔を見合わせてにやにや笑う莉央奈と律華が、声を揃えて返事をした。
「はーーい」




