85話
ウィルバートの目に憎しみが浮かんでいなかった事に安心したのも束の間。
ウィルバートの拘束に藻掻くエリシャの姿を視界に入れたクォンツは頭を切り替えて急いで駆け寄る。
エリシャに馬乗りになっているウィルバートの側まで行き、今にも暴れ出しそうになっている合成獣の手のひらごと長剣で貫き、地面に固定する。
「ナイスアシストだ、クォンツ卿」
「どうも、ありがとうございますっ、だけど……っ、長くは持ちませんよ!」
「分かっている。アイーシャのためにも急ぐさ」
クォンツが全体重をかけて固定しているというのに、合成獣の腕は拘束から抜け出そうと藻掻き、跳ね除けようとしている。
リドルもやってきて、クォンツに加勢した事で暫くは大丈夫だろうが、闇魔法での合成獣の腕の無効化に時間がかかってしまえば拘束は解かれてしまうだろう。
クォンツはウィルバートに視線を向ける。すると、ウィルバートは安心させるように口角を上げて応えてみせた。
「――発動する!」
ウィルバートの声と同時に、ぶわり、と黒い粒子がウィルバートの体から発生する。
黒い粒子は真っ直ぐ、躊躇いなく合成獣に変貌してしまった腕にだけ纏わりつき、じゅわじゅわと沁み込むように、溶けるように合成獣の腕に浸透していく。
ばたばた、と意思を持って暴れているかのようだった合成獣の腕は、黒い粒子が消えた瞬間、ぴたりと動かなくなる。
長剣に貫かれ、地面に縫い付けられたまま微動だにしなくなった合成獣の腕に、クォンツは警戒を解かぬまま少しずつ力を抜いた。
「……もう、大丈夫ですかね」
ウィルバートに向かってクォンツが問うと、額に薄っすらと汗をかいたウィルバートが額の汗を拭いつつ頷いた。
「ああ。恐らくはもう大丈夫だ」
「なら、あとは気絶させます」
合成獣の腕を刺し貫かれているというのに、先ほどとは打って変わってエリシャは無反応だ。
未だにアイーシャだけを執拗に見つめ、ぶつぶつと何かを呟いている。
そんな姿に不気味さを感じつつ、クォンツはエリシャの首筋に軽く手刀を叩き込み、エリシャの意識を失わせた。
かくん、と意識を失ったエリシャの体を拘束していると、無事に事が済んだのが分かったのだろう。
離れた場所に待機していたマーベリックがアイーシャを連れて近付いてくるのが見える。
「無事に無力化できたみたいだな」
「ええ。恙なく」
マーベリックの言葉にウィルバートが言葉を返す。
先ほどから若干顔色が悪いウィルバートに、近くにやってきていたアイーシャがそのままウィルバートに駆け寄った。
「お父様! 顔色が悪いです、早く馬車で休んだほうが……!」
「いや、アイーシャ。大丈夫だよ。それよりも、エリシャの合成獣化してしまった腕の件について殿下に報告をしておかねば」
「た、確かにそう、ですね」
闇魔法の使い過ぎだろうか。
だが、今までであれば合成獣を消滅させた後もケロリとしていたウィルバートがどうしてここまで消耗しているのだろうか、とクォンツは疑問に思ったが、その答えはすぐに出た。
「殿下。姪の、エリシャの腕ですが……あの腕と、エリシャ本人の意思は別々にあるようでした。なので、合成獣の腕に宿っていた魔力……恐らく邪教が合成獣を創る時に生まれた副産物でしょう。合成獣の魔力をエリシャの体から完全に消滅させました。見た目は合成獣の腕のままですが、先ほどのような芸当はもう二度とできません」
「なるほどな。要は、別々の生き物だった、という認識でいいのか?」
「はい。そう考えていただくのが一番分かりやすいかと思います」
「あの腕は、エリシャ・ルドランの意思ではもう二度と動かす事ができないか?」
「そうなるよう、神経回路を断ちました。あの腕はもう二度とエリシャの意思で動かす事はできないでしょう」
ウィルバートがはっきりと口にした事で、マーベリックはふう、と大きく息をついた。
その表情からは安堵が見て取れる。
「ならば、移送中に鍵爪で傷をつけられぬよう、指先を切断しておかねばならんな。それが済んだら王都に戻ろう」
そこまで話したマーベリックは、リドルを手招き、リドルもマーベリックの下に向かう。
馬車に戻るためにそちらに向かって歩いていたマーベリックが肩越しに振り返った。
「――ああ、そうだ。ウィルバート殿はルドラン嬢の馬車で戻ってくれ。話は終わったからな」
ふ、と目を細めて笑うマーベリックに、ウィルバートは目を見開いた。
そしてきゅ、と唇を噛み締めたあと、マーベリックに向かって深く頭を下げる。
「かしこまりました、殿下。……ありがとうございます」
ひら、と片手を上げて歩いて行くマーベリックの後ろ姿に、アイーシャは二人の間で何か話をしたのだろう、という事は分かったがその内容まではわからない。
だが、去って行くマーベリックの後ろ姿がどこか優し気で、アイーシャもウィルバートに倣って頭を下げた。
あとは、もう。
王都に戻るだけだ。
◇
「――っ、いっ、いてててて!」
「ちょ、暴れないでくださいクォンツ様! かなり深く切れてしまっているのですよ!」
王都に戻る馬車内。
車内には、クォンツの声とアイーシャの声が響く。
合成獣の攻撃で頬を切ってしまったクォンツの隣に座り、傷の手当をしているアイーシャはぱっくりと開いてしまっている傷に眉を下げる。
痛そう、と口にしながら優しく傷口に付着してしまっている渇いた血を拭い、薬を塗り込む。
治癒術士に治癒してもらう程の傷じゃないから、と治癒を断っていたクォンツだったが、十分深い傷だ。治癒してもらっても良かったのではないか、とアイーシャは思ってしまう。
痛みに声を上げるクォンツに更に近付き、痛みに響かないように、と慎重に手当をするアイーシャだったが、どれだけ気を付けても薬を塗り込むには傷口に触れる。痛まない事はない。
痛みに呻くクォンツの腕がアイーシャの腰に回っていて、アイーシャが手当を進める度にクォンツの手のひらに力が入り、更に距離が近くなる。
手当に集中しているアイーシャは腰に回ったクォンツの手も、近くなる距離にも気が回らない。
必死に手当を続け、ぺたり、とクォンツの傷口にガーゼを添えて固定した所でクォンツの頭がアイーシャの肩に乗せられる。
「いてぇ……もうちょっと優しくしてくれても……」
「ご、ごめんなさいクォンツ様。まだ痛みますか?」
痛みが酷いのだろう、とそう考えたアイーシャはこてり、と預けられたクォンツの頭に手をやり、優しく撫でる。
二人の向かいに座って、その姿を眺めていたウィルバートは、つい、と目を細めた。
途端、クォンツの肩がびくん! と跳ね、アイーシャの肩からがばりと顔を上げる。
その顔は真っ青で、今の今まで同じ馬車にウィルバートが同乗している事をすっかり忘れていたクォンツは、アイーシャに傷の痛みにかこつけて甘えていた姿をしっかり最初から最後まで見られていた事に恥ずかしさやら、ウィルバートへの恐怖心やらで顔を赤く染めたり、青くしたりと忙しなく顔色が変わる。
「……すみません」
「ははは。何を謝る必要があるクォンツ卿。傷は大丈夫か? アイーシャに手当してもらって、もう痛まないだろう」
「そう、ですね。ありがとう、アイーシャ嬢」
ウィルバートから視線を逸らしつつ、クォンツはアイーシャにお礼を告げた。




